SNSには俺の憧れが詰まっている。
『ガチで垢抜けるコーデ』
『みんな買ってるバズスイーツ』
『一度は行きたい映えスポット』
キラキラと輝くワードが並ぶタイムライン。スマホの画面にスイスイと指を滑らせて、ハートをタップしていく。
朝のホームルーム前のちょっとした空き時間にSNSの投稿を見ていると、俺の平凡な人生もほんの少しだけ特別になる気がする。
この服かっこいいな。この着回しなら俺でも真似できるかも……なんてオシャレになった自分を妄想していたら、突然誰かが背中にぶつかってきた。振り返った先には大衡が立っていた。黙っていれば誰もが振り向くほどの整った顔に、意地の悪い笑みを浮かべながら、俺を見下ろしている。
「大衡、痛いんだけど」
「ああ、悪かったな。小さすぎて見えなかったわ」
言葉とは裏腹に全く悪びれていない態度にカチンとくる。
確かに俺は一六〇センチにギリギリ到達するかどうかってくらいだけど、座っている姿が見えないなんておかしいだろ。絶対にわざとだ。
「小山、今スマホ見ながらニヤニヤしてたよな。エロ動画でも見てたのか?」
「見るわけねーだろ!」
「つーかまた牛乳飲んでんのかよ。小せえ奴は大変だな。今度奢ってやるよ」
「うるせえな、無駄にデカい奴よりマシだろ。邪魔なんだよお前は」
「その身長で強がれるの、逆にすげえな」
「強がってねーよ、やめろ馬鹿!」
大衡は俺の短い髪をわしゃわしゃとかき回してきた。そんなに上から押されて背が縮んだらどうしてくれるんだよ。人のコンプレックスを刺激しやがって……。
それに俺はきっとこれから成長期が来るんだ。そうなったら大衡の身長なんてあっと言う間に越えてやる。いつの日か、こいつの焦茶色の髪をぐちゃぐちゃに乱してやることが俺の野望だ。後で吠え面かくなよ。
頭上の手を振り払って睨み返すと、大衡は鼻で笑って隣の席にスクールバッグを置いた。すぐに女子たちが集まってきて、きゃあきゃあと騒がしくなる。
今日も朝から最悪の気分だ。毎日毎日うんざりする。いい加減にしてくれ。
そう、俺、小山佑は同級生の大衡に目をつけられて、事あるごとに絡まれているのだ。
事件が起こったのは、その日の三時間目のロングホームルーム、修学旅行の班分けを決めている時だった。
「おい、小山。お前俺らの班に入れよ」
大衡が突然そんなことを言い放った。俺は耳を疑い、思わずその顔をまじまじと見てしまった。
「え……俺? なんで?」
「どうせ余ってるんだろ。こっちは半端に一人足りねえんだよ」
大衡は取り巻き連中である上野と下田の二人を引き連れていた。二人とも派手な感じのイケメンで、俺とは正反対のスクールカースト上位の一員だ。
「えー、小山入れてやるの?」
「優しいなー、大衡は」
上野と下田はへらへらと笑っている。からかわれているようにしか聞こえない。
「入れてくれなんて頼んでねえよ。それに俺は他の人と組むし」
「誰とだよ。お前友達いないだろ」
「い、いるわ! 隣のクラスに!」
「つーか他の奴らはもう決まってるって」
やたらと一軍陽キャが多いこのクラスには特別仲がいい人はいないから、適当にどこかの地味メンツの中に入れてもらおうと思っていた。しかし慌てて教室内を見回しても、俺と属性が近そうな地味メンツたちはすでに班を組み終えていた。あんまりだ。
「このままじゃお前、ぼっちだぞ。それとも俺らが嫌なら女子の班に入れてもらうか?」
「うぐ……それは……」
そんなの無理に決まっている。だってこの班分けは当日の宿泊先の部屋割りにもなるからだ。そうでなくても、女子と気軽に会話できるほど俺のコミュ力は高くない。もはや選択肢はなかった。
「じゃあ決まりだな。文句言うなよ」
「小山、よろしくー」
「俺らの荷物持ってよ」
大衡の言葉に、上野と下田が畳みかける。つーか俺パシリかよ。絶対嫌だ。
「最悪……」
そこそこ楽しみにしていた修学旅行が、一気に憂鬱になってしまった。
「あーもー、ムカつくんだよ、大衡の奴!」
そう叫びながら唐揚げに箸を突き刺すと、左右田に「行儀悪すぎ」とツッコまれた。
「また大衡くんの愚痴?」
「またじゃない、毎日新鮮にムカついてるんだよ! あいつマジで性格終わってるからな!?」
「毎日毎日よくやるなぁ」
俺のクラスはうるさくて居心地が悪いので、昼休みには隣のクラスで弁当を食べている。友達の左右田はいつも呆れながらも俺の愚痴を聞いてくれる。
「同じクラスになってからずっと仲悪いよな。何やったらそんなことになっちゃうの?」
「俺のせいじゃないって! 大衡って友達多いだろ? でもあいつ、しょっちゅう愛想笑いしてるんだよ。で、なんでなのか訊いたらなんか嫌われたんだよな」
クラスが替わってすぐ、大衡がいつも作り笑いのような顔でみんなに接していると気づいた。その様子を見るたびに、こんなカースト上位の奴にも何か悩み事でもあるのかとずっと気になっていた。しかし授業でのペアワーク中に深く考えずに理由を尋ねてみたら、俺に返ってきたのは「なんなんだよ、お前。そういうのウザい」という辛辣な答えだったのだ。
それから大衡は俺にだけ異常なほど塩対応になり、数ヶ月経った今でも関係性が改善する見込みはなかった。
「そもそも小山の見間違いじゃなくて?」
「ホントなんだってば!」
左右田はいい奴だけど、いくら話しても大衡の本性を信じてくれない。いや、左右田だけじゃない。どうしてみんなあいつの性悪さに気づかないんだろう。
「見間違いじゃないなら、小山がデリカシーなさすぎたとか」
「そ、それは……そうかもしれないけどさ……」
それまでろくに挨拶もしていなかったから、距離感がおかしいと思われた可能性はある。でも根に持ちすぎじゃないか? 納得いかない。
きっと大衡と分かり合える日なんて一生来ないだろうな。
「はあ、俺もこっちのクラスが良かった……なんでよりによってあいつなんかと……」
「この機会に仲良くなれば?」
「無理だよ、あんな奴! 無駄にイケメンでムカつくし、身長一八〇センチくらいあるのもムカつくし、女子にエグいくらいモテるのも、勉強も運動もできるのもムカつくし……」
「それ褒めてんの?」
「全っ然褒めてない!」
絶対人生イージーモードだろ、あいつ。しかし左右田は俺の気も知らずに、眼鏡を指で押し上げながらニヤニヤ笑っている。
「でも喧嘩するほど仲が良いって言うじゃん」
「あいつに限ってそれはあり得ないから」
あんな態度を取られて仲が良いなんて冗談じゃない。俺は元々人と争うタイプじゃなかったのに、毎日小競り合いをしているせいで言い返すことにも慣れてしまった。全然嬉しくない。
「今朝も俺がSNS見てただけで絡んできたんだよ」
「あー、小山の推しの……なんだっけ、ナントカくん」
「Takaくんな!」
素早くアプリを立ち上げてスマホの画面を見せると、左右田は「あー、それな」と適当な返事をした。それ呼ばわりするなよ。
「ほんと、その人好きだよな」
「だってオシャレでかっこいいじゃん」
「顔隠してるのに?」
「そういう問題じゃないんだよ。つーかこのスタイルの良さは絶対イケメンだろ!」
フォロワー五万人超えのインフルエンサー、Takaくんは俺の憧れだ。彼はファッションやカフェ、景色の写真などを中心に投稿していて、その素性は都内在住の男子高校生ということ以外は一切不明。
顔出しをしていないのに人気があるのは、ひとえに彼の写真がどれもオシャレだからだ。特に中高生向けのファストファッション中心のコーディネートはすごく参考になる。俺もTakaくんみたいになりたくてファッション系の記事を読んだり服装を真似したりと研究しているが、まだまだ足元にも及ばない。
「これ見てよ、昨日の夜載ってたコーデ。トレンドだけど頑張りすぎてない感じがかっこいいんだよな。このカフェの写真もオシャレだろ? 俺もデートするならこういう場所がいいな……」
「彼女いたことないじゃん」
「いいだろ、夢見たって」
左右田相手にはいくらでも話せるけれど、Takaくんの投稿にはいいねをつけるくらいで、コメントは畏れ多くてしたことがない。でももしもいつかどこかで出会えたら、Takaくんが好きだって伝えられたらいいなと思っている。
まあ、それこそ夢みたいな話だろうけど。
魔の班分け事件から一ヶ月後の、十一月上旬。二泊三日の修学旅行の行き先は京都だ。班別の自由行動がメインになっており、俺はずっと大衡たちとともに行動しなければいけないわけで……正直気が重い。
しかしひとつだけ良いことがあった。今朝TakaくんがSNSに『今日から修学旅行で京都に行きます』と投稿していたのだ。今は修学旅行シーズンだが、まさか同じ日に同じ場所に行くなんて思わなかった。もしかしたらどこかですれ違うかも、なんて考えたら気分が上がった。どうせなら俺もTakaくんみたいにオシャレな写真が撮れるか挑戦してみようかな。
自由行動の行き先は事前に決めており、まず京都駅から嵐山方面に移動した。俺の希望は陽キャどもに聞き入れてもらえずにほとんど無視されたけれど、何だかんだで無難な観光地を回ることになり安心した。アホの陽キャでも、さすがに修学旅行でいかがわしい店やら心霊スポットやらには行けないと弁えているらしい。
とりあえず心を無にして一人旅のつもりで楽しもう。そう思っていたんだけど……。
「小山ー、写真撮って」
「あー、はいはい」
「おい、これブレてんじゃん」
「あー、はいはい……撮り直せばいいんだろ」
荷物持ちを回避した俺に与えられた肩書きはカメラ係だった。特に下田は写真が暗いだの写りが悪いだのと注文が多い。つ、疲れる……。文句ばっかり言うなら自分で撮れよ。
「大衡、こっち来いよ。早く撮ろーぜ」
「お前ら、テンション高いな」
「修学旅行でテンション上げないでいつ上げんだよ」
上野や下田たちと写真に写る大衡は、一見すると楽しそうだけど、どことなく表情に疲れが出ていた。長時間の移動のせいかもしれないけれど……こんな時までいつもの愛想笑いしてんのかな。余計に疲れそうだ。
「小山、お前も一緒に写るか? ああでも、顔の高さが合わねえか」
「はあ? お前とツーショットなんか撮るかよ」
しかし俺に絡んでくる時の大衡は、疲労感はどこへやら、表情が生き生きとしている。こいつ、旅先でも意地が悪いのかよ。修学旅行中くらい大人しくしてろよ。
俺もせっかくの修学旅行をカメラ係で終わるわけにいかないと思い、合間合間に自分のスマホで景色の写真を撮ってみた。でもオシャレになるどころか肉眼で見た方がよっぽどきれいな有り様だ。こういうのは生まれ持ったセンスなんだろうか。Takaくんに近づくための道のりは長そうだ。
「あれ、上野と下田は?」
トイレから戻ると、そこには大衡の姿しかなかった。大衡は俺を待っているだけの短時間で他校の女子から逆ナンされていて、こいつ本当はめっちゃ性格悪いんですよと教えてあげたくなったが、それはそれとして。
女子たちの誘いを断った大衡は俺の方に向き直った。
「あいつら彼女と待ち合わせしてるから」
「え、聞いてないんだけど」
「わざわざお前に言う必要あるか?」
あるだろ、一応同じ班なんだから。ていうか勝手な別行動って許されるのか? これだからアホの陽キャは嫌なんだ。
「集合時間までに合流すればいいだろ。行くぞ」
大衡は俺に背を向けてさっさと歩き出してしまった。もしかしてこれ、二人で回る流れ……?
「ちょ、ちょっと待って。それなら大衡も彼女と回ればいいじゃん」
「は? そんなんいねえし」
嘘だろ。しょっちゅう告白されてるくせに。モテすぎて逆にいないとか? 何が逆なんだかよく分からないけど。
「ごちゃごちゃ言ってないで早く来いよ。お前小せえから見失いやすいんだよ」
う、うっざ……。お前みたいな無駄にデカい奴、待ち合わせの目印にされちまえ。
成り行きで大衡と二人で観光をする羽目になってしまった。こんなことになるならさっきの逆ナン女子に大衡を押しつけてくれば良かった。後悔先に立たずだ。
道中、大衡との会話はほとんどなかった。上野と下田はうるさくて仕方なかったが、いなければいないで間がもたなくて困る。大衡だって俺と二人じゃ楽しくないだろう。
ろくに目も合わさないまま天龍寺と野宮神社を回り、竹林の小径にたどり着いた。鮮やかな深緑の竹が小径の両側に生い茂り、陽射しが遮られて昼間なのに薄暗い。まるでここだけ別世界みたいに神秘的な雰囲気が漂っていた。
「すごいな……」
思わず感想が口をついて出た。しかし隣にいるはずの大衡からの返事はない。ちょっとくらい会話しろよ、感じ悪いなと思いながら振り向くと、大衡は何故か俺をじっと見ていた。
「……な、何?」
「……別に」
ふいっと視線を逸らされ、大衡は俺を無視して景色の写真を撮り始めた。なんなんだよ、一体……。
俺もスマホを取り出してカメラを起動させる。こんなに風情のある場所なら、俺の腕でもそこそこいい雰囲気で撮れそうだ。そう思って辺りにカメラを向けてみる……けれど。
「うーん……?」
いまいちだ。たくさんの竹が写ったほうがいいかと思って広角にしてみても全然映えない。何がいけないんだろう。
「小山、そこ立て」
突然背後から声をかけられ、振り返ると大衡が俺の真後ろに立っていた。思っていたより近くて少し驚いた。
「どこ?」
「ぼさっとすんな、そこだよそこ」
よく分からないまま指し示された場所に立った瞬間、大衡はスマホをこちらに向けてシャッターを切った。
……マジで何?
「な、何してんの……?」
恐る恐る尋ねると、大衡はにやりと笑った。それは取り巻き連中に見せているのとは違う、意地の悪い笑みだった。
「お前の間抜け面を記念に残しておこうと思って」
「は!? なんだよそれ!」
意味分からん。わざわざ馬鹿にするために撮ったのかよ。どこまで嫌な奴なんだ。
「消せよ!」
「無理。もう保存した」
「消せってば!」
「ネットに載せたりはしねえから安心しろよ」
当たり前だ。勝手に載せられたら堪ったものじゃない。
「そんなに怒んな、次はお前のスマホで撮ってやる」
「もういいって。どうせまた変なの撮るんだろ」
「ちげーよ。お前、人の写真撮ってばっかりで全然写ってなかっただろ」
「……そうだけど」
「だから、ほら。早く貸せよ」
「……」
本当にまともに撮ってくれるのか? もし変なのだったら即消してやる。
半信半疑でスマホを渡し、再度同じ場所に立つ。大衡は数回シャッターを切り、俺にスマホを返してきた。
「これでいいか?」
「おお……? なんかいい感じだ」
竹林の隙間から降り注ぐ日光が足元を照らし、幻想的な写真になっていた。てっきりまたネタにされるのかと思ったけれど、これならちゃんと記念になりそうだ。
もしかして大衡の奴、俺が写ってないこと気にしてたのかな。
……なんで?
「そろそろ休憩するか。ネットでいい店調べておいたんだよ」
「え、マジ? どんなの?」
「子連れオーケーのカフェ」
「誰が子どもだ!」
大衡は軽く笑うとスマホをポケットにしまって再び歩き出した。
さっき見えた気遣い……みたいなものは、何だったんだろう。たぶん、俺の気のせいだろうけど。
大衡に案内されたカフェは渡月橋を一望できる場所にあった。白を基調とした店内は大きな窓から入ってくる光で明るくて、テラス席では景色を楽しめる。
「ふ、ふーん。意外とセンスいいじゃん、大衡のくせに」
「負け惜しみか?」
「お前じゃなくて店を褒めたんだよ」
こんな洒落たカフェなら大衡なんかじゃなくて彼女と来てみたかったな……彼女いたことないけど。
俺は人気メニューのプリンを注文した。黒塗りの枡に入ったプリンの上に、土と石に見立てたクッキーやチョコ、ハーブや抹茶パウダーが敷き詰められて日本庭園を模したミニチュアのような作りになっている。TakaくんのSNSで紹介されていそうなくらいフォトジェニックだ。気分だけTakaくんに近づいた感じがして嬉しくなった。
よし、今度こそオシャレな写真を撮ってみよう。プリンを自分の正面に置き、スマホを構えてみる。こういう時は斜めにするんだっけ。それか上から撮るべきか? でも身体が影になってしまう。
立ったり座ったりを繰り返して撮影していたら、大衡からの視線を感じた。
「落ち着きなさすぎるだろ」
「だって、上手く撮れないんだよ」
「……見せてみろよ」
「やだよ。馬鹿にするつもりだろ」
「いいから見せろ」
予想外に食い下がられ、渋々画面を向ける。すると大衡はカメラロールをちらっと見ただけでため息をついた。
「奇跡的に全部下手だな」
「う……うるせえな、分かってるよ!」
思ったとおりだ、見せるんじゃなかった。すぐにスマホを隠そうとするが、一瞬のうちに奪われてしまった。
「あっ、返せよ!」
「まず設定変えろよ。露出補正するだけでも全然違うだろ。あとはポートレートでf値調整するとか」
「え……なんて?」
いきなり知らない単語を羅列され、思わず聞き返す。
「そもそも構図がなってねえ。グリッドくらい使えよ」
「え、え?」
大衡は慣れた手つきでカメラの設定を変えていく。どこをどう弄っているのか、目で追うだけでもいっぱいいっぱいだ。
「で、撮ったらトリミングと色補正……ほら、できた」
ようやく返されたスマホには、同じ機種で撮ったとは思えないほどクオリティの高い写真が表示されていた。自然光の明るさと、テーブルの余白を活かした真上からのアングル。SNSでよく見るオシャレな構図だ。
そういえば、さっき竹林で撮ってもらった写真もきれいだった。
「大衡、写真得意なの?」
「得意っつーか、このくらい基本だろ」
「悪かったな、基本すらできなくて」
隙あらば嫌味を言うなよ、まったく。ほんのちょっとだけすごいかも、なんて見直しかけたけど取り消そう。
ひとまず撮影は終えたので、食べる方に集中する。崩すのがもったいないなと思いながらプリンにスプーンの先を入れ、ひと口。カスタードの滑らかさに、サクサクしたクッキーの食感が良いアクセントになっている。見た目だけじゃなく味もおいしい。
「小山って甘党?」
大衡は抹茶ラテを飲みながらそう問いかけてきた。
「うん、甘いもの好き」
「へー……」
そう呟く大衡の目は、俺の手元のプリンをじっと見つめていた。なんだ、腹減ってたのか? こいつも実は甘党とか?
「味見する?」
「え……、いいのか?」
「まあ……食べかけだけど」
大衡は少しの間を置いて、小さく頷いた。
「……じゃあもらう」
大衡の長い指が俺の手からスプーンを奪い、プリンを掬う。そしてゆっくりと形の良い唇に運ばれていった。
「……うまい」
「だろ? 人気なんだって」
「ふーん……」
あれ、反応薄いな。口に合わなかったのかな、おいしいのに。
大衡は俺にスプーンを返すと、自分のカップに口をつけた。喉仏がごくりと上下する。
俺はいつも炭酸飲料ばっかりで、抹茶ラテなんて飲んだことがない。でも人が飲んでいるとおいしそうに見える。
「大衡のも味見させてよ」
「え」
「俺だけあげたら不公平じゃん」
「……」
カップが俺の方に寄せられる。自分がもらうのはいいけどあげるのは不満なのか? 面倒くさい奴だな。
とりあえず飲んでもいいようなのでカップに手を伸ばす。飲みやすい温度になっていた抹茶ラテは甘すぎず、抹茶のほろ苦さと牛乳のまろやかさが調和していた。
「こっちもおいしいな」
「……」
「……ありがと。一応」
「……」
大衡は何故か黙ったままだ。嫌味を言われるよりマシだし、にこやかに会話を交わすのも想像つかないけれど、静かすぎると落ち着かない。なんだよ、少しは打ち解けたかと思ったのに。
……やっぱり大衡と仲良くなるのは無理なのかな。
「……あのさ、大衡」
「なに」
「つまんなかっただろ。俺と二人で」
「つまんないなんて言ってねえだろ」
「でも喋んないし笑わないし……。上野と下田がいた時もなんか疲れた顔してたけどさ」
こんなことを言うつもりはなかったのだが、沈黙に耐えかねてつい本音を口にしてしまった。
上野と下田が別行動すると最初から知っていたなら、俺と二人になることだって分かっていたはずだ。でもそれならどうして仲良くもない、むしろ嫌っている俺を同じ班に入れたんだ。本当にただの人数合わせなのか?
大衡は頬杖をつき、景色を眺めながらぽつりと呟いた。
「お前って……鋭いのか鈍いのか分かんねえ」
「なにそれ、どういう意味だよ」
「……何でもねえよ。ばーか」
どうしてこいつはいちいち馬鹿だのなんだの言うんだ。ムカつく。でも何となく、さっきまでの妙な雰囲気は和らいだ感じがした。
その後は金閣寺や清水寺を見学し、上野と下田と合流してから集合場所まで戻った。二人は彼女とどこに行っただとか何を食っただとか延々と喋り続けていて、大衡はそれを楽しそうに聞いていて……でもその笑顔はどこか偽物のようで、胸の奥がすっきりしなかった。
大衡のことなんか気にかける必要ないのに……俺もおかしいな。
ホテルは四人部屋で、俺は予定通りに大衡たちと同室になった。しかしここでもまた想定外の出来事があった。
風呂を済ませると早々に色ボケの陽キャ二人はまた彼女のところへ行ってしまったのだ。不純すぎるだろ。さすがに消灯時間には戻ってくるだろうけれど、またもや大衡と二人きりだ。
畳に敷かれた布団の上に胡座をかき、ただ無言でスマホを弄る。部屋は沈黙に包まれている。き、気まずい……。上野でも下田でもいいから戻ってこないかな、なんて思っていた時。
「小山」
「な、なに?」
不意に話しかけられて思わず声が裏返ってしまう。大衡はスマホを弄っていた手を止めてこちらを見ていた。
「連絡先教えろよ。明日も自由行動だろ。何かあった時連絡取れないと困る」
「ああ、そっか」
そういえば同じ班なのに連絡先を誰とも交換していなかった。もしはぐれてたら終わりだったな。
お互いスマホを操作し、メッセージアプリの友達リストに大衡が追加された。なんだか不思議だ。そもそも俺たちって友達なんだろうか……いや、こんなに性悪な友達は嫌だ。
「ついでに写真送ってやる。撮り方の参考にしろよ」
「え……あ、ありがとう」
おお、意外と気が利くな。もらえるものはもらっておこう。
次々と送られてくる写真は構図の取り方や光の加減がよく考えられていて、景色は美しく、食べ物は美味しそうに写っていた。
……やっぱり上手いな。癪だから言ってやらないけど。でもこういう感じの写真、どこかで見覚えがある気が……。
そして最後に届いたのは竹林の小径で撮られた俺の写真だった。半目だった。なにこれ。最悪の写真写り。
「な? 間抜け面残しておくって言っただろ?」
「お前マジで最悪! 消せよもう!」
嫌がらせかよ! もしかしたら良い奴かもなんてほんの少しでも思った俺が馬鹿だった。
大衡は可笑しそうに「無理」と笑った。ちくしょう。こんな時に心からの笑顔見せてんじゃねえ。
結局その後すぐに上野と下田が戻ってきて、俺はまた蚊帳の外となった。手持ち無沙汰になり、そういえば今日はTakaくんのSNSをチェックしていなかったと気づく。
アプリを開くとちょうど数分前に投稿されたばかりの写真があった。『#修学旅行』のハッシュタグとともに、京都の風景が何枚も載せられていた。渡月橋、竹林の小径、金閣寺、清水寺……えっ、嘘、俺が行った場所ばっかりじゃん! まさか本当にどこかですれ違っていたのかもしれないと一気にテンションが上がる。
それにしても、いくら定番の場所ばかりだといっても被りすぎじゃないだろうか。こんな偶然ってあるのかな。そう思いながら写真を眺めていると、あることに気づいた。
なんか、既視感があるような……。
「……まさか……」
大衡から送られてきた写真を見返す。この写真も、こっちの写真も……全部同じだ。
状況が理解できなくて混乱してきた。大衡がTakaくんのSNSの写真を俺に送ってきたってこと?
……違う、それはない。Takaくんの投稿時間より、大衡の送信時間の方が先だった。ということは……。
「……っ」
ごくりと唾を飲み込む。大きくなる心臓の音を聞きながらもう一度SNSを開き、Takaくんの写真を一枚ずつ、ゆっくりと見ていく。そして最後の写真を見た時、画面をスワイプする俺の指が止まった。
そこに写っていたのは、あのカフェの抹茶ラテ。そして、向かい側にはフォトジェニックなプリン。
人物はぼかされていて特定できないようになっている。でも、俺にはそれが誰だか分かった。……きっと俺にしか分からない。
その写真には一行だけ、文章が添えられていた。
『修学旅行一日目。好きな人と二人で回れて楽しかった』
騒いでいる上野と下田の声がどこか遠くで聞こえる。
震えそうになる指でメッセージアプリの友達リストを開く。一番上に表示されているのは、ついさっき追加したばかりの名前。
『大衡鷹史』
鷹史……たかふみ……Taka……。
……マ、マジで?
『ガチで垢抜けるコーデ』
『みんな買ってるバズスイーツ』
『一度は行きたい映えスポット』
キラキラと輝くワードが並ぶタイムライン。スマホの画面にスイスイと指を滑らせて、ハートをタップしていく。
朝のホームルーム前のちょっとした空き時間にSNSの投稿を見ていると、俺の平凡な人生もほんの少しだけ特別になる気がする。
この服かっこいいな。この着回しなら俺でも真似できるかも……なんてオシャレになった自分を妄想していたら、突然誰かが背中にぶつかってきた。振り返った先には大衡が立っていた。黙っていれば誰もが振り向くほどの整った顔に、意地の悪い笑みを浮かべながら、俺を見下ろしている。
「大衡、痛いんだけど」
「ああ、悪かったな。小さすぎて見えなかったわ」
言葉とは裏腹に全く悪びれていない態度にカチンとくる。
確かに俺は一六〇センチにギリギリ到達するかどうかってくらいだけど、座っている姿が見えないなんておかしいだろ。絶対にわざとだ。
「小山、今スマホ見ながらニヤニヤしてたよな。エロ動画でも見てたのか?」
「見るわけねーだろ!」
「つーかまた牛乳飲んでんのかよ。小せえ奴は大変だな。今度奢ってやるよ」
「うるせえな、無駄にデカい奴よりマシだろ。邪魔なんだよお前は」
「その身長で強がれるの、逆にすげえな」
「強がってねーよ、やめろ馬鹿!」
大衡は俺の短い髪をわしゃわしゃとかき回してきた。そんなに上から押されて背が縮んだらどうしてくれるんだよ。人のコンプレックスを刺激しやがって……。
それに俺はきっとこれから成長期が来るんだ。そうなったら大衡の身長なんてあっと言う間に越えてやる。いつの日か、こいつの焦茶色の髪をぐちゃぐちゃに乱してやることが俺の野望だ。後で吠え面かくなよ。
頭上の手を振り払って睨み返すと、大衡は鼻で笑って隣の席にスクールバッグを置いた。すぐに女子たちが集まってきて、きゃあきゃあと騒がしくなる。
今日も朝から最悪の気分だ。毎日毎日うんざりする。いい加減にしてくれ。
そう、俺、小山佑は同級生の大衡に目をつけられて、事あるごとに絡まれているのだ。
事件が起こったのは、その日の三時間目のロングホームルーム、修学旅行の班分けを決めている時だった。
「おい、小山。お前俺らの班に入れよ」
大衡が突然そんなことを言い放った。俺は耳を疑い、思わずその顔をまじまじと見てしまった。
「え……俺? なんで?」
「どうせ余ってるんだろ。こっちは半端に一人足りねえんだよ」
大衡は取り巻き連中である上野と下田の二人を引き連れていた。二人とも派手な感じのイケメンで、俺とは正反対のスクールカースト上位の一員だ。
「えー、小山入れてやるの?」
「優しいなー、大衡は」
上野と下田はへらへらと笑っている。からかわれているようにしか聞こえない。
「入れてくれなんて頼んでねえよ。それに俺は他の人と組むし」
「誰とだよ。お前友達いないだろ」
「い、いるわ! 隣のクラスに!」
「つーか他の奴らはもう決まってるって」
やたらと一軍陽キャが多いこのクラスには特別仲がいい人はいないから、適当にどこかの地味メンツの中に入れてもらおうと思っていた。しかし慌てて教室内を見回しても、俺と属性が近そうな地味メンツたちはすでに班を組み終えていた。あんまりだ。
「このままじゃお前、ぼっちだぞ。それとも俺らが嫌なら女子の班に入れてもらうか?」
「うぐ……それは……」
そんなの無理に決まっている。だってこの班分けは当日の宿泊先の部屋割りにもなるからだ。そうでなくても、女子と気軽に会話できるほど俺のコミュ力は高くない。もはや選択肢はなかった。
「じゃあ決まりだな。文句言うなよ」
「小山、よろしくー」
「俺らの荷物持ってよ」
大衡の言葉に、上野と下田が畳みかける。つーか俺パシリかよ。絶対嫌だ。
「最悪……」
そこそこ楽しみにしていた修学旅行が、一気に憂鬱になってしまった。
「あーもー、ムカつくんだよ、大衡の奴!」
そう叫びながら唐揚げに箸を突き刺すと、左右田に「行儀悪すぎ」とツッコまれた。
「また大衡くんの愚痴?」
「またじゃない、毎日新鮮にムカついてるんだよ! あいつマジで性格終わってるからな!?」
「毎日毎日よくやるなぁ」
俺のクラスはうるさくて居心地が悪いので、昼休みには隣のクラスで弁当を食べている。友達の左右田はいつも呆れながらも俺の愚痴を聞いてくれる。
「同じクラスになってからずっと仲悪いよな。何やったらそんなことになっちゃうの?」
「俺のせいじゃないって! 大衡って友達多いだろ? でもあいつ、しょっちゅう愛想笑いしてるんだよ。で、なんでなのか訊いたらなんか嫌われたんだよな」
クラスが替わってすぐ、大衡がいつも作り笑いのような顔でみんなに接していると気づいた。その様子を見るたびに、こんなカースト上位の奴にも何か悩み事でもあるのかとずっと気になっていた。しかし授業でのペアワーク中に深く考えずに理由を尋ねてみたら、俺に返ってきたのは「なんなんだよ、お前。そういうのウザい」という辛辣な答えだったのだ。
それから大衡は俺にだけ異常なほど塩対応になり、数ヶ月経った今でも関係性が改善する見込みはなかった。
「そもそも小山の見間違いじゃなくて?」
「ホントなんだってば!」
左右田はいい奴だけど、いくら話しても大衡の本性を信じてくれない。いや、左右田だけじゃない。どうしてみんなあいつの性悪さに気づかないんだろう。
「見間違いじゃないなら、小山がデリカシーなさすぎたとか」
「そ、それは……そうかもしれないけどさ……」
それまでろくに挨拶もしていなかったから、距離感がおかしいと思われた可能性はある。でも根に持ちすぎじゃないか? 納得いかない。
きっと大衡と分かり合える日なんて一生来ないだろうな。
「はあ、俺もこっちのクラスが良かった……なんでよりによってあいつなんかと……」
「この機会に仲良くなれば?」
「無理だよ、あんな奴! 無駄にイケメンでムカつくし、身長一八〇センチくらいあるのもムカつくし、女子にエグいくらいモテるのも、勉強も運動もできるのもムカつくし……」
「それ褒めてんの?」
「全っ然褒めてない!」
絶対人生イージーモードだろ、あいつ。しかし左右田は俺の気も知らずに、眼鏡を指で押し上げながらニヤニヤ笑っている。
「でも喧嘩するほど仲が良いって言うじゃん」
「あいつに限ってそれはあり得ないから」
あんな態度を取られて仲が良いなんて冗談じゃない。俺は元々人と争うタイプじゃなかったのに、毎日小競り合いをしているせいで言い返すことにも慣れてしまった。全然嬉しくない。
「今朝も俺がSNS見てただけで絡んできたんだよ」
「あー、小山の推しの……なんだっけ、ナントカくん」
「Takaくんな!」
素早くアプリを立ち上げてスマホの画面を見せると、左右田は「あー、それな」と適当な返事をした。それ呼ばわりするなよ。
「ほんと、その人好きだよな」
「だってオシャレでかっこいいじゃん」
「顔隠してるのに?」
「そういう問題じゃないんだよ。つーかこのスタイルの良さは絶対イケメンだろ!」
フォロワー五万人超えのインフルエンサー、Takaくんは俺の憧れだ。彼はファッションやカフェ、景色の写真などを中心に投稿していて、その素性は都内在住の男子高校生ということ以外は一切不明。
顔出しをしていないのに人気があるのは、ひとえに彼の写真がどれもオシャレだからだ。特に中高生向けのファストファッション中心のコーディネートはすごく参考になる。俺もTakaくんみたいになりたくてファッション系の記事を読んだり服装を真似したりと研究しているが、まだまだ足元にも及ばない。
「これ見てよ、昨日の夜載ってたコーデ。トレンドだけど頑張りすぎてない感じがかっこいいんだよな。このカフェの写真もオシャレだろ? 俺もデートするならこういう場所がいいな……」
「彼女いたことないじゃん」
「いいだろ、夢見たって」
左右田相手にはいくらでも話せるけれど、Takaくんの投稿にはいいねをつけるくらいで、コメントは畏れ多くてしたことがない。でももしもいつかどこかで出会えたら、Takaくんが好きだって伝えられたらいいなと思っている。
まあ、それこそ夢みたいな話だろうけど。
魔の班分け事件から一ヶ月後の、十一月上旬。二泊三日の修学旅行の行き先は京都だ。班別の自由行動がメインになっており、俺はずっと大衡たちとともに行動しなければいけないわけで……正直気が重い。
しかしひとつだけ良いことがあった。今朝TakaくんがSNSに『今日から修学旅行で京都に行きます』と投稿していたのだ。今は修学旅行シーズンだが、まさか同じ日に同じ場所に行くなんて思わなかった。もしかしたらどこかですれ違うかも、なんて考えたら気分が上がった。どうせなら俺もTakaくんみたいにオシャレな写真が撮れるか挑戦してみようかな。
自由行動の行き先は事前に決めており、まず京都駅から嵐山方面に移動した。俺の希望は陽キャどもに聞き入れてもらえずにほとんど無視されたけれど、何だかんだで無難な観光地を回ることになり安心した。アホの陽キャでも、さすがに修学旅行でいかがわしい店やら心霊スポットやらには行けないと弁えているらしい。
とりあえず心を無にして一人旅のつもりで楽しもう。そう思っていたんだけど……。
「小山ー、写真撮って」
「あー、はいはい」
「おい、これブレてんじゃん」
「あー、はいはい……撮り直せばいいんだろ」
荷物持ちを回避した俺に与えられた肩書きはカメラ係だった。特に下田は写真が暗いだの写りが悪いだのと注文が多い。つ、疲れる……。文句ばっかり言うなら自分で撮れよ。
「大衡、こっち来いよ。早く撮ろーぜ」
「お前ら、テンション高いな」
「修学旅行でテンション上げないでいつ上げんだよ」
上野や下田たちと写真に写る大衡は、一見すると楽しそうだけど、どことなく表情に疲れが出ていた。長時間の移動のせいかもしれないけれど……こんな時までいつもの愛想笑いしてんのかな。余計に疲れそうだ。
「小山、お前も一緒に写るか? ああでも、顔の高さが合わねえか」
「はあ? お前とツーショットなんか撮るかよ」
しかし俺に絡んでくる時の大衡は、疲労感はどこへやら、表情が生き生きとしている。こいつ、旅先でも意地が悪いのかよ。修学旅行中くらい大人しくしてろよ。
俺もせっかくの修学旅行をカメラ係で終わるわけにいかないと思い、合間合間に自分のスマホで景色の写真を撮ってみた。でもオシャレになるどころか肉眼で見た方がよっぽどきれいな有り様だ。こういうのは生まれ持ったセンスなんだろうか。Takaくんに近づくための道のりは長そうだ。
「あれ、上野と下田は?」
トイレから戻ると、そこには大衡の姿しかなかった。大衡は俺を待っているだけの短時間で他校の女子から逆ナンされていて、こいつ本当はめっちゃ性格悪いんですよと教えてあげたくなったが、それはそれとして。
女子たちの誘いを断った大衡は俺の方に向き直った。
「あいつら彼女と待ち合わせしてるから」
「え、聞いてないんだけど」
「わざわざお前に言う必要あるか?」
あるだろ、一応同じ班なんだから。ていうか勝手な別行動って許されるのか? これだからアホの陽キャは嫌なんだ。
「集合時間までに合流すればいいだろ。行くぞ」
大衡は俺に背を向けてさっさと歩き出してしまった。もしかしてこれ、二人で回る流れ……?
「ちょ、ちょっと待って。それなら大衡も彼女と回ればいいじゃん」
「は? そんなんいねえし」
嘘だろ。しょっちゅう告白されてるくせに。モテすぎて逆にいないとか? 何が逆なんだかよく分からないけど。
「ごちゃごちゃ言ってないで早く来いよ。お前小せえから見失いやすいんだよ」
う、うっざ……。お前みたいな無駄にデカい奴、待ち合わせの目印にされちまえ。
成り行きで大衡と二人で観光をする羽目になってしまった。こんなことになるならさっきの逆ナン女子に大衡を押しつけてくれば良かった。後悔先に立たずだ。
道中、大衡との会話はほとんどなかった。上野と下田はうるさくて仕方なかったが、いなければいないで間がもたなくて困る。大衡だって俺と二人じゃ楽しくないだろう。
ろくに目も合わさないまま天龍寺と野宮神社を回り、竹林の小径にたどり着いた。鮮やかな深緑の竹が小径の両側に生い茂り、陽射しが遮られて昼間なのに薄暗い。まるでここだけ別世界みたいに神秘的な雰囲気が漂っていた。
「すごいな……」
思わず感想が口をついて出た。しかし隣にいるはずの大衡からの返事はない。ちょっとくらい会話しろよ、感じ悪いなと思いながら振り向くと、大衡は何故か俺をじっと見ていた。
「……な、何?」
「……別に」
ふいっと視線を逸らされ、大衡は俺を無視して景色の写真を撮り始めた。なんなんだよ、一体……。
俺もスマホを取り出してカメラを起動させる。こんなに風情のある場所なら、俺の腕でもそこそこいい雰囲気で撮れそうだ。そう思って辺りにカメラを向けてみる……けれど。
「うーん……?」
いまいちだ。たくさんの竹が写ったほうがいいかと思って広角にしてみても全然映えない。何がいけないんだろう。
「小山、そこ立て」
突然背後から声をかけられ、振り返ると大衡が俺の真後ろに立っていた。思っていたより近くて少し驚いた。
「どこ?」
「ぼさっとすんな、そこだよそこ」
よく分からないまま指し示された場所に立った瞬間、大衡はスマホをこちらに向けてシャッターを切った。
……マジで何?
「な、何してんの……?」
恐る恐る尋ねると、大衡はにやりと笑った。それは取り巻き連中に見せているのとは違う、意地の悪い笑みだった。
「お前の間抜け面を記念に残しておこうと思って」
「は!? なんだよそれ!」
意味分からん。わざわざ馬鹿にするために撮ったのかよ。どこまで嫌な奴なんだ。
「消せよ!」
「無理。もう保存した」
「消せってば!」
「ネットに載せたりはしねえから安心しろよ」
当たり前だ。勝手に載せられたら堪ったものじゃない。
「そんなに怒んな、次はお前のスマホで撮ってやる」
「もういいって。どうせまた変なの撮るんだろ」
「ちげーよ。お前、人の写真撮ってばっかりで全然写ってなかっただろ」
「……そうだけど」
「だから、ほら。早く貸せよ」
「……」
本当にまともに撮ってくれるのか? もし変なのだったら即消してやる。
半信半疑でスマホを渡し、再度同じ場所に立つ。大衡は数回シャッターを切り、俺にスマホを返してきた。
「これでいいか?」
「おお……? なんかいい感じだ」
竹林の隙間から降り注ぐ日光が足元を照らし、幻想的な写真になっていた。てっきりまたネタにされるのかと思ったけれど、これならちゃんと記念になりそうだ。
もしかして大衡の奴、俺が写ってないこと気にしてたのかな。
……なんで?
「そろそろ休憩するか。ネットでいい店調べておいたんだよ」
「え、マジ? どんなの?」
「子連れオーケーのカフェ」
「誰が子どもだ!」
大衡は軽く笑うとスマホをポケットにしまって再び歩き出した。
さっき見えた気遣い……みたいなものは、何だったんだろう。たぶん、俺の気のせいだろうけど。
大衡に案内されたカフェは渡月橋を一望できる場所にあった。白を基調とした店内は大きな窓から入ってくる光で明るくて、テラス席では景色を楽しめる。
「ふ、ふーん。意外とセンスいいじゃん、大衡のくせに」
「負け惜しみか?」
「お前じゃなくて店を褒めたんだよ」
こんな洒落たカフェなら大衡なんかじゃなくて彼女と来てみたかったな……彼女いたことないけど。
俺は人気メニューのプリンを注文した。黒塗りの枡に入ったプリンの上に、土と石に見立てたクッキーやチョコ、ハーブや抹茶パウダーが敷き詰められて日本庭園を模したミニチュアのような作りになっている。TakaくんのSNSで紹介されていそうなくらいフォトジェニックだ。気分だけTakaくんに近づいた感じがして嬉しくなった。
よし、今度こそオシャレな写真を撮ってみよう。プリンを自分の正面に置き、スマホを構えてみる。こういう時は斜めにするんだっけ。それか上から撮るべきか? でも身体が影になってしまう。
立ったり座ったりを繰り返して撮影していたら、大衡からの視線を感じた。
「落ち着きなさすぎるだろ」
「だって、上手く撮れないんだよ」
「……見せてみろよ」
「やだよ。馬鹿にするつもりだろ」
「いいから見せろ」
予想外に食い下がられ、渋々画面を向ける。すると大衡はカメラロールをちらっと見ただけでため息をついた。
「奇跡的に全部下手だな」
「う……うるせえな、分かってるよ!」
思ったとおりだ、見せるんじゃなかった。すぐにスマホを隠そうとするが、一瞬のうちに奪われてしまった。
「あっ、返せよ!」
「まず設定変えろよ。露出補正するだけでも全然違うだろ。あとはポートレートでf値調整するとか」
「え……なんて?」
いきなり知らない単語を羅列され、思わず聞き返す。
「そもそも構図がなってねえ。グリッドくらい使えよ」
「え、え?」
大衡は慣れた手つきでカメラの設定を変えていく。どこをどう弄っているのか、目で追うだけでもいっぱいいっぱいだ。
「で、撮ったらトリミングと色補正……ほら、できた」
ようやく返されたスマホには、同じ機種で撮ったとは思えないほどクオリティの高い写真が表示されていた。自然光の明るさと、テーブルの余白を活かした真上からのアングル。SNSでよく見るオシャレな構図だ。
そういえば、さっき竹林で撮ってもらった写真もきれいだった。
「大衡、写真得意なの?」
「得意っつーか、このくらい基本だろ」
「悪かったな、基本すらできなくて」
隙あらば嫌味を言うなよ、まったく。ほんのちょっとだけすごいかも、なんて見直しかけたけど取り消そう。
ひとまず撮影は終えたので、食べる方に集中する。崩すのがもったいないなと思いながらプリンにスプーンの先を入れ、ひと口。カスタードの滑らかさに、サクサクしたクッキーの食感が良いアクセントになっている。見た目だけじゃなく味もおいしい。
「小山って甘党?」
大衡は抹茶ラテを飲みながらそう問いかけてきた。
「うん、甘いもの好き」
「へー……」
そう呟く大衡の目は、俺の手元のプリンをじっと見つめていた。なんだ、腹減ってたのか? こいつも実は甘党とか?
「味見する?」
「え……、いいのか?」
「まあ……食べかけだけど」
大衡は少しの間を置いて、小さく頷いた。
「……じゃあもらう」
大衡の長い指が俺の手からスプーンを奪い、プリンを掬う。そしてゆっくりと形の良い唇に運ばれていった。
「……うまい」
「だろ? 人気なんだって」
「ふーん……」
あれ、反応薄いな。口に合わなかったのかな、おいしいのに。
大衡は俺にスプーンを返すと、自分のカップに口をつけた。喉仏がごくりと上下する。
俺はいつも炭酸飲料ばっかりで、抹茶ラテなんて飲んだことがない。でも人が飲んでいるとおいしそうに見える。
「大衡のも味見させてよ」
「え」
「俺だけあげたら不公平じゃん」
「……」
カップが俺の方に寄せられる。自分がもらうのはいいけどあげるのは不満なのか? 面倒くさい奴だな。
とりあえず飲んでもいいようなのでカップに手を伸ばす。飲みやすい温度になっていた抹茶ラテは甘すぎず、抹茶のほろ苦さと牛乳のまろやかさが調和していた。
「こっちもおいしいな」
「……」
「……ありがと。一応」
「……」
大衡は何故か黙ったままだ。嫌味を言われるよりマシだし、にこやかに会話を交わすのも想像つかないけれど、静かすぎると落ち着かない。なんだよ、少しは打ち解けたかと思ったのに。
……やっぱり大衡と仲良くなるのは無理なのかな。
「……あのさ、大衡」
「なに」
「つまんなかっただろ。俺と二人で」
「つまんないなんて言ってねえだろ」
「でも喋んないし笑わないし……。上野と下田がいた時もなんか疲れた顔してたけどさ」
こんなことを言うつもりはなかったのだが、沈黙に耐えかねてつい本音を口にしてしまった。
上野と下田が別行動すると最初から知っていたなら、俺と二人になることだって分かっていたはずだ。でもそれならどうして仲良くもない、むしろ嫌っている俺を同じ班に入れたんだ。本当にただの人数合わせなのか?
大衡は頬杖をつき、景色を眺めながらぽつりと呟いた。
「お前って……鋭いのか鈍いのか分かんねえ」
「なにそれ、どういう意味だよ」
「……何でもねえよ。ばーか」
どうしてこいつはいちいち馬鹿だのなんだの言うんだ。ムカつく。でも何となく、さっきまでの妙な雰囲気は和らいだ感じがした。
その後は金閣寺や清水寺を見学し、上野と下田と合流してから集合場所まで戻った。二人は彼女とどこに行っただとか何を食っただとか延々と喋り続けていて、大衡はそれを楽しそうに聞いていて……でもその笑顔はどこか偽物のようで、胸の奥がすっきりしなかった。
大衡のことなんか気にかける必要ないのに……俺もおかしいな。
ホテルは四人部屋で、俺は予定通りに大衡たちと同室になった。しかしここでもまた想定外の出来事があった。
風呂を済ませると早々に色ボケの陽キャ二人はまた彼女のところへ行ってしまったのだ。不純すぎるだろ。さすがに消灯時間には戻ってくるだろうけれど、またもや大衡と二人きりだ。
畳に敷かれた布団の上に胡座をかき、ただ無言でスマホを弄る。部屋は沈黙に包まれている。き、気まずい……。上野でも下田でもいいから戻ってこないかな、なんて思っていた時。
「小山」
「な、なに?」
不意に話しかけられて思わず声が裏返ってしまう。大衡はスマホを弄っていた手を止めてこちらを見ていた。
「連絡先教えろよ。明日も自由行動だろ。何かあった時連絡取れないと困る」
「ああ、そっか」
そういえば同じ班なのに連絡先を誰とも交換していなかった。もしはぐれてたら終わりだったな。
お互いスマホを操作し、メッセージアプリの友達リストに大衡が追加された。なんだか不思議だ。そもそも俺たちって友達なんだろうか……いや、こんなに性悪な友達は嫌だ。
「ついでに写真送ってやる。撮り方の参考にしろよ」
「え……あ、ありがとう」
おお、意外と気が利くな。もらえるものはもらっておこう。
次々と送られてくる写真は構図の取り方や光の加減がよく考えられていて、景色は美しく、食べ物は美味しそうに写っていた。
……やっぱり上手いな。癪だから言ってやらないけど。でもこういう感じの写真、どこかで見覚えがある気が……。
そして最後に届いたのは竹林の小径で撮られた俺の写真だった。半目だった。なにこれ。最悪の写真写り。
「な? 間抜け面残しておくって言っただろ?」
「お前マジで最悪! 消せよもう!」
嫌がらせかよ! もしかしたら良い奴かもなんてほんの少しでも思った俺が馬鹿だった。
大衡は可笑しそうに「無理」と笑った。ちくしょう。こんな時に心からの笑顔見せてんじゃねえ。
結局その後すぐに上野と下田が戻ってきて、俺はまた蚊帳の外となった。手持ち無沙汰になり、そういえば今日はTakaくんのSNSをチェックしていなかったと気づく。
アプリを開くとちょうど数分前に投稿されたばかりの写真があった。『#修学旅行』のハッシュタグとともに、京都の風景が何枚も載せられていた。渡月橋、竹林の小径、金閣寺、清水寺……えっ、嘘、俺が行った場所ばっかりじゃん! まさか本当にどこかですれ違っていたのかもしれないと一気にテンションが上がる。
それにしても、いくら定番の場所ばかりだといっても被りすぎじゃないだろうか。こんな偶然ってあるのかな。そう思いながら写真を眺めていると、あることに気づいた。
なんか、既視感があるような……。
「……まさか……」
大衡から送られてきた写真を見返す。この写真も、こっちの写真も……全部同じだ。
状況が理解できなくて混乱してきた。大衡がTakaくんのSNSの写真を俺に送ってきたってこと?
……違う、それはない。Takaくんの投稿時間より、大衡の送信時間の方が先だった。ということは……。
「……っ」
ごくりと唾を飲み込む。大きくなる心臓の音を聞きながらもう一度SNSを開き、Takaくんの写真を一枚ずつ、ゆっくりと見ていく。そして最後の写真を見た時、画面をスワイプする俺の指が止まった。
そこに写っていたのは、あのカフェの抹茶ラテ。そして、向かい側にはフォトジェニックなプリン。
人物はぼかされていて特定できないようになっている。でも、俺にはそれが誰だか分かった。……きっと俺にしか分からない。
その写真には一行だけ、文章が添えられていた。
『修学旅行一日目。好きな人と二人で回れて楽しかった』
騒いでいる上野と下田の声がどこか遠くで聞こえる。
震えそうになる指でメッセージアプリの友達リストを開く。一番上に表示されているのは、ついさっき追加したばかりの名前。
『大衡鷹史』
鷹史……たかふみ……Taka……。
……マ、マジで?



