「修学旅行どうだった?」
「え!?」
大衡と弁当を食べてから一週間ほど経った昼休み。
左右田からの何てことない問いかけに、俺は思わずオーバーリアクションで唐揚げを取り落とした。
「ど、どうって……何が?」
「大衡くんと同じ班で嫌だって言ってたじゃん」
「えっ、あ、あー……」
そういえば、行く前にそんな話をしたっけ。その後色々ありすぎて忘れていた。
「散々愚痴られるんだろうと思ってたのに、何も言ってこないからさ」
「……」
「もしかして大衡くんと」
「何もないけど!?」
食い気味に遮ってしまった。左右田は疑いの目を俺に向けた。やばい、怪しまれてる。
「べ、別に普通に寺とか見て回っただけだし! あいつとは全然喋らなかったし! 帰りの新幹線だってずっと寝てたし!」
「ふーん……」
「だから何もなさすぎて言うことないっていうか、忘れてたっていうか……うん、とにかく何もないから大丈夫」
「……ふーん……」
「何もないってば!」
しどろもどろになったせいで、更に左右田の目が疑惑に染まる。友達に隠し事をするのは気が引けるけれど、さすがに「Takaくんの正体は大衡で、しかも俺が好き」なんて言えるはずない。言ったところで信じてもらえないか、俺の頭がどうかしたのかと思われる。
「……ま、いいけど。話したくなった時に話してくれれば」
「だから何もなくて……」
「はいはい、分かったって」
何を分かられたんだろう。でもこれ以上追求すると俺が墓穴を掘りそうだ。
「それより小山、今日ゲーセン寄ってかね? 新しいプライズが出たんだよな」
「あー、ごめん。今日用事あるんだ」
「珍しいな。なに?」
「……テスト勉強」
「は!?」
今度は左右田がウインナーを取り落とした。
「小山がテスト勉強……? しかもゲーセン断って?」
「い、いいじゃんたまには。俺だって補習は嫌だよ」
「それは分かるけどさぁ……なに、雪降らせるフラグ?」
「俺どんだけ勉強しないと思われてんだよ」
俺には見える。左右田の頭の上に浮かぶ疑問符が。
でもごめん。俺にはまだ、本当のことを――大衡と約束していることを打ち明ける度胸がないんだ。
その日の放課後、高校近くのファストフードにて。
「おい、そこの公式間違ってる」
「え……どこ?」
「ここだよ。ちゃんと見ろよ、馬鹿」
「いちいち馬鹿って言うなよ、馬鹿」
俺は窓際の二人掛けの席で大衡と向かい合っていた。テーブルの上にはハンバーガーとポテトとコーラ、そして数学のワーク。
来週の期末テストに向けて、この前約束したテスト勉強を二人ですることになった。ついでに食事の約束も叶えられて一石二鳥だ。
大衡は一年の頃から常に成績上位をキープしている。だから丁寧に教えてもらえば俺もいつもより良い点数が取れるかも……なんて少しだけ期待していたのだけど。
「それはこの公式使うってさっきも言っただろ。人の話聞いてんのかよ」
「聞いててもすぐには分かんなかったんだよ」
「なんで分かんねえのかが分かんねえ。やる気あんのか?」
「お前こそ教える気あんのかよ!」
おかしいだろ。どうしてまた喧嘩腰に戻ってるんだよ。
あの屋上前での出来事から、大衡は今まで以上に優しくなり……ということは全くなく、相変わらず顔を合わせれば言い争いになってしまう。他のみんなの前で仲良くしづらいのもあるだろうけど、人はそう簡単には変わらないようだ。
「もうちょっと優しく教えてくれてもいいのに……」
「いちいち文句言うな」
必死に問題を解いている俺とは違って、大衡は教科書を読んでいるだけだ。ガリ勉って感じでもないし、認めたくないけど地頭がいいんだろう。俺だって英語と数学以外は平均点を取れるのに、こいつのせいで自分が馬鹿なんじゃないかという気がしてくる。
「大衡ならもっと上の高校行けたんじゃねーの? 俺なんかよりよっぽど頭良いじゃん」
俺たちの高校の偏差値は悪くはないが良くもない。偏差値の高い進学校なら下田みたいなアホの陽キャも少ないだろうに。しかし大衡は事もなげに答えた。
「家から近いんだよ。歩いて来れる」
「え、それだけ?」
「特別荒れてるわけでもないしな。普通に授業受けて、あとは自分で勉強すればいいだろ」
「えー、もったいないことするなぁ。確かに近いのも羨ましいけどさ。俺は毎朝満員電車だよ」
「お前は踏み潰されそうだな」
「そんなに小さくねーわ」
大衡は頬杖をつき、教科書を捲りながら苦虫を噛み潰したような顔をした。
「俺、あんまり電車乗るの好きじゃねえんだよ。一駅だけとか休みの日だけならいいけど、毎日は無理」
「そんなに? なんで?」
「顔じろじろ見られたり、勝手に写真撮られたりするから」
「あー、なるほど……」
周りの目を引くほどのイケメンだから、つい見てしまう気持ちも分からなくもないけど……「しょうがない」とはならないよな。
「じゃあ次そういうことあったら、俺が盾になってやるよ。俺の顔なんて誰も撮らないだろうし」
「え……」
大衡は一瞬ぽかんとした後、小さく噴き出した。
「その身長でかよ。全然隠れねえだろ」
「はあ!? 余裕で隠れるわ!」
大衡の肩が震えている。せっかく名案を出したのに失礼な奴だ。
「まあ……気持ちだけ受け取っとく。ありがとな」
「……う、うん」
笑いながらもどこかほっとしたような顔を見せられると、何とも言えない気持ちになった。
俺は少し前まで、大衡みたいな奴はどうせ人生イージーモードなんだろうと思っていた。でもそんなに単純な話じゃないんだ。
「つーか口ばっかりじゃなくて手動かせよ。そんなんじゃテスト範囲終わんねえぞ」
「ちょっと休憩しない? ハンバーガー冷めるんだけど」
「しょうがねえな……」
呆れつつも教科書を閉じる大衡に倣い、俺もワークを一旦片付け、トレーを自分の前に引き寄せる。
大衡はまずスマホを取り出して写真を撮り始めた。
「それ投稿すんの?」
「一応。記録も兼ねてるしな」
Takaくんの正体を知らなかった頃の俺なら、きっと次の日には同じメニューを食べに行っていたと思う。それがまさか、こうして本人を前にして一緒にハンバーガーを食べることになるなんて想像していなかった。そりゃいつかTakaくん会えたらいいなと思っていたし、もし会えたら好きだと伝えたかったけど。
……いや、この好きはあくまで憧れているだけで、そういう意味で好きなわけじゃないけど!
「そういえば俺、小山のアカウント知らねえんだけど。教えろよ」
「えっ、無理」
反射的に断ると、大衡は眉を寄せた。
「は? なんで」
「恥ずかしいじゃん」
「……お前、なに投稿してんだよ」
「ちげーよ! ていうか基本見てるだけだ!」
あまり投稿しないのは本当だ。でもアカウントを知られたら、俺がしょっちゅう大衡の投稿をいいねしていたとバレてしまうかもしれない。
「早く教えろって」
「で、でも……」
「俺だけ知られてるのはズルいだろ」
「……」
そこを突っ込まれると何も言い返せない。プロフィール画面を開き、おずおずとスマホを差し出す。
「あー……この焼肉のアイコン、通知で見たことあるような、ないような」
「うそ、覚えてんの……?」
「さすがに全部は追えてねえよ。でもよく反応来るアカウントは何となく覚えてる」
マジかよ。俺なんてただの有象無象の一人なのに。無個性な初期アイコンにしておけば良かった。
「次からはもっと注意して通知見とくか」
「い、いいよ見なくて! もう食べよう!」
推しに認知されたい欲はない方だけど、いざ知られてしまうと嬉しさより恥ずかしさが勝つ。とにかく話題を変えよう。
ハンバーガーの包み紙を開き、まずカメラを起動して向けてみた。
食べ物といえば、やっぱり真上からのアングルだ。そう思って一枚撮ってみたけれど、なんか……違う。美味しそうに見えない。
「何でもかんでも上から撮ればいいわけじゃねえよ」
設定が悪いのかと思ってあちこちいじりまくっていたら、盛大にため息をつかれた。
「こういうのは高さが目立つように横から撮るんだよ。で、背景ぼかす」
「え、待って。どうやんの?」
大衡にスマホを手渡そうとした時――不意に、指先同士が触れた。
「……っ!」
反射的にスマホを離してしまった。かつんと小さな音を立ててテーブルに落ちる。
「……画面割れるぞ」
「ご、ごめん」
ただ手がぶつかっただけ。こんなのよくあることだ。でも、指先には確かに温もりが残っていた。
「あ、えっと……やっぱり写真、大丈夫」
「……分かった」
会話が途切れ、ざわつく店内で沈黙が訪れる。
意識しないようにしても、ついテーブルの上にある大衡の手を見てしまう。一瞬触れただけでこんなふうになるなら、もっと長く触れ合っていたらどうなっちゃうんだろう。
手を膝の上で軽く握り、大衡の顔に視線を動かす。澄ました顔がわずかに赤くなっているのは俺の見間違いだろうか。
もしも。もしも大衡と付き合ったら。手を繋いだり、抱きしめたり……キス、したりするんだ。……できるのかな、そんなこと。したいって思えるのかな……。
どことなく居た堪れない空気感の中、どちらからともなく食事を進めた。いつもちょうどいい塩気のポテトが、今日はあんまり味がしない。
大衡はドリンクのカップに手を伸ばした。乾燥しているこの時期でも荒れていない唇が薄く開く。ストローを咥える仕草がスローモーションみたいに見えて……。
「お、俺ちょっとトイレ!」
勢いよく立ち上がったら椅子ががたんと鳴った。大衡の返事を聞く前に、逃げるように席を離れる。
今日の俺、なんか変だ。どうしてこんなにドキドキしてるんだろう。
一人になったらようやく心拍数が落ち着いて、席に戻れた。ハンバーガーを食べ終えたら、またダメ出しを食らいながら勉強を進めた。
「あー、疲れた……」
今日の目標の範囲が終わり、俺は思い切り伸びをした。一年分の数式を解いた気分だ。
大衡の教え方はともかく、一人でやるよりはだいぶ捗ったと思う。
「まだ全部は終わってねえんだから、自分でもちゃんとやれよ」
「分かってるよ……」
厳しすぎるだろ。絶対家庭教師とか向いてない。
店を出るとひやりとした秋風が通り過ぎた。首元がスースーして肌寒い。ちょっと前まで暑かったのに、もうすぐそこに冬の気配がする。
店の外にはクリスマス限定メニューの予告の看板が立てられていた。クリスピーチキンか。おいしそうだなぁ……。また食べに来ようかな。
「まだ食い足りないのかよ」
「見てただけだって」
大衡も看板に目を留めた。ずいぶんまじまじと見ている。食べたいのか?
「……お前、クリスマスは?」
大衡は看板の方を向いたまま言った。
「なんも予定ないけど」
「だろうな」
「どういう意味だよ、それ」
またこいつは人をぼっち扱いしやがって……。すると大衡は目線だけを俺に移した。
「じゃあ空けとけよ。俺も空いてるから」
「……へ?」
思わず間の抜けた声が出てしまった。
「どうせ暇なんだろ」
「暇は暇だけど……ふ、二人で会うってこと……?」
「……嫌ならいいけど」
大衡はまたそっぽを向いてしまった。そのまま背を向けて歩き出そうとするのを、袖を掴んで止める。
「い、嫌じゃない」
「……ほんとか?」
「……うん」
小さく頷けば、大衡の表情が緩み、身体から力が抜けたようだった。
「行きたいところとか、食いたいもんとか考えとけよ」
「わ、分かった。調べとく」
「あと絶対補習になるなよ。クリスマス潰れるだろ」
「あ……」
もしかして、やたらとスパルタ指導だったのは、俺とクリスマスを過ごすため……とか?
そう思った瞬間、せっかく落ち着かせた心臓がまた暴れ出した。大衡の顔を見ていられなくて咄嗟に俯く。
「分かった、がんばるから。クリスマス……た、楽しみに、してる」
なんとか言葉にして、視線を上向けてみる。大衡は「俺も」と返してくれた。その瞳は熱を帯びているように見えた。
その日の夜、大衡のSNSが更新された。ハンバーガーの写真と、『#放課後』というシンプルなハッシュタグがひとつ。
俺たちだけに分かる写真が増えていくたび、胸がきゅっと苦しくなる。それは痛みにも似ていて……でも嫌な感覚じゃない。
修学旅行からだいぶ日が経つのに、気持ちの整理をつけるどころか、更にぐちゃぐちゃになっている。
いつになったら、俺は心を決められるんだろう。大衡は、ずっとどんな思いで待っているんだろう。
考えても考えても、すぐに答えは出なかった。
「え!?」
大衡と弁当を食べてから一週間ほど経った昼休み。
左右田からの何てことない問いかけに、俺は思わずオーバーリアクションで唐揚げを取り落とした。
「ど、どうって……何が?」
「大衡くんと同じ班で嫌だって言ってたじゃん」
「えっ、あ、あー……」
そういえば、行く前にそんな話をしたっけ。その後色々ありすぎて忘れていた。
「散々愚痴られるんだろうと思ってたのに、何も言ってこないからさ」
「……」
「もしかして大衡くんと」
「何もないけど!?」
食い気味に遮ってしまった。左右田は疑いの目を俺に向けた。やばい、怪しまれてる。
「べ、別に普通に寺とか見て回っただけだし! あいつとは全然喋らなかったし! 帰りの新幹線だってずっと寝てたし!」
「ふーん……」
「だから何もなさすぎて言うことないっていうか、忘れてたっていうか……うん、とにかく何もないから大丈夫」
「……ふーん……」
「何もないってば!」
しどろもどろになったせいで、更に左右田の目が疑惑に染まる。友達に隠し事をするのは気が引けるけれど、さすがに「Takaくんの正体は大衡で、しかも俺が好き」なんて言えるはずない。言ったところで信じてもらえないか、俺の頭がどうかしたのかと思われる。
「……ま、いいけど。話したくなった時に話してくれれば」
「だから何もなくて……」
「はいはい、分かったって」
何を分かられたんだろう。でもこれ以上追求すると俺が墓穴を掘りそうだ。
「それより小山、今日ゲーセン寄ってかね? 新しいプライズが出たんだよな」
「あー、ごめん。今日用事あるんだ」
「珍しいな。なに?」
「……テスト勉強」
「は!?」
今度は左右田がウインナーを取り落とした。
「小山がテスト勉強……? しかもゲーセン断って?」
「い、いいじゃんたまには。俺だって補習は嫌だよ」
「それは分かるけどさぁ……なに、雪降らせるフラグ?」
「俺どんだけ勉強しないと思われてんだよ」
俺には見える。左右田の頭の上に浮かぶ疑問符が。
でもごめん。俺にはまだ、本当のことを――大衡と約束していることを打ち明ける度胸がないんだ。
その日の放課後、高校近くのファストフードにて。
「おい、そこの公式間違ってる」
「え……どこ?」
「ここだよ。ちゃんと見ろよ、馬鹿」
「いちいち馬鹿って言うなよ、馬鹿」
俺は窓際の二人掛けの席で大衡と向かい合っていた。テーブルの上にはハンバーガーとポテトとコーラ、そして数学のワーク。
来週の期末テストに向けて、この前約束したテスト勉強を二人ですることになった。ついでに食事の約束も叶えられて一石二鳥だ。
大衡は一年の頃から常に成績上位をキープしている。だから丁寧に教えてもらえば俺もいつもより良い点数が取れるかも……なんて少しだけ期待していたのだけど。
「それはこの公式使うってさっきも言っただろ。人の話聞いてんのかよ」
「聞いててもすぐには分かんなかったんだよ」
「なんで分かんねえのかが分かんねえ。やる気あんのか?」
「お前こそ教える気あんのかよ!」
おかしいだろ。どうしてまた喧嘩腰に戻ってるんだよ。
あの屋上前での出来事から、大衡は今まで以上に優しくなり……ということは全くなく、相変わらず顔を合わせれば言い争いになってしまう。他のみんなの前で仲良くしづらいのもあるだろうけど、人はそう簡単には変わらないようだ。
「もうちょっと優しく教えてくれてもいいのに……」
「いちいち文句言うな」
必死に問題を解いている俺とは違って、大衡は教科書を読んでいるだけだ。ガリ勉って感じでもないし、認めたくないけど地頭がいいんだろう。俺だって英語と数学以外は平均点を取れるのに、こいつのせいで自分が馬鹿なんじゃないかという気がしてくる。
「大衡ならもっと上の高校行けたんじゃねーの? 俺なんかよりよっぽど頭良いじゃん」
俺たちの高校の偏差値は悪くはないが良くもない。偏差値の高い進学校なら下田みたいなアホの陽キャも少ないだろうに。しかし大衡は事もなげに答えた。
「家から近いんだよ。歩いて来れる」
「え、それだけ?」
「特別荒れてるわけでもないしな。普通に授業受けて、あとは自分で勉強すればいいだろ」
「えー、もったいないことするなぁ。確かに近いのも羨ましいけどさ。俺は毎朝満員電車だよ」
「お前は踏み潰されそうだな」
「そんなに小さくねーわ」
大衡は頬杖をつき、教科書を捲りながら苦虫を噛み潰したような顔をした。
「俺、あんまり電車乗るの好きじゃねえんだよ。一駅だけとか休みの日だけならいいけど、毎日は無理」
「そんなに? なんで?」
「顔じろじろ見られたり、勝手に写真撮られたりするから」
「あー、なるほど……」
周りの目を引くほどのイケメンだから、つい見てしまう気持ちも分からなくもないけど……「しょうがない」とはならないよな。
「じゃあ次そういうことあったら、俺が盾になってやるよ。俺の顔なんて誰も撮らないだろうし」
「え……」
大衡は一瞬ぽかんとした後、小さく噴き出した。
「その身長でかよ。全然隠れねえだろ」
「はあ!? 余裕で隠れるわ!」
大衡の肩が震えている。せっかく名案を出したのに失礼な奴だ。
「まあ……気持ちだけ受け取っとく。ありがとな」
「……う、うん」
笑いながらもどこかほっとしたような顔を見せられると、何とも言えない気持ちになった。
俺は少し前まで、大衡みたいな奴はどうせ人生イージーモードなんだろうと思っていた。でもそんなに単純な話じゃないんだ。
「つーか口ばっかりじゃなくて手動かせよ。そんなんじゃテスト範囲終わんねえぞ」
「ちょっと休憩しない? ハンバーガー冷めるんだけど」
「しょうがねえな……」
呆れつつも教科書を閉じる大衡に倣い、俺もワークを一旦片付け、トレーを自分の前に引き寄せる。
大衡はまずスマホを取り出して写真を撮り始めた。
「それ投稿すんの?」
「一応。記録も兼ねてるしな」
Takaくんの正体を知らなかった頃の俺なら、きっと次の日には同じメニューを食べに行っていたと思う。それがまさか、こうして本人を前にして一緒にハンバーガーを食べることになるなんて想像していなかった。そりゃいつかTakaくん会えたらいいなと思っていたし、もし会えたら好きだと伝えたかったけど。
……いや、この好きはあくまで憧れているだけで、そういう意味で好きなわけじゃないけど!
「そういえば俺、小山のアカウント知らねえんだけど。教えろよ」
「えっ、無理」
反射的に断ると、大衡は眉を寄せた。
「は? なんで」
「恥ずかしいじゃん」
「……お前、なに投稿してんだよ」
「ちげーよ! ていうか基本見てるだけだ!」
あまり投稿しないのは本当だ。でもアカウントを知られたら、俺がしょっちゅう大衡の投稿をいいねしていたとバレてしまうかもしれない。
「早く教えろって」
「で、でも……」
「俺だけ知られてるのはズルいだろ」
「……」
そこを突っ込まれると何も言い返せない。プロフィール画面を開き、おずおずとスマホを差し出す。
「あー……この焼肉のアイコン、通知で見たことあるような、ないような」
「うそ、覚えてんの……?」
「さすがに全部は追えてねえよ。でもよく反応来るアカウントは何となく覚えてる」
マジかよ。俺なんてただの有象無象の一人なのに。無個性な初期アイコンにしておけば良かった。
「次からはもっと注意して通知見とくか」
「い、いいよ見なくて! もう食べよう!」
推しに認知されたい欲はない方だけど、いざ知られてしまうと嬉しさより恥ずかしさが勝つ。とにかく話題を変えよう。
ハンバーガーの包み紙を開き、まずカメラを起動して向けてみた。
食べ物といえば、やっぱり真上からのアングルだ。そう思って一枚撮ってみたけれど、なんか……違う。美味しそうに見えない。
「何でもかんでも上から撮ればいいわけじゃねえよ」
設定が悪いのかと思ってあちこちいじりまくっていたら、盛大にため息をつかれた。
「こういうのは高さが目立つように横から撮るんだよ。で、背景ぼかす」
「え、待って。どうやんの?」
大衡にスマホを手渡そうとした時――不意に、指先同士が触れた。
「……っ!」
反射的にスマホを離してしまった。かつんと小さな音を立ててテーブルに落ちる。
「……画面割れるぞ」
「ご、ごめん」
ただ手がぶつかっただけ。こんなのよくあることだ。でも、指先には確かに温もりが残っていた。
「あ、えっと……やっぱり写真、大丈夫」
「……分かった」
会話が途切れ、ざわつく店内で沈黙が訪れる。
意識しないようにしても、ついテーブルの上にある大衡の手を見てしまう。一瞬触れただけでこんなふうになるなら、もっと長く触れ合っていたらどうなっちゃうんだろう。
手を膝の上で軽く握り、大衡の顔に視線を動かす。澄ました顔がわずかに赤くなっているのは俺の見間違いだろうか。
もしも。もしも大衡と付き合ったら。手を繋いだり、抱きしめたり……キス、したりするんだ。……できるのかな、そんなこと。したいって思えるのかな……。
どことなく居た堪れない空気感の中、どちらからともなく食事を進めた。いつもちょうどいい塩気のポテトが、今日はあんまり味がしない。
大衡はドリンクのカップに手を伸ばした。乾燥しているこの時期でも荒れていない唇が薄く開く。ストローを咥える仕草がスローモーションみたいに見えて……。
「お、俺ちょっとトイレ!」
勢いよく立ち上がったら椅子ががたんと鳴った。大衡の返事を聞く前に、逃げるように席を離れる。
今日の俺、なんか変だ。どうしてこんなにドキドキしてるんだろう。
一人になったらようやく心拍数が落ち着いて、席に戻れた。ハンバーガーを食べ終えたら、またダメ出しを食らいながら勉強を進めた。
「あー、疲れた……」
今日の目標の範囲が終わり、俺は思い切り伸びをした。一年分の数式を解いた気分だ。
大衡の教え方はともかく、一人でやるよりはだいぶ捗ったと思う。
「まだ全部は終わってねえんだから、自分でもちゃんとやれよ」
「分かってるよ……」
厳しすぎるだろ。絶対家庭教師とか向いてない。
店を出るとひやりとした秋風が通り過ぎた。首元がスースーして肌寒い。ちょっと前まで暑かったのに、もうすぐそこに冬の気配がする。
店の外にはクリスマス限定メニューの予告の看板が立てられていた。クリスピーチキンか。おいしそうだなぁ……。また食べに来ようかな。
「まだ食い足りないのかよ」
「見てただけだって」
大衡も看板に目を留めた。ずいぶんまじまじと見ている。食べたいのか?
「……お前、クリスマスは?」
大衡は看板の方を向いたまま言った。
「なんも予定ないけど」
「だろうな」
「どういう意味だよ、それ」
またこいつは人をぼっち扱いしやがって……。すると大衡は目線だけを俺に移した。
「じゃあ空けとけよ。俺も空いてるから」
「……へ?」
思わず間の抜けた声が出てしまった。
「どうせ暇なんだろ」
「暇は暇だけど……ふ、二人で会うってこと……?」
「……嫌ならいいけど」
大衡はまたそっぽを向いてしまった。そのまま背を向けて歩き出そうとするのを、袖を掴んで止める。
「い、嫌じゃない」
「……ほんとか?」
「……うん」
小さく頷けば、大衡の表情が緩み、身体から力が抜けたようだった。
「行きたいところとか、食いたいもんとか考えとけよ」
「わ、分かった。調べとく」
「あと絶対補習になるなよ。クリスマス潰れるだろ」
「あ……」
もしかして、やたらとスパルタ指導だったのは、俺とクリスマスを過ごすため……とか?
そう思った瞬間、せっかく落ち着かせた心臓がまた暴れ出した。大衡の顔を見ていられなくて咄嗟に俯く。
「分かった、がんばるから。クリスマス……た、楽しみに、してる」
なんとか言葉にして、視線を上向けてみる。大衡は「俺も」と返してくれた。その瞳は熱を帯びているように見えた。
その日の夜、大衡のSNSが更新された。ハンバーガーの写真と、『#放課後』というシンプルなハッシュタグがひとつ。
俺たちだけに分かる写真が増えていくたび、胸がきゅっと苦しくなる。それは痛みにも似ていて……でも嫌な感覚じゃない。
修学旅行からだいぶ日が経つのに、気持ちの整理をつけるどころか、更にぐちゃぐちゃになっている。
いつになったら、俺は心を決められるんだろう。大衡は、ずっとどんな思いで待っているんだろう。
考えても考えても、すぐに答えは出なかった。



