先生、野田君の目が今日も死んでいます

 作成した本を対面で販売できる即売会会場。開場前の場内は、お祭り前のように興奮で皆浮き立っていた。
 行き交う人や荷物でごった返す会場で、よく見知った顔が俺を見つけて手を振ってくれる。

「あっ! 龍くんおはよー。今日は一日よろしくー」

 声をかけてきたゆるふわ髪がトレードマークの愛梨姉に駆け寄って挨拶をする。

「愛梨姉、聖さんおはよー!」
「おはよう。龍之介君。今日はお友達も一緒に参加?」

 愛梨姉の隣で段ボール箱を手にしているのは愛梨姉と同じくゆるふわの髪でにこやかな聖さんだ。

「うん。こっち同じクラスの深町。荷物搬入手伝いに来てくれた」
「はじめまして。園部愛梨です」
「園部聖仁です」
「野田と同じクラスの深町一真です」

 三者それぞれ和やかに挨拶を交わす。

「深町くんはイベント初?」

 俺がイベントに人を連れてくるのは初めてなので愛梨姉が興味津々だ。

「はい。すごく人が多いんですね」

 深町は周囲でポスターを貼ったり本やグッズを並べる人達をきょろきょろと見回す。

「開場直後だとお客様がごじゃー!! って押し寄せるから、もっとエグい感じになるよ」
「そう、なんですか?」

 愛梨姉は現段階で会場の雰囲気に呑まれかけている深町に脅しとも警告ともとれる発言で心構えを促す。

「あ、そうだ。愛梨姉、この前言ってた委託の本預かるよ」
「龍くんありがとう! ほんと助かるー!」

 深町が不思議そうに質問する。

「全部自分のお店で売るんじゃないのか?」
「愛梨姉はジャンルによって名義分けして活動してるしジャンルによって来るお客様の層が変わるから同じジャンルの二次創作はうちで受託販売する。ざっくり言うとR指定と全年齢向けだな。俺のとこは愛梨姉のとこほど部数が多くないからスペースに余裕あるし」
「幅広いお客様に購入機会が増えてほしいからね」
「へぇ。そういうものなんですね」

 感心しながら頷いていた深町は、ふと気付いてこちらを振り向く。

「そういや野田は? R指定本? とか売らないのか? 確か描いてただろ?」
「描いてはいるけど、今はまだ発表も印刷もしてない。規制に引っかからないように濡れ場だけ全年齢向けに別のコマに差し替えてる。未成年がR指定販売に関わること自体イベント主催者側からは禁止されてるからな。ちな、購入者側ももちろん年齢確認される」
「へぇ。結構コンプラしっかりしてるんだな」

 聖仁さんが黄色い折り畳み式のR18と書かれたポップを見せる。

「こういうので注意喚起して誤購入を避けるんだ。青少年健全育成条例の規制対象になったり、色々とトラブルの原因になったりするからね」
「へぇ。トラブルの」
「まぁ、全年齢向けにしてても奥付けの連絡先に保護者からクレーム入ることくらいはあるんだけどね」
「『こんないかがわしい本売りつけられたりしたからうちの子の成績が落ちた!』とかって家まで押しかけて来られたり……」
「読むか読まないかは個人の裁量によるものだし、ましてや成績との因果関係なんか証明できないのに……」

 嫌な過去を思い出したのか愛梨姉と聖さんは苦い顔になる。

「た……大変だったんですね……。あ、でも、お二人は大丈夫なんですか? 販売側も年齢規制が厳しいってさっき……」

 深町の言葉にきょとん、と愛梨姉と聖仁さんは顔を見合わせる。

「……深町。見た目に騙されるなよ。さっきの会話から察せられる通り、愛梨姉も聖さんも成人済みだから」
「えっ!? あ、すみません。てっきり同い年か1、2歳上くらいかと……」

 慌てて頭を下げる深町にむしろ聖仁さんが瞳を輝かせて勢い付く。

「ねぇねぇ愛梨、現役高校生に未成年と間違えられるなら、僕まだJKコスいけるかも!」
「聖くん……調子こくなよ?」

 はしゃぐ聖さんと笑顔で牽制をかける愛梨姉の童顔コンビは2人とも二度目の成人式が近づいている年齢だ。

「そんなことよりまだ準備が終わってないんだから。ほら、聖くん。深町くんに委託本渡して」
「はぁい」

 深町に段ボールを渡した聖さんは上機嫌で手を振る。

「じゃ、また後で。わからないことがあったらなんでも聞いてね」
「手が空いたら手伝いに来るから。深町くんも初イベ、楽しんでね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「聖さんも愛梨姉もありがとう。また後で」

 2人を見送ってから、深町の背中をぽん、と叩く。

「深町。俺らも設営始めるぞ」
「そだな」

 スペース番号を確認し、周囲のサークル参加者と簡単な挨拶を済ませてから番号が振られたテーブルに敷き布を広げ、段ボールを開封していく。音を立てて段ボールを開いた瞬間溢れるインクの匂いを肺一杯に吸い込みながら新刊を手にすると、思わず笑みがこぼれた。画像データでは何度も確認した表紙イラストも、いざ本になって重さを感じると感慨深い。

「……野田。顔」
「へ?」
「なんかめっちゃ嬉しそう」

 珍しい生き物でも見るような顔でまじまじと見つめられる。

「? 当たり前だろ。今までの努力がこうして形になったんだ」
「学校でそんな顔してるの見たこと無いから」
「いつでもニヤニヤしてたらそれこそヤバい奴だろ」
「あー……いや、そういうこと言いたいんじゃなくて。なんつったらいいのかな。野田には達成感を感じられる程熱量を注げる物があるんだなって。学校ではいっつも寝てるか怠そうにしてるところしか見ないから」
「お前だって野球やってた時はこんな顔してたんじゃねーの? 知らんけど」
「……どうかな。なんかもう、覚えてないや」

 深町は困ったような表情で視線を逸らした。俺はさして気にも留めず、ま、いいけど。と話を切り上げる。

「あ、深町。乱丁落丁が無いかチェック入れてくれるか? お前の方がこういうの得意だろ?」
「ああ」

 深町に新刊を渡し、次の段ボールを開封する。こちらは既刊を増刷した物だ。といっても深町に校正をしてもらった上で入稿データを送り、印刷してもらった改良版。

「深町。これと、こっちもチェックな」

 深町に製本チェック用の本を渡し、深町がチェックを終えた本と愛梨姉の本を平置きに並べ、各本の試し読み用の本をスタンドに立てる。
 小さめのカードにそれぞれの本の値札を掲示し、ポスタースタンドにA3サイズの卓上ポスターをセットしたところで、ふと気付いた。

「……ん?」

 空になった段ボールを再確認するが、やはり入っていない。
 スマホを開くと印刷所からの着信通知が数件。通話ボタンを押して呼び出しのコール音を聞く。

「あ、もしもし。おはようございます。そちらの印刷所に依頼した野田と申します。会場に直接搬入していただき、本は全部入っていたんですが、依頼していたノベルティが……。……はぁ!?」

 俺はスマホに向かって素っ頓狂な声をあげる。視界の端でブース設営をしていた近くの数人が振り返るのが見えた。

「だって今日会場直接搬入って……! えええ……!」
「どうした?」

 製本チェックを終えて段ボールを折り畳んでいた深町が心配そうに聞いてくるので、受話器を押さえて話す。

「新刊はちゃんと届いてるんだけど、ノベルティがまだ印刷所にあるって。データ送るのギリになったから印刷が遅れて、今日中に届けるのは難しいって……」
「印刷は終わってるのか? 印刷所に直接取りに行けば受け取れる状態?」
「聞いてみる。……すみません。印刷はもうあがってますか? 今から直接受け取りに行っても構いませんか? ……はい。はい。では、お願いします」

 指でOKサインを作って見せると、深町は自身のスマホを取り出してマップ画面を開く。

「印刷所の名前と住所教えて」
「これ」

 会場に直接搬入された段ボールの配送票を引っぺがして深町に渡す。素早くスマホを操作した深町は頷いてこちらを見つめた。

「取りに行ってくる。開場までには間に合わないかもしれないけど」
「間に合わないお客様には引換券渡すか後日発送する。料金はすでに支払い済みだから、入金履歴と注文番号のスクショ送る。それ見せたら受け取れるから」
「わかった!」

 デイパックを背負った深町は言うなり俺に背を向けて、搬入や開場準備でざわつく会場内の人や荷物を避けながら駆け抜けていった。




「ありがとうございましたー!」

 受託本と俺の新刊を買ってくれたお客様に深々と頭を下げる。
 開場と同時に怒涛の勢いで押し寄せたお客様の波が一旦落ち着き、深町からの連絡が来ていないかとスマホの画面を開いた時、愛梨姉からぽん、と肩を叩かれた。

「龍くん、お疲れ様。やっと客足が落ち着いてきたから手伝いに来たよー。深町くんは?」
「まだ。印刷所からノベルティ受け取って駅に着いたって連絡あったから、もうすぐ着く頃だと思うんだけど」

 ラインで愛梨姉には深町がノベルティを取りに行ってくれている事を説明してある。そわそわとスマホを確認する俺に愛梨姉が優しく微笑んだ。

「気になるんでしょ? だいぶ客足も落ち着いてきたし、店番代わるから迎えに行ってあげたら?」
「いいの?」
「もちろん」
「ありがと、愛梨姉」

 開場直後の混雑が落ち着いてきたイベント会場を縫ってサークル参加者専用出入り口に向かう。スマホを手にうろうろと深町の到着を待ちわびていた俺は、名前を呼ばれて弾かれたように顔をあげた。

「野田!! 遅くなってごめん!!」
「深町!!」

 走ってきた深町から、夏の日光に照らされて熱せられた黒いデイパックをトン、と胸に押し付けられる。

「お客さん待ってんだろ。早く行ったげて」

 肩で息をする深町は、頬を伝って顎まで垂れた汗を手の甲で拭う。

「……うん。うん! ありがと深町!!」

 何度も頷き、受け取ってすぐに踵を返して自分のサークルスペースに走った。
 店番を代わってくれていた愛梨姉が俺の顔を見るなりさっき走ってきた方角を指差す。

「あっ! 龍くん、ちょうど今のお客様にノベルティの引換券渡したとこ!」
「どの人!?」
「あの赤いバッグの、うちのサークルのロゴ入った袋持ってる人!!」
「ありがと!!」

 愛梨姉が指差した赤いバッグの持ち主を追いかけ、サークルロゴを確認して呼び止める。

「あのっ、すみません! サークル『さにー堂』の者です! 購入者特典のノベルティをお渡ししたいんですが」
「あっ! もしかして『ポレさん』ですかー!?」

 伊達っぽい大きめの黒縁眼鏡をかけた女性は、驚きと興奮が混ざったような笑顔を浮かべる。

「はい! すみません。予告してたのに、ノベルティの到着が遅くなってしまって」

 デイパックから取り出したポストカードを両手で差し出して頭を下げると、お客様も同じくらいの角度に深々と体を折って両手で受け取ってくれる。

「ありがたいですー。私いつもサイトで読ませていただいてるんですけど、ポレさんの描かれる攻めも受けもすごく好きで、今日も新刊楽しみにしてたんですよ。ノベルティのイラも美麗で、すごく嬉しいです! 家宝にします!」

 にこにこと笑って大事そうにポストカードを胸に抱える女性を前に、思わずつられて口元が緩む。

「直接感想言ってもらえる機会が少ないので、そう言っていただけて僕もすごく嬉しいです。ありがとうございます」
「応援してます。これからも素敵な作品、楽しみにしてます」
「はい! 本当にありがとうございます!」

 笑顔でお客様と別れ、わき目も振らずに自分のブースに速足で戻る。スペース内で愛梨姉からうちわで扇がれながら立ったままペットボトルのお茶を一気飲みしていた深町に突進し、頭突いた勢いのまま力任せに深町に抱きついた。

「おわっ!!」

 さすが元運動部。深町は俺が抱きついたくらいではびくともしない。

「……ふふ、ふふっふ。んふふふふぅー……」
「野田? 怖いって。何笑ってんの?」

 笑いながら体中からふつふつと湧いてくる喜びを噛み締め直す。

 嬉しい。自分の絵が、物語が、誰かに認められることが。苦手なSNSの更新もプロットもこの快感を味わいたいがためだ。

「さっきのお客様、新刊楽しみにしてたって! いつもサイトで俺の漫画読んでくれて、これからも応援してくれるって! ノベルティすごく喜んでくれた! 家宝にするって! 深町のおかげ! ほんとにありがとう!!」

 感謝もさることながら抑えきれない嬉しさの発散場所としてもう一度深町に回した腕にぎゅっと力をこめる。

「よかったな」
「うん!」

 大きな手でぽんぽんと背中を叩かれ、少しずつ落ち着きを取り戻した俺は、深町を解放してから隣の愛梨姉にも抱きつく。もちろんちゃんと力は加減して、だけど。

「愛梨姉もありがとう!」
「うんうん。よかったよかった。ナマの感想聞けるって一番嬉しいよねぇ」
「うん、……うん! すごく嬉しい!」

 愛梨姉から小さい子にするみたいに頭を撫でられ、俺のご機嫌メーターが最大限まで振り切れたところで愛梨姉の手が俺の両頬を挟み込んでむにむにと揉む。

「よし! イベントはまだ始まったばかりだからね。まだまだお客様が来るよー? 龍くん、覚悟しな!」
「うん!」
「よし! 健闘を祈る! じゃ、また後でね。龍くん、深町くん!」
「うん! あとでお礼にそっちの手伝いに行くから!」

 愛梨姉を見送ってから深町に向き直る。

「暑い中行かせて悪かったな。ちょっと待っててな。飲み物何が好き? あ、アイスとかの方がいいか?」

 財布財布、と釣銭用に用意した小銭入れを手に取ると、深町は首を横に振る。

「いいよ。今お茶飲んだばかりだから。それよりまだお客さん来るんだろ? お店空にしちゃいけないんじゃないか?」
「そうだけど、うちは愛梨姉のとこほどファンもついてないし……」

 言いかけたところで若い女性二人組がブース前で足を止める。

「ほら、お客さん」
「ごめん。あとで絶対お礼はするから」

 そう言い置いて、既刊と新刊それぞれを購入してくれるというお客様に本と深町が持ってきてくれたノベルティを添える。

「すみません。ポレさんご本人ですか? スケブお願いしてもいいですか?」
「はい! 喜んで! お時間少々いただきますが大丈夫でしょうか?」
「はい。今日はサークル参加で閉幕までなんで、ゆっくり大丈夫です」

 受け取ったスケッチブックには、すでに名の知れた作家さんのイラストが並ぶ。ここに俺の絵を一緒に並べるのか。緊張でごくり、と唾を呑みこんだ。

「キャラリクとかありますか?」
「『燼盟』の烈火君お願いできますか?」
「大丈夫です。30分くらいでできると思いますので」
「ありがとうございます。じゃあ、それくらいにまた受け取りに来ますね」

 笑顔でお客様を見送った後で、タイミングを伺っていたように深町が声をかけてくる。

「なぁ。今のって、それに絵を描いてって頼まれたの?」
「そう。神絵師いっぱい並んでて、緊張する」

 スケブをめくると以前から応援している作家さんのイラストを発見する。

「この人の絵好きなんだ。今日参加してるみたいだから俺も描いてもらいたいなー」

 開いたスケブのイラストを覗き込んだ深町は、ほぅ、と感嘆の声をあげる。

「なんか御朱印帳みたいだな」
「発想がおじいちゃん」

 デイパックからペンを取り出し、まだイラストが描かれていないページを開く。

「深町。俺ちょっとこれに時間取られるから一緒に回れないけど、興味あるブースや本があれば見てきていいぞ? 午前中に回らないと人気作は完売するから」

 深町は俺に手を差し出す。

「野田のスケッチブック出して。どの番号の人に依頼したらいいか教えてくれれば、代わりに頼んでくるから」
「マ!?」

 デイパックからスケブを引っ張り出し、サークル配置を示すジャンルコード、テーブル番号、サークル名と目的の作家さんのPNをメモして財布と一緒に深町に差し出す。

「スケブ依頼する前にこの作家さんの新刊も一緒に買ってきてほしいんだ。キャラリクはスケブに書いてあるから。スケブ依頼有料のこともあるけど、有料でもお願いして。もしスケブお断りなら新刊購入だけお願い」
「断られることもあるんだ?」
「本人不在とか依頼が多すぎてキャパオーバーになる場合は」
「なるほど」
「悪いな。人気作家さんだから結構並ぶと思うけど」

 カタログでサークルの配置を確認していた深町は、ん、大丈夫。と言い残してブースを後にした。
 後姿を見送りながら、深町が来てくれてて良かったとつくづく実感する。
 人気漫画の二次創作なので原作人気と受託本の愛梨姉のファンとの相乗効果で開場直後の客入りが予想以上になり、狙っていた人気作家さんの新刊購入は半ば諦めかけていた。

 よし! ご褒美があるなら頑張れる!

 気合を入れ直してスケブにペンを滑らせる。
 イラストを描いていると自然とキャラの表情が描いている人間側の表情にも移ることがあるが、今日のキャラは逆に俺の表情を写し取ったかのように3割増しの笑顔だ。
 色付けし終わり、コピックに蓋をした所で、お目当ての作家さんの新刊を手にした深町が帰還した。

「お待たせ。スケッチブックの方は1時間くらい後で取りに来てくれって」
「はゎぁぁあ! 良かったぁ! 買えたんだ!!」

 受け取るなり嬉し過ぎて思わず新刊の表紙に頬擦りする。

「ラス1だった。スケブも「沢山頼まれてるから遅くなるけど」って条件付きでOKもらえた」
「やった!! 深町マジサンキューな!!」

 両手をあげて再び深町に抱きつこうとした所を手で額を押さえられて押しとどめられる。

「っんだよ! 別に減るもんじゃ無ぇんだからちょっとぐらい喜びを表現させろよ! 一回も二回も変わらないだろ!」
「……さっき俺走ってきて汗臭いし、ってか距離近過ぎるだろ」

 深町は顔を赤らめて視線を逸らしながら距離を空けようとする。

「女子か! 運動部が一丁前に臭いとか気にすんなよ」
「気にするなって言われても気になるんだよ……。ってか野田、今日テンション高すぎるよな?」
「徹夜明けハイテンション!!」
「うわ。キャラ崩壊してる……」

 若干引き気味の深町に構わず、もう一度手に入れた新刊をぎゅっと抱きしめて喜びを噛み締める。

「ありがとな、深町。今日お前とイベント参加できてほんと良かったわ」

 にっ、と笑うと、深町も、野田が喜んでくれて良かった、と笑った。