インフルエンサー

 大衡が出て行ってからしばらくすると、下田が部屋に入ってきた。
「なんか代わってくれって言われたんだけど、なんで?」
 下田は不思議そうに首を傾げている。理由なんて答えられるわけがない。適当な言い訳を探していると、部屋の隅にどさりと荷物が置かれた。
「まーいいけどさ。小山がなんかやらかしたとか?」
「違うけど……つーか俺が悪い前提かよ」
「だって大衡がなんかやるとは思えないし」
 いやいや、あいつ俺に対しては態度悪すぎるからな。でも言ったところでどうせ信じてもらえないだろう。
「はあ、一気に暇になったな……もう寝るか?」
 大きな欠伸をひとつして、下田は布団にごろりと寝転がった。こいつ、うっすら失礼な奴だな。しかもたぶん悪気がない。大衡はこいつとつるんでいて疲れないんだろうか。

 ――俺、別に人付き合いとか好きじゃねえんだよ。

 大衡の言葉とともに、偽物の笑顔を思い出す。
 今は上野と同じ部屋にいるはずだ。また無理して笑っているのかな。さっきまでのことなんて、なかったような顔をして。
「……あのさ、大衡ってどんな奴?」
 つい、ぽつりとそう零していた。下田は仰向けになり、スマホの画面から視線を離さずに答えた。
「普通にいい奴じゃん。ノリいいし」
「うーん……そう、かな……」
「そうだろ。あいつがいると盛り上がるんだよなー。それにほら、あの顔だろ? 女子ウケいいから助かるっていうか」
「……」
 俺のイメージとはまるで違う。あいつは俺の前では意地悪で、いつも俺を馬鹿にしてきて……でも俺には愛想笑いはしなくて、意外と優しいところも少しだけあって。
 夜中にトイレについてきてくれたり、体調を心配してくれたり、照れると耳が赤くなったり。
 ……それを知っているのは、俺だけなんだ。
「喧嘩したのか知らんけど、さっさと謝っちゃえば?」
「喧嘩じゃないって」
「あいつ怒らせると、たぶん全女子が敵になるぞ」
「だから違うってば」
 いくら否定してもアホの陽キャには通じないらしい。途中でバカバカしくなってきて、俺も諦めて布団に横になった。
「小山もう寝んの?」
「なんか疲れたんだよ……」
 今日は寝不足だし、早めに寝ておきたい。でも疲労感はあるのに目は冴えている。今夜も長い夜になりそうだ。目を瞑っているだけでも少しは休めるかな。
 スマホのアラームをセットして、画面を消す前にもう一度SNSのアプリを起動する。
 もしかしたら、追加の投稿があるかもしれない。大衡の考えや気持ちが分かる何かが……。半ば祈るような気持ちでタイムラインを確認していく。
 ――けれど。
「……ない……」
 何度もリロードして、スクロールする。でも、ない。見つからない。
 Takaくん――大衡のアカウントからは、この二日間の投稿が削除されていた。



 修学旅行三日目の朝。アラームより先に起きてしまった。今日も最悪の目覚めだ。
 昨夜は消灯時間より早く布団に入ったのに、大衡のことや修学旅行のこと、俺の気持ち、そもそも恋とは、好きの定義とは……みたいにぐるぐると考えすぎてろくに眠れなかった。
「はよー、小山」
「……おはよ」
「なんだよ、暗いなー」
「朝からそんな元気出ないって……」
 下田は一度寝ると起きないタイプらしく、朝までぐっすりだった。そして寝相が悪くて何度も蹴飛ばされた。もう二度と隣で寝たくない。

 三日目はクラス単位で工場見学や工芸制作などの体験をする予定になっていて、班行動の時間はない。大衡とはホテルのロビーに集合した時に目が合ったけれど、すぐに逸らされてしまった。
 それからバスでの移動中も、飲料メーカーの工場に着いてからも、大衡は俺に一切近づいてこなかった。
 ベルトコンベアの上を流れるペットボトルをぼんやりと眺めていたら、昨日大衡が買ってくれたスポーツドリンクを思い出した。もしあの時最後まで話を聞けていたら、何かが違っていたんだろうか。たらればを言っても仕方ないけれど……考えずにはいられない。
 あんなにムカついていたのに、嫌な奴だと思っていたのに、まるで胸にぽっかりと穴が空いたようだ。
 見学中も土産物屋でも、大衡の周りには常に誰かしらがいた。
「大衡、お土産どうすんの? やっぱ木刀?」
「お前はそういうの好きそうだな」
「ねえ大衡くん、なんかお揃いで買お」
「いいのかよ、彼氏に怒られるだろ」
 会話に答えている大衡の目の下には薄く隈ができていた。……眠れないよな、あんなことがあったら。でもいくら気にしても俺が声をかける余地はなくて、呆気なく一日のスケジュールが終わってしまった。
 帰りの新幹線の座席は、俺が三列シートの窓側、大衡は通路を挟んだ二列シートの窓側。大衡の隣には下田が座っている。
 大衡は疲れの滲んだ顔で下田のマシンガントークを浴びていた。あの調子だと、下田は東京に着くまで延々と喋り続けそうだ。
 発車時刻まであと二分。新幹線を降りれば、修学旅行という非日常は終わる。このまま日常に戻っても、きっと俺と大衡は元通りには戻れない。
 本当にこのまま終わらせていいのか? もっと、大衡と話さなきゃいけないことがあるんじゃないだろうか。
「……ごめん、ちょっと通して」
 隣に断りを入れて席を立つ。通路まで出ると、俺は手汗をかきながら口を開いた。
「あ、あの、下田! 俺と席交換してくれない?」
「は……? なんで?」
 下田に不審げな目を向けられる。それもそうだろう、いきなりこんなことを言ったら怪しまれても仕方ない。俺は脳味噌をフル回転させた。
「下田、今日いっぱい写真撮ってたからスマホ充電した方がいいんじゃない? 窓側ならコンセント使えるし、どうかなって」
 本当は下田が写真を撮っていたかどうかなんて見ていなかった。でもこれしか思いつかない。
 しばしの沈黙。言い訳が苦しすぎたか……?
 諦めかけた直後、下田は満面の笑みを浮かべた。
「小山、お前いい奴だなー! 気が利くじゃん!」
 背中をばしんと叩かれた。い、痛い。もうやだ、このノンデリ。
 下田は俺が本来座るはずだった窓側の席へ移動した。途端に陽キャどもが騒ぎだしてうるさくなったが、とりあえず目的達成だ。
 安堵と緊張がない混ぜになりながら、俺は大衡の隣の席に腰を下ろした。同時に発車ベルが鳴り、ゆっくりと新幹線が動き出す。俺と下田の会話は大衡にも聞こえていたはずだが、彼はずっと頬杖をついて窓の外を眺めていた。
「眠くなったら寝ていいよ。俺、静かにしてるから」
 そう告げると大衡は俺を一瞥した。そしてまた窓に視線を向ける。
「……何考えてんだよ、お前」
「大衡、疲れてそうだったから。あいつがいたらうるさいだろ」
「じゃなくて……」
 大衡は言い淀み、口を閉じてしまった。俺は前の座席の背もたれを見つめながら、代わりに口を開く。
「このまま終わんのやだな、って思って」
「……」
「俺はお前のこと、嫌いとかじゃないし……色々助けてもらって、感謝してるっつーか……意外と頼りになるかも、なんて思ったし……」
 まさか大衡を褒める日が来るとは思っていなかった。話しているうちにだんだん恥ずかしくなってくる。
 友達の前での愛想笑い、SNSで覗いた本音、そして俺の前だけの意地悪で捻くれた言葉、ちょっと優しい仕草――大衡にはいくつもの顔がある。
 たぶん、俺はまだ本当の大衡を知らない。
 ……知らないままでいたくない。
「俺、大衡のこと、もっとちゃんと知りたい。だから……なかったことにするなよ」
「……」
 大衡の顔がようやくこちらを向いた。目を逸らしてはいけないと思った。
「お前、自分が何言ってるか分かってんのかよ」
「分かってるよ。俺なりに考えたつもりだから」
 髪と同じ焦茶色の双眸が俺を捉えている。
 ――こいつの瞳って、こんなにきれいだったんだ。
 大衡の目をきちんと見たのは、これが初めてだった。
 大衡は一度瞬きをして、細く長く息を吐いた。
「それ……都合良く解釈していいのか?」
「えっ……」
 都合良くって……どういう意味?
 大衡の頬はほんのりと赤く染まっていた。色移りしたように俺の頬まで熱くなる。
「き、嫌いじゃないけど別に好きでもないからな!? 変な意味じゃないからな!?」
「告白じゃねえのかよ」
「ちげーよ馬鹿!」
 どうしてそうなるんだよ! 必死に否定していたら、大衡の唇が弧を描いた。その笑顔は意地悪なものじゃなく……どことなく柔らかく見えて、思わず目を奪われる。
「と、とにかく今まで通りな。でもあんま悪口言うなよ」
「それはお前次第だろ」
「俺じゃなくてお前だよ!」
「でかい声出すなよ、うるさくて寝れねえ」
「お前のせいだろ!」
 張り詰めた空気も気まずさも、小競り合いとともに周囲の騒ぎ声に溶けていった。
 俺たちは友達じゃない。でも単なる同級生でもない。今まで通りだけど今までとも違う、ちょっとだけ近い関係性になった気がした。



 東京駅に着いた途端に日常、というか現実に強制的に戻された。ここから家まで帰るのは面倒だけど、新幹線で少し眠れたおかげで体力回復できた。
「じゃあ、また学校で」
「帰り道、迷子になるなよ」
「なるか!」
 最後まで俺を煽る大衡と別れて自宅方面の在来線のホームに向かう。
 電車を待っていると、新着メッセージの通知が届いた。大衡からだ。
『下田から』
 その一文とともに送られてきた画像を見た瞬間、俺はひっくり返りそうになった。
 そこには新幹線の車内で、お互いの肩に凭れかかってうたた寝している俺と大衡の姿があった。
「なんだよこれ……」
 アホの下田のことだ、どうせ「二人揃って爆睡しててウケる」みたいな理由で撮ったんだろう。
『勝手に撮るなって言っといて』
 それだけ返信して、もう一度写真をよく見てみる。
 写真の中の大衡は、穏やかな表情で熟睡しているようだった。俺の隣でリラックスできたのかと思うと、照れくさくて落ち着かない気持ちになる。ていうか、居眠りしててもイケメンってどういうことだよ。俺は口を開けて締まりのない顔で寝てるのに。
 そういえばこれは初めてのツーショットだ。俺は結局、一度も一緒に写らなかった。
 京都らしさのかけらもない、おふざけで撮られた写真。だけど何となく残しておきたくなって、俺はその写真を保存した。
 明日は代休、明後日からはまたいつもの高校生活の再開だ。次に大衡と顔を合わせたら、まずどんな会話をするんだろう……そんなことを考えながら、俺はしばらくの間、トーク画面を眺め続けた。