カシオくんとログ子ちゃん

 私の名前は柿本柿子。柿子という名前は亡くなったおばあちゃんがつけてくれた。おばあちゃんのことは好きだったけれど、この古くさい名前は大嫌いだった。
 本を読むのが好き。でも教室で本を読んでいたら、たいてい男子にからかわれた。よく読んでいた本はおばあちゃんが好きなロマンス小説。山あり谷あり涙ありのラブストーリー。おばあちゃんが亡くなるときに私にって残してくれた本たちは本当に面白くて大好き。それをタイトルやセリフだけを大声で読み上げてバカにする男子は名前より大嫌い。
 でもカシオ君は例外。大好き。
 あるとき、私が男の子から本を取り返そうとしても、男の子の方が身長が高くて届かなかったのを、カシオ君が後ろから取り返してくれたことがあった。
 いつから好きになったかと聞かれれば多分そのときだ。だって、「はい」と返されたときの「ありがとう」は震えていたし、返事がだいぶ遅れてしまっていたから。
 男の子はきっと彼のことを気に食わなかったんだろう。色々汚い言葉を言ったけど、彼はそれを全て黒板に書いて、どうして? と質問して返した。何度かそのやり取りの末に男の子は殴りかかったけど、カシオ君はそれをひょいとかわした。かわしたことで、木でできたチョーク置き場に拳があたって男の子はケガをした。
 これはウワサだけど、その後、男の子の親が来たときも同じようにして説明して納得させたらしい。
 気づけば彼を目で追うようになっていた。そうして、たまに目を離すと彼はいなくなってしまうことに気がついた。探しては見つけたときはだいたい誰かの喧嘩の内容を聞いて黒板やノートに書き出しているところだった。
 どうして、そんなことをしているのかと聞いたことがあった。そのとき彼は小っ恥ずかしそうに、また少し誇らしそうに教えてくれた。
 彼の両親が少し前まで不仲で、喧嘩が絶えなかった。そのときに自分が割って入って止めても聞いてくれなかったらしい。そこでしばらく二人が言ったことを、冷蔵庫に貼ってあった予定表に書いては、矛盾を指摘したり、こことここの話が一致してると言っていたら、はじめはうっとおしそうにしていた二人も徐々に熱が冷め、互いの主張を聞くようになったのだとか。
「話し合っても解決できないことは世の中にたくさんあるけど、ちゃんと相手の話を聞いて納得できれば解決できないことなんてない」とカシオ君は誇らしく言い、「両親がラブラブになっちゃって、そこはちょっとやなんだけどね」と恥ずかしそうに続けた。
 そのとき自然に「私、書記やるよ」と私は言っていた。言った後で、なんでそう言ったのかわからなくてやっぱ無しって言おうとしたけど、
「本当!? 正直、書いて話して書いて聞いてって大変だったんだー。助かるよー!」と瞳を輝かせながら私の手を取って言うもんだから、それから私はずっと彼の書記役だ。
 ログ子という名前も、カシオ君がつけてくれた。柿本柿子→略してカキカキ→書く子→ログ子といった具合だ。好きな人がつけてくれたからってわけじゃないけどそれも理由の一つで、私はこの名前をごめんけどおばあちゃんがつけてくれた本名より気に入っている。
 というわけで彼の書記役は私にとって天職だ。
 でも今、私はこれほどまでにやりたくない書記があっただろうかという事態に直面している。
 黒板に文字を書き終えて、司会のカシオ君に目配せする。カシオ君はうなずいてからクラスを見渡し、口を開いた。
「では、これからクラス会議を始めようと思います。議題は……」彼が私の書いた文字を一瞥して、正面に向き直る。
「学校にエロ本を持ってきていいものかどうか、です」
 いやいやいや! 間違ってないけど! けどダイレクトすぎでしょ!
 私は黒板に書いたのは、学校に関係ないものを持ってくることについてで、もちろんそれはエロ本以外も含まれる。たしかに今回の火種はエロ本だけど。いや、エロ本というか、水着姿のアイドルの女の子たちが砂浜で遊んでいる写真集で、正しくはエロ本じゃない。
 カシオ君に男子生徒からの敵意のこもった目線が向けられる。お前は女子の味方と言わんばかりの目だ。と思ったらその声が飛んだ。
「僕はどっちの味方もしません。司会ですから」とドヤ顔をする彼。生意気、という声がどこからかした。
 変だなぁ、私は可愛いと思ったけど。
「はいはいはい、発言は挙手して当てられた人だけね」先生は、はいはいはいと同じリズムで手を叩く。それで声のかたまりは小さくなり、分裂したささやき声が教室を飛び交う。
 こほん、と先生が咳ばらいを一つ。それだけで、ささやき声はなくなった。
 ありがとうございます、先生。とカシオ君が頭を下げたので私も遅れて同じようにする。顔をあげ終わる前にカシオ君は話し始めた。
「まずは何があったかを整理しましょう。両者、違うと感じるところがあると思いますが、まずは聞いてください」
 カシオ君が黒板を見る。顔をあげた私と目が合い、私も急いで黒板に向き直る。
 起きたことを簡単にまとめるとこうだ。
 まず休み時間に誰もいない空き教室に集まる男子生徒を怪しんだ女子の一人が確認しにいった。すると一つの机にたくさんの男子が群がっていた。「何してるの?」と確認したけれど、はぐらかされてしまう。しばらくそんな問答を繰り返しているうちに、本が机の上から落ちた。
 それがアイドルの写真集だったのだ。
 今テレビで流行っているアイドルグループ『GREEN PEACH』彼女らはデビューシングル『君にfor YOU』で大ヒットを記録し、音楽番組だけでなく、バラエティー番組や情報番組など、多方面で活躍。先日公開したドキュメンタリー映画も満員御礼。そんな中、最新曲『この空にIN THE SKY』を発表し、同時に発売となったのが、今回、学校に持ってきて問題になった写真集だ。
 別に女の子たちは、『GREEN PEACH』を嫌っているというわけではなかった。デビューしたての頃から女の子の間ではすぐに流行ったのだけれど、そのとき男子は「桃なのに緑って、食べられないじゃん」とか「絶対に売れない」とか言って全く興味を持とうとしなかった。でも大ヒットすると手のひらを返して、みんなその話ばかりするようになった。それが面白くないというのが一つの理由だと私は考えている。
 私としては今回の問題は特にどうでもいい。それよりも別のことで頭がいっぱいだ。
 カシオ君はそのアイドルのことをどう思っているんだろう。
 問題になった写真集は、女の子の間でも回し読みされていた。もちろん学校が終わった後の帰り道で。カワイイやキレイの最先端をゆく彼女たちの言動や仕草、着ている服や化粧の仕方、インタビューなどに見える彼女らなりの考え方や生き様は、あこがれるには十分すぎた。
 本を見つけた女子は、すぐに先生に報告した。それで、三、四時間目を使ってクラス会が行われることになったのだ。
 起こった流れについては反論するものはいなかった。一人一人が手を挙げるのを、私は男女交互に当てては言ったことをメモしていく。
「学校でああいう本を読むのはいけないと思います!」第一発見者である彼女は立ったまま腕を組んで誇らしげな顔をして男子が固まって座っている窓方向を見る。
 はいはいと手を挙げた男子はまだ当てていないのに、
「つまりは学校じゃなかったらああいう本を読んでもいいということですか?」
 と発言。女子は面食らったが、すぐに「それは屁理屈よ」と反論。先生も「手上げて、当てられてから話をしなさい」と言ったことで、男子は劣勢になるかと思えた。
 しかし、その男子は動じることはなく、へいへーいと言いながら立ったまま挙手をする。「早く当ててよ。かーきもーとさん」私が、どうぞと手でさすと、立ったままの女子ににらまれる。
「屁理屈かどうかは置いといて事実だけ言うけどさ。今回の議題は学校に関係ないものを持ってきていいのかって話でしょ? 読んでいいかじゃない」
「それがどうしたのよ」
「いやね、つまりは学校に持ってきておいて、学校帰りに読むのはOKなの? ってこと」
 女子もたちは言われて初めて気がついたらしくざわついた。
「俺たち男子は、女子が学校帰りに空き地とかに集まって、こそこそと同じ写真集を見ているのを知っている!」と男子は女子を指さした。
「私たちは、男子みたいにやらしい眼で見てないもん! ちゃんと同じ女の子として、化粧とかの勉強のために見ているんだもん!」
 そうだそうだ! と反論する声の中に、男子サイテー! という声も混ざって聞こえる。
「どうしてサイテーなんだよ! 言ってみろ!」「女子の気持ちを分かっていないところ」「じゃあお前ら女子は男子の気持ちを分かっているのかよ!」
 女子側がため息をつく。もう聞く耳を持たないという姿勢なのにも関わらず、男子は主張を続ける。
「俺たち男子はな。女子が嫌な思いをすると思って、わざわざ空き教室に移動して楽しんでたんだ! それなのにお前ら、ってかお前が勝手にやってきてこんな大事にしたんじゃんか。俺たちに最低とか言うのは違うだろ? 逆に俺たちが女子が集まっているところに入って行って何か言ったら嫌な思いするだろ」
 またもやため息をつくを女子。先ほどより深く長く溜めた息は確かな間を作る。その間を待ちきれず男子は、なんだよ! と声を荒げた。
「私たちが『GREEN PEACH』を応援し始めたとき、私たちが読んでいる雑誌を奪って、売れないとかかわいくないとか散々言ったじゃない。最初にやったのはそっちよ!」
 女子は音を立てて座り、完全に聞く耳を持たない姿勢を示した。
 ただ「椅子に座るときは静かに」という言葉には「分かりました。すみません。先生」と素直に謝る。ここで礼儀正しく謝ることで男子に完全勝利したことを表現すらした。女子から拍手が起きる。
「えー話がずれていて、どうしようかなぁと思ったんですが、いろいろな問題点が出たので、それも書き加えておきますねー」カシオ君は男子側の味方をしているつもりはなかったのだろうけど、その一言で完全勝利の空気をフラットにしてしまう。女子たちからブーイング。先生が「挙手して当てられた人だけ喋ってよし」とまた注意した。
 女子は先ほどのように謝ることはせず、何とも言えない居心地悪さを先生とカシオ君に対しての悪口を小声で言うことで解消しようとしている。それが聞こえるか聞こえないかくらいで、カシオ君が先ほどの論争で出た意見を口にしていく。私はそれをまとめる。
 やっぱりカシオ君はかっこいい! 空気に飲まれずにちゃんとしてるところとか、最高!
 チョークを持つ手がドキドキして震えるのを抑えながら、彼が言ったことを黒板に書き記していく。
・学校に関係ないものを持ってくるのはダメか?
・学校に関係ないものを持ってきても、帰りにそれを使うのであればOKか
・写真集などをやらしい眼で見ているかどうか
 そして……
・好きになるタイミング
 これを書くときが一番ドキドキした。
「一つ目と二つ目については先生が話すのが良いと思います」とカシオ君が言う。えー、というブーイングも先生がゆっくりと立ち上がると静かになった。
「えーっと、じゃあまず、学校に関係ないものを持ってくるのはダメかってところだけど、ここでいう学校に関係ないものって難しいと思うんだ。どうしてダメかっていうのが分かりにくいからね。先生が一個一個チェックして、これはダメ、これはイイっていうのを言えないしね。じゃあ校則に書いておけばいいじゃないかって思うよね。じゃあ、どうして校則には学校に関係ないものというアバウトなことしか書かれていないのか。これはね、学校に関係ないものでも、その人にとっては必要なものもあるかもしれないから」
 恐る恐る男の子が手を挙げる。私が先生を見ると、目が合った。頷いたのを見て、そのままその子の名前を呼ぶ。
「その人にとって必要なものなら、ゲームや今回の写真集も持ってきていいんじゃないですか?」
「うーん、いい質問だ。ここでの必要なものっていうのは生きるのに必要なものって定義してほしい。例えばみんなは写真集やゲームを学校に持ってこなくても、生きていられるだろ?」
 たずねられた生徒は、えっとでも……と口ごもる。
「分かるよ。先生も子供の頃はゲームがないと死ぬ―! って思ってた。当時は実際に没収されて二ヶ月くらいできなかったけど、今こうして生きているだろ?」先生は組んでいた腕をほどいて、何かを説明する人のように手を広げる。少しだけ、笑いが起きた。先生はそれが落ち着くまで待ってから続ける。
「ここでの生きるのに必要なものっていうのは、簡単に言うと、薬とかだね。持病を持っている人には絶対に必要だし、怪我をして骨折した人には松葉杖が必要不可欠だ。それに、何が必要で不必要か、いちいち書いていたら、ここに書いていないもの全部が持ってきていいようになってしまう。だから、こんなにあいまいな表現をしてあるんだ」
 男女両方ともそこには納得したようで、多くの人がうなずいていた。でも、一番うなずいていたのはカシオ君だった。目を閉じてうんうん言いながらうなずく様子はどこかわざとらしい。
 先生もそれにはあははと苦笑いだ。
「今回の写真集は多分、学校に関係のないものに入ると思う。でも、それでも男子は女子の目に入らないところで見ようと配慮できたのはえらいと先生は思うな」
「どうせやらしー目で見てたからでしょ」
 第一発見者である女子が言う。先生は「挙手してから」と注意したが、
「先生も男だから分からないんですよ!」と怒った。肩で息をし、先生と男子を交互ににらみつける彼女に場が凍る。男子はどこか引いたような目で、先生も何を言ったものか困っていた。
「いやらしい眼で見るのが、そんなにいけないことかな?」
 口にしたのはカシオ君だった。もしかして、カシオ君もそういう目でああいう女の子たちを見てたの? とずっとあった不安が最前面に躍り出てくる。けれどその不安は杞憂だということがすぐに分かる。彼のとぼけたような目はそれがわざとではなく純粋な疑問だということをこれでもかと示していた。
 第一発見者である女の子もその目にやられて口ごもる。
「いやらしい眼で見るっていうのは大事なことだと思うよ」カシオ君の発言は思春期真っただ中の男女によく刺さった。それも、同じ年齢の子が、恥ずかしげもなく、堂々とそういうことを言うのだ。誰もが気圧されて、もしくは恥ずかしくて、何も言い返せず、絶句している。けれど、その続きが気になって仕方ないのだろう。誰もが次の言葉を待っているのがカシオ君を見つめる視線でわかった。かく言う私も気になって仕方がない。
「だって、いやらしい目で見るっていうことが本当にダメなことなら、僕らだって生まれてこなかったわけだしね。もちろん見られた側は嫌だと思うけど、それって男女同じじゃないかな。顔がかっこいいとか、足が速いとかで僕ら男子だって勝手に選ばれたり選ばれなかったりするけど、それに対して直接女子に文句を言ったことはないよね」何か反論しようとして、それはそのと口を開いた女子だけど、それに反論することはやはり思春期の女子には厳しいものがあるらしく、続くカシオ君の発言に埋もれる。
「それに写真集に写っている女の子をいやらしい眼で見てたとして、君たち女子を全員同じように見るかって言うと、それも違うしね」
 カシオ君の発言に今度は女子全員から、サイテー! と声があがる。私も少しだけ傷ついた。『GREEN PEACH』は一部を除いて、ほとんどが二十歳前後のメンバーで構成されている。もちろん彼女らのプロポーションは羨望の対象になるし、逆に自分もこんな風になれるのかという不安も巻き起こす。カシオ君の発言はそこを痛く突いたものになってしまったのだ。
 いやいや、別に君たちがああなれないと言ったわけじゃなくてね、となおも続けようとするのを先生が静止した。
「お前は間違ったことを言っているわけでは多分ないが、今の状態だと女子は聞いてくれないぞ」先生が多分の部分を強調したのはわざとだろう。そうしないと女子は先生が男子の味方をしたと判断して、先生の言葉にも耳を貸さなくなりかねない。
「じゃあ、いったん別の議題な。『学校に関係ないものを持ってきても、帰りにそれを使うのであればOKか』だが、これも難しい問題だ。簡単にダメだと言える場合は学校生活に支障をきたしているときだ。例えば、スマホとかゲームなら授業中にやっていれば、もちろんちゃんと授業を受けていないから学校生活に支障をきたしているということになる。じゃあ授業中にやってなければいいかといわれるとそれも難しい問題だ」
 どうしてですか? と男子生徒が手を挙げて聞く。私は当ててないけれど、もう先生はとがめたりしなかった。
「絶対にやらないなんてことは誰も保証できないからだ」
 できます! と口々に言う男子に、女子がうるさい! と怒る。
「女子をフォローするわけじゃないけど、絶対無理だよ。だって考えてもみろ。ゲームを休み時間にプレイしていて、いいところでチャイムが鳴ってしまったらどうだ? みんなはプレイを中断できるか? もしできたとして、それを気にせずに授業を受けることができるか? 少なくともクラスで全員がそれをできると先生が判断しないうちはゲームは持ってきてはいけないということになる」
 先生は一息ついて、なにか質問や異論はあるかと聞くが、誰も手を挙げない。ほどなくして、ありませんという声がちらほらとしたので、先生は続ける。
「じゃあ今回の写真集の場合だが、これも難しい。確かに一見、水着姿の女の子が載っているというところだけで禁止すべきという感じがするのも確かだが、内容を見てみると、写真だけじゃなくてインタビューや、使っている水着や化粧の紹介なんかが載っているページもある。どこのページを見ていたかどうかで判断ができないから、禁止にもしづらいんだ。なくても生きていけるものではあるし、休み時間に見る分には学生生活に支障をきたしているとも言いづらい。今のところ、授業中に写真集を見ていて怒られたとか、ずっと写真集を見ていて授業に遅れたとかも聞かないしな。禁止する理由も見つけづらいんだ。だから今回のことは先生は持ってきてはいけないものではあるけど、それによって何か支障をきたしているわけではないから、禁止もできない、っていうのが結論かな。女子と男子両方とも結局は持ってきていたわけだし、それはお咎めなしにするから。授業中に見ない限りはこれからも特に注意しないという方向でどうかな」
 これでOKということにしなくてはいけないような空気になる。質問はある? と先生がたずねると、口々に小さい声で何かをいう人はいれど挙手する人はいなかった。
「すいません!」いや、一人いた。
 カシオ君である。
 女子の目が鋭くなる。私も少し身構えてしまう。
「先ほどはデリカシーにかけた発言をしてしまい申し訳ありません!」頭を下げて初めのほうは最低とか、もうしゃべるなとか言っていた女子も、彼が一向に頭を挙げようとしないところを見て、何も言わなくなっていく。そうなってからも一向に顔をあげないカシオ君に、先生が「もう上げていいぞ」というが、「僕は顔をあげられません」と言って聞かない。
 先生は一つ息をついて、
「こんなに謝ってるから許してあげてくれないか」と女子のほうを見てたずねる。誰もいいよ! とは言わなかったが、逆に文句を言う人もいない。
「みんな……ありがとう!」カシオ君は一度顔をあげて見渡したかと思えば、またもや頭を下げて、今度は礼を言った。
「で、やらしい眼で見てもいいかって話なんだけど」彼がそう続けると、またかよ! というツッコミが男子の一部から出てくるが、ほとんどのクラスメイトがツッコミをした男子をにらんだ。過激とはいえ、まだ気になるところの多い彼の意見は思春期の私たちには気になって仕方がないのだ。
「やらしい眼で見て、それで嫌な思いをする人がいるかどうかが一番のポイントだと思うんだ。だけどそれは当人の問題。つまり例えばログ子ちゃんが、僕にいやらしい眼で見られていたとする。それで、ログ子ちゃんが嫌な思いをしていたら、僕は多分ログ子ちゃんをいやらしい眼で見てはいけないってことになると思うんだ」私は急に名前を呼ばれてびっくりした。それも本名ではなく、カシオ君に呼ばれているあだ名で。意見ももちろん気になっていると思うんだけど、クラスメイトの反応はカシオ君が私のことをあだ名で呼んだことでその関係のほうも気になっているようだった。
 それに、私はそんなに嫌じゃないけどな。あだ名で呼ばれていて、そういう関係であること否定したいような、そうじゃないような複雑な感情に飲まれそうになる。そんな私のことなんか関係なくカシオ君は続ける。
「でも、今回の場合は本人じゃなくて写真集、つまり他人を見ていたんだよね。それなのに嫌だって思ったってことは、その人は男子にそういうものを見てほしくないってことになる。そうなるとつまり、第一発見者で先生に言いつけてまでやめさせたかった彼女は、写真集を見ていた男子のう中に気になっている人がいるんじゃないかなって推理したんだけど」
 男子も女子も第一発見者である女の子を見やる。
「いや、普通。いやらしいものをみていたら女子なら誰だっていやなもんでしょ!」
「それはそうなんだけど、わざわざ先生に言ってクラス会を開かせるほどのものかなって。いつもなら男子がこういうことをしてたーって女子の間の話題程度にとどまると思うんだけど、そうはならなかったよね。男子全員を敵にすることでこいつのこと好きなんじゃねぇのって勘ぐられないようにしているようにも思えてくるんだけど」
 違うかな? 違っていたら教えて?
 いつの間にか第一発見者である彼女の近くに行って顔を覗きこむカシオ君。その答えは、彼女が顔を真っ赤にしてうつむいていることからも明らかだった。女子の一部からも、
「今回のクラス会の前に、男子は許せないよね! って強気に言われちゃって、それで……」と声が上がったことで、完全に逃げ場がなくなってしまった彼女。強行突破しかないと思ったのか、机をバン! と叩いて、
「そうです! 私には好きな人がいます! その人が私じゃない女の子を見て、鼻の下を伸ばしているのが許せなかったんです!」と言った。机を叩くなと言おうとしたであろう先生にかぶせるようにして、
「これで満足?」とカシオ君をにらむ彼女。顔が赤いのには多少の怒りも込められている気がした。
 誰? もしかしてお前のことじゃね? と男女関係なく騒がしくなる教室の中で、
「全然満足じゃないよ。むしろ不満」というカシオ君の返答がきちんと響いた。
「だってこれじゃ、君が好きな人が誰かって話なっちゃうもん。それじゃ、君が僕ら男子にした行動と同じになっちゃうし、気になって授業に身が入らなくなっちゃったら、それこそ学生生活に支障をきたしちゃう。それに、それで君がこれからまたつらい思いをすることになると考えたら、全然満足じゃないよ」
 その発言に、なぜか私もキュンとした。そうだ、こういうところがかっこいんだ! ってみんなに言ってあげたい気分だった。カシオ君は喧嘩を仲裁したいだけじゃない。その人たちがその後もちゃんと仲良くやれるかどうかが大事なんだ。そうじゃないと、カシオ君がいつまでもその人たちの間に立たないといけなくなっちゃう。
 第一発見者である彼女の顔がさらに赤くなったけれど、表情から怒りは見て取れない。もしかしたら、彼女もカシオ君のことが好きになってしまった? 今の発言で恋に落ちちゃった? と気が気じゃない。
 結局、その後のクラスの話題に彼女が誰を好きなのかというのは上がらなくなった。もちろん女子の間では推測もあったけど、クラス会の次の週にはそれが誰であったかは、彼女がその人に告白し、付き合うことになったことですっかりなくなってしまった。相手がカシオ君でなかったことに安堵したのもつかの間、私とカシオ君の関係性が新しいクラスの話題になってしまった。
 その日の帰り道、クラスメイトの質問攻めから逃げるように学校を出た私だったけど、帰り道が同じだったのもあって、カシオ君とばったり会ってしまった。
 追っ手はいなかったので、多分大丈夫だとは思うけど、ドキドキしながら彼の隣を歩く。
「あの、さ。カシオ君は写真集とか、み、見るの?」
「うん。大好きだよ!」
「え!?」
「僕ね、海外の建物とかすごい好きなんだよね。昔家族で海外旅行に行ったとき、とっても感動したんだけど。もちろん何回も行けるわけじゃないから、写真集を買ってもらってよく読んでるんだよ」
 いつかまた見に行きたいなーと遠い目をする彼の横顔は夕日に照らされてきれいで、かっこいいなとか、一緒に私も行きたいななんて考えてしまう。
「素敵だね……って、いやいやそうじゃなくて、あの、その、ああいう写真集とかは買って読むのかなってね」
「家にはあるけど、僕は読まないよ」家にはあるってことは買ったってことと聞こうとして、カシオ君が、あっ、と言って驚く。
 もしかして自分で買ったああいう写真集もあるってこと? という思いは、
「ごめん、お父さんに秘密って言われてたんだった……」と続いたことで杞憂に終わる。
「しまったなぁ……。お父さんには秘密で、お願い!」と言ったカシオ君に、
「えーどうしようかなぁー」といじわるしてみると、意外にも泣きそうな顔で「お願いします!」と懇願されるので、「うん、分かった」と返してしまう。もう少し意地悪なことを言ってもいいかなぁと思ったけど両手を挙げて喜ぶ彼を見ていたら、そんな思いは、あぁ好きだなぁに溶けていった。
「まぁ、カシオ君のお父さんに会うことなんて、そうそうないしね!」
「たしかにー」
 ニカッと歯を見せて笑うカシオ君。夕日に当てられて影が出来、いつもの何倍もかっこよく見えたのと、今日のクラス会の空気に当てられてつい、
「カシオ君には、好きな女の、人とかいるの?」と聞いてしまう。女の子じゃなく女の人と聞いたのは、もしかしたら同い年ではなく、年上ではないかと探りを入れたかったからだけど、
「いるよ。一番好きなのはお母さん」と答えられたことで、カシオ君にその気はなかったんだろうけど、上手くさけられてしまった。
「あーでも、女子の中ではログ子ちゃんといると一番楽しいかなぁ」
 ……はぁ、好き。
 もちろんカシオ君にその気はないのはわかってる。けど、カシオ君はときどきこういう風に言うからずるい。私が思わず顔を背けると、カシオ君はどうしたの? とたずねる。夕日がまぶしいからと言ったら、じゃあ場所変わろうかと言って私と位置を入れ替えた。
「大丈夫? 顔赤いよ」
「ゆ、夕日でそう見えるだけだよ」
 本当に、ずるいなぁ。