翌朝。
いつもの集合時間の十時を過ぎても、グループチャットが、動かなかった。
冬馬は朝起きてスマホを見た。昨晩送った「明日は集まりますか」に対する既読は一。朔夜だとわかった。昨夜、冬馬は普通に家に帰り、普通にシャワーを浴び、普通にベッドに入った。何も変わらない朝を迎えた。
朔夜から連絡が来た。
「蓮司先輩の既読がつかない」
「うん」
「まさか」
冬馬は返信しなかった。しばらくして、朔夜からまた連絡が来た。
「旧校舎、行ったんだと思う。先輩なら行く。あの人はそういう人だ」
冬馬は「僕もそう思った」と返した。嘘ではなかった。
昼前に学校の前で待ち合わせた。朔夜はもう来ていた。校門の柱に背中を預けて、スマホを握ったまま立っている。学校指定のワイシャツと背中が汗で張りついていた。
アスファルトの照り返しが二人の足元を焼いている。雲が薄く広がった空は白っぽくて、日差しに輪郭がない。八月の光だけが、何も考えずに降り注いでいた。
蝉は今日も相変わらず鳴いている。校舎の壁に影が落ちていて、その少ない影の中に少しだけ涼しい空気がある。二人は影の中に立った。挨拶以外に交わせる言葉がなかった。蓮司がいない今日は、蓮司がいた昨日より、ずっと暑かった。
朔夜が蓮司の家に連絡した。「昨夜出かけて帰ってこない」と蓮司の父親が言った。蓮司は行き先も何も言わずに家を出たらしい。
二人で旧校舎に行った。立入禁止のテープがくぐられた跡がある。横の窓は開いていた。中に入ると、空気が違った。前に六人で来た時とも五人になって来た時とも違う。あの時より更に湿っていて、冷たくて、静かだった。廊下には足跡が残っていた。一人分。大きい。蓮司の靴のサイズだった。足跡は一階の奥に向かって、一直線に続いていた。迷っていない。蓮司は最初からここを目指していた。
一階奥の封鎖区画。板が外されていた。三枚とも。バールが壁に立てかけてある。板を外す時についた傷が、木の表面に白く残っている。蓮司が、夜中にこれを外した。蓮司がきっと一人で、一枚ずつ。
地下への階段を降りる。冬馬が迷わず先に降りた。冷たい空気が下から上がってくる。朔夜が後ろから少し遅れてついてくる。足元が暗い。スマホのライトで照らしながら、一段ずつ降りていく。流石に怖がっているようだった。コンクリートの壁が結露していた。指で触れると冷たい水滴がつく。夏とは思えない温度だった。
降りきると、貯水槽が見えた。朔夜は息を呑んだ。
黒い水が溜まっている。天井が低い。圧迫感がある。朝の光が階段の上からわずかに差し込んでいて、水面の端だけがぼんやり光っている。あの日、封鎖区画の扉の隙間から聞こえた水音は、ここから来ていた。
水際に、蓮司のスマホが落ちていた。画面にひびが入っている。懐中電灯が水面に浮いていた。
蓮司はいなかった。
朔夜が水面を見つめていた。黒い水面に、朔夜の顔がぼんやりと映っている。
「蓮司先輩」
朔夜が呟いた。既に涙目で声が震えていた。返事はなかった。水面は静かだった。波紋一つない。
冬馬は朔夜の隣に立っていた。何の表情も浮かべずに、朔夜と同じ水面を見ていた。
六人だった夏が、二人になった。
旧校舎を出る。雲一つない空が、逃げ場のない蓋のように広がっていた。蝉がその箱を埋めつくすように鳴いている。外の空気は蒸していて、地下の冷たさが嘘のようだった。
「冬馬」
朔夜が言った。
「なに」
「でもまだわかんないよな、どこかにいるかも」
「そうだね」
冬馬は答えた。朔夜の顔を見た。朔夜は前を見ていた。泣いていないのに、泣いた後のような目だった。
六人いた夏だったのが、三人が消えて、一人が目を覚まさない。全員がいなくなった。冬馬と朔夜を残して。
でもまだ、隣には冬馬がいる。朔夜はそれだけを頼りにしている。それだけが朔夜の支えだった。
二人で自転車を漕ぎ出した。曇り空の下を。風がぬるい。蝉の声が遠い。
まだ夏の途中だった。
