先生、野田君の目が今日も死んでいます

 好きだと自覚した途端、今までどう深町に接していたのかわからなくなる。
 朝とかいつもどう挨拶とかしてたっけ? いや、考えすぎだろ。普通におはよう、だろ。

 そろりと教室を覗き込んで深町の姿が無いことを確認して安堵のため息を吐く。

 良かった。直接顔を見るには心の準備ができていない。
 愛梨姉は"好き"を楽しめなんて言ってたけど、そんな余裕なんて無い。とりあえず席に着いて、深町が来たらおはようってーー……「野田?」ぽん、と肩を叩かれ、俺は文字通り飛び上がった。

「びゃっっっ!!」
「わっ!?」

 振り返ると驚いた表情で胸の前に小さく両手をホールドアップした深町が立っていた。

「あ……悪い。そんな驚くとは思わな……っだぁっ!!」

 俺は反射的に深町の脛にローキックを入れ、足音荒く自席に向かう。

 ああもう! ジャンプスケアとかいらんし!

 鞄を机のフックに掛けていると最近よく声をかけてくるセミとボブがスマホを手に笑う。

「おはよ。何? 今日は『♯きゅうり猫』?」
「野田君意外と跳躍力あるんだ。動画撮り損ねたからもっぺんやって」
「やんねーわ。……深町。二度とやんなよ?」と深町を睨みつける。
「はい。すみません。二度とやりません」

 脹脛をさすりながら神妙な面持ちで深町も俺の後に続いて席に着いた。

「それより野田、何やってたんだ? なんか熱心に教室の中覗き込んでたけど」

 不意に顔を覗き込まれ、心臓が跳ねた。

「それは、お前がーー……」

 ドッキリの余韻と至近距離のダブルパンチ。

 言えるかよ。好きだと自覚した途端、深町とどんな風に顔を合わせたらいいかわからなくて足踏みしてただなんて。

「あー……深町が……深町、をぉーー……」

 目線を泳がせて言葉を探すが、適当な言葉が浮かばない。

「俺が?」

 はたと正面から深町と目が合う。瞬間、俺は反射的に席を立つ。

「…………っ!! っ深町、のっ……寝首を搔くためだ!!」
「ぅえ!? いや、なんで俺命狙われてんの!?」
「知らん!! 驚かせた罰として昼休みいつもんとこな!!」
「え? あ、ああ。わかった。って、どこ行くんだ? もうすぐ本鈴鳴るぞ」
「雉撃ち!」

 そのままの勢いで教室を飛び出す。
 取り残された深町がセミと「……雉?」と首を傾げ、ボブがスマホの検索画面を見ながら「トイレ、だって」と呟いた。





 勢いよく噴き出す蛇口の水を両手に受け、顔を洗って鏡を見る。

 ヤバい。思った以上に楽しむ余裕なんて無い。絶対変だと思われたし。
 このままだと深町に俺の気持ちバレるの時間の問題だ。バレたら絶対終わる。あれだけ散々コレジャナイとか抜かしておきながら。終わ……あれ?

「……終わったら、どうなるんだ?」

 ぽつりと呟いた途端、後ろに並んでいた男子生徒が「とりあえず終わったんならどいてもらえない?」と鏡越しに下唇を突き出してこちらを睨む。

「あ、ゴメンナサイ?」

 そそ、と洗面を譲り、ポケットを漁るが、ハンカチは忘れてきたようだ。

 まぁいいか。ちょうど頭冷やしたかったし。
 えーと。深町に俺の気持ちがバレたら、どうなるのかって話だったよな。
 別にいいんじゃね? 深町俺のこと好きだし。俺も深町のことが好きならそこは単なるハピエンだろ。


 …………。


 そう冷静に考えたら、さっきまでの焦りもドキドキも、すっ、と収束してしまった。

 さっきの心拍上昇は突発的外部刺激に対するファイト・オア・フライト。アドレナリンやコルチゾールの過剰分泌。吊橋実験とかも一か月くらいで効果切れるらしいしな。
 深町のドッキリ効果、持続時間わずか5分。
 現実なんてこんなもんだろ。

 ふん、と鼻を鳴らして本鈴を聞きながら教室に戻る。
 俺の顔を見た深町は「あれ? なんか顔濡れてね?」と言って不意に手を伸ばして俺の前髪を指先で梳く。

「っふぇっっ!?」

 急な至近距離とか反則だろっ!!

 文字通り再び小刻みに跳ねた俺に気付かず、深町は「ちょっと待ってな。タオルタオル……」とサブバックを漁り始めたが「だだだ、大丈夫だ! 問題無い!」と深町の背後に回り込んで制服の背中に顔を押し付けた。

「野田!? 何す……!?」

 深町の背中から顔をあげる。よし、乾いた。ついでにいうと赤面した顔も隠し通した。

「席につけー。ん? お前ら何やってんの?」

 教室に入ってきた担任が出席簿を肩にトントンと打ち付けながら、訝し気に問う。

「顔拓」

 一応儀礼的に応えてから自席に着座する。

「おい野田ー。珍しく起きてると思えば、あんまり深町のこと虐めるなよー」

 担任の言葉に慌てて「あ。大丈夫でーす。いじめとかじゃないでーす」と訂正する深町。
「深町君の背中に野田君のデスマスクついててウケる」というボブの声とシャッター音、セミの「見せて見せてー」が続く。

「こら峰岸ー。写真撮ってないでスマホの電源切れー」
「はーい」

 問題無い。通常運転だ。
 自分に言い聞かせながら俺は火照った頬を両手で冷ました。