勇者(親友)の隣に立つ偽物の君へ

「で、あなたは何が欲しいの?」

 ヴェラが机の向こうから聞いた。

 地下街の奥の方に、古い木の机が三つある。そのうちの一つに向かい合って座っていた。机の上にはランタンが一つ。俺の前に、パンと干し肉が置いてある。昨日から何も食べていなかったが、まずは話を終わらせてから食べようと思っていた。

「情報だ。役割執行院の動向と、均衡律の抜け穴。この二つが欲しい」

「高いわよ」

 即答だった。ヴェラは机の端に肘を乗せて、俺の顔を見ている。計算している目だ。

「役割執行院の動向は、私がすでに持ってるわ。均衡律の抜け穴は、あるとしたら教えてくれた人間がいない。つまり、価値はゼロじゃないけど、私が買うような値段じゃないわ」

「じゃあ何なら買うんだ」

「それは売る側が決めることじゃないの。私が決めるよ」

 ヴェラは肩をすくめた。

「で、あなたは何が売れるの?」

 俺は少し黙った。

 昨日から考えていた問いだった。俺には何が売れるのか。役割証明書がなくなった時点で、「均衡律補佐官」という肩書きが消えた。依頼の情報、戦闘スタイル、行動ルートの記録。そういった職業的な知識はある。ただ、その情報の中には「リアスに関するもの」が相当数含まれる。それを売ることはできない。

 いや、「できない」ではなく「しない」だ。できる。でも、しないだけ。その二つは大きく違う。昨夜、その違いについて考えていた。

「……」

「沈黙するってことは、それが答えね。あたには、売れるものが何もないってことだ」

「ある」

「ないわよ。役割証明書を取られた元補佐官で、無一文で、無名で、何も売るものを持たない男が情報屋に交渉しに来た。その度胸だけは認めるわ。で、どうするの?」

 どうする、と聞かれた。

 俺は机の上のパンを見た。それから、ヴェラの顔を見た。

「俺には頭がある。戦術分析と情報処理なら、どんな情報屋より早く答えを出せる」

「自分の頭を売る、ね」

 ヴェラは少し首を傾けた。口の端が、ほんのわずかにだが動いた。

「情報屋をやってて、そんなことを言われたのは初めてよ」

「多くの人間は情報を持ってここに来るからか」

「そうね。知識か物か、人脈か。頭そのものを売りに来た人間は、いないとは言わないけど少ないわ。問題は、頭の良さは証明しにくいということかしら。本人が言うだけじゃ、根拠にならないもの」

「検証すればいい」

「実演してみせるってこと?」

 ヴェラが少し目を細めた。今度は計算とは違う目だ。

「面白いことを言うのね」

「そういうことだ」

「じゃあ一つ」

 ヴェラが机の上で指を折った。

「昨日、役割執行院の巡回が東の出口を封鎖したわ。なぜだか、分かるかしら。三日前から原因を探しているんだけど、その答えがまだ出ていないの」

「封鎖の規模は」

「三人。常時よ」

「撤退の見込みは」

「なし。むしろ一昨日から四人に増えたわ」

 俺は少し考えた。

「三日前から封鎖が始まったのか」

「そう。突然ね。それまでは動いていなかったルートだ」

「三日前の直前に何かあったか」

「分からないから聞いてるの」

「それなら逆から考える」

 俺は机に肘を乗せた。

「封鎖の目的から始める。封鎖は出入りを制限する。理由は流出を防ぐかか、流入を防ぐかだ。東の出口は地下街側から見れば出口だが、上の世界から見れば入口になる。執行院が封鎖しているなら、何かを探して入ってくるか、何かが逃げ出さないように塞いでいるかだ」

「調査、か」

 ヴェラが小さく言った。

「次に時点。均衡律が役割区域を更新する時、執行院の巡回は必ず事前に動く。更新前夜に一度パターンが変わる。三日前というのは、そのパターンの変化と一致するか」

 ヴェラが少し目を細めた。

「……一致するわね。四日前の夜に、南の巡回が変わっていたはずよ」

「では役割区域の更新が行われた。東のルートはその更新で管理対象に入った。封鎖は事前準備だ。通常更新なら二日以内に巡回は元に戻る。三日経ってまだ続いているなら、何かを探している、あるいは待っている」

 ヴェラは少しの間黙った。

 机の上のランタンが揺れた。地下街の空気が、わずかに動く。

「……まあ、割には合う」

 それだけ言った。抑揚のない声だった。でも、俺が話している間に計算の色が薄まった目を、俺は見逃さなかった。

「取引成立、ということでいいか?」

「成立ね。ただし、条件があるわ」

「聞こう」

「私が使える分析だけ使う。私が扱えない案件には巻き込まない。それと」

 ヴェラは机の上で指を一本立てた。

「個人情報は売らない。あなたが持ってる人間関係の話は、私には関係ないわ。そこは触れない」

 俺は少し意外に思った。情報屋なら何でも欲しがると思っていた。

「なぜだ?」

「個人情報を売ると、売られた相手を敵に回すもの。長くここにいるから、余計な敵は作らない。それだけのことよ」

 ビジネスの論理だ。感情ではない。でも、その言葉が俺には受け取りやすかった。

「それで問題ない。俺も売りたくないものは売らないからな」

 ヴェラが少し表情を変えた。驚き、というより「予想と違った」という顔だ。

「上から来た人間は、大体なんでも売ろうとするわ。ここに来た最初の週は特にね。焦ってるから」

「俺だって焦っている」

「そうは見えないけどね」

「そういうことにしておいてくれ」

 ヴェラが机の上で手を組み直した。何かを考えているが、表情には出さない。

「……なんで笑ってるんだ」

「笑っていない」

「さっきから何回目だ、それ」

「あら、気づかなかった」

 ヴェラが机の向こうで少し笑った。計算ではなく、純粋に。

 なぜ笑ったのか、俺には分からなかった。「俺も売りたくないものは売らない」という言葉が何かに触れたのかもしれない。でも、それを確かめる気にはなれなかった。

 すぐに「商売人の顔」に戻った。

「それからもう一つ。あなたみたいな人間が知っておくべき場所があるわ」

「どこだ」

「無役文庫。この街の北の外れ、半地下の建物よ。役割を持たない人間が記録を集めている場所。均衡律がこの世界から消そうとしている情報が、そこにあるわ」

「均衡律が消した情報?」

「感情魔法の記録、とか」

 ヴェラはさらりと言った。まるで今日の食堂のメニューでも話すように。

「均衡律は定規の魔法だけを『正しい魔法』と定義しているの。でも、感情から生まれる魔法は定義されていないから、存在しないことになっている。だけどね、記録は残っていたわ」

 ヴェラがにやりと笑った。