先生、野田君の目が今日も死んでいます

 "答えは確実にある"



 そうだ。シナリオが書かれたこの紙は、原稿用紙ですらない。

 俺はシナリオが書かれた紙を深町の眼前に突き出す。

「俺の再々試の教科だ」
「ご名答」

 深町は嬉しそうに、にっ、と笑った。

「なんか見覚えあると思ったんだ、表のテストの方」

 本試験の筆記型とは違い、再試験は教科内容理解を問う基礎問題のみの選択型。英語は括弧書きの中の小文字の英字、数学はローマ数字、化学はイロハ形式の片仮名の選択肢。

「つってもこれ、再試の方だろ? 俺、これで落としたんだけど」

 恨めしい気持ちで口を尖らせながら答案用紙を見つめるが、深町は笑顔のまま続ける。

「ここだけの話、再試験、再々試験は生徒を留年をさせないための救済措置。しかもうちの学校の再々試験は再試験と全く同じ内容が出題される」
「……マ?」

 そんなの初耳だ。

「再々試験の日程は今日の放課後だろ? 担任がぼやいてたんだけど、野田は再々試験対策の夏休みの補習も受けてないらしいな」
「…………」

 目を逸らして無言の肯定。

「素直に教科書を基礎から勉強し直す時間が無いなら応急措置として回答を丸暗記してもらう」
「……ぅぐ」

 言い返す言葉も無い。イベントと原稿に追われ、夏休みに組まれた補習は一度も参加しなかった。

「で、でもさ。三教科分の答案丸暗記なんて……しかもランダムな選択肢……」
「問題内容は理解できなくても解答欄の選択肢丸暗記くらいできるよな? 野田は頭が悪いわけじゃないから、文字パターンも一旦自分の中に落とし込んで覚えられるんだもんな」

 深町のにこやかな、静かなる圧。
 一旦放った言葉は取り消せない。

「……ぁ……当たり前だろ」

 顔を引きつらせてそう返すのが精一杯。
 制服の下で背中に一筋汗が流れる。暑さではない、追い詰められた動物の本能的な冷や汗。
 たった30文字。されど、間違えてはならない30文字。
 答案を持つ手が小刻みに震える。

「一気に30個覚えようとすると混乱するから、それぞれ2単語の5文字ずつに分割してみようか。で、10指にそれぞれ当て嵌めていく。カンニング疑われないよう、とりあえず俺の指に書いてくから」

 細字のペンで深町が自身の右手の指に躊躇なく文字を書き込んでいく。なぜか、文字は深町から見て上下逆さ文字だ。それを隣から覗き込んでいると、ペンを差し出された。

「ごめん。文字プルって上手く書けないから、左手のは野田が書いて」
「あ、ああ」

 そういやこいつ左利きだったな。なるほど。向かい合って俺に読ませる用の上下逆さまか。

 深町の左手首を掴み、答案と見比べながら受け取ったペンで指の膨らみに文字を書き込んでいく。

「……ふっ……ふふ」
「こら。動くなメモ帳」

 小刻みに震える深町の手を強めに握ってペン先を動かす。
 部活は数か月前に辞めたと言っていたが、深町の左手の指先はごわごわと硬く、細くて貧相な俺の指とはだいぶ感触が違う。

「……ごめっ、思った以上にもぞもぞし……ふふっ……なんかくすぐっ……ふ」
「キモい笑い方すんなって」

 第一関節に英字を書き終え、第二関節に移ろうとすると、深町が別の色のペンを差し出す。

「文字によって色分けしてみようか。水星語、金星語、火星語でそれぞれ青、黄、赤」
「……謎は解けたのに、まだその設定引っ張んの?」
「連合記憶って知ってるか? 覚えたい情報と普段から馴染み深い物の情報とを結びつけて覚えると、思い出す時に情報を引き出しやすくなるんだ。野田はデザインやイラストみたいにビジュアルでの記憶能力が高い。遠回りに思えるかもしれないけど、フォントデザインや色に関連付けて叩き込んでしまった方が記憶に定着する」
「…………。えーと、ちょっと何言ってるかわかんねーけど」
「ま。騙されたと思って試してみてよ」

 渋々黄色のペンに持ち替え、アガック文字改め化学の回答である意味を為さない片仮名の羅列を深町の右手の第二関節に書き込んでいく。

「で、残りは水星語か」

 小指の第三関節から順に埋めていき……。

「おい、書くスペース無いぞ。親指の関節もう一個増やせ」
「……無茶言うなよ。ここに書いて」

 苦笑いする深町に指差された親指の付け根の膨らみに青いペンで数字を書き込む。

「よし。できた」

 十指すべてに文字を書き込まれた深町の手は、さながらジャパンホラーの『耳なし芳一』だ。

「で、各指を押さえながら覚えていく」
「これ、順番とか手の向きとかごちゃりそう」
「大丈夫。野田なら絶対に間違えない。医学書とか美術の教科書とかに載ってるレオナルドダヴィンチの有名な絵知ってる?」
「ウィトルウィウス的人体図って奴?」

 円と正方形の中に両手両足を広げた男の絵だ。デッサンの本で見たことがある。

 俺の回答に深町は満面の笑みを浮かべて頷く。

「体の中心を太陽と位置付けて、体に近い方から遠心的に惑星を順に当てはめていく」
「太陽に近い指の付け根が水星の青色ってわけか」
「そう。イメージカラーで振り分けて、アースカラーは水星と色が被るから除外して、水星、金星、火星の青黄赤」

 宇宙人たちよ。お前らはここに繋がっていたのか。
 脳内で雫、黄色のダイヤ、赤玉ねぎが人体図の周囲を楽し気に舞う。

「あとは語呂合わせと連想ゲーム。なるべくビジュアルが浮かびそうな単語の頭文字と選択肢を繋げていく。一番簡単なのからいこう。化学担当のサービスなのか、イロハ形式の並びは既に簡単な単語にチャンク化されてるから、そのまま覚えればいい」
「『ヘ』『リ』『ニ』『ホ』……。どこが単語だって?」
「ここが区切り。ほら『ヘリに幌』『犬と蜂』」

 ペンで丸く囲われるだけでランダムに並ぶ片仮名の羅列が、途端に意味を持つ。ダメ押しにその下に四葉のクローバーを乗せた饅頭と蒲鉾、気味の悪いアメーバとゴミみたいな何かが書き足される。

「……。深町。……ぐふっ、ふっ、んんっ。けふん。まさか、とは思うが、それ……」
「ヘリコプターに幌馬車、犬と蜂」
「ぐっふ! ふふっ、ん!」

 こらえていた笑いを顔を背けて咳き込んだ風を装ってごまかす。

 突然笑わせにかかってくんのほんとやめてほしい。
 でも深町はあくまで真面目に描いてのクオリティなのだ。同じ絵描きとして人様の描いた絵をけなすのは失礼に当たる。
 ただ、『ヘリコプター』と説明したクローバー饅頭には着陸装置にあたるソリも車輪もついていない。毎回胴体着陸するつもりかよ。しかも後部の回転翼もしくは尾翼まで行方不明だ。これでは構造的に飛ぶことすら難しい。

「斬新……だな」

 アニメなんかで見る司令官のように組んだ両手で顔の下半分を隠して俯いたまま絞り出すように言ってはみたが、あっさり見抜かれていたようで、「……画力無いのは自覚してるって。もう、野田が描き直してくれよ」と深町は諦めたようにため息をつく。

「いや。インパクトは絶大だ! 暗記にデザインが必要だというなら、俺の絵よりも深町の絵の方が脳みそを揺さぶられる!」
「それならいいんだけど……」
「ところで……このアメー……んんっ! いや、犬? だっけ? は、なんで足が6本あるんだ?」
「しっぽ!! っていうか、やっぱ絵は野田が描こ!?」
「いや! インパクト! 大事だから!」

 優しく見積もって尻尾だとしても、一本多いだろ。