何とも締まらない深町からの告白もどきを受けた日の翌朝、俺は登校早々に机に突っ伏してため息を吐いた。もちろん告白の返事に思い悩んで……などでは決してない。
あの朝告白されたのを忘れるくらいに甘い雰囲気になることもなく。深町とは一緒に登校し、普通過ぎるほど普通に学校で過ごした。
家に帰ることを心配されたが、そう何日も深町の家に連泊するわけにもいかない。避けて通れない道だと腹を括って帰宅した。
問題は、その後だ。
「おはよ、野田。……なんか朝から疲れきってないか?」
登校してきた深町が俺の顔を見て心配そうに眉を寄せる。
「……昨日メッセ入れたろ。うちに宇宙語話す奴が現れたんだ」
「例の有名大学在学中の家庭教師の先生?」
「そう。俺はアブダクションされた。奴は俺に宇宙語をマスターさせるべく、2時間みっちり脳波データを取り頭にチップを埋め込んだけでは飽き足らず、朝食用宇宙ミールとして宇宙語が書かれたプリントを残していった。俺はもう地球人としては生きていけない……」
吐き出しているのはため息なのか魂なのか。
「なんかだいぶ記憶改竄されてないか?」
「あああもう! ただでさえ原稿仕上げなきゃいけないし再再試もあって忙しいのに、なんであんなわけのわからない宇宙人の相手なんかしなきゃいけないんだよ!」
「いや。その再再試のために雇われたんだろ?」
「余計な情報を流し込んで俺を混乱させる手法だ。騙されるわけにはいかない」
「うわぁ……陰謀論……」
「あいつがいるから原稿進められないし、液タブも利用法悟られてチクられると面倒だから出せないし……。はぁ……」
へちょ、と机に溶ける。もう人の姿を保つ気力すらわかない。
息抜きの漫画流し読みも原稿もできない。理解できない言語をしゃべる宇宙人が二時間みっちり見張っているし、逃げ出そうにも仕事の時間を調整してまでカテキョに出す菓子やコーヒーの準備で母さんが家に居座る時間が伸びた。たった一日とはいえ俺の精神は完全に削られた。
「……何かわからないところがあったら質問してって言われても、何がわからないかわからないのに質問のしようがねーんだよ……。せめて地球語しゃべれるCカップ以上のカテキョ召喚しろ……」
深町は、しばしの沈黙の後で言った。
「野田。昼休み、ちょっと時間取れないか?」
「んあぁ? 勘弁しろよ。カテキョへの嫌がらせにグラゴル文字で解答欄埋めるのに一晩かかって寝てねーんだよ」
「努力の方向性……!」
「宇宙語には地球語で反撃だ。西夏文字、ヒエログリフ、トンパにミケーネ。地球には難読文字がわんさとある。目には目をだ。かかってこい宇宙人め……」
そう言い残して机に突っ伏したまま、俺はあっさりと意識を手放した。
次に目覚めたのはクラスがざわつく昼休み。深町に肩を揺らされ、眉間に皺を寄せて渋々身体を起こす。
ああ、昼の日差しってなんでこんなに目の奥まで滲みるんだろう。
「野田。起きて。お昼弁当? 学食?」
「昼なんて食わなくていいからこのまま放課後まで寝かせろ……」
再び机に丸まろうとする俺の脇の下に深町の腕が差し込まれ、リアダブルアンダーフックで半ば力技的に立ち上がらせられる。
「俺今日昼多めに持ってきたから、あっちで一緒に食おう」
「えええ……」
抵抗しようにも眠気が勝って体に力が入らず、為すがままずるずると引きずられて馴染みの無い教室まで運ばれる。
到着したのは普段授業を受けている教室とは別棟の職員室がある特別棟。二階の一角の小部屋。
普段の教室よりもずいぶんコンパクトで窓もドアも一つきり。机が一つと椅子が二つで他の物を置く空間すらない。一歩後退りして教室の名前が書いてあるはずの学級表示を確認するが、本来ならクラス表示のプレートが入るスペースには何も掲示されていない。
「ここ何? 教室?」
「校務員さんの控室。前の校務員さんが辞めて外部委託に切り替えて以来、この部屋使ってないんだって。担任に使用許可もらった。戸締り消灯をきちんとすれば使ってもいいって」
深町は小振りな鍵を揺らして見せた。
「だからって何でここだよ。ってか放課後まで寝かせろよ」
「もちろん寝てもらってもいいよ。でも栄養もきちんと取らないと」
有無を言わさず口の中にナポリタンパンがねじ込まれる。
「んぐ」
「よく噛んで食べな。喉詰まったらこれも」
水筒から注がれた冷たい緑茶の紙コップを手渡される。
ケチャップがたっぷり使われたナポリタンパンをもぐもぐやってから、冷たい緑茶を煽り、一息つく。
「食ったな? そして飲んだな?」
「正確にはねじ込まれただけどな」
「よし。恩は先に売った。じゃ、次は恩を返してもらおうか」
そう言って深町は不敵に笑う。
まさかの恩の押し売り。以前からちょくちょく思っていたが、深町は案外妙なところで押しが強い。
「野田に見てもらいたい物があって。でも野田学校ではずっと寝てるし、カテキョが来るなら放課後お互いの家にも行き来できないだろ。これなんだけどさ」
差し出されたのは一枚のコピー用紙。そこに書き連ねられているのはうんざりするような文字の羅列。テスト用紙のようだ。
「……んげ」
思わず口をついて出る。苦手な数字に文字酔いしそうになる。
「やめろよ。家でもカテキョにみっちり詰められてんだ。学校でまでこんなもん視界に入れんじゃねーよ」
眉間に皺を寄せてテスト用紙を突き返そうとすると、深町は慌てて紙を裏返すジェスチャーをする。
「裏見て、裏」
言われるままにテスト用紙を裏返すと、珍妙なイラストと共にチャットのトーク画面のようなものが描き込まれていた。
「なんだこりゃ?」
「シナリオ、って、言ったらいいのかな? 俺あんまり絵が上手じゃないからいきなり漫画描くのはハードル高すぎるし、まずは短い会話文から、と思って」
「シナリオ? 深町、お前……!」
顔をあげるとまだ続きがあるのか、数枚のコピー用紙で顔を半分隠しながら、深町が照れ笑いを浮かべる。
「前に野田が言ってたこと、ちょっとわかる。読んでるだけじゃ段々物足りなくなってきてさ。ちゃんと最後まで形にできるかわからないけど、俺も描いてみたい。野田が今忙しいのはわかってる。だけど、どうしても描いてる人からの意見を聞いてみたくてさ」
創作仲間だ。愛梨姉以外に初めての。
どくり、と心臓が跳ねる。
漫画やアニメが好きだというだけで親からもクラスメートからも否定されてきた。イベントや愛梨姉の家、親の留守中や寝静まった深夜の自分の部屋でしか描くことを許されなかった俺には年の近い創作仲間が身近にいたことが無い。
コピー用紙を机に置いて目についたトイレに走り込む。
「どうした!? 腹痛か!?」
「違う!!」
ハンドソープを泡立てて手を洗い、勢いよく手を振って水分を飛ばす。手が乾くのを待つのももどかしく、カッターシャツの腹のあたりで手のひらの水分を拭って無理矢理乾かした。
これでナポリタンパンの油分もつかないだろ。
椅子に座り、姿勢を正して深町に手を差し出す。
「そっちのも見せろ」
せっかくの深町の初原稿に、失礼が無いように。
釣られたのか深町も姿勢を正して両手でコピー用紙を捧げ持ち頭を下げる。
「忌憚無い意見をお願いします」
まるで新人作家と編集のごっこ遊びだ。俺自身出版社持ち込みとかやったことないけど。
簡単なイラストの横に書かれたセリフ。登場人物は単純な丸の輪郭に点目。人、恐らく水滴。四角を二つずらして重ねたような謎のモチーフ。それに……?
「玉ねぎ……?」
「いや、火の玉!」
「ブロッコリー……」
「木! 植物!」
「ああ、なるほど」
話に入る以前にまるで絵文字当てクイズだ。
主人公はモブ系男子高校生。クラスメートは雫型、八芒星型、火の玉型、樹木型の顔をした宇宙人。それぞれに水星、金星、火星、木星出身という設定らしい。
宇宙人達は地球観光や地球侵略征服、地球実験、迷子とそれぞれの思惑を抱いて同級生として何食わぬ顔で生活しているが、時折うっかりその思惑を隠し切れずに態度に出たりトラブルを引き起こしたりするほのぼのSF日常コメディ。
独特の世界観だが専門用語はほぼ無く、小学生程度の天体知識があればすんなり物語に入り込みやすい。また、それぞれのキャラ個性もしっかり描き分けられている。
「……面白い、な。意外と」
「そ、そうか?」
「ちょっと児童学習漫画臭はするけど、それぞれの宇宙人の目的が子供向けでないのがいい」
安堵からか、深町の顔から緊張が解けた。
「よかった。漫画というより短すぎて場面だけなんだけど、書いてみたくなったんだ。俺、絵は下手だけど」
「絵は描いている内に上達するし、下手うまというか、作風次第では、むしろあまり上手過ぎない絵の方が合うこともある。コマ割りとか小難しい事考えずに、四コマとか、タテヨミ漫画みたいにするのもいいかもな」
「なるほど。で、野田に相談なんだけど、この宇宙人のセリフの文字をデザイン化してほしいんだ」
「文字をデザイン化ぁ?」
「初めて地球に来た宇宙人が日本語喋れないのは当たり前だろ? で、聞いたことも無い、見たことも無い言語を喋る下りを入れたいんだけど、PCで変換できるフォント(文字のスタイル)だと限界があるんだ」
明朝、ゴシック、筆文字……。脳内でフォントを思い浮かべるが、言われてみれば確かに万人に読みやすくイメージを伝えやすいをコンセプトとしているだけあって『あえて読めない文字』を演出するには向いていない。
「朝も言ってたけど、野田、カテキョへの嫌がらせに難読文字に挑戦してるんだろ?」
「あのな。簡単に言うけど、結構あれ手間かかるんだぞ。ネットで難読文字検索して、対応する文字を一文字ずつ変換して、コピペ使えないからスクショした画像を一つずつ書き写して……」
「だよな。一から翻訳するのは大変だと思って、とりあえず翻訳して文字書き起こしだけはした」
そう言って深町が指さしたのはトーク画面の吹き出しのような部分。確かに読めない文字が書かれている。
「なんか見覚えがあるような、無いような……。読めそうで読めないな。何文字だ? これ」
「アガック文字。でもちょっとデザインがパッとしないんだよな。別の宇宙人は別の言語デザインで話してほしいし」
「おいおい。宇宙人のセリフ全部読めない文字にするつもりか?」
「全部じゃなく留学直後の数セリフだけ。あとは翻訳機使ったり、学習したり、地球に来る前に学習してきてて片言の日本語なら話せるって設定。それぞれに10文字前後。使う文字の種類はアガック文字、ギエオ文字、クグーサ文字の三種類だから合計30文字程度」
「ふむ。規則性があるからこそのデザイン性の無さ、だな。基礎フォント崩しからやるか。直線的なこのアガック文字、だったか? この文字は縦線と横線でメリハリをつけてデザイン性を取り入れる。何か書く物くれ」
待ってましたと言わんばかりに深町がペンを差し出す。
「文字はそのまま余白に書いて」
「わかった」
角張ったアガック文字のすぐ下に大きめに同じ文字を模写し、縦線の部分だけを二重線にする。
「わ! おしゃれな洋書のタイトル文字みたいになった!」
「いわゆるダブルストラックとかブラックボードボールドとかのアレンジだな。これなら文字数増えてもすぐアレンジが効きやすい」
「へぇぇ……」
「クグーサ文字とギエオ文字はパッと見、丸みと縦のリズムがあるから、差をつけるために片方はあえてライニングフィギュアで。もう片方はオールドスタイルフィギュアみたいにあえて上下を強調してアセンダー、ディセンダ―でリズムをつける」
「お? おお……?? ええと……」
定規は無いので文字の基礎配置を決定させる3本の補助線をフリーハンドで引き、真ん中の線を軸にあえて上下の伸びを強調する。
「で、筆記体みたいに流してあえて少し崩す」
文字の書き始めに羽根のような遊びを入れ、書き終わりは音符のように小さな黒点で丸める。
「……っはぁぁぁ……。文字のデザインって、こんなにバリエーション利かせることができるのか……」
「後はカリグラフィっぽくすればもう少し雰囲気出るだろ」
「カリグラフィ?」
「西洋書道」
「ああ。留め跳ね払いみたいな」
目の前で手品でも見せつけられたかのように感嘆のため息を吐きながら深町がコピー用紙を凝視する。
「タイトル文字とかにこだわるならもっとヴィンテージ感のあるアレンジもできるけど、普段の会話文字ならそのくらいの方がとっつきやすいだろ。既存文字を欠画、あえて一画減らして読めそうで読めないギリラインを攻めるとか、言語スタイルによって近接する文字を合字にするとか。……おい、聞いてんのか?」
ぽかんと口を開けて俺の顔を凝視する深町を睨む。
人の貴重な時間を奪っておいて、なんだそのアホ面は。
「あ、ああ。悪い。ちゃんと聞いてる。専門用語多すぎてちょっと途中から解像度が落ちたけど。それより野田。その文字デザインの知識って……」
「タイトルロゴとかキャラ別のフォント使い分けなんて日常的だからな。自然と覚えるだろ、これくらい」
「さすがというか……ほんと、野田の努力の方向性だよな」
「なんだ。バカにしてんのか? 受けて立つぞ」
腕力では不利でも創作に関しては知識も経験もこっちが優位に立てるはずだ。
「馬鹿にするどころか、予想以上過ぎて結構圧倒されてる」
深町はあっさり胸の前でレイズアップして戦う意思が無いことを示す。
「特殊文字とかもパターンがあるから、ある程度慣れれば覚えるし日常の簡単な文くらいは書けるようになるぞ」
「特殊文字も覚えられるのか?」
「当たり前だろ。毎回辞書引きしなくても、ある程度デザインパターンを読み書きしてれば慣れて宙でも書けるようになる。こういうのとかな」
余白に𒆙𒍜𒂝と描き込んでいく。
「……それ、文字?」
「ムシェン、ウズ、ヒーリ。アレンジするには一旦自分の中に落とし込んだ方が効率良くーー……」
言いかけた俺は、ふと気付いて自分が手掛けたアレンジフォントを見つめ、用紙をくるりと逆さまにする。
「『j』『a』『h』……」
読めそうで読めなかった文字は、コピー用紙を逆さまにすると見慣れた英字が不規則に並んだ物だった。渡された他のコピー用紙も同じように逆さまにしてみる。
「こっちはローマ数字。これは……片仮名か? 逆立ち鏡文字になってる」
読めはしても意味を為さない文字の羅列がそれぞれ10個ずつ。
コピー用紙から視線を移すと深町が満足気に口角を上げた。
「……なにがギエオ文字だ。ベタなアナグラム変換で謎解きゲームでも作るつもりか?」
「はは。なんだ。結構あっさり見破られるもんだな。じゃ、謎解きついでに"なぜ3種類の言語を宇宙語に振り分けたのか"も見破ってもらおうか」
「…………」
なぜ、わざわざ3種類。
ギエオ文字改め、ローマ字変換させてGIEO。組み替えるとEIGO、つまり英語。残るクグーサ、アガックも同じ法則に当て嵌めていけば、数学と化学になる。だがそれとローマ数字、片仮名は、何の関係が?
英語、数学、化学。
そも、他にも教科はあるのに、なんでこの3教科に絞った?
英字、数字、片仮名。英語が英字に、数学が数字に関係するのは違和感が無いが、化学と片仮名の関連性は?
宇宙語の語数はそれぞれ10個ずつなのはなぜか?
あの朝告白されたのを忘れるくらいに甘い雰囲気になることもなく。深町とは一緒に登校し、普通過ぎるほど普通に学校で過ごした。
家に帰ることを心配されたが、そう何日も深町の家に連泊するわけにもいかない。避けて通れない道だと腹を括って帰宅した。
問題は、その後だ。
「おはよ、野田。……なんか朝から疲れきってないか?」
登校してきた深町が俺の顔を見て心配そうに眉を寄せる。
「……昨日メッセ入れたろ。うちに宇宙語話す奴が現れたんだ」
「例の有名大学在学中の家庭教師の先生?」
「そう。俺はアブダクションされた。奴は俺に宇宙語をマスターさせるべく、2時間みっちり脳波データを取り頭にチップを埋め込んだけでは飽き足らず、朝食用宇宙ミールとして宇宙語が書かれたプリントを残していった。俺はもう地球人としては生きていけない……」
吐き出しているのはため息なのか魂なのか。
「なんかだいぶ記憶改竄されてないか?」
「あああもう! ただでさえ原稿仕上げなきゃいけないし再再試もあって忙しいのに、なんであんなわけのわからない宇宙人の相手なんかしなきゃいけないんだよ!」
「いや。その再再試のために雇われたんだろ?」
「余計な情報を流し込んで俺を混乱させる手法だ。騙されるわけにはいかない」
「うわぁ……陰謀論……」
「あいつがいるから原稿進められないし、液タブも利用法悟られてチクられると面倒だから出せないし……。はぁ……」
へちょ、と机に溶ける。もう人の姿を保つ気力すらわかない。
息抜きの漫画流し読みも原稿もできない。理解できない言語をしゃべる宇宙人が二時間みっちり見張っているし、逃げ出そうにも仕事の時間を調整してまでカテキョに出す菓子やコーヒーの準備で母さんが家に居座る時間が伸びた。たった一日とはいえ俺の精神は完全に削られた。
「……何かわからないところがあったら質問してって言われても、何がわからないかわからないのに質問のしようがねーんだよ……。せめて地球語しゃべれるCカップ以上のカテキョ召喚しろ……」
深町は、しばしの沈黙の後で言った。
「野田。昼休み、ちょっと時間取れないか?」
「んあぁ? 勘弁しろよ。カテキョへの嫌がらせにグラゴル文字で解答欄埋めるのに一晩かかって寝てねーんだよ」
「努力の方向性……!」
「宇宙語には地球語で反撃だ。西夏文字、ヒエログリフ、トンパにミケーネ。地球には難読文字がわんさとある。目には目をだ。かかってこい宇宙人め……」
そう言い残して机に突っ伏したまま、俺はあっさりと意識を手放した。
次に目覚めたのはクラスがざわつく昼休み。深町に肩を揺らされ、眉間に皺を寄せて渋々身体を起こす。
ああ、昼の日差しってなんでこんなに目の奥まで滲みるんだろう。
「野田。起きて。お昼弁当? 学食?」
「昼なんて食わなくていいからこのまま放課後まで寝かせろ……」
再び机に丸まろうとする俺の脇の下に深町の腕が差し込まれ、リアダブルアンダーフックで半ば力技的に立ち上がらせられる。
「俺今日昼多めに持ってきたから、あっちで一緒に食おう」
「えええ……」
抵抗しようにも眠気が勝って体に力が入らず、為すがままずるずると引きずられて馴染みの無い教室まで運ばれる。
到着したのは普段授業を受けている教室とは別棟の職員室がある特別棟。二階の一角の小部屋。
普段の教室よりもずいぶんコンパクトで窓もドアも一つきり。机が一つと椅子が二つで他の物を置く空間すらない。一歩後退りして教室の名前が書いてあるはずの学級表示を確認するが、本来ならクラス表示のプレートが入るスペースには何も掲示されていない。
「ここ何? 教室?」
「校務員さんの控室。前の校務員さんが辞めて外部委託に切り替えて以来、この部屋使ってないんだって。担任に使用許可もらった。戸締り消灯をきちんとすれば使ってもいいって」
深町は小振りな鍵を揺らして見せた。
「だからって何でここだよ。ってか放課後まで寝かせろよ」
「もちろん寝てもらってもいいよ。でも栄養もきちんと取らないと」
有無を言わさず口の中にナポリタンパンがねじ込まれる。
「んぐ」
「よく噛んで食べな。喉詰まったらこれも」
水筒から注がれた冷たい緑茶の紙コップを手渡される。
ケチャップがたっぷり使われたナポリタンパンをもぐもぐやってから、冷たい緑茶を煽り、一息つく。
「食ったな? そして飲んだな?」
「正確にはねじ込まれただけどな」
「よし。恩は先に売った。じゃ、次は恩を返してもらおうか」
そう言って深町は不敵に笑う。
まさかの恩の押し売り。以前からちょくちょく思っていたが、深町は案外妙なところで押しが強い。
「野田に見てもらいたい物があって。でも野田学校ではずっと寝てるし、カテキョが来るなら放課後お互いの家にも行き来できないだろ。これなんだけどさ」
差し出されたのは一枚のコピー用紙。そこに書き連ねられているのはうんざりするような文字の羅列。テスト用紙のようだ。
「……んげ」
思わず口をついて出る。苦手な数字に文字酔いしそうになる。
「やめろよ。家でもカテキョにみっちり詰められてんだ。学校でまでこんなもん視界に入れんじゃねーよ」
眉間に皺を寄せてテスト用紙を突き返そうとすると、深町は慌てて紙を裏返すジェスチャーをする。
「裏見て、裏」
言われるままにテスト用紙を裏返すと、珍妙なイラストと共にチャットのトーク画面のようなものが描き込まれていた。
「なんだこりゃ?」
「シナリオ、って、言ったらいいのかな? 俺あんまり絵が上手じゃないからいきなり漫画描くのはハードル高すぎるし、まずは短い会話文から、と思って」
「シナリオ? 深町、お前……!」
顔をあげるとまだ続きがあるのか、数枚のコピー用紙で顔を半分隠しながら、深町が照れ笑いを浮かべる。
「前に野田が言ってたこと、ちょっとわかる。読んでるだけじゃ段々物足りなくなってきてさ。ちゃんと最後まで形にできるかわからないけど、俺も描いてみたい。野田が今忙しいのはわかってる。だけど、どうしても描いてる人からの意見を聞いてみたくてさ」
創作仲間だ。愛梨姉以外に初めての。
どくり、と心臓が跳ねる。
漫画やアニメが好きだというだけで親からもクラスメートからも否定されてきた。イベントや愛梨姉の家、親の留守中や寝静まった深夜の自分の部屋でしか描くことを許されなかった俺には年の近い創作仲間が身近にいたことが無い。
コピー用紙を机に置いて目についたトイレに走り込む。
「どうした!? 腹痛か!?」
「違う!!」
ハンドソープを泡立てて手を洗い、勢いよく手を振って水分を飛ばす。手が乾くのを待つのももどかしく、カッターシャツの腹のあたりで手のひらの水分を拭って無理矢理乾かした。
これでナポリタンパンの油分もつかないだろ。
椅子に座り、姿勢を正して深町に手を差し出す。
「そっちのも見せろ」
せっかくの深町の初原稿に、失礼が無いように。
釣られたのか深町も姿勢を正して両手でコピー用紙を捧げ持ち頭を下げる。
「忌憚無い意見をお願いします」
まるで新人作家と編集のごっこ遊びだ。俺自身出版社持ち込みとかやったことないけど。
簡単なイラストの横に書かれたセリフ。登場人物は単純な丸の輪郭に点目。人、恐らく水滴。四角を二つずらして重ねたような謎のモチーフ。それに……?
「玉ねぎ……?」
「いや、火の玉!」
「ブロッコリー……」
「木! 植物!」
「ああ、なるほど」
話に入る以前にまるで絵文字当てクイズだ。
主人公はモブ系男子高校生。クラスメートは雫型、八芒星型、火の玉型、樹木型の顔をした宇宙人。それぞれに水星、金星、火星、木星出身という設定らしい。
宇宙人達は地球観光や地球侵略征服、地球実験、迷子とそれぞれの思惑を抱いて同級生として何食わぬ顔で生活しているが、時折うっかりその思惑を隠し切れずに態度に出たりトラブルを引き起こしたりするほのぼのSF日常コメディ。
独特の世界観だが専門用語はほぼ無く、小学生程度の天体知識があればすんなり物語に入り込みやすい。また、それぞれのキャラ個性もしっかり描き分けられている。
「……面白い、な。意外と」
「そ、そうか?」
「ちょっと児童学習漫画臭はするけど、それぞれの宇宙人の目的が子供向けでないのがいい」
安堵からか、深町の顔から緊張が解けた。
「よかった。漫画というより短すぎて場面だけなんだけど、書いてみたくなったんだ。俺、絵は下手だけど」
「絵は描いている内に上達するし、下手うまというか、作風次第では、むしろあまり上手過ぎない絵の方が合うこともある。コマ割りとか小難しい事考えずに、四コマとか、タテヨミ漫画みたいにするのもいいかもな」
「なるほど。で、野田に相談なんだけど、この宇宙人のセリフの文字をデザイン化してほしいんだ」
「文字をデザイン化ぁ?」
「初めて地球に来た宇宙人が日本語喋れないのは当たり前だろ? で、聞いたことも無い、見たことも無い言語を喋る下りを入れたいんだけど、PCで変換できるフォント(文字のスタイル)だと限界があるんだ」
明朝、ゴシック、筆文字……。脳内でフォントを思い浮かべるが、言われてみれば確かに万人に読みやすくイメージを伝えやすいをコンセプトとしているだけあって『あえて読めない文字』を演出するには向いていない。
「朝も言ってたけど、野田、カテキョへの嫌がらせに難読文字に挑戦してるんだろ?」
「あのな。簡単に言うけど、結構あれ手間かかるんだぞ。ネットで難読文字検索して、対応する文字を一文字ずつ変換して、コピペ使えないからスクショした画像を一つずつ書き写して……」
「だよな。一から翻訳するのは大変だと思って、とりあえず翻訳して文字書き起こしだけはした」
そう言って深町が指さしたのはトーク画面の吹き出しのような部分。確かに読めない文字が書かれている。
「なんか見覚えがあるような、無いような……。読めそうで読めないな。何文字だ? これ」
「アガック文字。でもちょっとデザインがパッとしないんだよな。別の宇宙人は別の言語デザインで話してほしいし」
「おいおい。宇宙人のセリフ全部読めない文字にするつもりか?」
「全部じゃなく留学直後の数セリフだけ。あとは翻訳機使ったり、学習したり、地球に来る前に学習してきてて片言の日本語なら話せるって設定。それぞれに10文字前後。使う文字の種類はアガック文字、ギエオ文字、クグーサ文字の三種類だから合計30文字程度」
「ふむ。規則性があるからこそのデザイン性の無さ、だな。基礎フォント崩しからやるか。直線的なこのアガック文字、だったか? この文字は縦線と横線でメリハリをつけてデザイン性を取り入れる。何か書く物くれ」
待ってましたと言わんばかりに深町がペンを差し出す。
「文字はそのまま余白に書いて」
「わかった」
角張ったアガック文字のすぐ下に大きめに同じ文字を模写し、縦線の部分だけを二重線にする。
「わ! おしゃれな洋書のタイトル文字みたいになった!」
「いわゆるダブルストラックとかブラックボードボールドとかのアレンジだな。これなら文字数増えてもすぐアレンジが効きやすい」
「へぇぇ……」
「クグーサ文字とギエオ文字はパッと見、丸みと縦のリズムがあるから、差をつけるために片方はあえてライニングフィギュアで。もう片方はオールドスタイルフィギュアみたいにあえて上下を強調してアセンダー、ディセンダ―でリズムをつける」
「お? おお……?? ええと……」
定規は無いので文字の基礎配置を決定させる3本の補助線をフリーハンドで引き、真ん中の線を軸にあえて上下の伸びを強調する。
「で、筆記体みたいに流してあえて少し崩す」
文字の書き始めに羽根のような遊びを入れ、書き終わりは音符のように小さな黒点で丸める。
「……っはぁぁぁ……。文字のデザインって、こんなにバリエーション利かせることができるのか……」
「後はカリグラフィっぽくすればもう少し雰囲気出るだろ」
「カリグラフィ?」
「西洋書道」
「ああ。留め跳ね払いみたいな」
目の前で手品でも見せつけられたかのように感嘆のため息を吐きながら深町がコピー用紙を凝視する。
「タイトル文字とかにこだわるならもっとヴィンテージ感のあるアレンジもできるけど、普段の会話文字ならそのくらいの方がとっつきやすいだろ。既存文字を欠画、あえて一画減らして読めそうで読めないギリラインを攻めるとか、言語スタイルによって近接する文字を合字にするとか。……おい、聞いてんのか?」
ぽかんと口を開けて俺の顔を凝視する深町を睨む。
人の貴重な時間を奪っておいて、なんだそのアホ面は。
「あ、ああ。悪い。ちゃんと聞いてる。専門用語多すぎてちょっと途中から解像度が落ちたけど。それより野田。その文字デザインの知識って……」
「タイトルロゴとかキャラ別のフォント使い分けなんて日常的だからな。自然と覚えるだろ、これくらい」
「さすがというか……ほんと、野田の努力の方向性だよな」
「なんだ。バカにしてんのか? 受けて立つぞ」
腕力では不利でも創作に関しては知識も経験もこっちが優位に立てるはずだ。
「馬鹿にするどころか、予想以上過ぎて結構圧倒されてる」
深町はあっさり胸の前でレイズアップして戦う意思が無いことを示す。
「特殊文字とかもパターンがあるから、ある程度慣れれば覚えるし日常の簡単な文くらいは書けるようになるぞ」
「特殊文字も覚えられるのか?」
「当たり前だろ。毎回辞書引きしなくても、ある程度デザインパターンを読み書きしてれば慣れて宙でも書けるようになる。こういうのとかな」
余白に𒆙𒍜𒂝と描き込んでいく。
「……それ、文字?」
「ムシェン、ウズ、ヒーリ。アレンジするには一旦自分の中に落とし込んだ方が効率良くーー……」
言いかけた俺は、ふと気付いて自分が手掛けたアレンジフォントを見つめ、用紙をくるりと逆さまにする。
「『j』『a』『h』……」
読めそうで読めなかった文字は、コピー用紙を逆さまにすると見慣れた英字が不規則に並んだ物だった。渡された他のコピー用紙も同じように逆さまにしてみる。
「こっちはローマ数字。これは……片仮名か? 逆立ち鏡文字になってる」
読めはしても意味を為さない文字の羅列がそれぞれ10個ずつ。
コピー用紙から視線を移すと深町が満足気に口角を上げた。
「……なにがギエオ文字だ。ベタなアナグラム変換で謎解きゲームでも作るつもりか?」
「はは。なんだ。結構あっさり見破られるもんだな。じゃ、謎解きついでに"なぜ3種類の言語を宇宙語に振り分けたのか"も見破ってもらおうか」
「…………」
なぜ、わざわざ3種類。
ギエオ文字改め、ローマ字変換させてGIEO。組み替えるとEIGO、つまり英語。残るクグーサ、アガックも同じ法則に当て嵌めていけば、数学と化学になる。だがそれとローマ数字、片仮名は、何の関係が?
英語、数学、化学。
そも、他にも教科はあるのに、なんでこの3教科に絞った?
英字、数字、片仮名。英語が英字に、数学が数字に関係するのは違和感が無いが、化学と片仮名の関連性は?
宇宙語の語数はそれぞれ10個ずつなのはなぜか?

