一時限目から昼休みまで通常通り眠りこけた俺は、昼休みのざわめきの中、深町に肩を揺らされて目を覚ます。
「野田。昼休みなったぞ」
「……んん? ああ。行くか」
朝のドッキリは良い感じに眠気で押さえ込まれ、深町に触れられても通常運転に戻りつつあった。
眠気をこんなに感謝したのって初めて。
ネタ帳と昼飯が入ったスクールバッグを手に、ふわふわとした足取りで先日から利用していた自習室代わりの元校務員室に向かう。深町と連れ立って歩きながら欠伸ついでに伸びをした。
「眠そうだな。昨日あの後目が覚めたのか?」
「ん。愛梨姉と夕飯食った後、前に深町が送ってくれた3Dモデリングソフトのアセット(素材)使ってデッサン練習してた」
漫画の背景や小物などに利用できる3Dモデリングソフト。ストーリーは停滞していても、デッサン練習くらいはできる。
「気に入ったのあったみたいで良かった。フリー素材もだけど新しく欲しい奴あったら教えて。まだ始めたばかりだからあまり凝ったのは難しいけど、単純な物なら作れると思う」
「意外だよな。深町あんなに絵描くのは苦手なのに3D素材とかは普通に扱えるの。空間認知能力高いのかな」
「球技とか訓練に良いって聞くもんな」
「俺動体視力死んでるから球技も3Dも無理だわ」
「絵はあれだけ上手なのに」
「2D専用なの。3Dには対応してない」
深町が元校務員室の鍵を開け、唯一の小窓を開く。元々北向きの小部屋なので蒸れたりはしていなかったが、秋めいた風が埃っぽい室内を浄化するように通り抜けていった。
教室とは棟が違うので廊下に生徒の姿も無く、人の密度が無い分クーラーが無くても過ごしやすい。
「これな。送ってもらったアセット参考に描いてみたんだけどさ」
渡したネタ帳を見た深町がぶっは、と噴き出す。
「え? 俺? なんで有刺鉄線巻いたバット持ってんの? 治安悪すぎないか?」
「わざわざ送ってくるってことは所望してるのかと思って」
「いやいや。ちょっと面白いの見つけたから野田に見てほしかっただけで、まさか採用するなんて思ってないし」
「深町。お前はアセットを渡すという行為を甘く見過ぎている。次のページを見てみろ」
「…………っ!!」
ページを捲った深町が衝撃を受けた顔をする。
あ。今の表情。
すかさずスマホのカメラを起動して深町の顔を撮影する。
「え? え? 今何で撮った? ってか、これどうなっちゃったの俺!?」
「お前の顔が面白いから今後描く参考資料として撮影した。それはグレにグレ過ぎて闇落ちしてバットと共に鬼に変化してしまった深町だ」
「魔改造が過ぎるだろ!? バットだって金棒になっちゃってるし、俺なんか制服破れてツノも牙も生えちゃってるし!!」
「ストーリー構成がうまくいかなくてな。気分転換に全く違う物を描いてみることで突破を試みた結果だ」
詰まるところ、クリエイティブな悪ふざけ。
「で、深町に相談なんだけど」
深町は反射的にネタ帳から顔をあげる。
「俺にできること?」
「うん。構成とかブレスト手伝ってほしい。一人じゃどうしても行き詰まりやすくて困ってる」
「やらせて! 実際に作品ができあがってくとこ、近くで見てみたい!」
ああ。ほんと良い表情すんじゃんこいつ。目なんかキラキラさせちゃってさ。
つい再びスマホのシャッターを押してしまう。
「う。またそれか? 俺、そんなに面白い顔してる?」
困ったように眉を下げて自身の頬を撫でながら口を尖らせる深町。
「面白い顔というと語弊があるのか。深町は表情の喜怒哀楽がハッキリしてて目に見えて感情がわかりやすい。表情の描き分け用資料としてはかなり役に立つ」
「う……。野田の役に立つなら、それはそれでいいけどさ」
もじもじと視線を落とし、深町は頬を赤らめた。
なるほど。そんな表情もするのか。
愛梨姉が言っていた"好き"を楽しむ、の意味が少しわかった気がする。驚いた顔も、困った顔も、照れた顔も、くるくると変わる表情をもっと見たいし、写真やスケッチに残したくなる。
「野田?」
呼ばれて深町の顔に見入っていたことに気付き、慌てて筆記用具を取り出した。
「今回は今までと違うキャラにしようと思ってな」
「え? わざわざ描いたってことは、俺も登場人物になるってこと?」
嬉々として鬼のイラストを指差す深町。
「あくまでデッサン練習に描いただけでキャラとしては考えてなかった」
「えぇー? せっかく格好良く描けてるのに。筋肉マシマシー」
「なんだ気に入ったのか。じゃあキャラとして組み立ててみるか。キャラを固めていくために重要になってくるのは鬼化するきっかけになった背景だ。深町。闇落ちしたきっかけは?」
「そう聞かれてもな。俺自身は闇落ちしてないし、実際鬼にまではなってないから何とも……」
「そうだよな。心情の変化や深みが無いと、キャラとしては使い物にならない」
俺は「鬼は闇に呑みこまれてしまいました」と言いながらネタ帳の空白に哀愁を漂わせる鬼の後ろ姿をささっと描いてfin.で締める。
「うあああっ!! まさかのバッドエンドっ!? 救済はっ!? BがLに至る間も無くっ!?」
風が巻き起こりそうな勢いで矢継ぎ早に問う深町の大音量を片耳を塞いでやり過ごしながら、ネタ帳の新たなページを捲る。
「仕方ないだろ。そもそもデッサン練習に使っただけでキャラとしては想定してないんだし。展開が思いつかない場合、ここで長く立ち止まってても話は動かない。別にこれはあくまで一つのアイデアってだけで、もっと良いネタが思いつけば後日また違う展開で描き直すこともある」
「え。じゃあ、この話は?」
「完成というより後日持ち越しだな。メリバ展開にできなくもないが、鬼になるほどの要素が思いつかない限りは説得力が弱い」
「そっか。しばらくのお別れになるのか、鬼町……」
「ずいぶん入れ込んでるな」
「他人とは思えなくて」
しょぼ、とネタ帳の鬼に見入る深町には、鬼、というワードとは不似合いな人間臭い気弱さが滲む。
ふむ。そういうのもありかもな。別に鬼だからといって気性が荒い必要は無い。自分の半身と別れるのを惜しんで落ち込む気弱な鬼、というのも意外性があって面白いかもしれない。
「まぁこの話は保留にするとして。頭を切り替えてもっと別なネタを探してるんだけどな」
「例えば?」
「せっかくなら身近な題材とか」
「高校生?」
「そう。文化祭とか、体育祭とか。修学旅行とかもイベントとしては美味しいな」
「確かに。距離が近づく良いきっかけになりそうだな」
文化祭、体育祭、修学旅行、とネタ帳に列挙していく。
「でもこれらのネタすでに結構描いちゃってるんだよな」
「確かに読ませてもらった野田の本であったな。王道だからこその出尽くし感か。非日常メインじゃなく、日常をメインにした話とかは?」
「日常? 高校生の日常……」
普段学校では登校直後から眠り込んでしまう俺にとって、高校生の日常といってもおいそれとは出てこない。
むむむ、と考え込んでいると、深町が小さく挙手をする。
「……。あの、さ。あくまで提案なんだけど、こんなのどうかな? 主人公は同じクラスのいつも体育を休んでる子が気になってて」
「虚弱体質って奴か?」
「そうかも。教室でもいつも誰とも喋らないし、具合が悪そうにしてて」
「ふんふん」
深町の提案を元に、線の細い美少年の顔を簡単なラフでネタ帳に描いていく。
たぶんこれ受けだな。話の視点は攻め目線か。
「その子のことは気になっていたけど話すきっかけが無くて。でもある日担任がその子に届ける書類を渡し損ねた所に行き合わせて、主人公が届けることを請け負う」
「書類。進路調査とか?」
「まぁそんなとこ」
美少年のラフの横に『書類』『進路調査?』と書き込む。
「で、担任から書類が入った封筒と一緒に『あいつの所に行くならこれを持っていけ』って子供用の防犯ブザーを渡される」
「……は? あのランドセルとかに付ける奴?」
「そう。主人公は断ろうとするんだけど、担任は『油断するなよ。密室に二人きりになるな。危険を感じたらこれを鳴らして後ろを振り返らずに全力で逃げろ』って言って無理矢理渡してくる」
「なんか不穏だな。担任はこいつの裏の顔を知ってるってわけか」
ジャンルはミステリかホラー、サスペンスってとこか。
『防犯ブザー』『何らかの事情を知る担任』と書き込む。
「主人公はその子の家に書類を届けて何事も無く帰ろうとした時、呼び止められて家に上がるよう誘われるんだ。一瞬担任の言ってたことが頭をよぎったけど主人公は運動部に入っててその子よりも背が高いし、喧嘩になっても負けることは無いだろうって高を括って家にお邪魔する」
「まぁ、それだけ担任から前振りされたら何か秘密でもあるのかと気になるしな」
「だろ? で、通されたその子の部屋で飲み物をもらう」
これは飲み物に一服盛られるパターンか?
「何か話をしたいと思って部屋の中に話題のとっかかりを探すけど、ポスターとかも貼ってないし、本棚にも教科書しか並んでいない整然とした部屋。結局飲み物を飲み干すまでの間に共通の話題も思いつかなくて、諦めてそろそろ帰ろうとした時、…………落ちてきたんだ。その子が隠していた物が」
「違法薬物……いや、隠して飼育している地球外生命体?」
となるとSFか?
深町は静かに首を横に振って声のトーンを落とす。
「そのどちらでもない。……人体の一部」
俺の瞳の奥を真っ直ぐに見つめる深町の瞳に飲み込まれる気がして、喉の奥がひゅっ、と鳴る。
遺体だ。
生首。手。耳。
存在しないはずのヒグラシの鳴き声が脳内BGMとして不気味に自動再生される。夕日が傾く殺風景な室内に転がる人間だった断片と、それを挟んで対峙する二人の男子高校生。
首筋から耳の後ろにかけて、ぞわりと粟立つ。
神妙な面持ちの深町は、静かな語り口調で続けた。
「その子は学校でも家でもずっと隠し続けてきたんだ。彼自身が、…………腐男子であることを」
……。
…………。
………………ふ?
「突然の事態に怪我をしたのかと勘違いした主人公は、嫌がるその子の服を脱がせて泣かせてしまい、逆に弱みを握られて脅されるようになる」
「ちょ、おい待て。どっかで見た展開だな」
「実は落ちて来た人体の一部は彼が描いている漫画の資料でーー……」
「いや。もしかしなくても俺だろそれ」
ここまでずっと真面目なトーンで話していた深町が、やっと破顔する。
「で、担任からお守り代わりに押し付けられたのがこれ」
そう言って深町はズボンのポケットからレモンイエローの丸っこいデザインの防犯ブザーを取り出した。
担任から渡されたって下りはガチか。
「ど? これなら主人公の心情も深堀できるし、話の展開想像しやすいと思うんだけど」
ぷ。自信満々の笑顔のプレゼンに思わず笑ってしまう。
「んっふふ。日常コメディBLに、どれだけ需要があるかだな」
ネタ帳に『ジャンル、日常コメディBL』と書きこんだ。
「お? 採用?」
「一応下案候補として。ってか、タイトルどうするかな」
「んー。こういうのは?」
深町がルーズリーフに走り書きして見せる。
「…………。それもなんか聞いたことあんな」
「毎朝の出欠確認で野田が寝入ってて返事しない時、野田の前の席の中原がいつも言ってる」
「ぶっふ。創作ってか、まんま絵日記じゃねぇかよ」
ま、いいか。と深町提案のタイトルをネタ帳に書き写し、簡単に深町の顔の正面、横顔、後ろ姿を描き込んでいく。
大口を開けて笑ったり、褒められて目を輝かせたり、からかわれて口を尖らせたり。見慣れているせいか、ペン先が流れるように進む。
「……へぇ。俺ってこんな表情してるんだ。自分で自分の顔見ることなんて顔洗う時くらいしかないから、なんか新鮮。こんなのさらっと描けるなんてすごいな」
「ま、伊達に毎日深町の顔拝んでませんから?」
ふふん、と笑って改めて深町の顔を見つめた。
「やっぱ眉毛の形が良いよな」
描いたり整えたりしてない自然な太さ。
じっと見つめていると、深町は「た……確かに最近学校以外でも毎日顔合わせてるもんな」と言いながら赤らめた顔を不自然に逸らしてルーズリーフにくるくると謎の模様を描き始める。
見られただけで照れてこっちを直視できないなんて、どんだけ初心なんだか。駄目だ。反応が面白過ぎて顔がにやけてくる。
「で? 主人公の深町(仮)は、相手に脅されてどうなったんだっけぇ?」
「いやあの、もう。あとは野田も知っての通りで……って、やっぱ駄目!! ごめん!! これナシで!! 普通に恥ずい!!」
深町は両手を振って取り消しを宣言するが、こんな面白い反応を引き出せるネタを放り投げられるはずがない。
「いいじゃん。このキャラの心情の深堀りができるのって深町が最適だし。聞かせろよ。何お前最初っから俺のこと好きだったの?」
「いやもうさ。野田のこのノンデリ加減よ……」
「重要なことなんだって。ちゃんと実体験教えてもらわないと物語にリアリティ出ないだろ」
「んー……」
お決まりの困ったを示す八の字に垂れた眉毛のまま「最初はさ、別にそういう恋愛的な目で見てたわけじゃないんだけど」と前置きした上で、渋々ぽつりぽつりと話し始める。
「毎日毎日よく寝てるけど、具合が悪いんじゃないか? って思ってて。同じクラスになってから起きてる姿を見る方がレアっていうか。で、周りも噂してたのと同じくらいの感想で。あの『儚げな美少年』って奴。睫毛長いし鼻筋通ってて、目を開ければ随分と整った顔立ちなんだろうけどな、って。でも、いくら綺麗な顔してても男だし、自分には何にも恩恵なんて無いのにって。それが、初接触からアレだっただろ? 想像してたイメージとのギャップで……」
「は? そこ?」
「いやあれで好きになったわけじゃないから! そりゃ度肝は抜かれたけども!」
だろうな。あんな展開で好意を抱くなんてとんだМ属性持ちだ。
「創作に打ち込む姿勢とか、読んだ感想もらった時の笑顔とか。学校では見たことないそういうの、いいなって。もっとそんな顔見たいって思って、気が付いたら……なんていうか……」
いつものクソでかボイスはどこへやら。耳まで真っ赤に染めて声は遠くから響く雑音の中に今にも消え入りそうだ。
「ああもう! 自分から言い出したとはいえどんな羞恥プレイだよ! もうやめ! おしまい! とりあえず一旦片付けて飯食お!」
深町は急に立ち上がって仕切り直しを図る。
いつも通りを振る舞おうとしているが視線は明後日の方向に向けられていて全然目が合わない。それどころか片付けようとしたペンケースを落っことし、ペンや消しゴムを足元にぶちまけた。
「うわ! 悪い。すぐ片付けるから、野田先に食ってて」
「おま、動揺し過ぎだろ。ほんと器用なんだか不器用なんだか」
笑いながら足元に転がってきた消しゴムを拾う。
「深町。はい」
「ん。ありがと」
手を差し出してくるものの、意地でも視線を合わせようとしない深町の横顔に視線を移す。
見たことない顔を、もっと見たくなる。か。
背景が光にぼやけ、視線は自然と深町の横顔の輪郭線をなぞっていた。男らしい濃い眉毛ときらきらと光を反射する黒い瞳。高い鼻梁に薄めの唇。
ああ、やっぱり。
他の奴に譲ってやるには惜しいな。
俺は吸い寄せられるように深町の頬に唇を寄せた。
音も無く、ふに、とした弾力と俺よりも高い体温。
ぴしりと固まった深町は、直後、頬を手で押さえたままルーズリーフや筆記用具を撒き散らしながら床に尻もちをついて声も出せずに口をパクパクと開閉する。
「あーあ。せっかく拾ったのにまたお前は」
「なっ……野田ぁっ!? 急にまたふざけてっ……!!」
「いいだろ。昨日の夕方お前もやったんだから、その仕返し」
ただでさえ取り乱した深町は、俺が自身の額をとん、と指差すと、目を泳がせてあからさまに動揺する。
「え、と。野田。もしかしてあの時、起きて、たり? とか……?」
「確信は無かったけど、やっぱりか」
「って、誘導尋問かよ……」
深町はバツが悪そうに赤らめた顔を拳で隠す。
ぷ。今更照れんのかよ。
「だからって、仕返しとか……」
「しょうがないだろ。お前の顔見てたらしたくなった」
床に座り込む深町が、さっきとは違う意味で固まる。
「あの、野田、それってどういう……」
「それにしてもずいぶん派手に散らかしたな」
屈んで散乱した筆記用具に手を伸ばしかけた俺の手を深町がそっと掴む。
顔をあげると、信じられない、という気持ちと期待を混在させた潤んだ瞳が俺を見つめ返した。
ほんとこいつ、なんてわかりやすい表情するんだろう。
思わず笑ってしまう。
深町の瞳に映る俺の顔は、鏡なんかではついぞ見たことが無いくらいに蕩けた笑顔。
ああ。深町の表情がわかりやすいとばかりは言っていられない。
俺も大概だな。
こんな顔してたら確定じゃねぇか。
俺はタイトルが書かれたルーズリーフの上で深町の指に指を絡め、そっと握り返した。
《了》
「野田。昼休みなったぞ」
「……んん? ああ。行くか」
朝のドッキリは良い感じに眠気で押さえ込まれ、深町に触れられても通常運転に戻りつつあった。
眠気をこんなに感謝したのって初めて。
ネタ帳と昼飯が入ったスクールバッグを手に、ふわふわとした足取りで先日から利用していた自習室代わりの元校務員室に向かう。深町と連れ立って歩きながら欠伸ついでに伸びをした。
「眠そうだな。昨日あの後目が覚めたのか?」
「ん。愛梨姉と夕飯食った後、前に深町が送ってくれた3Dモデリングソフトのアセット(素材)使ってデッサン練習してた」
漫画の背景や小物などに利用できる3Dモデリングソフト。ストーリーは停滞していても、デッサン練習くらいはできる。
「気に入ったのあったみたいで良かった。フリー素材もだけど新しく欲しい奴あったら教えて。まだ始めたばかりだからあまり凝ったのは難しいけど、単純な物なら作れると思う」
「意外だよな。深町あんなに絵描くのは苦手なのに3D素材とかは普通に扱えるの。空間認知能力高いのかな」
「球技とか訓練に良いって聞くもんな」
「俺動体視力死んでるから球技も3Dも無理だわ」
「絵はあれだけ上手なのに」
「2D専用なの。3Dには対応してない」
深町が元校務員室の鍵を開け、唯一の小窓を開く。元々北向きの小部屋なので蒸れたりはしていなかったが、秋めいた風が埃っぽい室内を浄化するように通り抜けていった。
教室とは棟が違うので廊下に生徒の姿も無く、人の密度が無い分クーラーが無くても過ごしやすい。
「これな。送ってもらったアセット参考に描いてみたんだけどさ」
渡したネタ帳を見た深町がぶっは、と噴き出す。
「え? 俺? なんで有刺鉄線巻いたバット持ってんの? 治安悪すぎないか?」
「わざわざ送ってくるってことは所望してるのかと思って」
「いやいや。ちょっと面白いの見つけたから野田に見てほしかっただけで、まさか採用するなんて思ってないし」
「深町。お前はアセットを渡すという行為を甘く見過ぎている。次のページを見てみろ」
「…………っ!!」
ページを捲った深町が衝撃を受けた顔をする。
あ。今の表情。
すかさずスマホのカメラを起動して深町の顔を撮影する。
「え? え? 今何で撮った? ってか、これどうなっちゃったの俺!?」
「お前の顔が面白いから今後描く参考資料として撮影した。それはグレにグレ過ぎて闇落ちしてバットと共に鬼に変化してしまった深町だ」
「魔改造が過ぎるだろ!? バットだって金棒になっちゃってるし、俺なんか制服破れてツノも牙も生えちゃってるし!!」
「ストーリー構成がうまくいかなくてな。気分転換に全く違う物を描いてみることで突破を試みた結果だ」
詰まるところ、クリエイティブな悪ふざけ。
「で、深町に相談なんだけど」
深町は反射的にネタ帳から顔をあげる。
「俺にできること?」
「うん。構成とかブレスト手伝ってほしい。一人じゃどうしても行き詰まりやすくて困ってる」
「やらせて! 実際に作品ができあがってくとこ、近くで見てみたい!」
ああ。ほんと良い表情すんじゃんこいつ。目なんかキラキラさせちゃってさ。
つい再びスマホのシャッターを押してしまう。
「う。またそれか? 俺、そんなに面白い顔してる?」
困ったように眉を下げて自身の頬を撫でながら口を尖らせる深町。
「面白い顔というと語弊があるのか。深町は表情の喜怒哀楽がハッキリしてて目に見えて感情がわかりやすい。表情の描き分け用資料としてはかなり役に立つ」
「う……。野田の役に立つなら、それはそれでいいけどさ」
もじもじと視線を落とし、深町は頬を赤らめた。
なるほど。そんな表情もするのか。
愛梨姉が言っていた"好き"を楽しむ、の意味が少しわかった気がする。驚いた顔も、困った顔も、照れた顔も、くるくると変わる表情をもっと見たいし、写真やスケッチに残したくなる。
「野田?」
呼ばれて深町の顔に見入っていたことに気付き、慌てて筆記用具を取り出した。
「今回は今までと違うキャラにしようと思ってな」
「え? わざわざ描いたってことは、俺も登場人物になるってこと?」
嬉々として鬼のイラストを指差す深町。
「あくまでデッサン練習に描いただけでキャラとしては考えてなかった」
「えぇー? せっかく格好良く描けてるのに。筋肉マシマシー」
「なんだ気に入ったのか。じゃあキャラとして組み立ててみるか。キャラを固めていくために重要になってくるのは鬼化するきっかけになった背景だ。深町。闇落ちしたきっかけは?」
「そう聞かれてもな。俺自身は闇落ちしてないし、実際鬼にまではなってないから何とも……」
「そうだよな。心情の変化や深みが無いと、キャラとしては使い物にならない」
俺は「鬼は闇に呑みこまれてしまいました」と言いながらネタ帳の空白に哀愁を漂わせる鬼の後ろ姿をささっと描いてfin.で締める。
「うあああっ!! まさかのバッドエンドっ!? 救済はっ!? BがLに至る間も無くっ!?」
風が巻き起こりそうな勢いで矢継ぎ早に問う深町の大音量を片耳を塞いでやり過ごしながら、ネタ帳の新たなページを捲る。
「仕方ないだろ。そもそもデッサン練習に使っただけでキャラとしては想定してないんだし。展開が思いつかない場合、ここで長く立ち止まってても話は動かない。別にこれはあくまで一つのアイデアってだけで、もっと良いネタが思いつけば後日また違う展開で描き直すこともある」
「え。じゃあ、この話は?」
「完成というより後日持ち越しだな。メリバ展開にできなくもないが、鬼になるほどの要素が思いつかない限りは説得力が弱い」
「そっか。しばらくのお別れになるのか、鬼町……」
「ずいぶん入れ込んでるな」
「他人とは思えなくて」
しょぼ、とネタ帳の鬼に見入る深町には、鬼、というワードとは不似合いな人間臭い気弱さが滲む。
ふむ。そういうのもありかもな。別に鬼だからといって気性が荒い必要は無い。自分の半身と別れるのを惜しんで落ち込む気弱な鬼、というのも意外性があって面白いかもしれない。
「まぁこの話は保留にするとして。頭を切り替えてもっと別なネタを探してるんだけどな」
「例えば?」
「せっかくなら身近な題材とか」
「高校生?」
「そう。文化祭とか、体育祭とか。修学旅行とかもイベントとしては美味しいな」
「確かに。距離が近づく良いきっかけになりそうだな」
文化祭、体育祭、修学旅行、とネタ帳に列挙していく。
「でもこれらのネタすでに結構描いちゃってるんだよな」
「確かに読ませてもらった野田の本であったな。王道だからこその出尽くし感か。非日常メインじゃなく、日常をメインにした話とかは?」
「日常? 高校生の日常……」
普段学校では登校直後から眠り込んでしまう俺にとって、高校生の日常といってもおいそれとは出てこない。
むむむ、と考え込んでいると、深町が小さく挙手をする。
「……。あの、さ。あくまで提案なんだけど、こんなのどうかな? 主人公は同じクラスのいつも体育を休んでる子が気になってて」
「虚弱体質って奴か?」
「そうかも。教室でもいつも誰とも喋らないし、具合が悪そうにしてて」
「ふんふん」
深町の提案を元に、線の細い美少年の顔を簡単なラフでネタ帳に描いていく。
たぶんこれ受けだな。話の視点は攻め目線か。
「その子のことは気になっていたけど話すきっかけが無くて。でもある日担任がその子に届ける書類を渡し損ねた所に行き合わせて、主人公が届けることを請け負う」
「書類。進路調査とか?」
「まぁそんなとこ」
美少年のラフの横に『書類』『進路調査?』と書き込む。
「で、担任から書類が入った封筒と一緒に『あいつの所に行くならこれを持っていけ』って子供用の防犯ブザーを渡される」
「……は? あのランドセルとかに付ける奴?」
「そう。主人公は断ろうとするんだけど、担任は『油断するなよ。密室に二人きりになるな。危険を感じたらこれを鳴らして後ろを振り返らずに全力で逃げろ』って言って無理矢理渡してくる」
「なんか不穏だな。担任はこいつの裏の顔を知ってるってわけか」
ジャンルはミステリかホラー、サスペンスってとこか。
『防犯ブザー』『何らかの事情を知る担任』と書き込む。
「主人公はその子の家に書類を届けて何事も無く帰ろうとした時、呼び止められて家に上がるよう誘われるんだ。一瞬担任の言ってたことが頭をよぎったけど主人公は運動部に入っててその子よりも背が高いし、喧嘩になっても負けることは無いだろうって高を括って家にお邪魔する」
「まぁ、それだけ担任から前振りされたら何か秘密でもあるのかと気になるしな」
「だろ? で、通されたその子の部屋で飲み物をもらう」
これは飲み物に一服盛られるパターンか?
「何か話をしたいと思って部屋の中に話題のとっかかりを探すけど、ポスターとかも貼ってないし、本棚にも教科書しか並んでいない整然とした部屋。結局飲み物を飲み干すまでの間に共通の話題も思いつかなくて、諦めてそろそろ帰ろうとした時、…………落ちてきたんだ。その子が隠していた物が」
「違法薬物……いや、隠して飼育している地球外生命体?」
となるとSFか?
深町は静かに首を横に振って声のトーンを落とす。
「そのどちらでもない。……人体の一部」
俺の瞳の奥を真っ直ぐに見つめる深町の瞳に飲み込まれる気がして、喉の奥がひゅっ、と鳴る。
遺体だ。
生首。手。耳。
存在しないはずのヒグラシの鳴き声が脳内BGMとして不気味に自動再生される。夕日が傾く殺風景な室内に転がる人間だった断片と、それを挟んで対峙する二人の男子高校生。
首筋から耳の後ろにかけて、ぞわりと粟立つ。
神妙な面持ちの深町は、静かな語り口調で続けた。
「その子は学校でも家でもずっと隠し続けてきたんだ。彼自身が、…………腐男子であることを」
……。
…………。
………………ふ?
「突然の事態に怪我をしたのかと勘違いした主人公は、嫌がるその子の服を脱がせて泣かせてしまい、逆に弱みを握られて脅されるようになる」
「ちょ、おい待て。どっかで見た展開だな」
「実は落ちて来た人体の一部は彼が描いている漫画の資料でーー……」
「いや。もしかしなくても俺だろそれ」
ここまでずっと真面目なトーンで話していた深町が、やっと破顔する。
「で、担任からお守り代わりに押し付けられたのがこれ」
そう言って深町はズボンのポケットからレモンイエローの丸っこいデザインの防犯ブザーを取り出した。
担任から渡されたって下りはガチか。
「ど? これなら主人公の心情も深堀できるし、話の展開想像しやすいと思うんだけど」
ぷ。自信満々の笑顔のプレゼンに思わず笑ってしまう。
「んっふふ。日常コメディBLに、どれだけ需要があるかだな」
ネタ帳に『ジャンル、日常コメディBL』と書きこんだ。
「お? 採用?」
「一応下案候補として。ってか、タイトルどうするかな」
「んー。こういうのは?」
深町がルーズリーフに走り書きして見せる。
「…………。それもなんか聞いたことあんな」
「毎朝の出欠確認で野田が寝入ってて返事しない時、野田の前の席の中原がいつも言ってる」
「ぶっふ。創作ってか、まんま絵日記じゃねぇかよ」
ま、いいか。と深町提案のタイトルをネタ帳に書き写し、簡単に深町の顔の正面、横顔、後ろ姿を描き込んでいく。
大口を開けて笑ったり、褒められて目を輝かせたり、からかわれて口を尖らせたり。見慣れているせいか、ペン先が流れるように進む。
「……へぇ。俺ってこんな表情してるんだ。自分で自分の顔見ることなんて顔洗う時くらいしかないから、なんか新鮮。こんなのさらっと描けるなんてすごいな」
「ま、伊達に毎日深町の顔拝んでませんから?」
ふふん、と笑って改めて深町の顔を見つめた。
「やっぱ眉毛の形が良いよな」
描いたり整えたりしてない自然な太さ。
じっと見つめていると、深町は「た……確かに最近学校以外でも毎日顔合わせてるもんな」と言いながら赤らめた顔を不自然に逸らしてルーズリーフにくるくると謎の模様を描き始める。
見られただけで照れてこっちを直視できないなんて、どんだけ初心なんだか。駄目だ。反応が面白過ぎて顔がにやけてくる。
「で? 主人公の深町(仮)は、相手に脅されてどうなったんだっけぇ?」
「いやあの、もう。あとは野田も知っての通りで……って、やっぱ駄目!! ごめん!! これナシで!! 普通に恥ずい!!」
深町は両手を振って取り消しを宣言するが、こんな面白い反応を引き出せるネタを放り投げられるはずがない。
「いいじゃん。このキャラの心情の深堀りができるのって深町が最適だし。聞かせろよ。何お前最初っから俺のこと好きだったの?」
「いやもうさ。野田のこのノンデリ加減よ……」
「重要なことなんだって。ちゃんと実体験教えてもらわないと物語にリアリティ出ないだろ」
「んー……」
お決まりの困ったを示す八の字に垂れた眉毛のまま「最初はさ、別にそういう恋愛的な目で見てたわけじゃないんだけど」と前置きした上で、渋々ぽつりぽつりと話し始める。
「毎日毎日よく寝てるけど、具合が悪いんじゃないか? って思ってて。同じクラスになってから起きてる姿を見る方がレアっていうか。で、周りも噂してたのと同じくらいの感想で。あの『儚げな美少年』って奴。睫毛長いし鼻筋通ってて、目を開ければ随分と整った顔立ちなんだろうけどな、って。でも、いくら綺麗な顔してても男だし、自分には何にも恩恵なんて無いのにって。それが、初接触からアレだっただろ? 想像してたイメージとのギャップで……」
「は? そこ?」
「いやあれで好きになったわけじゃないから! そりゃ度肝は抜かれたけども!」
だろうな。あんな展開で好意を抱くなんてとんだМ属性持ちだ。
「創作に打ち込む姿勢とか、読んだ感想もらった時の笑顔とか。学校では見たことないそういうの、いいなって。もっとそんな顔見たいって思って、気が付いたら……なんていうか……」
いつものクソでかボイスはどこへやら。耳まで真っ赤に染めて声は遠くから響く雑音の中に今にも消え入りそうだ。
「ああもう! 自分から言い出したとはいえどんな羞恥プレイだよ! もうやめ! おしまい! とりあえず一旦片付けて飯食お!」
深町は急に立ち上がって仕切り直しを図る。
いつも通りを振る舞おうとしているが視線は明後日の方向に向けられていて全然目が合わない。それどころか片付けようとしたペンケースを落っことし、ペンや消しゴムを足元にぶちまけた。
「うわ! 悪い。すぐ片付けるから、野田先に食ってて」
「おま、動揺し過ぎだろ。ほんと器用なんだか不器用なんだか」
笑いながら足元に転がってきた消しゴムを拾う。
「深町。はい」
「ん。ありがと」
手を差し出してくるものの、意地でも視線を合わせようとしない深町の横顔に視線を移す。
見たことない顔を、もっと見たくなる。か。
背景が光にぼやけ、視線は自然と深町の横顔の輪郭線をなぞっていた。男らしい濃い眉毛ときらきらと光を反射する黒い瞳。高い鼻梁に薄めの唇。
ああ、やっぱり。
他の奴に譲ってやるには惜しいな。
俺は吸い寄せられるように深町の頬に唇を寄せた。
音も無く、ふに、とした弾力と俺よりも高い体温。
ぴしりと固まった深町は、直後、頬を手で押さえたままルーズリーフや筆記用具を撒き散らしながら床に尻もちをついて声も出せずに口をパクパクと開閉する。
「あーあ。せっかく拾ったのにまたお前は」
「なっ……野田ぁっ!? 急にまたふざけてっ……!!」
「いいだろ。昨日の夕方お前もやったんだから、その仕返し」
ただでさえ取り乱した深町は、俺が自身の額をとん、と指差すと、目を泳がせてあからさまに動揺する。
「え、と。野田。もしかしてあの時、起きて、たり? とか……?」
「確信は無かったけど、やっぱりか」
「って、誘導尋問かよ……」
深町はバツが悪そうに赤らめた顔を拳で隠す。
ぷ。今更照れんのかよ。
「だからって、仕返しとか……」
「しょうがないだろ。お前の顔見てたらしたくなった」
床に座り込む深町が、さっきとは違う意味で固まる。
「あの、野田、それってどういう……」
「それにしてもずいぶん派手に散らかしたな」
屈んで散乱した筆記用具に手を伸ばしかけた俺の手を深町がそっと掴む。
顔をあげると、信じられない、という気持ちと期待を混在させた潤んだ瞳が俺を見つめ返した。
ほんとこいつ、なんてわかりやすい表情するんだろう。
思わず笑ってしまう。
深町の瞳に映る俺の顔は、鏡なんかではついぞ見たことが無いくらいに蕩けた笑顔。
ああ。深町の表情がわかりやすいとばかりは言っていられない。
俺も大概だな。
こんな顔してたら確定じゃねぇか。
俺はタイトルが書かれたルーズリーフの上で深町の指に指を絡め、そっと握り返した。
《了》

