カシオくんとログ子ちゃん

 顧問の先生ってなんだよって昔から思っていた。『カスタード』のプリンとか、『いちご』のショートケーキとか、『白い』ご飯とか、わざわざ言わんでいいだろう。誰しもがまずその言葉を聞けば最初に連想するであろうことをわざわざ言う意味がわからなかった。逆だったりギャップがあるから言葉にするんだろう。重言とまではいかないにしても省略できるのは事実だ。だから顧問の先生ではなく正しくは顧問、もしくは先生、と分けるべきだ。
 昔からそんなことばかり気になった。だから国語教師は天職だと言えた。いや、いちいち人の言ったことを直したくなるこの性格は、言い間違いや用法間違いを多くする中学生とは相性が悪い。だから最悪だとも言える。
「さっき用務員のおじさんがいたんだけどさー。じろじろ見られてた気がするんだよね」
「えー最悪。絶対やらしー目だったよ」
 女子生徒二人の声が聞こえた。職員室の近くだというのに結構な声量で話すものだ。あえて聞かせようとしているようにも、周りのことなんて何も気にしていないだけのようにも聞こえるその声に、どちらにせよ苛立たせられる。
 用務員のおじさんってなんだよ。正しくは用務員か用務のおじさんだろと喉まででかかったが押さえる。君たち、と呼び止めると、彼女らは職員室が近いことにようやく気がついたようで、すみません、と二人は同時に言う。注意をされた場所で同じ話はしづらいのと、ここが職員室の前だと気がついてしまったからだろう。離れようとする二人を呼び止めた。
 なんですか? と聞く声は嫌悪感丸出しだ。職員室の前で大きな声で話しているのを注意するという大義名分が終了してしまった今、私は彼女らにとって居心地を悪くした張本人でしかない。
「スカートにシールがついているよ」
 言った後でしまったと思った。若い子は何が流行っているかわからない。我ながらお尻と言わなかったこと、自分の手で取ろうとしなかったことはよくやったと思う。だが、もしこれが流行のファッションであれば、流行り物に疎いおっさんと思われかねない。自分としてはスカートのお尻部分にシールをつけるのがファッションとして流行ることは想像ができなかったし、もしファッションだったとしても、学校にふさわしくないとやめさせることもできる。いやそんなことをしてしまえば、なにか問題に発展するかもしれない。
 最近の教育は難しいのだ。
 だが心配は杞憂に終わった。シールをつけた方の女子が、「えー! うそ! とってとって!」と虫がついたかのようにくるくるその場で回る。
 ほっと胸を撫で下ろしたのと同じタイミングで、もう一人の女子がシールをスカートから取った。
「先生、ありがとうございます!」と二人は軽く頭を下げる。教師としては大きくなっている声を注意しなくてはいけないのだが、それよりも用務のおじさんのことが不憫で、「きっと用務員さんも、そのスカートについたシールのことを言おうと思ってたんじゃないかな」と言ってしまった。
「え、先生、聞いてたんですか?」
 しまった。これでは女子中学生の会話に耳を傾ける変態教師の烙印を押されかねない。
 それは避けなければ!
「お前たちの会話、職員室の中にまで聞こえてたからな」とやれやれ顔で返す。
 すると二人は、先ほどより深く頭を下げて謝った。それも、またもや大きい声で。しかしもう一度注意をしようものなら、面倒な先生という烙印を押されかねない。
 女子中学生二人は頭を下げたときの勢いのまま急いで職員室前を去っていった。その背中に走るなと続けるべきなのだろうが、悩んでいるうちに二人の姿は見えなくなった。
 これで用務員のおじさんの冤罪は晴らすことができただろうか。少し遠くであの先生に見つかっただけで良かったー! と先ほどの二人の声が聞こえる。声が大きいと注意されたことよりも、シールがついていたことの方が大事件らしく、かき消されてしまったようだ。
 嫌な印象を与えなくて良かったと思うべきか、それとも注意したことが理解されていないことに嘆くべきか。
 窓を開ける。まだ放課後まで授業が二コマ残っている。しかしそのうち私が担当の国語の授業はない。
 私は顧問を持っていない。翌日以降の授業の準備や雑務を放課後にして、生徒の部活が終わる頃に帰路につく。今日は持っている授業が午前中だけなのもあって、事務仕事に時間を避けた。おかげでいつもより早く帰れそうだ。
 と、そう思っていたところに顧問のお願いをされた。
 クラスは忘れたが有名人だからお願いをしてきた子はわかる。が、良い意味での有名ではない。女の子にしては勝気な女の子、カチミと呼ばれている愛美ちゃん。あぁ、女の子にしてはとか今はまずいんだっけ。ちゃんづけもまずかっただろうか。彼女はそんな私を馬鹿にするかのように「こ、も、ん、の、せ、ん、せ、い」と一音一音しっかり発音した。
 内容は部活を立ち上げるので顧問をしてほしいという要求だった。だから初めは断った。放課後はゆっくりしたい。ただでさえ仕事中は子どもと過ごす時間が長いのだ。自分の家族と過ごす時間だって大切にしたい。自分の子より他人の子と時間を過ごすことの多い教職とはいえ、ただでさえ少ない我が子との時間を潰してまで顧問を請け負う必要はない。
 しかし彼女が口にした名前で気が変わった。『カシオ』その名前は私が苦手な響きだ。そして苦手な理由もわかっていた。羨ましい、それひとつに心が埋め尽くされるからだ。
 私は、曲がったことが、間違ったことが大嫌いだった。だから教師になった。はじめはよかった。教師として正しいことを子どもに教える、意欲のある新任教師として扱ってもらえた。だが、それも三年目になると手のひらは安易に返された。
 いつまでそんな熱血教師ごっこを続けるのか、正しいことだけ教えたら君みたいに融通がきかなくなって苦しむのは子どもたちだ。子どもの親からも苦情が来ていてね。
 そんな言葉を誰が言って、誰が言わなかったのか、誰が思っていて、誰が思っていないのかわからなくなった。
 あるとき注意をし過ぎてしまった生徒が学校に来なくなった。生徒は自分がいなければ学校に行くという条件を出した。他の先生からすれば、いいきっかけだっただろう。結果として私はこの学校に左遷された。
 田舎で、建物よりも山と川の存在感が強いこの町では、注意したいことだらけだった。ノーヘルで原付に乗る老人、二人乗りや逆走は当たり前の自転車、余ったからと勝手に家に入って料理を置いていく隣人、放し飼いされている犬、寝ている駄菓子屋のおばちゃん、それらひとつひとつに注意したくて仕方がなかったが、そのたびにどこからかわからない声がして、言おうとする喉をつかんだ。
 幸運なことに、ここの学校の校長が理解のある人で、このことを相談できた。校長は自身が近しい体験をしたことを話してくれ、だからこそ理解できると繰り返し言ってくれた。そんな校長先生に恩を返すために、面倒ごとは避けるようになった。
 転勤によって引っ越すことになったにもかかわらず、田舎暮らしに憧れていたと喜んでくれる妻と、自然が好きで、いつも休みになると自然の中に行きたがっていた息子は「ずっとそこにいられるの!?」と喜んでくれた。
 面倒ごとを避ければ、自分の信念を曲げれば、誰もが笑顔になる。自分さえ我慢すれば、誰もが幸せでいれる。それを痛感した。そんなときに現れたのがカシオくんだった。
 彼は私と似ていた。色々な物事の未確定さ、おかしさを許すことができなくて、いろいろな人に突っかかった。正直、私は見てられなかった。自分と同じように苦しむようになるぞ、と我慢できるようになっていた注意をするという行為を抑えるのが毎回大変だった。
 この間のアイドルの写真集を学校に持ち込んでいいかという議題でも、私がなんとか落ち着かせたところを、彼が自分が気になるからという興味で、掻き乱した。
 驚いたのは、掻き乱された後のほうが、生徒の表情が満足気だったことだ。しかもカシオくんはあとで職員室に来て、場をかき乱したことをしっかり謝ってくれた。最後には「それができたのも先生が場を一度納めてくれたから」とか「先生がいつも隣にいてくれたら心強いのに」とまで言ってくれた。
 だが、そう言われた私の心に渦巻いたのは負の感情だった。私は場を納めたいのではない。それはこの学校の教師として、私を救ってくれた校長のために仕方なくそうしただけで、本当は圧倒的な正しさで、場を綺麗にしたかった。そう、カシオくんがしたように。
 そう思ったところで気づいた。私はカシオくんが羨ましかったのだと。彼のように、自分の興味で動いて、それで人を救って、それで人に好かれていく、彼の姿は私がなりたかったそのものだった。
 だが、それができるのも中学に上がるまでだろう。さらに高校に上がったら、大学に入ったら、社会に出たら、いつかその性格でとても深い傷を負うことになる。だからせめて小学生の間だけは、彼の活動を応援しようと思った。
 私は顧問を受け入れた。内容も聞かずにカシオという名前を聞いただけで受け入れてしまったせいで、愛美さんは驚いていたが、
「ちょうど他の先生にも顧問をしなさいって言われていたところだったんだ」と言うと納得したようだった。
「愛美さんが提案するということは、やっぱりスポーツ系のクラブかな? 私はあまりスポーツが得意ではないけれど」
 あ、いえ、と言って愛美さんが提示したのは『可視化クラブ』学校や地域の人の悩みや問題、いざこざを調査して解決するクラブだった。
 私は教師として、人のいざこざは問題が複雑だし、危険なこともあるだろうから難しいんじゃないかと言ったが、彼女は絶対にそこは譲らなかった。
「だって、カシオくんが来てくれなくなるかもしれないから」とゴニョゴニョ声で続ける愛美さん。
 そこで、まだメンバーにカシオくんが入ることが絶対でないことを知って、それでは話が違うじゃないかと内心思ったが、それも杞憂に終わった。
 放課後、やってきた彼は黒板に書かれた可視化クラブの文字を見てすぐに入ることを決めてくれた。
 ほっとしたのと同時に彼を目の前にして、胸の中で黒いモヤが生まれ、渦巻いていくのがわかる。それが羨ましいという感情であるのはわかっていたが、はたと気づいた。
 私は彼が負ける瞬間を見たがっているのだ。私が今こうして注意することを我慢している日々は間違いではなかったと、彼の失敗を見ることで証明したがっている。
「クラブ活動、楽しみですね」
 ね、が少しヘラってはいないだろうか。

 クラブ活動初日は活動名と活動内容、役職を決めることになった。メンバーは私、愛美ちゃん、カシオ君、顧問は担任の先生。
 活動名は私は『可視化クラブ』でいいと思うんだけど、愛美ちゃん的にはとっさに仮でつけた名前なだけで、もっと可愛いのがいいらしい。カシオ君は「そんなのいいからさ、早く活動しようよ!」と言うばかりで全然会議に参加してくれない。でも毎回ちゃんと挙手して言うから、当てないわけにはいかない。
 そういえばなぜか自然と先生が進行、私が書記をしていて、カシオ君は席に座っている。それはなんだか新鮮だったけど、カシオ君の隣以外で書記役をやるのは少しだけ居心地が悪かった。
 違うのカシオ君、これは! と彼の方を見ても彼はキラキラした瞳で「早く活動しようよ!」とまたもや繰り返すばかりだ。
 会議で出た案を黒板に一通り書いていく。
 カシカクラブ「何よそれ、歌詞を書くクラブじゃないんだから」
 カシオクラブ「僕がボスみたいでなんかやだなぁ」
 クラブKASIKA「大人のお店みたいなのは先生は許可できないなぁ」
 見える化探偵事務所「なんかダサいわね」
 見える化クラブ「先生はいいと思う」「私はもうちょっとスマートな感じの方がいいわ」「もうなんでもいいから早く活動しようよー!」
 という感じで全く決まらないので、私は「とりあえずいいのが思いつくまでは仮で『見える化クラブ』でいいと思います。可視化だと難しいし、カシカってカタカナにしても、すぐに漢字の可視化と結びつくのは難しいだろうし、何より先生がいいと思うって言ったから」
「おいおい、先生を盾にするのか?」
「あっ、すみません!」
「ははっ、冗談だよ。先生は柿本のそういう真面目なところはいいと思うけど、せっかくのクラブ活動だ。もっと肩の力を抜いてもいいんじゃないか?」
 先生はそう言って肩に手を置いてくれた。置いた、という表現にしては短くて、当たってしまったという方が近いかもしれないその行為は、私の心にじんわりと暖かいものをくれる。
 先生を見上げると、頷いて返してくれた。愛美ちゃんは目が合うとそらし、カシオ君は相変わらず「早く活動しようよー」と言っている。カシオ君の子どもみたいな振る舞いはいつもの冷静な感じとは違っていて、その年相応、いや少し幼いくらいの彼が可愛く思えた。
「それじゃ、役職を決めようと思います。といっても何をするクラブかまだ、イメージできていないので、クラブ長と副クラブ長と書記くらいですけど」
 私は自然と自分が書記に収まると思っていた。でも、なぜか私がクラブ長になってしまった。
 流れとしてはこうだ。まずはクラブをしようと提案した愛美ちゃんが候補に上がった。けど彼女は「私はカシオ君のためにこのクラブを作ったの。だからカシオくんがクラブ長よ」と言って断った。そして次にカシオくんが候補になったけど、「え、だから僕がボスは嫌だって」と断った。三名中二名が断ったため、必然的に私がクラブ長になってしまった。ちなみに副クラブ長は愛美ちゃんで本人は不服そうだ。
 けど先生が「まぁ小さなクラブだから結局はみんな一緒に行動するし、クラブ長がやることと言ったら、今のところこのクラブ申請書に記入するくらいだけどな」と言われて、愛美ちゃんはなによそれと笑った。
 なんだかおかしくて笑ってしまう。別にバカにしたわけじゃなくて、こういうドタバタした感じがなんだかくすぐったかった。
「何笑ってるのよ」
「あっ、いやえっとそのなんだかうれしくって」
 はぁと愛美ちゃんはため息をつく。やっぱり私とはクラブ活動したくないんだろうなぁ。思わず下を向く。教室の床の木目が見える。カシオくんと出会う前はこの光景ばかり見ていた。友達がいなくて、ずっと本ばかり読んでて、あんまり喋らないから不気味だって言われて、せっかく話しかけられてもなんて返していいかわからなくて下を向いていた。そうするとみんなどこかに行ってしまう。でも私はそれで助かったと思っちゃって自分からは何も言わなかった。
 そんな私がクラブ長なんて、そもそもクラブ活動なんてできるのかな。
 すると、木目の床の前に手が差し出された。思わず顔を上げると愛美ちゃんが私に向けて手を出していた。何かを手渡すのかと思ってポケットを探るけど、そんなものはない。
「何してるのよ。握手よ握手」
 彼女がそう言ってようやく握手を思い出した。私がうれしくて両手で覆うように握ると、彼女は顔をしかめた。
 やっぱり嫌だったのかな、と思ってまた顔が下がる。
 自分の手を見て、すぐに離した。
「ご、ごめんなさい。わ、私うれしくって」語尾が緊張で上がってしまう。愛美ちゃんはまたため息をついた。
「まぁ、これからよろしく」
「うん」
 私は自分の服でチョークの粉を拭いてから再度手を握った。でも愛美ちゃんはそっぽを向いたまま三度目のため息をつく。
 やっぱり本当は私と一緒なんて嫌なんだろうな。
 なんて思っている私のことなんて知らず、ニコニコ顔でカシオくんが近づいてきて、
「あっずるい! 僕も仲間に入れてよー!」
 と私たちの手の上に自分の手を重ねてきた。
 瞬間私と愛美ちゃんの顔が真っ赤になる。
 先生は少し笑ってから「時間もないから、活動についてさっさと決めて、今日は解散するぞー!」と言ってくれなければあの状態から動けなかったと思う。
「私がクラブ長、愛美さんが副クラブ長になったので、書記はカシオ君になってもらった方が良いでしょうか?」
「あーそうだなぁ……。いや、柿本の役職としてはクラブ長だが、書記も兼ねていいんじゃないだろうか」それではカシオ君だけなんの役職もないことになるんじゃと思ったが、先生が小声で「それにカシオに書記が務まると思うか?」とささやいたのと、愛美さんが「カシオ君は自由でいいのよ。どうしても役職が必要なら名誉会長や象徴、マスコットかしら」
「僕はボスもマスコットも嫌だ。それより早く活動しよう!」
 確かにカシオ君が名付けられた役目をきっちりしっかり果たすタイプには思えなかった。それはずぼらやテキトーだからという意味じゃなくて、きっとそれ以上の仕事をしてしまうんだろうなってこと。自分だけでなく他人の役職のおかしな部分を洗い出しかねない。そんなことをすればチームの意味がない。さすがに愛美さんもそれはわかっていたから、カシオくんがクラブ長をしぶったとき、すんなり私に話を振ったのだろう。本当はカシオくんがクラブ長で、自分が副クラブ長が理想だったはずなのに、ちゃんと考えているんだなぁ。
 私も頑張らなくっちゃ。
「活動内容なんだけど、このクラブを発足した愛美さんはどんな活動をしようと思っていましたか?」
「え」
 彼女は固まる。動いたかと思えば頬を人差し指でかいていた。どうやら何も考えていなかったみたいだ。仕方がないので、私はカシオくんがしている活動の手助けをすることに加えて、学校や生徒のちょっとした問題を発見してできるものは解決するという活動を提案した。初めの部分だけだと先生はあんまり良い顔はしなかったけれど、後半の部分を聞いて納得したように頷いている。
「先生、このような感じでどうでしょう?」
「うん。とてもいいと思う」
「ありがとうございます。最後に二つの活動について、掘り進めていきたいと思います。まずカシオくんの活動の手助けですが、私は今まで通り彼の言ったことを板書する書記係でいいと思うのですが、愛美さんはなにをしますか?」
「私はカシオくんの活動には特に関わらないつもりよ。だって彼の活動で手伝えることなんて書記以外にないもの。それはもう柿本さんがやってくれているからいいわ。問題はもう一つの活動ね……」
 学校や生徒の問題をどう見つけるか。
「活動できるのは放課後だけだから、風紀委員みたいに見回りとかするわけにもいかないし……」
 この学校に風紀委員はなかった。生徒会が少しやってはいたけれど、特定のなんとか週間のときくらいで、それもほとんど先生が登校時の荷物や頭髪のチェックをするのを手伝うくらいだった。つまりすでに人が足りているので、今更同じようなことをする必要がない。
「それは簡単だよ。百葉箱を作ればいい」カシオ君が珍しく手も上げないで発言した。でも先生は注意をせず「名案ですね」と笑う。
「じゃあそれは私が用意するわ」頬杖をついたまま愛美さんが気だるそうに手を挙げた。
「カシオ君の活動についてってる柿本さんには時間がないでしょうから」とイタズラぽく笑う愛美ちゃん。まるで私がカシオ君につきっきりみたいな言い方をされてはずかしかったけど、カシオ君は「ひどいなぁ」と笑って返すだけだった。
 翌日の朝、愛美ちゃんが持ってきた木でできた百葉箱を職員室前に設置した。ここならいたずらはしづらい。といっても先生から見える位置じゃないし、教室からみ玄関からも離れている職員室前は先生以外の人はあまり通らないから、入れやすいだろう。
 昼休み、おそるおそる百葉箱をあけると、たった一通だけ手紙が入っていた。

 はじめまして。というのもおかしいかな。私はとあるクラスの女子です。お願いがあって、今回この百葉箱にいれさせていただきました。
 お願い、というのは、私の友達のことです。私の友達。小池みなみさんを助けてあげてほしいんです。彼女はある日、突然引きこもってしまいました。それも理由も言わずにです。私が会いに行っても出てきません。まだ数日のことではありますが、さすがに心配なのでお願いします。
最後に、彼女の名前を書いておいて、私の名前を書かないのは失礼だと思うので書いておきます。___深山みゆき

 さっそくの依頼に一瞬舞い上がった気持ちが、ずん、と重く落ち込んでいく。
 引きこもった子を学校に来るようにする、こんな問題を私が解決できるだろうか。
 肩に手が置かれる。見ると、愛美ちゃんだった。
「さっそくデカいのがきたわね……」彼女がいい終わるや否やカシオ君はもう一つの私の肩に手を置いてくれる。
「カシオ君……」
 励ましてくれるんだ、と思った瞬間だった。
「僕はパス。二人で頑張って」
「え」
「え」
「「ええええええええ!?」」
 カシオ君は耳を抑える。私はあ、ごめんと言うと彼はひぃとわざとらしく悲鳴をあげた。
「なんでそんなに驚くの?」
「なんで、ってそれはこっちのセリフだよ。ど、どうしてカシオ君はパスなの? この問題が難しそうだから? それなら私たちも先生にお願いして断るつもりだけど」
「断っちゃダメだよ。せっかく勇気を出して入れてくれたんだし。字から見てもイタズラじゃないってわかる。ここに書いてある名前の子も僕は知っているし、引きこもっている子がいるのは先生に聞けば本当か分かるはずだよ。それにこれは僕の勘なんだけど、これは先生より、僕たちがやったほうがいいと思うんだ」
「じゃ、じゃあますますなんで?」
「え、だって……僕は衝突している二人の言っていることを整理して解決するのが好きなだけだし……。個人の気持ちなんてわからないよ。個人の心の中は、最終的にはその人が頑張るしかないからさ」
 私は言葉を失った。目の前にいる好きな人が、その人を好きになった理由が、わからなくなる。彼が言っていることは間違っていない。でも、私は彼にそんなふうに言ってほしくなかった。きっと何を言っても無駄。いつものカシオ君だってそうなのに、今はなぜかそれがおそろしくて仕方がなかった。
 パァン。
 動けなくなった私の代わりに動いたのは愛美ちゃんだった。彼女は肩で息をして、なんとか整えようとする声のまま「最低」と続ける。
 そしてこちらを振り向いたかと思えば、
「柿本さん。この問題は私たち二人で解決しましょう」と真剣な顔で続ける愛美ちゃん。
 私は全身から力が抜けた。愛美さんが私の肩を揺らしているのだけがわかったけど、しばらく動くことができなかった。
 視界の端で、叩かれたことなんて忘れたかのように「じゃあ二人で頑張ってね!」と手を振って去っていくカシオ君が見えた。