先生、野田君の目が今日も死んでいます

 玄関ドアを開くと、ちょうど今から仕事に出かけようとしていた母さんと鉢合わせた。
 耳に装着していたイヤホンを片方だけ外す。

「ただいま」
「おかえりなさい。お母さん今から出勤だから。お夕飯冷蔵庫に入ってるから温めて食べてね」
「わかった。いってらっしゃい」

 母さんをするりと躱して自室に向かおうとした瞬間、インターホンが響く。

「あら回覧かしら」

 母さんが玄関ドアを開ける音を背に聞きながら、俺には無関係とばかりに階段の手すりに手をかけたところで名前を呼ばれる。

「あら。こんにちは。龍之介のお友達? 龍之介。ちょっとこっちいらっしゃい」
「友達ぃ?」

 足止めを食って渋々振り返った俺は、玄関ドアの向こうに立つすらりと背の高い男に目を留める。確かに同じ制服だが、こんな『オトモダチ』知らない。

「僕、野田君と同じクラスの深町と申します」

 いかにもスポーツマンといった体格の深町は、爽やかな笑顔を浮かべて母親に会釈する。

 同じクラスかよ。道理でなんとなく見覚えあるような気だけはしたわ。

「あらぁ。いつも龍之介がお世話になって」

 普段訪ねてくる友人など皆無の俺に、まったく真逆なタイプの友人がいたと勘違いした母さんは上機嫌でよそ行きの声を弾ませる。

「龍之介。深町君に冷たいお茶お出ししてあげて」
「えええ……」
「せっかく遊びに来てくれたのに、私今から出勤で。おもてなしできなくてごめんなさいね」
「あ、お構いなく。お気をつけて」
「ありがとう。ゆっくりしていってね」
「……えええ」

 にこやかに会釈を交わす二人には、俺の抗議の声など届かないらしい。
 パンプスの靴音を響かせて母さんが出ていき、ドアが閉まった玄関には話した記憶も無い『オトモダチ』が取り残される。

「ごめん、急に。これ、渡しに来ただけだから」

 深町と名乗った男が差し出したのは一通の封筒。受け取って中のプリントを引っ張り出して開くと、『1学期末試験 成績不振者再試験日程』という見出し。

「……んげ」
「江木先生が野田に渡そうと後追いかけてたところにたまたま行き合わせてさ」
「え。学校から走って追っかけてきたの? 俺チャリ通だけど」

 額にうっすらと汗をかいた深町は爽やかに笑って頷く。

「後ろから何回か声もかけたんだけど、聞こえなかったみたいで」
「……あ」

 俺は手の中に転がるイヤホンに視線を落とす。

「じゃ、俺帰るな」と、片手をあげて玄関ドアに手をかけた深町を慌てて呼び止める。

「ごめん。冷たい茶出すから、あがって」
「ああ、気にしないでいいよ」
「でも、俺のせいでわざわざ走らせたんだし」
「あー……うん。じゃ、一杯だけごちそうになろうかな」

 深町は顎にまで垂れた汗を手の甲で拭って笑顔を見せた。
 階段を上がって廊下の奥にある自室のエアコンのスイッチを入れる。むわりと湿った暑い室内に、冷涼な空気がさらさらと流れ始める。

「あー、涼しー」

 エアコンの吹き出し口の真下に立った深町は嬉しそうに目を細めて指先で摘まんだ制服の襟元を揺らした。

「お茶すぐ持ってくるから、適当に座って涼んでて」

 学習デスクの椅子の背もたれに通学用のデイパックを引っ掛け、机の上にさっき渡された再試日程の封筒を放って一階から黒豆麦茶が入ったグラスをトレーに載せて早足で自室へ折り返す。

 さっさと飲ませてとっととお帰りいただこう。

 部屋に戻ると深町とやらは床に大人しく正座をして待機していた。育ちが良いのか他人の部屋を勝手に漁ったりするタイプではないらしい。

「そんなかしこまらなくても、椅子とか勝手に座っててよかったのに」

 フローリングダイレクト正座は拷問だろ。

 学習デスク付属のキャスター付きの椅子を引っ張り出して、座るように勧める。

「ああ。ありがとな」

 椅子に座った深町は、美味そうに喉を鳴らしてあっという間にグラスのお茶を飲みほした。

「美味いなこれ。麦茶? ともちょっと違うような……」
「ああ、黒豆麦茶。今母さんがハマってるらしくてさ」
「へぇ、初めて飲んだ」
「ふーん……」
「………………」
「………………」

 にこにこにこにこにこにこ。

 謎の沈黙。深町の謎の爽やかな笑顔。

 交友関係が広くない俺はこういう時の対処の仕方がわからない。これ何の時間だ?

「……あー、えーとぉ。お代わり、とか、いるか?」
「あ! ごめん! ねだったつもりではないんだ。いや、普段野田とあんまりしゃべる機会ってあんまり無いから、生活感っていうか、そもそも物とか食べてるイメージがあんまり湧かなくて、意外だなーと思って」
「は? 物食べたり飲んだりするのが意外?」
「自覚無いのか? 結構クラスの女子とか騒いでんの。儚げでミステリアス美少年って」
「……そんなの初めて聞いた」

 そも、クラスの女子と喋る事なんて皆無だ。

「野田って教室でも大体寝てるし、放課後とかも気が付けばいないし。あ、部活とかは?」
「やってない」
「ふーん。そっかー」
「………………」

 はい。会話終了。

 手持ち無沙汰にさっき深町から手渡された封筒を手に取り、ラックに収納してあるストレージボックスを引っ張り出して中に放り込む。

 よし。証拠隠滅完了。

「あのさ、悪いんだけど、今からちょっと忙しいから……」
「あ! ああ! そうだよな! お茶美味かった。ご馳走様。じゃ、俺そろそろ帰るな」
「うん」

 良かった。直接的に帰れって言いにくいの察してくれて。

 通学鞄を拾う深町を横目にほっと胸を撫でおろしてストレージボックスを奥に押し込んだ瞬間、ラックが揺れて落ちて来た物が頭に当たる。

「でっ!!」

 何かが弾んで床を転がってゆく音。

 あー。またなんか適当に突っ込んどいたものが雪崩れたか? と思った瞬間、背後でガタガタン! と物が倒れる音が響いた。

「おい、どうし――……」

 振り返ると、椅子から転げ落ちた深町が驚愕の表情を浮かべて床に座り込んでいた。その顔からはみるみる内に血の気が引いていく。
 次の瞬間素早く立ち上がった深町に痛いくらいの力で両肩を掴まれる。

「のっ……野田っ!! 大丈夫かっ……!?」
「いった……! ちょっ……なんなんだよいきなり!!」

 痛みに顔を歪める俺に構わず、血相を変えた深町にベッドに押し倒された。

「だっ……!!」

 ベッドのスプリングで弾んだ拍子に後頭部を壁にぶつけ、反射的に痛む後頭部に両手を回した所でズボンのベルトを一気に引き抜かれる。

「……っ!?」
「心配すんな!! こういうのってもげたらすぐ病院に運び込めばくっつけてもらえるって聞いたことあるから!!」
「はぁっ!? 何の話だよ!? ちょっ!! やめろって!! 心、っていうかガチで体の準備ができてなっ……!!」

 必死の抵抗もむなしく歴然とした力の差で下着ごと一気にズボンを引き下ろされる。
 深町は俺の俺自身が無事であることを確認すると、体中の空気が抜けるかと思うくらい長い長い安堵のため息を吐いた。

「……なんだ。ついてんじゃん。俺てっきり事故かなにかでもげちゃったのかと……」
「もげ……何の話だよ?」
「……アレ。なんか急に転がってきたし、痛いって言ったから。俺てっきり、野田のだと思って……」

 深町が肩越しに指差した先にはシリコン製の男性のアレを模した物が転がっていた。いわゆる大人の玩具。

「…………。……はぁあっ!?」

 呆気に取られて身動きが取れなくなっていた俺は、状況を理解すると同時に怒りが湧いてくる。

 安堵のため息、だとぉ!? 人のこと押し倒した挙句ひん剥いておいて、なんだとはなんだこの野郎!!

 ふつふつと湧いてくる怒りに一発ぶん殴らなければ気が済まないと思った俺は、ふと先程の圧倒的な力の差を思い出して躊躇する。制服越しにもわかる深町の広い肩幅と日焼けて境目がはっきりわかりやすく盛り上がった腕の筋肉。
 力でやりあったところで叶わない相手にすることといえば……。
 俺はがば、と両手で顔を覆った。全身を小刻みに震わせ、精一杯の泣き真似をする。

「……ひどい! ……恥ずかしすぎる! もう婿に行けない……!」
「えっ!? わあっ!! ごっ……ごめんっ!!」

 なぜか手近にあったタオルケットを頭から被せられる。

「ゎぶ!」
「ほんとごめん!! あんなことされて、いくら同性でも嫌だったよな……。俺、なんてこと……!!」

 タオルケットの隙間からちらりと様子を伺うと、おろおろと慌てふためき、ベッドの前で平身低頭謝罪する深町の姿が見えた。

 やっぱりな。こういうタイプは殴られるより、こっちの方がダメージでかいだろ。

「ご……ごめんな、野田。俺にできることだったら、何でもするから」

 筋肉質な体躯をできうる限り萎縮させて謝罪する深町に、タオルケットの隙間からそっと尋ねる。

「……なんでも……?」
「ああ。なんでも。野田が気が済むことであれば」

 さて、どう利用するかな。

 ふと深町の肩の向こうに転がる先ほどの玩具を視界に捉えた俺は、奴の最大限の利用方法を思いつく。
 半分脱げかけていたズボンと下着を脱ぎ、タオルケットにくるまったままベッドから降りて土下座する深町の隣にしゃがみ込む。

「だったらさ。俺とセッ○スしてよ」
「………………は?」
「だからさ、深町の"それ"挿れて、サクっとイかせてくれないかな」

 そう。冒頭の展開。
 俺はタオルケットから手を出して、深町の下半身を指差した。

「……なっ……、なっ……!!」 

 なぜーーーーっ……!?
 深町のよく日焼けた顔に声にならない声がありありと表現される。

 わかりやすい奴。でも、それくらい単純な奴の方が利用しやすいな。

 驚愕の表情を浮かべる深町の耳元に唇を寄せて、俺はわざとらしくゆっくりと囁く。

「取ってくれるんだろ? 『せ・き・に・ん』」

 見る間に顔を朱に染め上げ、汗をかき始める深町は両目を固く閉じてぶんぶんと首を横に振る。

「でっ……でもっ、そういうのって本当に好き合ってる者同士がすることっていうか、遊びですることじゃないっていうかっ……!」
「俺だって遊びですることじゃないくらいわかってるよ? でも、あんな辱めを受けさせておいて、他の人にしてもらえだなんて……無責任じゃないか?」

 深町にこっちを見る余裕があるかどうかは知らんが、とりあえずしおらしく、少しでも被害者めいて見えるよう、俯き加減に視線を落とす。

「親にも見せたこと無い痴態を晒して……これから先、嫁を取るのも婿に行くのも絶望的なのに……」

 タオルケットに顔を埋め、深町から見えないように指先を舐めて付けた唾液を目尻に塗って涙の演出を図る。

「……わ、わかった」

 諦めたように頷き、神妙な面持ちで顔を上げた深町は、真面目腐った顔で宣言した。

「ちゃんとできるかわからないけど、野田が気が済むように努力する」

 よし。言質は取った。

「じゃ、俺準備してくるから。深町もその間にこれ見て準備しといて」

 深町の左耳に無理矢理イヤホンをねじ込み、タブレットの動画を流して深町の手に握らせる。面食らった様子の深町は肌色多めのタブレット端末画面と女の子の喘ぎ声が流れてくるイヤホンがねじ込まれた左側と俺の三方をきょときょとと見まわす。

「え? え……えぇ? ええええっ……!?」
「10分で戻るから、勝手に出すなよ」

 念押ししてマントのようにタオルケットを巻いたまま風呂場へと走る。
 予告通り10分で準備を終えた俺がドアを開くと、すっかり茹で上がった深町がご丁寧に画面を消したタブレット端末と外したイヤホンを傍らに並べ、フローリングに正座をしたまま待っていた。

「……野田、あの……」
「おい真面目にやれよ。こっちはちゃんと準備してきたってのに。ほら、さっさとこれ着けろ」

 放り投げたゴムを受け取った深町は、手の中のゴムを認識して再び赤面した。

「……あのさ、本当に、すんの?」

 凛々しい深町の太目の眉尻が困ったと言いたげに下がる。

 汚れ防止のためにベッドにバスタオルを広げ、肩にかけていたタオルケットを床に落として制服のカッターシャツを脱ぐ。俺も自分用のゴムを口に咥えて封を切った。

「冗談でここまですると思うか? お前もさっさと覚悟決めろよ」

 深町は長い長いため息を吐いた後で自身の頬を両手でぱちん、と叩いてから立ち上がり、ベッドに歩み寄ってくる。
 俺はゴムを着け終えて使い捨てのローションを股間に垂らした。

 ……冷た。

 深町がベッドの縁に膝を乗せると、2人分の体重を受けたベッドが軋んだ。目が合うと、戸惑ったように一瞬視線を逸らされ、それから再び真っ直ぐ瞳の奥を覗き込むように見つめてくる。睫毛の一本一本まで数えられるほどの距離に深町の日に焼けた精悍な顔。瞳孔と虹彩の境目がわかりにくいほどの澄んだ黒曜石のような瞳がすっと細くなり、近づいてくる。

 ……あ、キス。

 そう思った瞬間、俺は深町の口元を片手で押さえてその顎ごとぐい、と力任せに上に押し上げた。

「別にキスとかそういうのしなくていいから、言われたことだけやれよ」
「むえ? ……わ、わかった……」

 俺の手を払い除けもせず、深町は顎を押し上げられたまま小刻みに頷いた。
 一旦体を引いた深町は、ふぅ、と小さくため息を吐いて自身のズボンのベルトに手をかけた。静かな部屋にカチャカチャと金属音が響く。

「……そんなガン見すんなよ」

 深町が身体をよじって隠そうとする。

「ん? ああ。わりぃ」

 修学旅行やプールの着替えは皆前を隠すしトイレも最近は個室派が増えているから、意外と他人のなんて拝む機会が無い。
 つい凝視していた俺は、指摘されて慌てて顔を横に向ける、ふりをして横眼でちらりと確認する。俺が部屋に戻った時にタブレット端末の動画は停止してあったが、内容はちゃんと視聴したのだろう。寛げられたズボンの隙間から覗く下着の中身はしっかりと反応している。
 深町は先ほどのゴムのパッケージを両手でもたもたと開け、取り出してからも数回表裏を返し、小さく、これでいいのか……? と自問しながら装着する。

 おいおい。そんなんで大丈夫か。

 深町はポジション間違いを疑いたくなるほど不安気な声をあげた。

「……あ。そういえば、男相手ってどうすれば……」

 今更かよ。

「こっち。ちゃんと洗ってきたから」

 深町の手首を掴んで誘導する。俺の肌に触れた瞬間深町の手がびくりと震えたが、掴んでいた手を離しても逃げ出す様子は無い。

「……痛かったらすぐやめるから、言って」

 深町の低い囁きに頷いて返す。
 後ろ手をついたまま座っている俺の膝を割るように膝を進め、息がかかる距離でゴム越しの体温を感じる。

 体温高いな、こいつ。そう思った瞬間、つるんと滑った感触。

「…………ん?」
「あ、あれ? ごめん」

 もう一度押し当てられる。ぐ、と一瞬押される感覚はあるが、再びつるりと滑ってしまう。

「あー……。ちょっと待て。ローションつけ過ぎたのかも」

 下に敷いたバスタオルで軽く拭ってみたが、そんな小細工を嘲笑うかのように深町自身は再びつるりと滑っていった。その後も数回押し当てては滑るを繰り返す。

「……あ、あのさ、野田……」

 焦りなのか限界が近いのか、深町は今にも泣き出しそうに瞳を潤ませる。

「んー。やっぱ括約筋が強すぎんのかな? 突っ込む方のサイズの問題かと思ってたけど、そもそも俺の方の器質的な問題かも。逆止弁とかついたニュータイプかもしれないし。あ、深町。それもういいわ」
「も……もういいって?」
「やっぱ無理っぽいから、自分で適当に処理して。はい」

 自分用に数枚取ってから箱ティッシュを深町に投げる。

「……トイレっ……借りていい?」
「ああ。部屋出て左な。あ、ゴム便器に流すなよ。配管詰まったら普通に修理費請求すんぞ」
「…………。……わかった」

 若干前屈みに部屋を出て行く深町を見送り、ローションで濡れた手をティッシュで拭ってゴミ箱に投げ入れる。

「あーあ。やっぱファンタジーかぁ……」

 床に転がっていた玩具を拾って撫でながら、ため息と共に呟いた。