水に還る


 朝。
 目を開けた。朝の光が窓から差し込んでいる。一瞬、どこにいるのかわからなかった。天井が見える。いつもと違う位置から見る自分の部屋の天井。そうだ、自分の家だ。冬馬が泊まったんだ。
 隣を見る。布団は畳まれていた。冬馬がいない。
 心臓が跳ねた。
 母が消えた朝と同じだった。朝起きたら、隣に誰もいない。布団だけが残っている。きれいに畳まれた布団。あの朝。小学二年の朝。母のベッドが空だった。シーツだけが残っていた。きれいに畳まれていた。出ていく人間は、最後に布団を畳むのだ。それだけが律儀で、それだけが残酷だった。
 朔夜は体を起こした。部屋を見回した。冬馬の荷物はある。リュックが椅子にかけてある。靴は——玄関を確認しなければ。階段を降りなければ。でも足がうまく動かない。もし玄関に靴がなかったら。もし冬馬が永遠に消えてしまっていたら。いなくならないと言ったのに。信じてるからと伝えたのに。
 台所から、水の音が聞こえた。蛇口をひねる音。コップに水を注ぐ音。
 冬馬がいた。
 息を吐いた。いつの間にか止めていた呼吸を、吐いた。全身の力が抜けた。目の奥が熱くなった。泣きそうになった。泣くほどのことではない。冬馬は台所にいるだけだ。水を汲んでいるだけだ。それだけのことで、こんなに安堵している。こんなに脆くなっている。
 冬馬が部屋に戻ってきた。コップを二つ持っている。一つを朔夜の枕元に置いた。
「おはよう、朔夜」
「……おはよう」
 声が掠れていた。寝起きだからか。さっきの恐怖の残りか。
 枕元にコップがある。冬馬が持ってきてくれた水。喉が渇いていた。寝起きの体が水を求めている。
「水、ありがと」
 朔夜の手がコップに伸びた。