それから三つの季節を共に過ごし、二回目の夏。八月の半ば。
冬馬がプールに行くと、凪がいつもと違った。ベンチに座っていたが、体が強張っていた。ラッシュガードの袖を握りしめている。顔が白かった。
「どうしたの」
凪は首を振った。「何でもない」。
冬馬はそれ以上聞かなかった。いつも通り。聞かないことでこの関係がずっと続くと思っていた。
三日後。
高校のプールに一番近い裏門に着いていつものように自転車を止めたが、いつもと空気が違った。プールの中から声が聞こえた。複数のどこか攻撃的な笑い声。プールの中に浮き沈みする頭が四つか五つ。見た目から全員高校生くらいのようだった。
全員水着を着ているが、泳ぐためにここに来たのではないことがわかった。声が楽しそうだった。楽しそうで、だから怖かった。
彼らの中心に——水の中に——凪がいた。
凪の頭が水面の下に沈められていた。手で頭を押さえつけられている。数秒。引き上げられた。凪が咳き込む。水を吐く。嘲るような笑い声。「まだいけるっしょ?」 また沈められた。
冬馬はフェンスの外にいた。プールの入り口に向かう途中だった。自転車を止めて、フェンスの隙間からそれを見ていた。金属のフェンス越しに。プールの水が跳ねて、照りつける太陽を反射して、キラキラ光って、蝉が耳の中で叫んで。綺麗な夏の午後。その中で凪が沈められている。
助けに行かなければならなかった。
声を上げなければならなかった。大人を呼ばなければならなかった。どこかわからないが高校の中に入って職員室に走って、高校から近くの家まで走ってドアを叩いて、誰か来てくれと叫べばよかった。
冬馬は動かなかった。動けなかった。
足が地面に張り付いていた。心臓が喉の奥まで上がってきていた。知らない人間たちが凪を沈めている。笑いながら。ふざけているように見えた。ふざけていたのかもしれない。彼らにとっては遊びだったのかもしれない。跳ねる水面越しに、歪んだ凪の顔が見える。
凪の目が一瞬だけ冬馬の方を向いた——ように見えた。フェンス越しに。水飛沫の向こうに。見えたかもしれない。見えなかったのかもしれない。冬馬にはわからなかった。今も、ずっとわからないまま。
冬馬は踵を返した。
走った。自転車にまたがって、走った。ペダルを全力で踏んで、プールから離れた。振り返らなかった。蝉の声が追いかけてきた。太陽が背中に当たっていた。家に帰った。部屋に入った。ドアを閉めた。布団に潜り込んだ。
見なかったことにした。耳を塞いだ。水の音がずっと聞こえていた。凪が咳き込む音。笑い声。全部が耳の中で反響していた。
翌日、ニュースで凪の死を知った。高校生がプールで溺死。事故として処理された。いじめの文字はどこにもなかった。
冬馬は知っていた。事故ではなかったことを。
冬馬だけが知っていた。自分だけが見る事が出来たものを、見ずに帰ったことを。
