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わたしが小児ぜん息を発症したのは、五歳の春だ。
発作さえ起きなければ、見た目は普通の人と何も変わらない。だけどそれは日々の予防治療のおかげなだけだ。
朝と夜に吸入器を使って、霧状の薬を吸う。寝る前にはアレルギー用の錠剤を三種類飲む。更には発作時に呼吸を楽にする、専用の吸入薬も処方されていて、それらを手放せない生活を送っていた。
特に発作時用の吸入器はわたしにはなくてはならないもので、どこに行くにも持ち歩いている。せめて可愛く持ち歩きたくて、お気に入りのピンク色のミニ巾着に入れることにした。
症状は成長と共に緩和する可能性がある、と病院では言われたけれど、高校生になった今も、わたしはぜん息と付き合っていた。
走ったり飛び跳ねたりすると発作が出るし、気温差にも弱い。小学四年生くらいまでは年に二回ほど、大きめの発作を起こして入院することもあった。
そのせいで、体育の授業はいつも欠席だ。みんなが走り、飛び、夏のプールでわあわあと騒いでいるのを、隅っこで座って見ているだけ。
授業を受けられないのに体操服に着替える必要だけはあって、それがいつも寂しかった。
当然、運動会にも参加したことがない。本部席で座って見学している。
中学に入ると体育祭の進行アナウンスの係を任された。次のプログラムや、注意事項などを本部席からマイクを使って案内する。役目をもらえたことが嬉しかった。
高校生になってからも、体育はどうせ見学だろうなと思っていた。ところがわたしが進学した高校には、別室体育という授業があったのだ。
文字通り、他の生徒とは別室で受けられる体育で、病気を抱えた生徒に合わせて、できる範囲で身体を動かそう、という趣旨のものだった。
東校舎の二階の端っこに、その教室はあった。空き教室を利用しているので広さは普通の教室と同じだ。
卓球台がグラウンド側の窓際にあって、黒板の真ん中にはダーツの的が備え付けられている。
いかにも手作りなボーリングのレーンとピンもあった。ドッジボールの球を投げてピンを倒す。勿論、倒したピンは自分でまた立て直す。
みんなが受けている体育の授業とは全然似ていないし、運動とは呼べないレベルのものしかなかったけれど、わたしにとってこの別室体育は、人生で初めて経験する「体育」だった。
交流ノートに初めて書き込みをした次の体育の日、わたしはドキドキしながら教室に向かった。
返事あるかな、ないかな。書き込み気づいたかな、気づいてないかな。
授業が始まる前に教室に入って、深呼吸してからそっとノートを開く。パラパラと捲り、真ん中で手を止めた。
『絵を褒めてくれてありがとう』と、右上がりのあの文字が目に飛び込んできた。心臓が早鐘を打つ。その下に目を遣ると続きがあった。
『豊里さん? くん? は一年生? 俺は二年一組です。元町』と書かれている。
不思議なことに、その文字にときめきを覚えた。どんな人が書いたのか、苗字以外は何もわからないのに。
(……元町、先輩、か)
下の名前はなんて言うんだろう。
何組だろう。
どうして別室体育を受けているんだろう。
いろんなことが頭に浮かんだ。だけどいきなりあれこれ質問するわけにもいかない。それになんだか胸がいっぱいで、上手く書けそうになかった。
わたしはボールペンで、『豊里美雨です。「さん」、です。一年二組です。豊里』と書き込んだ。質問されたことに答えるだけで精一杯だった。
授業中もずっとノートのことを考えていた。この日、わたしはダーツをやったけれど、ほとんど的を外してしまい、先生には「豊里、さてはノーコンだな」と笑われてしまった。
「先生。先生は二年生の別室体育も受け持ってるんですか?」
「いや、俺は一年生だけだ。二年生は別の体育の先生だよ」
それとなく聞いてみようと思ったけれど、どうやら先生は元町先輩の担当ではないらしい。
「別室で受けてるのはわたしと、二年生の先輩だけですか?」
わたしの質問に先生は「そうだよ」と教えてくれた。
全校生徒が何人いるのか、わたしは正確な数を知らない。わたしのクラスは男女合わせて二十六人、それが三組まである。二年生と三年生は四組までだ。
ひとクラスの人数は同じくらいだとして、この学校には三百人弱の生徒がいる計算になる。
その中で、この教室で授業を受けているのはわたしと元町先輩だけ──。
(……すごく、特別なことみたい)
卓球台の脚にガムテープが巻かれていること、ダーツの的の周りが穴だらけなこと、手作りボーリングのピンが一本だけ右に曲がっていること。
このことを知っているのは、学校の中でふたりだけなのだ。
そして、黒板の端にノートが吊り下げられていることも。
人生で初めて体育の授業を受けられたことは嬉しかったのに、その喜びに少しずつ慣れてしまって、みんなと同じ内容の授業とはいかないことに、ほんの少しの不満と寂しさが芽生えていた高校一年の一月。
わたしはこうして、元町先輩とのささやかなやり取りを手に入れた。
わたしが小児ぜん息を発症したのは、五歳の春だ。
発作さえ起きなければ、見た目は普通の人と何も変わらない。だけどそれは日々の予防治療のおかげなだけだ。
朝と夜に吸入器を使って、霧状の薬を吸う。寝る前にはアレルギー用の錠剤を三種類飲む。更には発作時に呼吸を楽にする、専用の吸入薬も処方されていて、それらを手放せない生活を送っていた。
特に発作時用の吸入器はわたしにはなくてはならないもので、どこに行くにも持ち歩いている。せめて可愛く持ち歩きたくて、お気に入りのピンク色のミニ巾着に入れることにした。
症状は成長と共に緩和する可能性がある、と病院では言われたけれど、高校生になった今も、わたしはぜん息と付き合っていた。
走ったり飛び跳ねたりすると発作が出るし、気温差にも弱い。小学四年生くらいまでは年に二回ほど、大きめの発作を起こして入院することもあった。
そのせいで、体育の授業はいつも欠席だ。みんなが走り、飛び、夏のプールでわあわあと騒いでいるのを、隅っこで座って見ているだけ。
授業を受けられないのに体操服に着替える必要だけはあって、それがいつも寂しかった。
当然、運動会にも参加したことがない。本部席で座って見学している。
中学に入ると体育祭の進行アナウンスの係を任された。次のプログラムや、注意事項などを本部席からマイクを使って案内する。役目をもらえたことが嬉しかった。
高校生になってからも、体育はどうせ見学だろうなと思っていた。ところがわたしが進学した高校には、別室体育という授業があったのだ。
文字通り、他の生徒とは別室で受けられる体育で、病気を抱えた生徒に合わせて、できる範囲で身体を動かそう、という趣旨のものだった。
東校舎の二階の端っこに、その教室はあった。空き教室を利用しているので広さは普通の教室と同じだ。
卓球台がグラウンド側の窓際にあって、黒板の真ん中にはダーツの的が備え付けられている。
いかにも手作りなボーリングのレーンとピンもあった。ドッジボールの球を投げてピンを倒す。勿論、倒したピンは自分でまた立て直す。
みんなが受けている体育の授業とは全然似ていないし、運動とは呼べないレベルのものしかなかったけれど、わたしにとってこの別室体育は、人生で初めて経験する「体育」だった。
交流ノートに初めて書き込みをした次の体育の日、わたしはドキドキしながら教室に向かった。
返事あるかな、ないかな。書き込み気づいたかな、気づいてないかな。
授業が始まる前に教室に入って、深呼吸してからそっとノートを開く。パラパラと捲り、真ん中で手を止めた。
『絵を褒めてくれてありがとう』と、右上がりのあの文字が目に飛び込んできた。心臓が早鐘を打つ。その下に目を遣ると続きがあった。
『豊里さん? くん? は一年生? 俺は二年一組です。元町』と書かれている。
不思議なことに、その文字にときめきを覚えた。どんな人が書いたのか、苗字以外は何もわからないのに。
(……元町、先輩、か)
下の名前はなんて言うんだろう。
何組だろう。
どうして別室体育を受けているんだろう。
いろんなことが頭に浮かんだ。だけどいきなりあれこれ質問するわけにもいかない。それになんだか胸がいっぱいで、上手く書けそうになかった。
わたしはボールペンで、『豊里美雨です。「さん」、です。一年二組です。豊里』と書き込んだ。質問されたことに答えるだけで精一杯だった。
授業中もずっとノートのことを考えていた。この日、わたしはダーツをやったけれど、ほとんど的を外してしまい、先生には「豊里、さてはノーコンだな」と笑われてしまった。
「先生。先生は二年生の別室体育も受け持ってるんですか?」
「いや、俺は一年生だけだ。二年生は別の体育の先生だよ」
それとなく聞いてみようと思ったけれど、どうやら先生は元町先輩の担当ではないらしい。
「別室で受けてるのはわたしと、二年生の先輩だけですか?」
わたしの質問に先生は「そうだよ」と教えてくれた。
全校生徒が何人いるのか、わたしは正確な数を知らない。わたしのクラスは男女合わせて二十六人、それが三組まである。二年生と三年生は四組までだ。
ひとクラスの人数は同じくらいだとして、この学校には三百人弱の生徒がいる計算になる。
その中で、この教室で授業を受けているのはわたしと元町先輩だけ──。
(……すごく、特別なことみたい)
卓球台の脚にガムテープが巻かれていること、ダーツの的の周りが穴だらけなこと、手作りボーリングのピンが一本だけ右に曲がっていること。
このことを知っているのは、学校の中でふたりだけなのだ。
そして、黒板の端にノートが吊り下げられていることも。
人生で初めて体育の授業を受けられたことは嬉しかったのに、その喜びに少しずつ慣れてしまって、みんなと同じ内容の授業とはいかないことに、ほんの少しの不満と寂しさが芽生えていた高校一年の一月。
わたしはこうして、元町先輩とのささやかなやり取りを手に入れた。

