水に還る


 二人で病院に向かった。蓮司は先に着いていた。
 病院は古い総合病院で、夏休みでも外来は混んでいた。待合室を通り過ぎて、蓮司が立っている廊下に着いた。蛍光灯の光が白くて、夏の日差しとは違う明るさだった。消毒液の匂いが鼻をつく。
 旭は集中治療室にいた。面会はできなかった。母親が廊下のベンチに座って泣いていた。父親は先程まで傍に居て、ちょうど今仕事に向かったところだと言う。蓮司がその横に立って、静かに話を聞いていた。蓮司の顔は、湊の不在着信に気づいた時よりさらに硬くなっていた。表情がない、というより、表情を作ることを拒否しているような顔だった。
 母親が蓮司に話しているのが、断片的に聞こえてきた。「お風呂場で」「声が聞こえなくて」「様子を見に行ったら」「水が冷たくて」「唇が」。母親の声が途切れ途切れになっている。泣いているから。言葉が涙で分断されている。
 蓮司は黙って聞いていた。頷きもしなかった。ただ耳を傾けて立っていた。母親は話し続けた。蓮司にはそういう力がある。そこにいるだけで、人に話させる力。湊もそれに頼っていた。蓮司の背中を追いかけていた。
 冬馬と朔夜は廊下の隅に立っていた。病院の冷房は強くて、汗で湿ったシャツが冷たく肌に張りつく。廊下の壁は白い。天井も白い。蛍光灯の光が均一に降り注いでいて、影ができない。明るくて、清潔で、人がたくさんいる場所。なのに、ここにいる理由は旧校舎と繋がっていた。
「旭も、か」
 朔夜が呟いた。壁に背中をつけて、腕を組んでいる。
「陽翔、湊、旭。三人だ。旧校舎に行った六人のうち、三人」
 声は冷静だった。冷静すぎた。感情を排除して事実だけを並べている。朔夜が怖がっている時の話し方だった。怖い時、朔夜は感情を切り離す。数字と事実だけを口にする。そうすることで、自分を保っている。
 蓮司が戻ってきた。
「意識が戻らないらしい。溺水だと。自宅の風呂で溺れた。水深三十センチもない浴槽で」
 蓮司は自分で言いながら、その言葉の異常さを噛み締めるように、少し間を置いた。
「湊が消えた池も、水深三十センチだった。陽翔が消えた教室の水溜まりは、もっと浅い。人が沈む深さじゃない。なのに三人とも、水に——」
 蓮司はそこで口を閉じた。拳を握っていた。まだ形にはなっていないが、何かが繋がりかけている。蓮司の中で、水という言葉がすべての事象を貫いていることには既に気付いていた。陽翔は水溜まりの中で消えた。湊は池のそばで消えた。旭は風呂で倒れた。全部、水。全部、ありえない浅さ。全部、冷たかった。
「俺は映像をもう一回見る。今度は全フレーム、音声も全部確認する。何かあるはずだ。見落としているものがあるはずだ」
 蓮司の声には、もう冷静さではなく決意があった。陽翔を一人で行かせてしまった、湊の電話に出られなかった。旭を守れなかった。三つの後悔が、蓮司を駆動させていた。守れなかった人間の代わりに、真実を見つける。それが蓮司の選んだ贖罪の形だった。