元々枕が変わると眠れない質だが、疲れているのにこんなに眠気が来ないのは初めてだった。どれだけ目を閉じても眠れそうにない。思い当たる原因はひとつ。隣の布団に潜っている性悪イケメン同級生、大衡鷹史のせいだ。
まさか憧れのTakaくんの正体がこのクソムカつく男だとは夢にも思っていなかった。センスが良いからといって性格も良いとは限らないらしい。
俺は知らず知らずのうちに大衡のファッションを参考にしたり真似をしたりしていたわけで……とんでもない屈辱だ。あまりにも悔しい。
そして何より俺を動揺させていたのは――。
『修学旅行一日目。好きな人と二人で回れて楽しかった』
今日大衡と二人で行動していたのは俺しかいない。ということはつまり、大衡は、俺のことが……。
「~~~~~っ!」
枕に顔を埋め、思わず叫び出しそうになるのを必死に堪える。こいつはマジで本気なのか? なんで俺? いつもチビだの馬鹿だの悪口ばっかり言うくせに! それが好きな人に対する態度かよ! つい好きな女の子をいじめちゃう男子小学生か! 楽しかったならもっと楽しそうにしろ!
そう言ってやりたいが言えるはずもない。俺がTakaくんをフォローしていることは隠し通さなければいけない。恥ずかしさで悶絶する大衡を見てみたい気持ちもなくもないけれど、残りの高校生活をぎくしゃくした雰囲気で過ごすのは嫌だ。
俺のアカウントはきっと認知されてはいないだろう。俺さえ黙っていれば、ひとまず今まで通りの関係性は保てるのだ。
ちなみに例の投稿には物凄い数のコメントが書かれていた。それも『好きな人はどんな人ですか?』『青春ですね』『その後の報告待ってます』みたいな好意的なものばかりだった。少女漫画や恋愛ドラマの続きを楽しみにしているような盛り上がり方である。女心って難しい……。
寝返りを打って大衡の方を向いてみる。大衡はこちらに背を向けていて、眠っているのかどうかも分からない。
思い返してみれば、Takaくんのモデル並みのシルエットは大衡と同じだった。あんなにオシャレな彼がこんなに性格が悪いのかと思うと複雑ではあるけれど、正体を知った上でも俺は彼のファッションが好きだと思った。絶対に口には出さないけど。
「……」
そんなことを考えていたらトイレに行きたくなってきた。そっと布団を抜け出す。
良く言えばレトロな、悪く言えば古めかしいこのホテルの部屋にはトイレはついておらず、通路にある共同トイレまで行く必要がある。俺は静かに部屋のドアを開け……通路を確認し、また静かにドアを閉じた。
どうしよう。思ったより暗くて怖い。
俺は昔から暗いところとかお化けとかの類が苦手だった。見張りの先生もおらず、薄暗い通路は静まり返っている。せめてもう少し明るくしてほしかった。
うーんうーんと迷っているうちにどんどん限界が近づいてきた。もう覚悟を決めて行くしかない……そう思った時。
「小山」
「うひゃあっ!」
後ろから突然呼び掛けられ、飛び跳ねそうになるほど驚いた。
俺の背後には、怪訝そうな顔をした大衡が立っていた。
「何やってんだ、お前」
「おっ、おお、大衡……」
Takaくんの正体に気づいてから大衡とは言葉を交わしていなかった。視線から逃れるように目を逸らす。
「ちょっとトイレに……ていうか起きてたんだ」
「お前が何回も寝返りするのがウザくて眠れなかったんだよ」
「そ、そりゃ悪かったな……」
一言多い奴だ。しかし睡眠を妨げてしまったのはちょっと申し訳ない。
「トイレ行くんだろ。早く行ってこいよ」
「い、行くよ……」
もう一度ドアに手をかける。勇気を出せ! さっと行って出すもん出して戻ってくるだけだ! さあ行け!
「小山、お前まさか、怖いのか?」
「は……はあ? 怖くなんかないし」
大衡は小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。く、くそ……ムカつく……。本当にこいつがTakaくんと同一人物なのか? 信じられない。本性出したら炎上間違いなしだろ。
「しょうがねえな、ほら行くぞ」
そう言うと大衡はドアを開け、先に部屋を出た。
「……え?」
ぽかんとする俺を大衡が振り返る。
「だから、一緒についてってやるっつってんだよ」
「は……? いいって! 一人で行ける!」
咄嵯に断ったが、遠慮よりも混乱の方が大きかった。突然どうした? あの根性ねじ曲がった大衡が、俺に優しくしている……!?
「いいから早くしろよ」
「えっ、あっ、ちょっと待って……!」
歩き出す大衡の背中を慌てて追いかける。薄暗い通路は空調が効きすぎていて、ひやりとした空気が腕を撫でた。一人だったら余計に怖さが増していただろうけど、二人で歩くと何故か全然怖くなかった。
「それにしても、夜中に一人でトイレ行けないとか……ありえねえだろ、高校生にもなって」
「う……しょうがないだろ。誰にだって苦手なものはあるんだよ」
「毎晩親についてきてもらってんのか?」
「家なら一人で行けるわ!」
大衡のことを男子小学生みたいだなんて思ったくせに、これじゃ俺は幼児だ……。
しかしこいつ本当に俺が好きなのか? 今だって馬鹿にしてきたし、全然そんな風に見えない。
やっぱりTakaくんと大衡は別人で、ただ俺が自意識過剰な勘違いをしただけなんじゃないだろうか。うん、そうに違いない。だって普通は好きな人には優しくするもんだろ。俺だって優しい人が好きだ。……まあ、今の大衡はほんの少しちょっとだけ僅かに優しいかも? なんて思ってしまったけど……。いやきっとビビっている俺を面白がってついてきただけだ。大衡が優しいはずがない。
でも助かったのは事実だし、一応お礼を言っておこう。
「あのさ……ありがと、大衡。ついてきてくれて」
素直にそう告げると、大衡は少しだけ目を見開いて、すぐに顔を背けた。そして無言のまま通路を進んでいく。
せめて何か答えろよ。感じ悪……と思った時、大衡の耳が赤く染まっていることに気づいた。
……こ、これ、マジのやつじゃん。
俺まで照れくさくなり、ツッコミを入れることすらできなかった。
無事に用を足した後、また布団に戻り、大衡に背を向けて目を閉じ続けた。瞼の裏には大衡の顔ばかり浮かんでしまって、ようやく眠気を感じた頃にはカーテンの向こう側の空が白み始めていた。
一日目で味を占めたのか、二日目の自由行動が始まった途端に上野と下田は彼女のところに行くと言って姿を消した。予想はしていたけど……もう何でもいいよ、好きにしてくれ。
そして俺は今日も大衡と二人きりだ。
大衡の様子は昨日と変わらず、俺と積極的に喋るでも笑うでもなくつまらなさそうに見える。でも俺は知っている。『好きな人と二人で回れて楽しかった』とSNSに書いていたことを……。
「……」
変に緊張してきた。俺はこいつのことなんて何とも思っていないはずなのに。
……そういえば、大衡の気持ちに気づいた時、驚きと動揺はすごかったけれど、無理とかキモいとかいう感情は湧かなかった。大衡に好かれるなんて考えたこともなかったのに……どうしてだろう。
「おい小山、ぼけっとしてんなよ」
「え? ああごめ……」
気がつくと、大衡の顔が目の前にあった。
「うわっ」
驚いて仰け反ったら、すぐ後ろは壁だった。後頭部をぶつけた。痛い。
「……コントか?」
「違う! いきなり顔近づけるからだろ!」
「なにキレてんだよ」
大衡は呆れ顔でため息をついた。
「だ、だってお前が変なことばっかり……」
「は? 俺なんもしてねえだろ」
……あ、危ない。余計なことを言うところだった。
なんだか今日は妙に脈が速い気がする。……いやいや、これは単に気を張っているだけで、ときめき的な意味は全くない。あってたまるか。
「と、とりあえず早く行こう。ほら早く!」
「なんだよ、いきなり」
これ以上突っ込まれたらボロが出かねない。訝しげな大衡を急かし、今度はちゃんと並んで歩き出す。
ちらりと隣を見上げると、大衡の整った横顔があった。すっと通った鼻筋に切れ長の瞳、形の良い唇。改めてこいつがイケメンだと思い知らされてしまう。同じ男なのに俺みたいなちんちくりんとはえらい違いだ。こんなイケメンなら可愛い子でも美人でも選びたい放題だろうに、どうして俺なんかを……。
すると、俺の視線に気づいたらしい大衡が不意にこちらを向いた。目が合った瞬間、胸が大きく跳ねる。
「なに」
「……べ、別に」
慌てて目を逸らすが、鼓動の速さがなかなか治まらない。一体何なんだ、これ……。
今日の第一の目的地は二条城だ。歴史を感じさせる二の丸御殿を一通り見学した後、広い庭園を歩いた。もうすぐ雨が降る予報になっており、太陽は雲に隠れ、濡れた土の匂いがする。
少し急ぎ足になりながら、大衡に教わった撮影方法を見よう見まねで試してみたら昨日より鮮やかな写真が撮れた。
「見ろよ、きれいに撮れてるだろ」
「へえ、だいぶマシになったな」
「もっと褒めろよ」
「あんま調子に乗るなよ」
意地の悪い言い回しはさておき、俺も自分の写真が上達したと実感できた。もっと色々撮ってみよう。
しかし半分くらい見て回ったところで、寝不足のせいかやけに疲れてきた。なんかちょっと、気持ち悪いというか……胃のあたりが変な感じがする。前を歩いていた大衡は、足を止めた俺に気づくと眉を顰めた。
「おい、どうした?」
「え……何が?」
「顔が土みたいな色してるぞ」
そ、そんなにひどい顔色? 思わず頬に手を当てるが触ってもよく分からない。
「お前、昨日ろくに寝てないだろ」
「あー、うん……枕変わるとダメなんだよ」
本当は寝不足の原因の半分は大衡のせいだけど、それは言えない。
「お前神経図太そうなのに、実は繊細だったのかよ」
「……」
「……小山?」
気分が悪くて嫌味にも反論できない。鳩尾を手で押さえていると、険しい顔をした大衡がこちらに近づいてきた。
「具合悪いなら座ってろ」
「だ、大丈夫だから」
「いいから、こっち来い」
手首を掴まれて近くのベンチまで連れて行かれ、半ば強引に腰かけさせられる。
「飲み物買ってくる」
「いいよ、自分で……」
「うるせえな、大人しく待ってろ」
そう言い残し、大衡は自販機の方へと行ってしまった。
……心配、してくれたんだろうか。あんなに性悪で、嫌な奴なのに。
掴まれた手首に感触が残っている。大衡の手は俺より大きくて、少し骨張っていて、意外と力強かった。……なんか顔が熱くなってきた。これ絶対顔赤いやつだ。なんで俺が照れてるんだよ。
俺は俯いて膝の上でぎゅっと拳を握った。
戻ってきた大衡の手にはスポーツドリンクのペットボトルがあった。差し出されたそれをおずおずと受け取ると、大衡は俺の隣に座って自分のミネラルウォーターに口をつけた。
「あ……ありがと」
「……」
「大衡ってさ……実は優しい?」
「キモいこと言うなよ」
こ、この野郎……。しかしここで言い返したらいつもと同じになってしまう。これは大衡のことを理解するきっかけになるかもしれないんだ。
「なんで俺にだけそういう態度なんだよ。他のみんなには悪口なんて言ってないのに」
「……」
大衡は何も答えずにミネラルウォーターを呷った。はあ、まただんまりかよ……と思ったら。
「お前、覚えてるか。愛想笑いがどうとかって俺に言ったこと」
「ん……? ああ、覚えてるよ。つーか忘れるわけないだろ」
あの時の大衡は一瞬だけ驚いた顔をした後、眉間に皺を寄せて俺を睨みつけた。そこまで嫌われるほどのことだと思わなかったけれど……俺の想像以上に傷つけてしまっていたんだろうか。
「もしかして、あのことまだ怒ってるとか……?」
「怒ってる、つーか……」
大衡は語尾を濁し、小さく息を吐いた。
「俺、別に人付き合いとか好きじゃねえんだよ」
「えっ、でも友達多いじゃん」
「昔から勝手に人が集まるから、味方作っといた方がいいかと思って愛想良くしてただけだ。でも正直めんどくさかった」
「そうなんだ……」
あの貼り付けたような笑顔には、やっぱり理由があったのか。イケメンにはイケメンなりの苦悩があるらしい。俺には一生無縁の悩みだ。
「今まで誰にもバレなかったし、素を出したことなんてなかった。でも……」
大衡はそこで言葉を切り、俺をじっと見つめた。
「お前だけは違った」
「俺……?」
「最初はすげえウザかったのに……いつの間にかお前のこと目で追ってて、自分でも訳分かんなかった」
大衡の指先がペットボトルを凹ませ、軽い音が響いた。それに合わせて俺の心音も大きくなっていく。
「お前は俺に言い返してきたり、本気でぶつかってきたりするだろ」
「そりゃそうだろ、言われっぱなしじゃ嫌だよ」
「そういう遠慮のなさ、新鮮なんだよ。だから俺もつい絡みたくなる」
真剣な眼差しを向けられて目を逸らせない。耳元で心臓の音がうるさく鳴っている。
「お前が何やってんのかいちいち気になったし……友達相手に笑う顔とか、俺に怒る顔とか、表情ころころ変わんのが気になった」
「え……」
「そのうち、目離せなくなって……」
ごくり。唾を飲み込んだのはどちらだろう。
「……俺は、お前が……」
言い終わる前に、ぽつぽつと頬に冷たいものが落ちてきた。天を仰げば、分厚い雲に覆われた空から大粒の雫が降り出していた。
「うわ、雨だ」
「……マジかよ」
瞬く間に雨脚が強くなり、慌てて屋根のある場所へ移動する。
濡れた髪をかき上げる大衡は絵になっていた。水も滴るなんとやら、とはよく言ったものだ。……全然見惚れてなんかいないけど。
それから俺の体調を考慮した結果、午後の予定を中止して一足先に集合場所に戻ることになった。
大衡は俺の荷物を持ち、ずっと付き添ってくれた。でもあの言葉の続きを聞くことはできなかった。
……もしあの時、雨が降ってこなかったら、大衡はなんて言っていたんだろう。
そして、俺はなんて答えたんだろう。
二日目の夜は昨日とは違うホテルだった。四人部屋だと疑いもしなかった俺は、改めて修学旅行のしおりの部屋割り表を確認して動揺した。
お、大衡と二人部屋だ……。
昨日までの俺だったら、うわ最悪だ朝まで悪口を言われ続けるんだろうな、と憂鬱だったと思う。でも今は違う。それよりも複雑な、何とも言えない気分だ。
どうしよう。いや、どうしようもない。部屋を代わってほしいなんて気軽に頼める友達はこのクラスにはいない。
ホテルのロビーで隣に立つ大衡の顔は、至って平常心に見えた。好きな人と二人部屋になって、そんなに落ち着いていられるものなのか? 俺だったら緊張で吐きそうになると思う。
「おい、部屋行くぞ」
「う、うん……」
まずい、心臓バクバクしてきた。俺が緊張する必要なんてないけど! 俺は大衡が好きなわけじゃないし、付き合ってるわけでもあるまいし!
……つ、付き合う……大衡と? いやいやいや。ないないない。
あり得ない考えを打ち消そうと頭を振る。俺、マジでどうかしちゃったんじゃないだろうか。
夕食と風呂を終えて部屋に戻ればまた大衡と二人きり、布団の上に座って会話もなくスマホを弄っていた。昨日と同じだ。しかし今日は上野も下田もこの部屋に戻ってくることはない。
昼間の話の続きを自分から聞き出す勇気はなかった。大衡の言葉によっては、この修学旅行どころか、俺の人生が大きく変わってしまうかもしれない。その変化を受け入れられるのか分からなかった。
まだ消灯までだいぶ時間がある。時計の進みがやけに遅く感じた。朝まで無言で過ごすのはさすがにつらい。
「大衡、えっと……今日行きたかったとこ、全部回りきれなくてごめん」
どうにか平静を保って話しかけると、大衡はスマホから顔を上げて俺を見た。
「気にしてねえよ、倒れられても困るからな。いくらお前が子どもサイズでも、担いでいくのは無理だし」
「俺だってお前に担がれたくねーよ」
「つーか、もう大丈夫なのかよ」
「うん、だいぶ良くなったかな」
「……そうか」
大衡はほんの一瞬だけ目を細めて俺を見た。どことなく安心しているように見えたのは、俺の気のせいだろうか。
「夕飯あんだけ食えれば大丈夫だよな。食った分が身長に反映されないのが謎だけど」
「ふん、俺は今栄養を貯めてる段階なんだよ」
「食いすぎて太るなよ。目も当てられねえぞ」
「お前はもうちょっと食った方がいいんじゃねーの。もやしかよ」
いつもの調子で返されると身体の力みが取れた。小競り合いで安心するなんて不本意だけど、こっちの方が大衡らしい。
「あーあ、結局大衡とは喧嘩になるんだな……」
「喧嘩じゃねえだろ。俺は事実を言ってるだけだ」
「大衡って俺を煽らなきゃ死ぬ病気なの?」
よくもまあポンポンと嫌味が思い浮かぶものだ。どこまで性根が曲がっているんだろう。普通、好きな人にそんなこと言わないだろ。
……そうだ。大衡って俺が好きなんだよな。
「……」
もしも今、告白……なんてされたら……。逃げ場はないし、相談できる相手もいない。普段通りに戻りかけた思考はまた堂々巡りだ。
俺が黙ったせいか、大衡は再びスマホに視線を落とした。俺も日課になっているSNSのチェックをしようとして、一旦手を止める。
俺はこのまま大衡をフォローし続けていいんだろうか。偶然フォロワーだっただけなのに、大衡の心を覗き見しているようで罪悪感があった。でもまだファン心は完全に捨てきれていない。それにフォローを外しても見に行ってしまいそうな気もする……うーん……。
結論を出せずにいたら、ちょうどその時新着の投稿を知らせる通知が届いた。
見ない方がいいのかもしれないけれど、どうしても気になる。こっそりと大衡の様子を窺い、こちらを見ていないことを確認してからアプリを開く。
今投稿された写真は二条城の庭園、自販機で買ったミネラルウォーターのペットボトル、昼に食べた胃に優しいうどん、そして……。
『二日目は雨。好きな人と色々話せたのは良かったけど、具合が悪そうで心配した』
こ……こいつこの文章を今俺の隣で打ったのか!? メンタルどうなってるんだよ! 心配かけて悪かったな!
光の速さで頬に熱が集まってくるのを感じる。このまま見続けているのはまずい。とりあえず早くアプリを閉じないと……。
「小山」
「うひゃあっ! な、なに!?」
びっくりした。いつの間にか大衡がすぐそばにいた。
「お前、なんか顔赤いぞ」
そう言って大衡はこちらに手を伸ばしてくる。少し冷たくて大きな手のひらが、俺の額にそっと触れた。
「……熱はなさそうだけど、ほんとに良くなったのか?」
「あ、う……」
突然近くなった距離に心臓が暴れ始める。顔を覗き込まれてばっちり目が合ったら、もう居ても立ってもいられなかった。
「だ、大丈夫だから! いきなり触るなよ!」
慌てて手を振り払い、距離を取ろうとした瞬間――俺の手から、するりとスマホが滑り落ちた。そしてそれは、大衡の目の前へ。
画面には先程の投稿が表示されたままだった。
大衡は目を丸くして動きを止めた。急いでスマホを拾い上げるがもう遅い。
やばい。見られた。全部バレた。どっちかって言うと見られたのもバレたのも大衡の方だけど……じゃなくて、そんなことはどうでもいい。
「……今のは……」
「あ、あの……えっと……」
もうダメだ、誤魔化しきれない。俺は覚悟を決めて口を開いた。
「こ、これって大衡のアカウントだよな……?」
「……」
「俺ずっと前からフォローしてたんだ。それで、昨日の写真見て、もしかしたらって……」
「……」
大衡は何も言わない。居心地の悪い空気に耐え切れず俯くと、やがて小さなため息が聞こえた。
「お前、俺のこと嫌いだろ。嫌いな奴にあんなこと書かれたらキモいよな」
「……え」
大衡はすっと立ち上がり、ドアの方へ向かう。
「上野か下田と部屋代わる」
「お、大衡……」
「……悪かったな。もう話しかけねえから、全部忘れろ」
「ちょ、待っ……!」
大衡のジャージの裾を掴もうとした手が空を切る。俺を拒絶するように、重いドアが音を立てて閉まる。
「あ……」
どうしよう、追いかけないと……でも、追いかけてどうする? まだ自分の感情の整理もできていないのに。追いかけたら、答えを出さなきゃいけなくなるのに。
気持ちは焦っても、足は張り付いたように動かない。一人きりの部屋にはただ耳鳴りみたいな静寂だけが響いていた。
まさか憧れのTakaくんの正体がこのクソムカつく男だとは夢にも思っていなかった。センスが良いからといって性格も良いとは限らないらしい。
俺は知らず知らずのうちに大衡のファッションを参考にしたり真似をしたりしていたわけで……とんでもない屈辱だ。あまりにも悔しい。
そして何より俺を動揺させていたのは――。
『修学旅行一日目。好きな人と二人で回れて楽しかった』
今日大衡と二人で行動していたのは俺しかいない。ということはつまり、大衡は、俺のことが……。
「~~~~~っ!」
枕に顔を埋め、思わず叫び出しそうになるのを必死に堪える。こいつはマジで本気なのか? なんで俺? いつもチビだの馬鹿だの悪口ばっかり言うくせに! それが好きな人に対する態度かよ! つい好きな女の子をいじめちゃう男子小学生か! 楽しかったならもっと楽しそうにしろ!
そう言ってやりたいが言えるはずもない。俺がTakaくんをフォローしていることは隠し通さなければいけない。恥ずかしさで悶絶する大衡を見てみたい気持ちもなくもないけれど、残りの高校生活をぎくしゃくした雰囲気で過ごすのは嫌だ。
俺のアカウントはきっと認知されてはいないだろう。俺さえ黙っていれば、ひとまず今まで通りの関係性は保てるのだ。
ちなみに例の投稿には物凄い数のコメントが書かれていた。それも『好きな人はどんな人ですか?』『青春ですね』『その後の報告待ってます』みたいな好意的なものばかりだった。少女漫画や恋愛ドラマの続きを楽しみにしているような盛り上がり方である。女心って難しい……。
寝返りを打って大衡の方を向いてみる。大衡はこちらに背を向けていて、眠っているのかどうかも分からない。
思い返してみれば、Takaくんのモデル並みのシルエットは大衡と同じだった。あんなにオシャレな彼がこんなに性格が悪いのかと思うと複雑ではあるけれど、正体を知った上でも俺は彼のファッションが好きだと思った。絶対に口には出さないけど。
「……」
そんなことを考えていたらトイレに行きたくなってきた。そっと布団を抜け出す。
良く言えばレトロな、悪く言えば古めかしいこのホテルの部屋にはトイレはついておらず、通路にある共同トイレまで行く必要がある。俺は静かに部屋のドアを開け……通路を確認し、また静かにドアを閉じた。
どうしよう。思ったより暗くて怖い。
俺は昔から暗いところとかお化けとかの類が苦手だった。見張りの先生もおらず、薄暗い通路は静まり返っている。せめてもう少し明るくしてほしかった。
うーんうーんと迷っているうちにどんどん限界が近づいてきた。もう覚悟を決めて行くしかない……そう思った時。
「小山」
「うひゃあっ!」
後ろから突然呼び掛けられ、飛び跳ねそうになるほど驚いた。
俺の背後には、怪訝そうな顔をした大衡が立っていた。
「何やってんだ、お前」
「おっ、おお、大衡……」
Takaくんの正体に気づいてから大衡とは言葉を交わしていなかった。視線から逃れるように目を逸らす。
「ちょっとトイレに……ていうか起きてたんだ」
「お前が何回も寝返りするのがウザくて眠れなかったんだよ」
「そ、そりゃ悪かったな……」
一言多い奴だ。しかし睡眠を妨げてしまったのはちょっと申し訳ない。
「トイレ行くんだろ。早く行ってこいよ」
「い、行くよ……」
もう一度ドアに手をかける。勇気を出せ! さっと行って出すもん出して戻ってくるだけだ! さあ行け!
「小山、お前まさか、怖いのか?」
「は……はあ? 怖くなんかないし」
大衡は小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。く、くそ……ムカつく……。本当にこいつがTakaくんと同一人物なのか? 信じられない。本性出したら炎上間違いなしだろ。
「しょうがねえな、ほら行くぞ」
そう言うと大衡はドアを開け、先に部屋を出た。
「……え?」
ぽかんとする俺を大衡が振り返る。
「だから、一緒についてってやるっつってんだよ」
「は……? いいって! 一人で行ける!」
咄嵯に断ったが、遠慮よりも混乱の方が大きかった。突然どうした? あの根性ねじ曲がった大衡が、俺に優しくしている……!?
「いいから早くしろよ」
「えっ、あっ、ちょっと待って……!」
歩き出す大衡の背中を慌てて追いかける。薄暗い通路は空調が効きすぎていて、ひやりとした空気が腕を撫でた。一人だったら余計に怖さが増していただろうけど、二人で歩くと何故か全然怖くなかった。
「それにしても、夜中に一人でトイレ行けないとか……ありえねえだろ、高校生にもなって」
「う……しょうがないだろ。誰にだって苦手なものはあるんだよ」
「毎晩親についてきてもらってんのか?」
「家なら一人で行けるわ!」
大衡のことを男子小学生みたいだなんて思ったくせに、これじゃ俺は幼児だ……。
しかしこいつ本当に俺が好きなのか? 今だって馬鹿にしてきたし、全然そんな風に見えない。
やっぱりTakaくんと大衡は別人で、ただ俺が自意識過剰な勘違いをしただけなんじゃないだろうか。うん、そうに違いない。だって普通は好きな人には優しくするもんだろ。俺だって優しい人が好きだ。……まあ、今の大衡はほんの少しちょっとだけ僅かに優しいかも? なんて思ってしまったけど……。いやきっとビビっている俺を面白がってついてきただけだ。大衡が優しいはずがない。
でも助かったのは事実だし、一応お礼を言っておこう。
「あのさ……ありがと、大衡。ついてきてくれて」
素直にそう告げると、大衡は少しだけ目を見開いて、すぐに顔を背けた。そして無言のまま通路を進んでいく。
せめて何か答えろよ。感じ悪……と思った時、大衡の耳が赤く染まっていることに気づいた。
……こ、これ、マジのやつじゃん。
俺まで照れくさくなり、ツッコミを入れることすらできなかった。
無事に用を足した後、また布団に戻り、大衡に背を向けて目を閉じ続けた。瞼の裏には大衡の顔ばかり浮かんでしまって、ようやく眠気を感じた頃にはカーテンの向こう側の空が白み始めていた。
一日目で味を占めたのか、二日目の自由行動が始まった途端に上野と下田は彼女のところに行くと言って姿を消した。予想はしていたけど……もう何でもいいよ、好きにしてくれ。
そして俺は今日も大衡と二人きりだ。
大衡の様子は昨日と変わらず、俺と積極的に喋るでも笑うでもなくつまらなさそうに見える。でも俺は知っている。『好きな人と二人で回れて楽しかった』とSNSに書いていたことを……。
「……」
変に緊張してきた。俺はこいつのことなんて何とも思っていないはずなのに。
……そういえば、大衡の気持ちに気づいた時、驚きと動揺はすごかったけれど、無理とかキモいとかいう感情は湧かなかった。大衡に好かれるなんて考えたこともなかったのに……どうしてだろう。
「おい小山、ぼけっとしてんなよ」
「え? ああごめ……」
気がつくと、大衡の顔が目の前にあった。
「うわっ」
驚いて仰け反ったら、すぐ後ろは壁だった。後頭部をぶつけた。痛い。
「……コントか?」
「違う! いきなり顔近づけるからだろ!」
「なにキレてんだよ」
大衡は呆れ顔でため息をついた。
「だ、だってお前が変なことばっかり……」
「は? 俺なんもしてねえだろ」
……あ、危ない。余計なことを言うところだった。
なんだか今日は妙に脈が速い気がする。……いやいや、これは単に気を張っているだけで、ときめき的な意味は全くない。あってたまるか。
「と、とりあえず早く行こう。ほら早く!」
「なんだよ、いきなり」
これ以上突っ込まれたらボロが出かねない。訝しげな大衡を急かし、今度はちゃんと並んで歩き出す。
ちらりと隣を見上げると、大衡の整った横顔があった。すっと通った鼻筋に切れ長の瞳、形の良い唇。改めてこいつがイケメンだと思い知らされてしまう。同じ男なのに俺みたいなちんちくりんとはえらい違いだ。こんなイケメンなら可愛い子でも美人でも選びたい放題だろうに、どうして俺なんかを……。
すると、俺の視線に気づいたらしい大衡が不意にこちらを向いた。目が合った瞬間、胸が大きく跳ねる。
「なに」
「……べ、別に」
慌てて目を逸らすが、鼓動の速さがなかなか治まらない。一体何なんだ、これ……。
今日の第一の目的地は二条城だ。歴史を感じさせる二の丸御殿を一通り見学した後、広い庭園を歩いた。もうすぐ雨が降る予報になっており、太陽は雲に隠れ、濡れた土の匂いがする。
少し急ぎ足になりながら、大衡に教わった撮影方法を見よう見まねで試してみたら昨日より鮮やかな写真が撮れた。
「見ろよ、きれいに撮れてるだろ」
「へえ、だいぶマシになったな」
「もっと褒めろよ」
「あんま調子に乗るなよ」
意地の悪い言い回しはさておき、俺も自分の写真が上達したと実感できた。もっと色々撮ってみよう。
しかし半分くらい見て回ったところで、寝不足のせいかやけに疲れてきた。なんかちょっと、気持ち悪いというか……胃のあたりが変な感じがする。前を歩いていた大衡は、足を止めた俺に気づくと眉を顰めた。
「おい、どうした?」
「え……何が?」
「顔が土みたいな色してるぞ」
そ、そんなにひどい顔色? 思わず頬に手を当てるが触ってもよく分からない。
「お前、昨日ろくに寝てないだろ」
「あー、うん……枕変わるとダメなんだよ」
本当は寝不足の原因の半分は大衡のせいだけど、それは言えない。
「お前神経図太そうなのに、実は繊細だったのかよ」
「……」
「……小山?」
気分が悪くて嫌味にも反論できない。鳩尾を手で押さえていると、険しい顔をした大衡がこちらに近づいてきた。
「具合悪いなら座ってろ」
「だ、大丈夫だから」
「いいから、こっち来い」
手首を掴まれて近くのベンチまで連れて行かれ、半ば強引に腰かけさせられる。
「飲み物買ってくる」
「いいよ、自分で……」
「うるせえな、大人しく待ってろ」
そう言い残し、大衡は自販機の方へと行ってしまった。
……心配、してくれたんだろうか。あんなに性悪で、嫌な奴なのに。
掴まれた手首に感触が残っている。大衡の手は俺より大きくて、少し骨張っていて、意外と力強かった。……なんか顔が熱くなってきた。これ絶対顔赤いやつだ。なんで俺が照れてるんだよ。
俺は俯いて膝の上でぎゅっと拳を握った。
戻ってきた大衡の手にはスポーツドリンクのペットボトルがあった。差し出されたそれをおずおずと受け取ると、大衡は俺の隣に座って自分のミネラルウォーターに口をつけた。
「あ……ありがと」
「……」
「大衡ってさ……実は優しい?」
「キモいこと言うなよ」
こ、この野郎……。しかしここで言い返したらいつもと同じになってしまう。これは大衡のことを理解するきっかけになるかもしれないんだ。
「なんで俺にだけそういう態度なんだよ。他のみんなには悪口なんて言ってないのに」
「……」
大衡は何も答えずにミネラルウォーターを呷った。はあ、まただんまりかよ……と思ったら。
「お前、覚えてるか。愛想笑いがどうとかって俺に言ったこと」
「ん……? ああ、覚えてるよ。つーか忘れるわけないだろ」
あの時の大衡は一瞬だけ驚いた顔をした後、眉間に皺を寄せて俺を睨みつけた。そこまで嫌われるほどのことだと思わなかったけれど……俺の想像以上に傷つけてしまっていたんだろうか。
「もしかして、あのことまだ怒ってるとか……?」
「怒ってる、つーか……」
大衡は語尾を濁し、小さく息を吐いた。
「俺、別に人付き合いとか好きじゃねえんだよ」
「えっ、でも友達多いじゃん」
「昔から勝手に人が集まるから、味方作っといた方がいいかと思って愛想良くしてただけだ。でも正直めんどくさかった」
「そうなんだ……」
あの貼り付けたような笑顔には、やっぱり理由があったのか。イケメンにはイケメンなりの苦悩があるらしい。俺には一生無縁の悩みだ。
「今まで誰にもバレなかったし、素を出したことなんてなかった。でも……」
大衡はそこで言葉を切り、俺をじっと見つめた。
「お前だけは違った」
「俺……?」
「最初はすげえウザかったのに……いつの間にかお前のこと目で追ってて、自分でも訳分かんなかった」
大衡の指先がペットボトルを凹ませ、軽い音が響いた。それに合わせて俺の心音も大きくなっていく。
「お前は俺に言い返してきたり、本気でぶつかってきたりするだろ」
「そりゃそうだろ、言われっぱなしじゃ嫌だよ」
「そういう遠慮のなさ、新鮮なんだよ。だから俺もつい絡みたくなる」
真剣な眼差しを向けられて目を逸らせない。耳元で心臓の音がうるさく鳴っている。
「お前が何やってんのかいちいち気になったし……友達相手に笑う顔とか、俺に怒る顔とか、表情ころころ変わんのが気になった」
「え……」
「そのうち、目離せなくなって……」
ごくり。唾を飲み込んだのはどちらだろう。
「……俺は、お前が……」
言い終わる前に、ぽつぽつと頬に冷たいものが落ちてきた。天を仰げば、分厚い雲に覆われた空から大粒の雫が降り出していた。
「うわ、雨だ」
「……マジかよ」
瞬く間に雨脚が強くなり、慌てて屋根のある場所へ移動する。
濡れた髪をかき上げる大衡は絵になっていた。水も滴るなんとやら、とはよく言ったものだ。……全然見惚れてなんかいないけど。
それから俺の体調を考慮した結果、午後の予定を中止して一足先に集合場所に戻ることになった。
大衡は俺の荷物を持ち、ずっと付き添ってくれた。でもあの言葉の続きを聞くことはできなかった。
……もしあの時、雨が降ってこなかったら、大衡はなんて言っていたんだろう。
そして、俺はなんて答えたんだろう。
二日目の夜は昨日とは違うホテルだった。四人部屋だと疑いもしなかった俺は、改めて修学旅行のしおりの部屋割り表を確認して動揺した。
お、大衡と二人部屋だ……。
昨日までの俺だったら、うわ最悪だ朝まで悪口を言われ続けるんだろうな、と憂鬱だったと思う。でも今は違う。それよりも複雑な、何とも言えない気分だ。
どうしよう。いや、どうしようもない。部屋を代わってほしいなんて気軽に頼める友達はこのクラスにはいない。
ホテルのロビーで隣に立つ大衡の顔は、至って平常心に見えた。好きな人と二人部屋になって、そんなに落ち着いていられるものなのか? 俺だったら緊張で吐きそうになると思う。
「おい、部屋行くぞ」
「う、うん……」
まずい、心臓バクバクしてきた。俺が緊張する必要なんてないけど! 俺は大衡が好きなわけじゃないし、付き合ってるわけでもあるまいし!
……つ、付き合う……大衡と? いやいやいや。ないないない。
あり得ない考えを打ち消そうと頭を振る。俺、マジでどうかしちゃったんじゃないだろうか。
夕食と風呂を終えて部屋に戻ればまた大衡と二人きり、布団の上に座って会話もなくスマホを弄っていた。昨日と同じだ。しかし今日は上野も下田もこの部屋に戻ってくることはない。
昼間の話の続きを自分から聞き出す勇気はなかった。大衡の言葉によっては、この修学旅行どころか、俺の人生が大きく変わってしまうかもしれない。その変化を受け入れられるのか分からなかった。
まだ消灯までだいぶ時間がある。時計の進みがやけに遅く感じた。朝まで無言で過ごすのはさすがにつらい。
「大衡、えっと……今日行きたかったとこ、全部回りきれなくてごめん」
どうにか平静を保って話しかけると、大衡はスマホから顔を上げて俺を見た。
「気にしてねえよ、倒れられても困るからな。いくらお前が子どもサイズでも、担いでいくのは無理だし」
「俺だってお前に担がれたくねーよ」
「つーか、もう大丈夫なのかよ」
「うん、だいぶ良くなったかな」
「……そうか」
大衡はほんの一瞬だけ目を細めて俺を見た。どことなく安心しているように見えたのは、俺の気のせいだろうか。
「夕飯あんだけ食えれば大丈夫だよな。食った分が身長に反映されないのが謎だけど」
「ふん、俺は今栄養を貯めてる段階なんだよ」
「食いすぎて太るなよ。目も当てられねえぞ」
「お前はもうちょっと食った方がいいんじゃねーの。もやしかよ」
いつもの調子で返されると身体の力みが取れた。小競り合いで安心するなんて不本意だけど、こっちの方が大衡らしい。
「あーあ、結局大衡とは喧嘩になるんだな……」
「喧嘩じゃねえだろ。俺は事実を言ってるだけだ」
「大衡って俺を煽らなきゃ死ぬ病気なの?」
よくもまあポンポンと嫌味が思い浮かぶものだ。どこまで性根が曲がっているんだろう。普通、好きな人にそんなこと言わないだろ。
……そうだ。大衡って俺が好きなんだよな。
「……」
もしも今、告白……なんてされたら……。逃げ場はないし、相談できる相手もいない。普段通りに戻りかけた思考はまた堂々巡りだ。
俺が黙ったせいか、大衡は再びスマホに視線を落とした。俺も日課になっているSNSのチェックをしようとして、一旦手を止める。
俺はこのまま大衡をフォローし続けていいんだろうか。偶然フォロワーだっただけなのに、大衡の心を覗き見しているようで罪悪感があった。でもまだファン心は完全に捨てきれていない。それにフォローを外しても見に行ってしまいそうな気もする……うーん……。
結論を出せずにいたら、ちょうどその時新着の投稿を知らせる通知が届いた。
見ない方がいいのかもしれないけれど、どうしても気になる。こっそりと大衡の様子を窺い、こちらを見ていないことを確認してからアプリを開く。
今投稿された写真は二条城の庭園、自販機で買ったミネラルウォーターのペットボトル、昼に食べた胃に優しいうどん、そして……。
『二日目は雨。好きな人と色々話せたのは良かったけど、具合が悪そうで心配した』
こ……こいつこの文章を今俺の隣で打ったのか!? メンタルどうなってるんだよ! 心配かけて悪かったな!
光の速さで頬に熱が集まってくるのを感じる。このまま見続けているのはまずい。とりあえず早くアプリを閉じないと……。
「小山」
「うひゃあっ! な、なに!?」
びっくりした。いつの間にか大衡がすぐそばにいた。
「お前、なんか顔赤いぞ」
そう言って大衡はこちらに手を伸ばしてくる。少し冷たくて大きな手のひらが、俺の額にそっと触れた。
「……熱はなさそうだけど、ほんとに良くなったのか?」
「あ、う……」
突然近くなった距離に心臓が暴れ始める。顔を覗き込まれてばっちり目が合ったら、もう居ても立ってもいられなかった。
「だ、大丈夫だから! いきなり触るなよ!」
慌てて手を振り払い、距離を取ろうとした瞬間――俺の手から、するりとスマホが滑り落ちた。そしてそれは、大衡の目の前へ。
画面には先程の投稿が表示されたままだった。
大衡は目を丸くして動きを止めた。急いでスマホを拾い上げるがもう遅い。
やばい。見られた。全部バレた。どっちかって言うと見られたのもバレたのも大衡の方だけど……じゃなくて、そんなことはどうでもいい。
「……今のは……」
「あ、あの……えっと……」
もうダメだ、誤魔化しきれない。俺は覚悟を決めて口を開いた。
「こ、これって大衡のアカウントだよな……?」
「……」
「俺ずっと前からフォローしてたんだ。それで、昨日の写真見て、もしかしたらって……」
「……」
大衡は何も言わない。居心地の悪い空気に耐え切れず俯くと、やがて小さなため息が聞こえた。
「お前、俺のこと嫌いだろ。嫌いな奴にあんなこと書かれたらキモいよな」
「……え」
大衡はすっと立ち上がり、ドアの方へ向かう。
「上野か下田と部屋代わる」
「お、大衡……」
「……悪かったな。もう話しかけねえから、全部忘れろ」
「ちょ、待っ……!」
大衡のジャージの裾を掴もうとした手が空を切る。俺を拒絶するように、重いドアが音を立てて閉まる。
「あ……」
どうしよう、追いかけないと……でも、追いかけてどうする? まだ自分の感情の整理もできていないのに。追いかけたら、答えを出さなきゃいけなくなるのに。
気持ちは焦っても、足は張り付いたように動かない。一人きりの部屋にはただ耳鳴りみたいな静寂だけが響いていた。



