カシオくんとログ子ちゃん

 パスっという音がアタシは好きだ。情けなくも聞こえる音なのに、パズルのピースがはまるみたいな気持ちよさがある。本当はその後の静かーな感じとか、デンデンデンとボールが床で軽く跳ねる音も好きなんだけど、その音の上に男子のウォーッという声が重なって聞こえない。そして、ウォーッにまじって聞こえる女子のきゃーっていう声援はどこか嘘っぽい。
 ついこないだまで、私のことそんな目で見てなかったくせに。
「ナイスシュート!」という声が後ろからする。男の子にしては高いその声は、歓声の中でもはっきり聞こえた。そんな雑音なんか吹っ飛ばして、まっすぐアタシのど真ん中に届く。思わず振り向くと、二階の窓からカシオ君が私を見ていた。
 きゃー! カシオ君! もしかしてずっとアタシのこと見てくれてた!? うれしい! 汗たくさんかいてるから匂いとか大丈夫かな? 風の向きと距離的に大丈夫そうでほっとする。でもほっとしたあとすぐに自分のお腹を抱く。 
 もしかして、飛んだときにお腹とか見られたんじゃ……。 
 中学生になって体の感覚が少し変わった気がする。太った、っていうわけじゃないけど、なんか体がやけにフニフニしてる。お母さんに相談しても、女の子ってそういうものだとか、愛美は大丈夫よなんて言われちゃって意味わかんない。なにが大丈夫なわけ? いや、授業で習ったから意味は分かるんだけど、私の許可なく勝手に体の仕組みでそうなっちゃうってイヤ。
 アタシと違ってお母さんはとっても細い。ジムのトレーナーをしているからだと思う。細いけど、折れそうじゃなくてきゅっと引き締まってる感じ。でも出るところは出ていて、私にとっての憧れだった。クラスで流行ってるGREEN PEACHなんかよりずっとキレイ。
 でも最近はなんだかお母さんを見るとイライラしちゃう。こうはなれないって言われてるみたいで仕方がない。
 悔しくて「お母さんが引き締まってるのは、もう女の子じゃないからってこと?」って言っちゃって昨日から喧嘩中だ。
 体操着を下に引っ張って直す。顔が汗びっしりだから本当はシャツで軽くふきたいんだけど、カシオ君にこんな情けないお腹を見られたくない。ハンカチは制服のスカートのポケットの中だ。最後の授業が体育だったから、放課後になっても体操服のまま校庭に出てきた。
 汗が目元にまで来て、思わず腕で拭う。カシオ君にありがとうって伝えようと顔を上げると、カシオ君は別の女の子と話していて、こちらを見ていなかった。その女の子をにらむ。仲のいい子だったらどうしようと思ったけど、柿本さんだ。あんまり話したことはない。顔も普通で身長は少し高いけど、胸は大きくない。カシオ君はあんな女の子のどこがいいんだろう。
 アタシの方が、と思って自分のお腹周りのことを思い出した。シャツの裾をぎゅっと握る。
 アタシの方がカワイイしキレイだし、スタイルだって、きっといい。
「おーい。試合再開するぞー!」とバスケを一緒にしていた男子がアタシを呼ぶ。野太くてきったない声に腹が立って、呼んだ男子の足を軽く蹴ったら、「親切に呼んでやったっていうのによ。女の子ってまじ意味わかんねぇ」とぶつぶつ言われた。うっさいマジで。
 最近このあたりの学校ではバスケがブームだ。人気のバスケットボール漫画がアニメになったのと、先日授業で三校合同でプロのバスケットボールの試合を観に行ったのがきっかけで、昼休みや放課後はたくさんの人がやってる。本当は体育館の正式なコートの方がいいんだけど、放課後はバスケ部が使っているから仕方ない。外のコートは体育館と違って二回りくらい狭くて、さらに半面しかなくてバスケットゴールも一個しかない。風で運ばれて溜まってるグラウンドの砂で滑るし、外用のボールは公式のものより一回り小さいし、バスケットシューズじゃない学校指定の靴はやっぱり滑るしでやりにくくて仕方がなかった。
 ゴールが一個しかないから、攻撃と守りを交互に変えて試合をする。攻撃側がシュートを決めるか、守り側がボールを奪ったら交代だ。自慢じゃないけどアタシがさっき決めたのは3ポイント。といってもまぁコートが狭いから実際には普通に2ポイントの距離なんだけど、最近バスケにハマった子たちはルールを知らないから大げさに喜ぶ。
 これも自慢じゃないけどアタシは守りもうまい。アタシが経験者っていうのもあるけど、最近ハマった子たちは動きがわかりやすくて、簡単だ。今回もシュートしようとした男の子をブロックしてやった。
 ふふんと鼻を鳴らす。女子からはきゃーという歓声、嘘つき。男子はブツクサ文句を言ってて、うざい。『おとこおんな』とか『女のくせに生意気』はいつも言われているからなんでもないけど、『かわいくない』は聞き捨てならなかった。
「かわいいわよ!」
「わぁー! カチミが怒ったぞー!」
 男子がアタシをからかいながら逃げたので、全力で追いかける。余裕ぶっていた男子も手が届きそうになるところにアタシが来ると、焦り始める。走るために前を向き、アタシとの距離を確認するために振り返る。その切り替わりのスピードは上がり、これ以上は速くならないんじゃないって速度になったあたりで男子は転んだ。
 馬乗りになって、拳を振り上げると、ひっ、という情けない声を出して手で顔をガードする。
 バスケットボールがゴールに入る音が後ろからした。やっぱり気持ちいい音。それとは似ても似つかない「許して」や「ごめんなさい」は本当に情けなくて、つい先ほどまであった怒りもどっかにいってしまった。
 振り上げたまま降ろさないアタシを見て、先ほどまで謝っていた男子も「この暴力女が」とつぶやく。大きな声で言えないのが情けない。この距離だったら呟いたって聞こえるっての。
「まだやるわけ?」
「いえ、めっそうもないです。カチミ様」
「あ?」
 男子はアタシが体から離れると、急いで逃げていった。おかげでバスケのメンバーが足りなくなってしまう。多少欠員が出てもできなくはないけど、やっぱり5対5がいい。ただでさえ普通のバスケより技術も会場もランクは下なんだからせめて人数だけでもちゃんとしたかった。
 あたりを見回す。離れたところに友達を見かけたけど、その子は運動を好きな子じゃない。外で遊んでいる他の男子は、それぞれサッカーや野球といった違うスポーツを楽しんでいる。やろうよと一人誘えば、全員引き連れてきそうだ。
 いや、多分来ない。迷惑そうな顔を一瞬して、すぐに謝って逃げていくのを想像して、どうしてもしかめっ面になっちゃう。あんまりシワを寄せてると綺麗な顔にならないから、本当はやめたいのに、なぜかいつも顔に力が入っちゃう。
 カチミ。私につけられたあだ名の由来はいいものなんかじゃなかった。元々はお母さんとお父さんがつけてくれた愛美というかわいい名前がある。名前はかわいいのに、アタシが負けずぎらいだから、勝ち気な愛美だからカチミなんだそうだ。
 昔から人が争いごとをしているのを見ると、自分がなんとかしなきゃって気がして飛び込んでいってしまう。殴り合いの喧嘩をしてたら、アタシも拳で止めに行くし、口喧嘩だったら割って入って止める。アタシはいいことをしていると思っていた。でも帰ってくるのはいつも嫌な言葉ばかり「でしゃばり」「目立ちたがり」「自分が勝ちたいだけ」「負けず嫌い」「勝ち気」「男まさり」「おとこおんな」
 女の子には陰で悪口を言われていると知ってる。だから、私が成功したときの歓声や声援は信用ならない。
 そんなんだから学校なんて行きたくなかったけど、これで行かなくなったら、負けって感じがして嫌だし、そう思うってことはやっぱり負けず嫌いで勝ち気だってことを認めている気もして、嫌な気持ちはぐるぐるして、いらいらする。それでつい強気な物言いになってしまって、結局カチミの名前に似合うような女の子になってしまう。
 でも、最近は少しだけそれが和らいでる。なぜかっていうとカシオ君のおかげだ。カシオ君は争っている人の間に割って入って、話を聞いて少し話しただけで、相手を納得させてしまう。終わった後の相手の顔は晴れやかで、それ以上に晴れやかな顔をしている彼が素敵に見えて仕方がなかった。
 アタシと近いことをしているのにアタシよりうまくやってる。クラスでもちょっと変なやつだけどいいやつみたいなポジションで、先生からも頼られてる。
 カシオ君はアタシが負けてもうれしいと初めて思えた存在だ。
 これを恋と言わずになんていうのかアタシには分からない。
 アタシはカシオ君を目で追うようになった。でもカシオ君は別クラスだし、見かけても一瞬。気づけばどこかに行ってるし、彼を放課後探し回ってやっと見つけたと思ったらまた人の喧嘩の間に入って何やらしてる。
 アタシも協力したいと思ったけど、話を聞いていたらイライラしてしまう。そんなの知らないわよって言いたくなるし、バカじゃない? ってため息が出る。彼の邪魔になるからやめておこう。そう決めた次の日、彼の隣には柿本さんがいた。
 柿本さんは、喧嘩で出た言葉や、言っている内容を板書していた。教室なら、黒板やホワイトボード。グラウンドなら地面。なにもないとこなら、ノートや手に持てるサイズのホワイトボードに。その内容はどちらの肩も持たない的確なもので驚いた。アタシだったら、正しいと思った方の味方につく。すごい、と思ってすぐにアタシはあの子だけには負けたくない。その気持ちが湧き上がった。
 帰ろうとする柿本さんを見つけたアタシは彼女を呼び止めた。

 私は放課後と聞くと、なんだかさみしいイメージがある。夕焼けが切ないのもあるけど、きっとカシオ君と離れ離れというのがいちばんの理由だと思う。もともとなんとなくさみしいイメージはあったけど、カシオ君を好きになるまでは胸がしめつけられるほどではなかったから。カシオ君を好きになってから、毎日放課後がさみしくて仕方ない。放課後になった瞬間、朝に時間が戻っていればいいのになって思う。
 教室でカシオ君と話していてどれだけ楽しくても、17時のチャイムが鳴ったらどことなくさよならの雰囲気になって、どちらともなく帰り支度をはじめる。さっきまでした話がなんだったかを一瞬忘れてしまって、思い出したときには、さっきまであった熱はなくて。そこに戻ろうと同じ話を続けてみてもなんだか違う気がして結局違う話をはじめる。でもそれも盛り上がる前に終わっちゃう。別れ道に着いてバイバイするとき、さみしさがあふれて泣きそうになるから、そこまでなるべく遅く歩きたい。着いた後はなるべく早く家にたどり着きたいから早歩きで帰る。
 それがいつもの放課後だ。
 でも今日は違っていた。
 カシオ君がトイレに行くというので、私は先に校舎の外に出ることにした。残念だけど別に私たちは付き合っているわけじゃない。だからもちろん一緒に帰る必要はないんだけど、話の続きをしたいのと、途中まで帰り道が一緒だからなんとなく二人で帰っている。先生から不審者に気をつけるために、家が近い人や部活などで帰る時間が同じ生徒はなるべく一緒に帰るようにと言われているから、みんなからいじられることもない。
 靴を履いて外に出た瞬間にカチミちゃんに呼び止められた。
「待ちなさい!」という声の後に続いたのは、私の名前だった。あんまりそっちの名前で呼ばないで欲しいんだけど、カシオ君以外にログ子ちゃんって呼ばれるのも嫌だし困ったな、と思っていたところ、顔のすぐ近くに人差し指を指されてびっくりして、後ろにのけぞってへんな『く』の字みたいになった。
 転んだりはしなかったけど「どうしたの」と聞く声は震える。カチミちゃんに声をかけられるのはあんまりうれしいことじゃなかった。いつも誰かと争っていて、男子とだって喧嘩するときもあるから、こういうふうに声をかけられると、ドキドキする。カシオ君と一緒にいるときとは違う、ヒヤヒヤが混ざったドキドキ。もしかしてなにか勝負を挑まれるんじゃないかとか考えてしまう。
「アタシと勝負しなさい!」
「え?」
 予想通りだったのに驚いてしまった。どうして? 私が何かしただろうか? カチミちゃんが勝負をしかけるのは、だいたいちゃんと理由がある。例えば授業で負けて悔しかったからとか、悪口を言われたからとか、誰かのいじめやいじりを見かけたからとか、そんな感じの。私もその現場を何度か見たことがあるから、きっと何か私がやらかしてしまったんだと思うんだけど、思い当たることがなかった。
 私は争い事が好きじゃない。カシオ君に影響されて喧嘩の仲裁の書記をやっているけど、それは他人の喧嘩だからまだ良かった。それにカシオ君の力になれるからなんてことはないけど、私自身が誰かと争うのはあまり好きじゃない。というか苦手という方が近い。別に勉強ができるわけでもないし運動が特別に得意というわけでもない。何もない私。そんな私がカチミちゃんの何を刺激してしまったというんだろう。
 カチミちゃんは勉強もできれば運動もできる。どちらかと言うと運動のイメージが強い。長い休み時間になると大体男子とドッチボールやバスケットボール、ポートボールといった球技、鬼ごっこやSケンといった追いかけっこをしているのをよく見る。元気で負けず嫌いな女の子。
 私とは正反対だからなんとなく苦手意識があったけど、他の女子が男子と混ざってばっかりだとか陰で言われているのを聞いてからなぜか、カチミちゃんのことは苦手じゃなくなった。
 はずなのに、今勝負を挑まれているこの状況では、やっぱり苦手かもしれないと思ってしまう。
 グラウンドからおーいカチミーと呼ぶ男子の声がする。彼女は私を指差すポーズはそのまま、顔だけ振り向いてうるさいわねと返した。
 一瞬私から目線が外れたことでつい「苦手」とこぼしてしまう。しまったと思ったけど、バッチリ聞かれていたようで、思わず「私は勝負とかは苦手だな」と続けた。
「そんなことわかってるわよ。アタシは別にあなたと正々堂々戦って簡単に勝てたって何もうれしくないわ」
 じゃあ何をするの? と私が聞く前にカチミちゃんはふふんと言ったかと思うと、私にずっと差していた指を後ろに向けた。
 え、俺? と戸惑った顔の男子。先ほど声をかけてくれた子だ。
「そう。戦ってもらうのはあなたじゃなくてあいつによ。あなたにしてもらうのはアタシたちのチームが勝つかあっちのチームが勝つかを予想してもらうってこと」
 つまりそれはカチミちゃんが所属していない方の人を応援しなければならないということじゃ……。予想するのを選べないのは勝負としてどうなのかなと思うし、自分自身を賭けに入れてしまったら勝負の意味がないような。なんて怖くて言えるはずもない。
 勝負の意味と考えて今更な疑問が生まれる。
「これ何の勝負? 何をかけるの」
「あらやる気じゃない。」
「別にそういうわけじゃなくって。ただなんで戦わなければいけないのかな、って気になったの。……私もしかして何かしちゃった?」
 カチミちゃんがだれかれ構わず勝負を仕掛けるような女の子ではないことを私は知ってる。しっかりと理由があって勝負を持ちかける、そんな彼女が理由より先に決闘を申し込むなんて珍しい。
 すると突然、口の中に飴玉を隠し持ってるみたいにモグモグさせながら目を泳がせるカチミちゃん。
 もしかして……。靴箱のあたりを見るとすでにカシオ君は私たちのすぐそばにきていた。カシオくんは私たちの会話に入ってくる事はなく、いつものようにどういった類のいざこざかと言うのを私たちの会話から知ろうとしているようだ。
「うるさいわね。そんなの何でもいいじゃない。……それより私が勝ったらカシオくんから手を引きなさい!」
 言ってやったと言わんばかりに腕を組んで得意げなカチミちゃん。だけどそれだと勝負を申し込んだ理由はまるわかりだということには気づいていないんだろうか。
「なんで?」たずねたのはカシオ君。どうやら、カシオ君も気づいていないようだ。一瞬ほっとして、一瞬落ち込む。人の好意に気がつかないということは、私が好きだという思いにも気づかれていないということだから。
「カシオ君には関係ない! こともない……けどこれは女同士の戦いだから今回は首を突っ込まないで」
「うん。わかった」
 驚いた。カシオ君はこういうときには必ず、どうして? と追求すると思ったから。僕からログ子ちゃんが離れることになるならそれは僕に関係のあることだと思うんだけど、と相変わらずのキョトンとした顔で続けるんじゃないか、と。
 何も知らない後ろにいた男の子が「なんでもいいから早く続きやろうぜ」とカチミちゃんに言った。彼女は今度は「それもそうね」とコートに向かって足を進める。
 私はまだやるって言ってないのに、カチミちゃんは自信に満ちた堂々とした足取りで私から離れていく。コートの前で一度立ち止まったかと思えば、両足を揃えて、両手を体の横にピッタリつけてコートに向かって一礼した。
「そんなのいいから早くやろうぜ」
「こういうところをちゃんとしない人がいるチームが負けるのよ」
「は? まだ負けてねぇし」
 男の子はカチミちゃんにつっかかると、よりバスケの試合をするまでの時間が延びることに気がつかないんだろうか。男子ってバカだよね、とクラスメイトの女の子がため息交じりに言っていたのをふと思い出す。あのときはカシオ君を思い浮かべたから、そうかな? と不思議だったけど、彼を見ていると分かるような気もする。男子が、じゃなくて彼がだけど。
 お互いにらみをきかせながらこっちが勝つ、何よアタシに決まっているじゃない! という結果が出るまでわからない問題の口論が続いた。私がその間に、コートの近くにあるベンチに腰かけると、横にカシオ君も座る。
「カシオ君はどっちが勝つと思う?」
「ぼくは、絶対男子チームが勝つと思う」
 どうして? と聞く前に試合が始まる。ジャンケンをして勝ったカチミちゃんチームが先攻。でもボールを持っているのはカチミちゃんではない、別の男の子。
 うちのバスケットコートは半分しかない。体育館の中にあるものは、ちゃんとしたバスケットコートだけどもちろんバスケ部が練習に使っている。もし休み時間でも安易にボールを触ろうものならバスケ部から怒られてしまう。だからかグラウンドの端っこにあるボロボロのゴールと通常の半分しかないコートで遊ぶしかなかった。
 なので試合形式もボールを奪い合ってゴールを決めるタイプのものじゃなくて、ボールを奪ったらその時点で攻守交代するタイプのものになった。
 カチミちゃんチームのメンバーは彼女のほかは男子二人。バスケ部ではないのが、明らかに動きでわかる。どこにどう動くかやパスやキャッチなどは授業で習うのである程度できるけど、なんていうかそれをし始めるのが経験者より一歩遅れてしまって効果的じゃない。それでも、なんとかカチミちゃんにボールを回せていた。カチミちゃんにボールが行き渡ると、彼女は自分の周りをドリブルする。ゆっくりになったりはやくなったりしながら、タイミングを見て抜き、レイアップをきめた。ガッツポーズをするカチミちゃん。他の二人の男子はほっとしたような表情をしている。
 対する男子のチームは彼以外は、経験者ではないようだった。カチミちゃんのチーム以上に動きは遅く、攻めのターンではボールをカットされたり、パスを妨害されたり、ドリブルをミスしてボールを蹴ってしまうときもあった。それでも決してバスケ部の彼は二人を責めない。それどころか励まして、次はこうしようと提案をしている。しかしそれも大きな声で言っているせいで相手に筒抜けで、結局ボールがゴールにまで届かない。
 これは、負けちゃうかな……。私がそう思った瞬間、
「いや、勝つのは男子チームだよ」とカシオ君がまた言った。
「え、エスパー?」
「ふふ、ログ子ちゃん、声に出してたよ」
 そう言って口元に手を当ててくすくす笑うカシオ君。意地悪なその顔に、もう! と軽く怒ってはみせるけど、あぁカシオ君が笑ってる、かわいいという思いでいっぱいで、それを口にしないようにするので必死だった。
 でも、それも今日で最後かもしれないな。……やだな。
「大丈夫だよ」とカシオ君が言う。そんなことにはならないから、とこっちを見て微笑むカシオ君。おかしいな私、さっきはかわいいって思ったのに、いまの彼がかっこよくて仕方ない。拳に力が入る意味が変わってしまう。
 それって誰がなんと言おうと仲良くしてくれるってこと? なんて考えて私が目を離している間にも、得点差は開いていく。
「絶対に男子チームが勝つから、大丈夫」
 なんだ、と落ち込むより早く、どうしてそんなに確信を持って言えるんだろうと疑問に思った。カチミちゃんのチームの方が点をとっているし、流れもいい。なんで? と聞こうとしたら、
「あんたたち、何してるのよ!」とカチミちゃんの怒号が飛んだ。
 大きな声に思わず目をやる。彼女のチームの男の子がミスをしたようだった。通常のバスケと違って、ボールを取られてもすぐに点を取られる心配はないというのに、激しく怒っていた。
「まぁ、まだ点差はあるからいいわ」と言って、守り側に立つカチミちゃん。他の二人はしばらく立ちすくんでいて、また怒られてようやく守り側に並んだ。
 そのあとは悲惨なものだった。カチミちゃんチームの男子の失敗が多くなり、それに怒るカチミちゃんも怒りで頭がいっぱいなせいか、何本もシュートを外した。もともと男子チームは、やってきたシュートのチャンスをほとんど外さなかったのもあって、はじめに開いた点差がみるみる縮まっていく。彼のチームの男子がパスをしようとしてミスをして思い切り放ったボールが綺麗に入り、それで一体感が生まれたのも大きかった。そこからは動きが少し良くなり、カチミちゃんチームを騙すようなプレイも見せ始めた。
 ついには追いつき、六点差がついたところで、先生からストップがかかる。本当はまだ続けたかったのだろうけど、
「そもそもこのゲームって先に何点とったら勝ちなわけ?」とカシオ君にツッコまれてしまうと、あっさり試合は終わった。
「よかったね」とカシオ君に声をかけられる。
「な、何が?」
「これでまだ一緒にいられるね。なんでそんなのが賭けの対象になってたのかわからないけど、でもよかった。ぼく、ログ子ちゃんといるの、楽しいから」
 顔が赤くなる。また夕焼けのせいにしてしまってはさすがに怪しまれる。でも、顔を背けることもできない。これは夕焼けのせいだとは思うけど、カシオ君から後光がさしてみえる。
 あぁ、好き……。
「まちなさーい! わたしはまだ負けてないわ!」
 近い距離で大声を出されたのもあって、好きがバレないようにしてくれてありがとうとカチミちゃんに思ったのは、ドキドキがおさまってから。恋のドキドキをびっくりのドキドキが塗り替えてくれて助かった。
「もう一戦よ! 今度は十点先取でどう?」と提案したけれど、男子には負け惜しみと言われ、同じチームの男子には塾とか門限とかを理由にそそくさと帰られ、先生には怒る一歩手前の声で帰りを促されてしまい、続けることはできなかった。
 先生から「暗いから一緒に帰るように」と言われ、バスケ部の男子は家が別方向だったので、カチミちゃんと私とカシオ君は三人で帰ることになった。
 学校の坂を降りる間、カチミちゃんは下を向いてなにかぶつぶつ言いながら歩いていた。なんて声をかけたらいいかわからないし、カシオ君と二人で話せるような空気でもなかった。なんとなくカシオ君を見ると、彼も困ったような顔で笑って返した。せっかく勝負に勝って、カシオ君とまだ一緒にいられることになったっていうのに、全然うれしくない。それどころか、なんだかモヤモヤする。私が直接戦ってないというのもあったけど、それだけじゃない気がする。
「んー! やっぱり納得いかない! なんで私が負けなのよ!」
 坂を降りきって一歩か二歩歩いたところで、カチミちゃんが叫んだ。私はびっくりしてその場で縦に体が跳ねたけど、カシオ君は冷静に「それはね、バスケがチームプレイだからだよ」と返す。
「え?」とカシオ君を見るカチミちゃんの目から涙がこぼれている。私はそれを見ているとなんとなく彼女を守ってあげたいような気持ちになる。さっきまで大声を出したり、バスケで男子に怒ったり、普段の勝気なイメージとは全く違う。ちいさくて可愛くて、抱きしめたくなった。よく見るとカチミちゃんの身長はそこまで大きくない。それどころか私と同じくらいだ。今までは並ぶと大きな壁みたいに見えていたのに不思議だった。
「バスケ部の男の子のチームは最初から失敗を怒らなかった。それどころか失敗したのにも関わらずいいところを褒めていたし、次はこうすればもっとうまくいくとわかりやすくアドバイスもしていた。初めは緊張していたチームメンバーも少しずつ動きが良くなっていくのが見ててよく分かったよ」
「じ、じゃあ、私のチームの男子がミスしなければいい流れのまま、アタシが勝ってたっていうの?」
 カシオ君は首を横に振る。
「僕はね、この勝負の最初からバスケ部の男子チームが勝つと確信してたよ」
「え?」とカチミちゃんだけじゃなくて私もつい言ってしまう。一緒のタイミングで驚かないでと言わんばかりにカチミちゃんは私をにらむ。でも、私だって気になるもん、と頑張ってにらみかえしてみようとしたけど、怖くて顔に力が入らなくて、ただ無言で見るだけになってしまう。
 でも効果はあったのか「ど、どうしてアタシたちが負けるって分かったのよ!」とカチミちゃんはカシオ君に目を戻してたずねた。
「愛美さん。休み時間のたびにクラスの男子にバスケの勝負でチームを組んでくれないか頼みにいってたでしょ。ぼくのクラスにはこなかったみたいだけどウワサになってたよ。それにぼくが別の揉め事を解決して教室に戻る途中に、あの二人の男の子が、うんって言っちゃったけどどうしようって悩んでるのを聞いたんだ。あの二人の男の子は別に運動ができるわけじゃないのを知ってたからそれで分かったんだよね」
 ゴクリ、とつばを飲む音がする。カチミちゃんを見ると、明らかに怯えていた。「だ、だからなんだって言うのよ!」と返すときもカシオ君に体が向いていない。逃げられるなら今すぐにでも逃げたい。でも、今までの自分のふるまいから逃げるなんて選択ができなくて困って怯えているように見えた。
「愛美さんは普段から勝負だとか言って男子と戦って勝ってたよね。だから男子はあまり面白くなくて、頼まれても断ったんじゃないかな? それで仕方なく普段からなかなかNOと言えないあの二人の男の子に話をもちかけた」違う? と聞かれたカチミちゃんは口をわなわな震えさせている。
「や、やっぱりあの二人のせいじゃない!」
「そこだよ」
「え?」
「君が負けた理由は、そうやってチームメンバーにやさしくしなかったから。バスケはチームプレイだって授業でも習ったでしょ? いくらシュートが上手い子がいたって、その人のところにパスが回って来なかったら0点。シュートがあまり入らない子も何度もチャンスがあれば1点は入る。君があの二人を叱ることで、彼らは怯えてしまってプレイに集中できなかったんだ。上手くいくと自信がついていく男子チームと違って、上手くいっても怒られなかったって安心するだけ。でもすぐに次は失敗して怒られるんじゃないかって不安になる。どっちのチームが勝つかなんて明白だよ」
 カシオ君が怖かった。いつもみたいに淡々と解説をしてはいるんだけど、どこかいつもと違う。カチミちゃんの涙が止まらない。それどころかしゃくりあげてさえいるのに、カシオ君は止まらない。カシオ君を見ると、彼はカチミちゃんを見ていなかった。方向は向いているし、体も向けてはいるんだけど、目が彼女と合っていない。それがいつもと違うんだ。
「だいたい」とさらに続けようとするカシオ君の腕を私は握る。なぜか両手になってしまったけど、それが良かったのか、カシオ君は顔を上げてカチミちゃんと目を合わせてようやく涙に気づいたようで「ごめん」と謝った。ちゃんと私にも、二人合わせて一分はあったんじゃないかってくらい長い間、頭を下げていた。
「ぼく、今日はちょっとカチミちゃんに怒ってたんだと思う。なんでぼくとログ子ちゃんが一緒にいるのがダメなんだって。どうしてそれを教えてくれないんだって。教えてくれないくせに、どうして自分は怒って理由を知りたがるんだ! って……そう思っちゃったんだと思う。ごめん」
「だ、大丈夫」
 彼が頭を下げるのに一分も費やしてくれたおかげで、カチミちゃんの涙はかわかないにしても新しいものは出てないようだった。私は「謝られるようなことはなにもしてないよ」というとカシオ君は「そうだね。じゃあ……」とまるで今までの全てがどっきりでしたみたいな笑顔で「ありがとう」と言った。
 やば、すてきっ! そう思った瞬間、
「で? どうしてぼくとログ子ちゃんが一緒にいたらダメなの?」とカシオ君はいつもの調子でたずねる。
「ち、ちょっと!」と止めようとしたけど、彼に手で制されると何も言えない。いつもそうだ。なにかしら喧嘩の仲裁をしているとき、彼は他の人の口出しを基本的には許さない。その習慣が彼の喧嘩の仲裁の書記をしている私にはしみついてしまっていた。
「か、関係ないでしょ!」
「あるよ。ぼくが誰と仲良くするかはぼくが決める問題だ」
「乙女の秘密よ!」
「ぼくは君が負けた理由を言ったんだから、そっちも言わないとフェアじゃないよ」
「理由なんてないわよ!」
「君が理由もなしに、そんな勝負をもちかけるような人だとは思えない」
 彼が問い詰める声はいつもと同じで淡々としている。その詰め寄ってくるような聞き方に、
「……分かったわよ! 答えればいいんでしょ! 答えれば!」とカチミちゃんは怒るように言った。
 カチミちゃんは何度か息を吸って吐いてを繰り返す。
 落ち着いていく彼女とは別に、私はついに言っちゃうの? え? やだ。やめて! あぁ、でも私はカシオ君の命令でそれを止められないし! と気が気じゃない。え、え、え? だけなんとか声になる。
「ただし!」カチミちゃんは私をキッとにらみつける。
「もう一つ、柿子さんが私に勝負をしてくれたらね!」
 そうか、その手があったか。いい提案だと思った。私は彼女がカシオ君のことを好きなことをカシオ君に知られたくない。だから勝負に乗らなければ、カチミちゃんが理由を話す必要がない。問題はその条件をカシオ君が飲むかどうかだけど、カチミちゃんの普段の言い出したらきかない性格なのを知っているからか、カシオ君も私に判断をゆだねるようにじっと顔を見ていた。見られていると自分の顔がみるみる赤くなるのが分かる。坂の下はちょっとした影になっているから夕焼けのせいにはできない。
「はぁ、す」
 咄嗟に口を抑える。危ない、心の声が出そうになった。
「は、す?」カシオ君がじっと疑うような目で私を見る。その目もかっこいい……。
「か、こ?なんて言っているのかわからないよ」カシオ君の顔がもっと近くなる。
 あ、あ、あ、えっと、その、す、す、す。
「ちょっとまったーーー!」
 カチミちゃんが勢いよく私を引き剥がす。おかげで、助かった。え? まて私、何言おうとしてた?
「勝負よ! 柿子さん!」私の方に指を向けたかと思えば、その手を私の肩に持ってくる。それは力強く、離れようとしてもかなわない。
「アタシと柿子さん、どっちかしか選べないとして、どっちを選ぶ?」
 そんな勝負、絶対のれない! そう思った私はどうにかカチミちゃんから離れようとした。そんなの、カチミちゃんの勝ちに決まってる。かわいいし、運動も勉強もできるし、体つきだって……私よりずっと女の子っぽい。
「ログ子ちゃん」
「え」
「え」
 あーそうか、これはあれだ。私の聞き間違いで、どっちを選ばないかって勝負で、だからその勝負で私の名前があがるってことは選ばれたのはカチミちゃんの方で。
 私の心が今耳にしたことをちゃんとした形に修正しようとしているのをカチミちゃんの大粒の涙が止めた。それは喜びの涙じゃないというのが、私をにらむその顔からわかる。
 ごめん。本当にごめんけど、すごくうれしい。うれしすぎて、顔から火が出そう。赤より赤くなったら何色になるのかな? 真っ黒? それって火が出たから焦げたとかじゃなくて? え?
 うれしいは簡単に満タンになって、そうなると当然な疑問が生まれてきて、それを聞いたらカチミちゃんは傷つくかもしれないって心のどこかではわかってたはずなのに「なんで?」と自然に聞いてしまった。
「え、だって、ぼく愛美さんのこと全然知らないし。普通に今仲がいいログ子ちゃんを選んだだけだけど」
 それでも、うれしかった。なぁんだそんなことかとおもっても、心の中でいっぱいになったうれしいはぜんぜん減らない。それどころかあふれちゃいそうだった。
「それじゃあ、約束通り聞かせてよ。ぼくがログ子ちゃんと一緒にいたらダメな理由」
 カシオ君が笑顔でたずねる。
「お」
「お?」
「覚えてなさいよー!」
 そう言ってカチミちゃんは全力疾走で逃げていった。私もそうだけど、カシオ君も彼女のそんな姿を見るのは初めてで、思わず立ちすくんでしまう。
 しばらくして「そんなの納得いかない!」と追いかけようとしたカシオ君を今度ははっきりと意識して両手で腕をつかんでとめる。
「な、なんで止めるの!」
「乙女の秘密!」
 そのあとのカシオ君との帰り道はなにも喋らなかった。早く別れ道が来てほしいのなんて初めてだ。別れた後、さみしくないのも初めてだった。
 翌日の放課後、カチミちゃんに呼び出された私とカシオ君。カシオ君は今日こそ真相を解明するぞ! と意気込んでいたけど、カチミちゃんの待つ教室の黒板を見た瞬間に、そのことを忘れたみたいに茫然と立ち尽くした。
 夕焼けがさす黒板。左側に貼られた大きい三角定規が夕焼けを反射して、教室の影の一部に光を届けている。右側には今日の黒板消し係が忘れたのか、放課後にも関わらず今日のままの日付。日直の名前も多分変わっていないんだろう。その日付欄と三角定規の間、黒板の中心にはデカデカと『可視化クラブ』と書かれていた。
「私たちで部活を立ち上げましょう! 顧問は二人のクラスの担任よ!」
「ち、ちょっと待って! 私たちってことは私とカシオ君も?」
 それは困る。喧嘩の仲裁はせっかく二人でいられる時間なのに、クラブ活動にしちゃうのはいやだ。それに、帰り道も三人で帰らないといけなくなる。私と別れた後も、カシオ君とカチミちゃんは同じ方向だから、私より長い時間話せる。あんなにかわいい子と長く話してたら、いくらカシオ君でもどっちを選ぶかの質問をまたされたらカチミちゃんを選んじゃう。
 はっと気づいてカチミちゃんを見る。すると彼女は勝ち誇ったような表情で、
「これで条件はフェアよ」と言った。
 思わずカシオ君を見るけど、彼は顧問の先生に矢継ぎ早に質問していて、こちらの話は聞いていないようだ。
「私は嫌だ!」と言った声は思ったより大きくて、カシオ君もこっちを見る。
「え、ログ子ちゃんはいやなの?」なんて、眉の端を下げてさっきまで喜んでいたのが分かるような瞳で聞かれたら、もう一度嫌だとは言えなかった。
 この日から私にとっての放課後のイメージは、さみしいからさわがしいに変わってしまった。