春の風は、どうしてこうも人の心を置いてけぼりにしていくのだろう。
私立紫苑学園へと続く、なだらかな一本道。
その両側を埋め尽くすように咲き誇るソメイヨシノが、朝の光を浴びて淡く揺れていた。
風が吹くたび、透き通るような花びらがひらひらと舞い踊り、まっさらな紺色のブレザーに落ちていく。
まるで、これから始まるきらびやかな高校生活を祝福しているかのような、完璧な春の情景だった。
けれど、小鳥遊 咲良は、そのまばゆさを素直に受け取れるほど、もう無邪気な女子高生ではなかった。
「はぁ……浮かれすぎじゃない?みんな」
ぽつりとこぼした声は、春の陽気には似合わないほど冷え切っていた。
視線の先では、同じ新入生らしき女子たちが、スマートフォンの画面に向かって黄色い声を上げながら自撮りに興じている。
男子たちも、合格発表からの短い期間でカーストを形成し終えたのか、早くも出来上がった輪の中で楽しそうに肩を組んでいた。
つい一年前の自分なら。
きっとあの賑やかな輪の外側を、息を潜めて、胸元に重たい教科書を抱えながら通り過ぎていただろう。
いや、今だって本質は何一つ変わっていないのかもしれない。
ただ、目に見える『外側』を変えただけだ。
咲良は、校門脇の案内板のガラスに映る、自分の姿を冷ややかに見つめた。
肩の下までなめらかに流れる、柔らかな黒髪。
かつて重たく顔を隠していた前髪は、シースルーバングへと姿を変えている。
光を受けてかすかに透ける睫毛の下には、意志の強さを演じるために引いたアイライン。
唇には淡いコーラルピンク。
制服の着こなしだって、校則を破らない絶妙なラインで今風の『可愛い』に整えられている。
中学時代の自分を知る人間がこの場にいたら、間違いなく同一人物だとは気づかない。
"陰キャ"
"地味"
"真面目ちゃん"
そう呼ばれて、陰口を叩かれ、笑われていた頃の自分とは――。
せり上がってきた苦い記憶を、咲良は乱暴に胸の奥へと押し戻した。
「咲良ーっ!」
背後から響いた弾んだ声に、咲良は思考を切り替えて振り返る。
ふわふわと巻いたブラウンの髪を揺らしながら、クラスメイトの佐々木 茉那が両手を振って駆け寄ってきた。
出会ってまだ数日だというのに、昔からの親友のような距離感で懐いてくる、絵に描いたよう活発な女の子だ。
「おはよ。朝から騒がしいね」
「騒がしいって何よー。せっかくの高校生活初日なんだから、もうちょっとテンション上げなよ!」
「ん?十分上がってるつもりだけど?」
「それで?」
ジト目でじっと顔を覗き込まれ、咲良は小さく肩をすくめてみせた。
「……まあ、通常運転なんじゃない?」
「通常運転って顔じゃないじゃーん。なんかもう、おでこに『寄ってきたら切る』って書いてあるよー!完全にバリア張ってるじゃん!」
「寄ってこないようにしてるの」
「え~、さーみーしーいー」
くねくねしてリアクションしてみせる茉那を見て、咲良はふっと口元だけで笑った。
こういう軽口をすんなりと叩ける自分に、今でも少しだけ違和感を覚える。
前の学校にいた頃の自分なら、誰かにこんな風に声をかけられただけで、言葉に詰まって俯いていただろう。
言いたいことをすべて喉の奥に飲み込んで、馬鹿にされても、傷つけられても、愛想笑いを浮かべてやり過ごすことしかできなかった。
でも、もうあんな惨めな思いはしない。
二度と誰かに踏みにじられないために、私はこの『完璧な女子高生』の仮面を被ったのだから。
「ねえ、咲良ってさ」
「なーに?」
「ほんっと可愛いよね。ほら、さっきからあっちの男子グループがめっちゃ見てるよ!」
「はあ?」
心底うんざりしたように眉を寄せると、茉那はくすくすと楽しそうに笑った。
「いや、その顔!その顔で睨むから、余計に男子がそわそわするんだって。なんかさ、綺麗なのに全然愛想がなくて、近寄りがたい感じ?それが逆にギャップになってていいみたいな?」
「褒めてる?」
「超褒めてるー!高嶺の花ってやつ」
「興味ないよ」
「うわ、一刀両断。出た出た」
興味がないというのは、強がりでも何でもなく、咲良の本音だった。
男子からどんな視線を向けられようが、褒め言葉を並べ立てられようが、告白されようが。
今の咲良にとっては、路傍の石ころと同じくらいどうでもいいことだ。
だって、知っているから。
人間なんて、中身ではなく、簡単に『外見』だけで人を選ぶのだ。
可愛いか、可愛くないか。
地味か、垢抜けているか。
陽キャか、陰キャか。
勝手に他人が作った基準で値踏みして、格付けして、自分より下だと見なせば容赦なく見下す。
その残酷さを、咲良は嫌というほど、身をもって知っていた。
(誰も信じない。私は、私のために、この綺麗な"つくられた嘘"で武装するだけ)
桜の絨毯を踏みしめながら、咲良は校舎へと歩みを進める。
そんな決意を揺るがすような出来事が、すぐ近くまで迫っていることなど、今の咲良はまだ知る由もなかった――。



