「えーと。勉強するって言ってたよな? なんだこれ」
帰りに立ち寄った深町の家で約束通り20分にタイマー設定したスマホを机の隅に置いた深町は一冊の本を広げる。
「高校一年数学の教科書」
「なんでだよ。鯖読むなって。二年生だろ俺ら」
「大事なことだからな。野田、これ読める?」
示されたのは教科書巻末の分注などが載っているページ。おそらく日本語の読み方が書いてある部分がすでにコピー用紙を貼り付けて覆い隠されている。
「αだろ。それくらいは読める。『αに始まりΩに終わる』だ。新約聖書、ヨハネの黙示録」
「…………。ごめん。うち仏教徒だから、聖書については履修してないけど」
「うちは神道だ。あとオメガバ設定の基本だからな」
「野田はどっちかというとそっちに反応するかと思ってた。ほんと野田の知識範囲って未知数だな」
オメガバとは、BL同人で人気のバースジャンルにおける、体質特性が異なる人種がギリシャ文字で分類される世界設定。
「α、β、Ωだろ? あと最近ちょくちょく見かけるようになったのがΣ物かな」
「ふんふん。じゃ、これは読める?」
指差されたのはα、βに続く次の文字。
「…………。なんだこれ? 小文字のr? いや、v……?」
フリーズする俺に、深町が頷く。
「わかった。じゃ、他に読めそうなのはある?」
「んー……。シータ? あと、パイ。あ、エックスも読める」
以上。
見栄を張って黙っていたが、シグマも大文字の方は読めたが小文字の方は、こんなだったっけ?状態だ。
深町は確信を持った表情で頷いた。
「野田が宇宙語って言ってた意味がわかった。そもそも問題自体が読めてなかったんだ」
「いや、そんなはずは……」
言いかけて教科書に視線を戻すが、英語に似たギリシャ文字の大文字はなんとなく読めそうな気もするが、小文字になると先ほど挙げた数個以外は読み方の検討もつかない。
あのカテキョに扮した宇宙人、ギリシャ語しゃべってたのか? 日本語話せよ。そりゃ意思の疎通できないはずだわ。
「全部覚える必要は無いんだ。数学と化学に頻出するいくつかだけピックアップすればいい。じゃ、次は化学だな」
「あー。お察しの通り元素記号全部覚えてねーよ」
「話が早いな。じゃ、次は英語。野田。SVOって聞いて何を思い浮かべる?」
「……エステの脱毛コース」
バナー広告とかでよく出てくる奴。あれ? Iとかも入ってなかったっけ?
「なるほど。ちょっと待ってて」
なぜか部屋を出て行った深町は、数冊の薄い本を手に戻ってくる。同人誌じゃない奴。
「おい。これ中学英語の参考書じゃねーか」
「そう。SVOの文法基礎がわかりやすく説明されてるおすすめ本」
「えええ」
そこまででスマホのアラームが鳴動する。
「あ、終わり終わりー」
意地でも勉強から意識を逸らすように舵を切りたくて、あえて大き目の声を出す。深町は別段気にした様子も無く、あっさりとスマホのアラームを止めて本を寄越した。
「お疲れ様。はい、約束してた新刊」
「おお! これこれ!」
受け取ると新しいインクの香りが鼻をくすぐる。パステルカラーを基調にした表紙には主要キャラと思しき2人が仲睦まじくシャボン玉を膨らませるイラストが描かれていた。
さすが神絵師。浮遊感のある構図に柔らかい色味で甘い雰囲気を出しつつも、ストーリーに関係する小道具が背景に描き込まれていて圧迫感は無いのに無駄な余白も無い絶妙なバランス。
数日間漫画を描くのも読むのもお預け状態だった俺は水を得た魚のようにぱくちー先生の世界観に没頭し、あっという間に読了して満足のため息を吐いた。
「はあぁぁ……。最高過ぎ……! さすがぱくちー先生。攻めのスパダリっぷりよ。あれは落ちるよ、受けでなくても……」
「え? そっち?」
「は? そっちってどっちだよ」
「人間不信だった受けが、少しずつ変化してくところが見どころだろ?」
「はぁ? 受けはつんけんして感じ悪くね?」
「いやいや。そこは信用できる相手かどうか探る試し行動というか。虚勢を張る受けが、だんだん『やんのかステップ踏んでる猫』みたいに見えてきて、ちょっと微笑ましいっていうか」
「……そんな解釈で読んでたのか」
同じ本を読んでも読み手で印象がずいぶん変わるな。
普段からスパダリ攻めに純粋受けCPの組み合わせを愛読する俺からすると今回の本は面白かったものの範疇外の印象も否めなかったが、認識を改める。
鞄からネタ帳を引っ張り出し『試し行動』『やんのかステップ』と書き留めた。
「そういや野球部にいた時には部内で同性CPとかいなかったのか?」
「俺の知る限りはいなかったな」
「ふぅん。せっかくあんな環境が整ってるのに勿体ないな」
「健全な部活を不純な目で見るのやめないか?」
深町は苦笑いを浮かべるが、ここは譲れないところだ。
「創作にはおいしい状況なんだって。目標に向かって協力し、時にぶつかり合いながら肩を並べて競い合う。そのうちに芽生える感情。友情から恋心へ。BLだと誰も意識していない意外性が良い」
「あー。確かに。映画とか小説とか、予想を裏切られると、話に引き込まれるよな。でも現実は異性愛者より数が少ないだろうし」
「根強いホモフォビアも少なくないから隠してるCPもいると思うんだけどな」
「秘密の共有って関係性を深くするよな。でも現実にCPを探し当てるのは至難の業だな。そこは普通に男女の組み合わせでいいんじゃないのか?」
「はぁぁあっ!?」
そこは一BL描きとしてさすがに聞き捨てならない。
すうぅぅぅぅぅう、はぁぁぁぁぁぁぁ。
心を鎮めるため、一旦肺の底まで空気を吐き出し、精神統一をしてから床を指差す。
「……深町。ちょっとそこ座れ」
「え? あ、はい……」
素直に正座し、居住まいを正す深町。
「お前はなぁ! BLの何たるかを全っ然理解していないっ!! 俺はお前をそんな子に育てた覚えはない!!」
「はっ、はいぃっ!?」
「いいか? BLはTLには無い世界観が魅力なんだ! ( ※ 説明がとっても長くなるので以下読み飛ばしていただいて問題ありません ※ )異性間だと明らかに最初から役割を決めつけられがちだ。だが選手でなくあえてマネージャーという役割を選び取る受けの意思の強さと知略家たる能力の高さを描き切れるかが焦点になってくる。これは主人公にだけ都合の良い相手を道具のようにあてがうだけの薄っぺらい恋愛ものよりも深みが出て話の重厚さ面白みが増す! さらに言うと合宿や着替えなんかのイベント時に男女間には出せない特有の距離感の演出! 同性だからこそ分かり合える共感性! 異性ではない相手を好きになってしまう背徳感と、抑えきれない感情と葛藤! 両想いになってからのお付き合いに至った時の公にできない関係の共有とバレた場合を考えた時のスリリング加減! 何より同性同士でも抱かれても良いとさえ思える攻めの魅力とその全てを受け止める受けの包容力が存分に発揮される!! それこそがBLの醍醐味!!」
「わわわ! わかったっ!! 俺がっ!! 悪かったって!!」
「ふぅ。わかればいいんだわかれば」
柄にもなく熱弁してしまったが、ここは譲れないところだ。
「それにしても、野田はいつからこのジャンルにハマったんだ?」
話を逸らすためか、深町はあえて違う話を振る。
「そうだな。俺がまだ保育園の頃」
「は!? ちょっと早すぎるんじゃないか!?」
「昔よく預けられていた愛梨姉の家で、絵本が無いかと本棚を漁っていたら、ある日突然頭上から降ってきてな」
吹き出しの平仮名を音読する俺に気付いた時の愛梨姉の絶叫は今でも忘れられない。
「天啓のように……って言ったらいいのかな。保育園や教育テレビでは見ないような絵の綺麗さと人間ドラマに雷に撃たれたような感覚でさ。愛梨姉の同人活動を母さんに黙っていることを条件に遊びに行く度にBL本を読み漁ってるうちに、だんだん自分もこの世界観を表現したいと思って描く側になったんだ」
「なるほど。なんか納得っちゃ納得だ。でも、このジャンルだと年の近い子と話は合わせにくかったんじゃないか?」
意図せず芯を食った質問に、喉の奥がぐぅ、と鳴った。
脳裏にお絵描きノートをひったくられ、描いた絵をからかわれた小学生の頃の苦い記憶がよみがえる。
「確かに同じクラスに同人誌読んでる子はいなかったな。みんな商業誌ばっかりだし、何よりガキくさい子供向けの話ばかりで飽き飽きしてた。……あ! 別に友達がいなかったとか、そういうんじゃないからなっ! 俺がっ、周りの奴らと同じ物に興味が湧かなかったってだけだからっ!!」
「そうだろうな。野田の言動や思考だと、子供向けは物足りなく感じてたんだろうなって思ってた」
ぼっちいじりを覚悟して予防線を張っていたのにまさかの全肯定されるとは。
「前に読ませてもらった野田が描いた一次創作の話で主人公を虐めた加害者の心理や背景まで細かく描写してただろ? 最近はヴィランにスポットを当てた話も増えてきたし、単純な勧善懲悪より一歩踏み込んだ心理描写に関心を寄せる人には野田の本は刺さると思う。TLよりも複雑化してるBLって、読めば読むほど沼るよな」
なんだ。ちゃんとわかってんじゃん。
そういえば創作の方は俺の方が経験値積んでるけど、実経験は深町の方があるんだよな。
「なぁ。好きな奴に好きって伝えたのに、良い返事をもらえなかった時ってどんな気持ち?」
ネタ帳を手にくるくるとペンを弄びながら聞くと、深町は照れたような拗ねたような、複雑な表情を浮かべた。
「……それ、俺に聞く?」
「創作の参考に。俺その辺の機微がわからないから、当事者に聞くのが一番手っ取り早いかと思って」
「なるほど」
咳払いをした深町はちらりとこちらに視線を寄越し、参考になるかはわからないけど、と前置きする。
「俺の場合、自分が野田の恋愛対象に入らないのが最初からわかってたから、それほど痛手には感じなかったかな。むしろ、告白した後ギクシャクしたり気持ち悪がられたりせずに今まで通り接してもらえて、ホッとしてる」
吹っ切れたような深町の笑顔に、逆に胸の中にモヤモヤとした感情が沸き起こる。
「……不毛だなーとか思うことって無いのか? 別に深町って男しか駄目ってわけじゃないじゃん。元々彼女だっていたわけだし」
「前まではな。告白されて、女の子と付き合って『あー。このままの流れで同棲とか結婚とかになるんだろうなー』って考えてた。疑うことすら無かったって言ったらいいのかな。でも野田の描く漫画とか読んでたら『あ! 違う選択肢もあるのか!』って気付いて。そしたら自分の感情の変化とか、身体の変化とか、そういうのを全部ストン、って受け入れられた気がして、すごく楽になった」
だから、と言って深町は俺を見つめて笑う。
「不毛だとは思わない。恋人にはなれなくても、野田のこと好きな今の自分が、好きなんだ」
迷いの無い笑顔。
「……眩しっ! お前そんな無駄にキラキラした笑顔振り撒くなよ!」
びし、とツッコミを入れるが、それすらも深町は楽し気に受け止める。
「あはは。自己肯定感の塊だから、俺」
人を好きになることで、自分を好きになるとかあんの?
俺はBL漫画描いてるけど、それはあくまで物語として好きなジャンルってだけで、恋愛対象は女の子だと思ってきた。でも現実の女の子を前にして、はっきりとこの子が好きって言いきれる子は思い浮かばない。女の子って、声が高くて可愛くて。でもどこか抽象的で、印象がすりガラスの影となってぼやけている。
深町は、そのビジョンがはっきり見えてるってことか。
なんか……ずるくね?
一手先に進まれたようなじわりとした焦燥感を抱いて横顔を見つめる。深町はそんな俺に気付くこと無く、そういえば次のイベントスケジュールさぁ、とスマホに視線を落とした。
帰りに立ち寄った深町の家で約束通り20分にタイマー設定したスマホを机の隅に置いた深町は一冊の本を広げる。
「高校一年数学の教科書」
「なんでだよ。鯖読むなって。二年生だろ俺ら」
「大事なことだからな。野田、これ読める?」
示されたのは教科書巻末の分注などが載っているページ。おそらく日本語の読み方が書いてある部分がすでにコピー用紙を貼り付けて覆い隠されている。
「αだろ。それくらいは読める。『αに始まりΩに終わる』だ。新約聖書、ヨハネの黙示録」
「…………。ごめん。うち仏教徒だから、聖書については履修してないけど」
「うちは神道だ。あとオメガバ設定の基本だからな」
「野田はどっちかというとそっちに反応するかと思ってた。ほんと野田の知識範囲って未知数だな」
オメガバとは、BL同人で人気のバースジャンルにおける、体質特性が異なる人種がギリシャ文字で分類される世界設定。
「α、β、Ωだろ? あと最近ちょくちょく見かけるようになったのがΣ物かな」
「ふんふん。じゃ、これは読める?」
指差されたのはα、βに続く次の文字。
「…………。なんだこれ? 小文字のr? いや、v……?」
フリーズする俺に、深町が頷く。
「わかった。じゃ、他に読めそうなのはある?」
「んー……。シータ? あと、パイ。あ、エックスも読める」
以上。
見栄を張って黙っていたが、シグマも大文字の方は読めたが小文字の方は、こんなだったっけ?状態だ。
深町は確信を持った表情で頷いた。
「野田が宇宙語って言ってた意味がわかった。そもそも問題自体が読めてなかったんだ」
「いや、そんなはずは……」
言いかけて教科書に視線を戻すが、英語に似たギリシャ文字の大文字はなんとなく読めそうな気もするが、小文字になると先ほど挙げた数個以外は読み方の検討もつかない。
あのカテキョに扮した宇宙人、ギリシャ語しゃべってたのか? 日本語話せよ。そりゃ意思の疎通できないはずだわ。
「全部覚える必要は無いんだ。数学と化学に頻出するいくつかだけピックアップすればいい。じゃ、次は化学だな」
「あー。お察しの通り元素記号全部覚えてねーよ」
「話が早いな。じゃ、次は英語。野田。SVOって聞いて何を思い浮かべる?」
「……エステの脱毛コース」
バナー広告とかでよく出てくる奴。あれ? Iとかも入ってなかったっけ?
「なるほど。ちょっと待ってて」
なぜか部屋を出て行った深町は、数冊の薄い本を手に戻ってくる。同人誌じゃない奴。
「おい。これ中学英語の参考書じゃねーか」
「そう。SVOの文法基礎がわかりやすく説明されてるおすすめ本」
「えええ」
そこまででスマホのアラームが鳴動する。
「あ、終わり終わりー」
意地でも勉強から意識を逸らすように舵を切りたくて、あえて大き目の声を出す。深町は別段気にした様子も無く、あっさりとスマホのアラームを止めて本を寄越した。
「お疲れ様。はい、約束してた新刊」
「おお! これこれ!」
受け取ると新しいインクの香りが鼻をくすぐる。パステルカラーを基調にした表紙には主要キャラと思しき2人が仲睦まじくシャボン玉を膨らませるイラストが描かれていた。
さすが神絵師。浮遊感のある構図に柔らかい色味で甘い雰囲気を出しつつも、ストーリーに関係する小道具が背景に描き込まれていて圧迫感は無いのに無駄な余白も無い絶妙なバランス。
数日間漫画を描くのも読むのもお預け状態だった俺は水を得た魚のようにぱくちー先生の世界観に没頭し、あっという間に読了して満足のため息を吐いた。
「はあぁぁ……。最高過ぎ……! さすがぱくちー先生。攻めのスパダリっぷりよ。あれは落ちるよ、受けでなくても……」
「え? そっち?」
「は? そっちってどっちだよ」
「人間不信だった受けが、少しずつ変化してくところが見どころだろ?」
「はぁ? 受けはつんけんして感じ悪くね?」
「いやいや。そこは信用できる相手かどうか探る試し行動というか。虚勢を張る受けが、だんだん『やんのかステップ踏んでる猫』みたいに見えてきて、ちょっと微笑ましいっていうか」
「……そんな解釈で読んでたのか」
同じ本を読んでも読み手で印象がずいぶん変わるな。
普段からスパダリ攻めに純粋受けCPの組み合わせを愛読する俺からすると今回の本は面白かったものの範疇外の印象も否めなかったが、認識を改める。
鞄からネタ帳を引っ張り出し『試し行動』『やんのかステップ』と書き留めた。
「そういや野球部にいた時には部内で同性CPとかいなかったのか?」
「俺の知る限りはいなかったな」
「ふぅん。せっかくあんな環境が整ってるのに勿体ないな」
「健全な部活を不純な目で見るのやめないか?」
深町は苦笑いを浮かべるが、ここは譲れないところだ。
「創作にはおいしい状況なんだって。目標に向かって協力し、時にぶつかり合いながら肩を並べて競い合う。そのうちに芽生える感情。友情から恋心へ。BLだと誰も意識していない意外性が良い」
「あー。確かに。映画とか小説とか、予想を裏切られると、話に引き込まれるよな。でも現実は異性愛者より数が少ないだろうし」
「根強いホモフォビアも少なくないから隠してるCPもいると思うんだけどな」
「秘密の共有って関係性を深くするよな。でも現実にCPを探し当てるのは至難の業だな。そこは普通に男女の組み合わせでいいんじゃないのか?」
「はぁぁあっ!?」
そこは一BL描きとしてさすがに聞き捨てならない。
すうぅぅぅぅぅう、はぁぁぁぁぁぁぁ。
心を鎮めるため、一旦肺の底まで空気を吐き出し、精神統一をしてから床を指差す。
「……深町。ちょっとそこ座れ」
「え? あ、はい……」
素直に正座し、居住まいを正す深町。
「お前はなぁ! BLの何たるかを全っ然理解していないっ!! 俺はお前をそんな子に育てた覚えはない!!」
「はっ、はいぃっ!?」
「いいか? BLはTLには無い世界観が魅力なんだ! ( ※ 説明がとっても長くなるので以下読み飛ばしていただいて問題ありません ※ )異性間だと明らかに最初から役割を決めつけられがちだ。だが選手でなくあえてマネージャーという役割を選び取る受けの意思の強さと知略家たる能力の高さを描き切れるかが焦点になってくる。これは主人公にだけ都合の良い相手を道具のようにあてがうだけの薄っぺらい恋愛ものよりも深みが出て話の重厚さ面白みが増す! さらに言うと合宿や着替えなんかのイベント時に男女間には出せない特有の距離感の演出! 同性だからこそ分かり合える共感性! 異性ではない相手を好きになってしまう背徳感と、抑えきれない感情と葛藤! 両想いになってからのお付き合いに至った時の公にできない関係の共有とバレた場合を考えた時のスリリング加減! 何より同性同士でも抱かれても良いとさえ思える攻めの魅力とその全てを受け止める受けの包容力が存分に発揮される!! それこそがBLの醍醐味!!」
「わわわ! わかったっ!! 俺がっ!! 悪かったって!!」
「ふぅ。わかればいいんだわかれば」
柄にもなく熱弁してしまったが、ここは譲れないところだ。
「それにしても、野田はいつからこのジャンルにハマったんだ?」
話を逸らすためか、深町はあえて違う話を振る。
「そうだな。俺がまだ保育園の頃」
「は!? ちょっと早すぎるんじゃないか!?」
「昔よく預けられていた愛梨姉の家で、絵本が無いかと本棚を漁っていたら、ある日突然頭上から降ってきてな」
吹き出しの平仮名を音読する俺に気付いた時の愛梨姉の絶叫は今でも忘れられない。
「天啓のように……って言ったらいいのかな。保育園や教育テレビでは見ないような絵の綺麗さと人間ドラマに雷に撃たれたような感覚でさ。愛梨姉の同人活動を母さんに黙っていることを条件に遊びに行く度にBL本を読み漁ってるうちに、だんだん自分もこの世界観を表現したいと思って描く側になったんだ」
「なるほど。なんか納得っちゃ納得だ。でも、このジャンルだと年の近い子と話は合わせにくかったんじゃないか?」
意図せず芯を食った質問に、喉の奥がぐぅ、と鳴った。
脳裏にお絵描きノートをひったくられ、描いた絵をからかわれた小学生の頃の苦い記憶がよみがえる。
「確かに同じクラスに同人誌読んでる子はいなかったな。みんな商業誌ばっかりだし、何よりガキくさい子供向けの話ばかりで飽き飽きしてた。……あ! 別に友達がいなかったとか、そういうんじゃないからなっ! 俺がっ、周りの奴らと同じ物に興味が湧かなかったってだけだからっ!!」
「そうだろうな。野田の言動や思考だと、子供向けは物足りなく感じてたんだろうなって思ってた」
ぼっちいじりを覚悟して予防線を張っていたのにまさかの全肯定されるとは。
「前に読ませてもらった野田が描いた一次創作の話で主人公を虐めた加害者の心理や背景まで細かく描写してただろ? 最近はヴィランにスポットを当てた話も増えてきたし、単純な勧善懲悪より一歩踏み込んだ心理描写に関心を寄せる人には野田の本は刺さると思う。TLよりも複雑化してるBLって、読めば読むほど沼るよな」
なんだ。ちゃんとわかってんじゃん。
そういえば創作の方は俺の方が経験値積んでるけど、実経験は深町の方があるんだよな。
「なぁ。好きな奴に好きって伝えたのに、良い返事をもらえなかった時ってどんな気持ち?」
ネタ帳を手にくるくるとペンを弄びながら聞くと、深町は照れたような拗ねたような、複雑な表情を浮かべた。
「……それ、俺に聞く?」
「創作の参考に。俺その辺の機微がわからないから、当事者に聞くのが一番手っ取り早いかと思って」
「なるほど」
咳払いをした深町はちらりとこちらに視線を寄越し、参考になるかはわからないけど、と前置きする。
「俺の場合、自分が野田の恋愛対象に入らないのが最初からわかってたから、それほど痛手には感じなかったかな。むしろ、告白した後ギクシャクしたり気持ち悪がられたりせずに今まで通り接してもらえて、ホッとしてる」
吹っ切れたような深町の笑顔に、逆に胸の中にモヤモヤとした感情が沸き起こる。
「……不毛だなーとか思うことって無いのか? 別に深町って男しか駄目ってわけじゃないじゃん。元々彼女だっていたわけだし」
「前まではな。告白されて、女の子と付き合って『あー。このままの流れで同棲とか結婚とかになるんだろうなー』って考えてた。疑うことすら無かったって言ったらいいのかな。でも野田の描く漫画とか読んでたら『あ! 違う選択肢もあるのか!』って気付いて。そしたら自分の感情の変化とか、身体の変化とか、そういうのを全部ストン、って受け入れられた気がして、すごく楽になった」
だから、と言って深町は俺を見つめて笑う。
「不毛だとは思わない。恋人にはなれなくても、野田のこと好きな今の自分が、好きなんだ」
迷いの無い笑顔。
「……眩しっ! お前そんな無駄にキラキラした笑顔振り撒くなよ!」
びし、とツッコミを入れるが、それすらも深町は楽し気に受け止める。
「あはは。自己肯定感の塊だから、俺」
人を好きになることで、自分を好きになるとかあんの?
俺はBL漫画描いてるけど、それはあくまで物語として好きなジャンルってだけで、恋愛対象は女の子だと思ってきた。でも現実の女の子を前にして、はっきりとこの子が好きって言いきれる子は思い浮かばない。女の子って、声が高くて可愛くて。でもどこか抽象的で、印象がすりガラスの影となってぼやけている。
深町は、そのビジョンがはっきり見えてるってことか。
なんか……ずるくね?
一手先に進まれたようなじわりとした焦燥感を抱いて横顔を見つめる。深町はそんな俺に気付くこと無く、そういえば次のイベントスケジュールさぁ、とスマホに視線を落とした。

