インフルエンサー

 修学旅行の代休の翌日、いつもより気を張って通学路を歩いた。
 大衡に会うのは二日ぶりだ。今まで通りだと宣言したにも関わらず、時間を置いたら余計に恥ずかしくなってしまった。
 どんな顔をして会えばいいのか分からないけれど、俺はちゃんと大衡に向き合うと決めた。そして自分の気持ちも整理しないといけない。
 教室の扉をゆっくり開く。入る前にそっと覗いてみれば、大衡はもう登校していた。姿が見えただけでドキドキしてくる。
「お……おはよ」
 勇気を出して自分から挨拶をしてみると、大衡の顔が俺に向いた。その口角が意地悪く上がる。
「なんだよ、身長だけじゃなくて声まで小せえのか」
「は? 身長関係ないだろ」
 反射的に言い返してしまった。ていうか挨拶くらい返せよ。好きバレをきっかけに学校でも少しは優しくなるかもと思っていたけれど、あらゆる意味でいつも通りすぎて拍子抜けだ。
「そういえば小山、今日数学で当たるんじゃねえの」
「え……そうだっけ」
「やっぱり忘れてたか。いつまで修学旅行気分で浮かれてるんだよ」
「浮かれてねーよ!」
 昨夜、大衡のSNSには修学旅行三日分の写真が再度投稿されていた。『#修学旅行』『#京都』のシンプルなハッシュタグだけの投稿にはたくさんのいいねがついていた。
 俺とのことはなかったことにはなっていない、と思うんだけど……俺に対する気遣いや優しさは京都に置き忘れてきたらしい。
「どうしてもって言うなら教えてやるけど」
「いらねーよ、自分でできる」
 だめだ、つい張り合ってしまう。このままじゃ落ち着いて会話もできない。
 そのうち大衡は女子に囲まれ、もう俺が声をかけられる雰囲気ではなくなった。この調子で大丈夫なのかな……。



 チャイムと同時に授業が終わり、昼休みを迎えた教室内はにわかに騒がしくなる。
 予想通り、四時間目の数学で当てられた。なんとか乗り切れて良かった。でも頭を使いすぎてやけにお腹が空いてしまった。
 普段ならすぐさま隣のクラスに行くところだけど、今日は左右田から「風邪引いたから休む」と連絡が来た。
 しょうがない、一人で食べるか。いきなり違うグループに割り込むのも気を遣ったり遣われたりで申し訳ないしな。
 自分の机に弁当を広げようとしたら、隣の大衡の席に一軍陽キャたちが集まり出した。
「大衡、購買行く?」
「行かねえ。今日は弁当」
「なんだよー、奢ってもらおうと思ったのに!」
 ……こいつら、なんでいつもうるさいんだ。そのエネルギーをもっと世の中の為に使えばいいのに……。
 上野と下田は連れ立って購買へ向かった。静かになった今のうちに昼食を済ませてしまおうと思った時、ふと気づいた。
 もしかして、大衡を昼飯に誘うチャンスなんじゃないか?
 大衡が一人でいるタイミングは貴重だ。下田たちはきっとすぐ戻ってくる。誘ったところで断られる可能性もあるけれど、大衡のことをもっと知るためには、ただ受け身なだけじゃいられない。
 一度拳を握り、自分を奮い立たせる。
「大衡、良かったら、その……一緒に食べない……?」
 たったそれだけの誘いなのに、声が上擦りそうになった。大衡の目がほんの少し見開かれる。
「俺と二人が嫌なら、上野と下田が一緒でもいいし」
 本当はあいつらがいたら騒がしくて嫌だけど、背に腹は代えられない。しばらくの沈黙の後、大衡は下田たちが出ていった扉を一瞥した。
「お前は、隣行かねえの?」
「うん、今日は友達休みだから。つーか、俺が隣のクラスで弁当食べてるって知ってたんだ?」
「……」
 そんなこと話した覚えはないけど……たまたま見かけたとかだろうか。
 大衡は俺の問いに答えず、自身の保冷バッグとスープジャーを持って席を立った。
「来いよ」
「え、なに?」
「いい場所教えてやる」
「は……?」
 ぽかんとしていると、大衡は俺に背を向けたまま続けた。
「あいつらがいると話せないだろ。早く来い」
 大衡は俺の反応を窺うように僅かに振り返った。もしかしたら緊張しているのかもしれない横顔を見たら、俺も自然とその背を追っていた。



 連れてこられたのは屋上に続く扉の前だった。辺りに人気(ひとけ)はなく、校内の賑わいが遠くに聞こえる。
「屋上って入れんの?」
「鍵かかってる。行けるのはここまでだな」
 大衡は扉の前に腰を下ろした。俺も釣られて隣に座る。床のひやりとした感触が伝わってきた。
 ここに来たのは初めてだ。天井近くにある窓から光が入ってきて暗くはないが、ろくに景色も見えない。
「そんなに居心地良くなさそうだけど」
「そうだな、夏は暑くて冬は寒い」
「じゃあなんでこんなとこに……」
「ここは穴場なんだよ。誰も来ねえから」
 大衡は膝の上に保冷バッグを乗せ、サンドイッチケースを取り出した。ケースの中にはパストラミサンドがきっちり収まっていた。厚切りのトーストに薄くスライスされた肉とレタスが挟まれていて、彩りが良くておいしそうだ。
 スープジャーからはクリームシチューのいい香りが漂っている。ずいぶん小洒落た弁当だな。まあ俺の海苔弁も負けてないけど。
「ここ、よく来るの?」
「たまに。一人になりたい時とか」
「あー……上野も下田もずっとうるさいからなぁ……」
「悪い奴らじゃないんだけどな」
 その時、小さなバイブレーションの音がした。大衡はスラックスのポケットからスマホを取り出すと、ちらりと画面を見ただけでポケットに戻した。
「呼び出し?」
「気にすんな。後で適当に誤魔化しとく」
 大衡はサンドイッチを齧った。イケメンがオシャレなものを食べていると様になりすぎる。
 咀嚼している口の動きを何気なく見ていたら、ふと修学旅行でのカフェのことを思い出した。
 そういえばあの時、プリンと抹茶ラテをお互いに味見した。あれって今考えると、間接……。
「……っ!」
 ぼぼっと頬が熱くなる。あの時は変な意味なんてなかった。そういう意図もなかった。でも結果的にはそうなってしまったわけで……。
 というか、大衡からしてみれば、俺――つまり好きな人相手だったのだ。なんかめちゃくちゃ恥ずかしい。
 意識を逸らせようと、俺もひたすら箸を動かす。食べる、というより詰め込むように米をかき込むとすぐに完食してしまった。
「早食いすぎるだろ」
「いいんだよ、腹減ってたから」
 ただ話しているだけなのにそわそわしてくる。俺からも何か話そうか……でも大衡は一人になりたいんだっけ。あれ、俺ここにいていいのか? 誘われたからいいのかな? 分からなくなってきた。
「えっと……俺、戻ろうかな」
 これ以上二人きりでいると更に混乱しそうだ。思考を渦巻かせながらそう言うと、大衡は食事の手を止めた。
「なんか用でもあんのかよ」
「そうじゃないけど……ど、どうせお前、俺がいたら邪魔だとか言うだろ」
「……言わねえよ」
 照れ隠しでわざと嫌味がましく言ってみるが、真剣な表情を返された。
「お前は別だから」
「……そ、そうなんだ」
 どことなく、さっきとは空気感が変わった気がする。意味もなくランチバッグのファスナーを開けたり閉めたりしていると、大衡は打って変わって俺ににやりとした笑みを向けた。
「小山のサイズなら大して視界に入らねえからな」
「はあ?」
 いきなり喧嘩を売られて低い声が出た。
「また身長いじりかよ。つーかそこまで小さくねえよ。俺が見えないくらい目悪いなら眼科行った方がいいんじゃねえの」
「心配しなくても、お前が小さいことには変わりねえから」
「誰が心配なんかするか!」
 ああムカつく。距離が縮まった気がしなくもなくもなかったけど、やっぱりこいつはベースが嫌な奴だ。もう教室戻って寝てよう。
 しかし俺が腰を浮かせかけた時、大衡の表情がふっと緩んだ。
「とにかく、まだここにいろよ」
「……」
 意地が悪いかと思えば、こんなふうに名残惜しそうな声を出すものだから、俺は何も言えなくなってしまう。大衡の素の顔を見るたびに、こいつのことを少し分かった気もするし、さらに分からなくなった気もする。
 ……もっと色々知れば、また印象も変わるのかな。
「大衡ってさ……なんか趣味とかあんの」
「なんだよその質問。合コンか?」
「茶化すな!」
 大衡と出会って半年以上経つけれど、いつもすぐに言い争いになってしまう。でもそれだけじゃきっと、駄目なんだ。
「大衡のこと知りたいって言っただろ。おかしいかよ」
「……」
 大衡は一旦口を閉じ、言葉を探すように視線を宙に向けた。
「趣味は、そうだな……服屋見たり、カフェ行ったり……あとは音楽聴いたりとか」
「昔からファッション系好きだった?」
「まあ。父親も母親もアパレル関係だから、自然に興味持った感じだな。お前は?」
「俺はゲームと漫画かな。SNSも結構見るけど」
「しょっちゅうスマホ見てるもんな、お前」
「だって好きなものの写真とか見るの楽しいじゃん」
 あれ、なんか普通に会話できてる。当たり前だけど、落ち着いて話せば喧嘩にはならないんだな。
「大衡こそ、あんだけフォロワー多けりゃ楽しいだろ」
「狙って増やしたわけじゃねえよ。息抜きで投稿してたら、いつの間にか増えてただけ」
「マジかよ……」
 世の中のバズ狙いインフルエンサーから反感を買いそうなセリフだ。ネット上では絶対言わない方がいいと思う。
「じゃあ、得意な教科は?」
「得意っつーか、苦手な教科がない」
「うわー、嫌味な奴……」
「小山は数学と英語が苦手なんだろ」
「そうだけど、なんで知ってんの?」
「見てれば分かる。授業中よく寝てるし」
 ……隣の席だから視界に入るってこと? それとも俺を見ているから……なんだろうか。
「この前の小テストもなかなかヤバい点数だったな」
「えっ……な、なんで知ってんの?」
「だからって運動もできねえよな。体育の時、頭にバスケのボールぶつけてただろ」
「そんなことまで知ってんのかよ!?」
 どれだけ見てるんだよ、こいつ。しかも俺の恥ずかしいところばっかり。
 二条城のベンチで話した時、大衡は俺を目で追っていると言っていた。俺は全く気づいていなかったけど。
 大衡は、どのくらい俺が好きなんだろう。俺が想像しているよりも、好きだったりするのかな。そう思うとむず痒いと言うか、何と言うか……。
「運動神経はともかく、勉強なら見てやってもいいけど。どうせ次のテストもヤバいんだろ」
「……ちょっとしかヤバくないし」
「ヤバいんじゃねえか」
 大衡の言う通り、二週間後の期末テストはあまり自信がない。でも大衡に頼るのはなんか悔しい。
「自分で何とかするから大丈夫だよ」
「ほんとか? ろくにノートも取ってねえくせに」
「そ、そんなことねーよ。ところどころ抜けてるだけで……」
「それじゃ意味ねえだろ」
「……やっぱノートだけ貸して」
「だったら直接教えた方が早い」
 そういうものなのか? 人に教えた経験なんてないから分からない。でも教えてもらった方が安心なのは確かだ。
 ……仕方ない、一回プライドは捨てよう。
「じゃあ……よろしく」
 そう言うと同時に予鈴が鳴った。もう昼休みは終わりだ。なんだかあっという間だったな。
 大衡は荷物を持って立ち上がった。
「先行く。二人で戻るとツッコまれそうだから」
「あ……そうだよな」
 一緒に教室まで戻るのだと思っていたけれど、俺がいると下田たちへの言い訳が余計に面倒になるんだろう。
 大衡が先に階段を下り始める。その背が遠くなる前に、俺はほぼ無意識のうちに大衡を呼び止めていた。
「大衡、また一緒に飯食える?」
「……え」
「まだあんまり話せてないし……それに、俺には愛想笑いしなくていいからちょっとは楽だろ?」
 どうして俺、必死に引き留めるみたいなことしてるんだろう。
 大衡はゆっくり振り返った。階段を下りかけた顔は俺とほぼ同じ高さにあり、まっすぐ視線が交わされる。
 大衡は驚いた表情で俺の目をじっと見た後、微笑みを見せた。
「分かった。また今度な」
「……うん」
 俺が頷くのを確認して、大衡はまた踵を返した。踊り場を曲がって姿が見えなくなってから、俺も階段に一歩踏み出す。
 俺と大衡だけが知っているこの場所での、「また今度」なんて曖昧な約束。その特別感をほんの少し嬉しく思ったことは、大衡には秘密にしておこう。