【シナリオ】封じられ虐げられ続けた異能姫は、仇の家へ嫁ぐ

〇瑞原家・澄乃の部屋・早朝
障子越しに、淡くやわらかな朝日が優しく差し込んでいる。
静かで、心地よい部屋。
昨日の長旅と極限の緊張による疲れがまだ身体に残っているはずなのに、澄乃は長年の悲しい習い性(夜明け前に起きないといけない)せいで、夜明けとともにパチリと目を覚ます。

しばらくの間、澄乃はぼんやりと天井を見つめる。
肌触りの良いやわらかな寝具。澄んだ静かな空気。耳を劈くような怒鳴り声も、自分を呼びつける不快な声も、ここには何一つない。
目が覚めた瞬間、澄乃は一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
それほどまでに、瑞原家で迎える朝は穏やかで、満ち足りていた。

澄乃はハッとして、慌てて身を起こす。
一切乱れていない美しい室内を見回し、自分の過ちに気づいて小さく息を呑む。

澄乃(心の声)【……しまった。寝台でそのまま寝てしまった……】

罰せられる恐怖から、澄乃は慌てた様子で布団をきれいに整え、手早く身支度を始める。
慣れた動作で髪をまとめ、簡素な衣を整えると、落ち着かない様子で部屋の中を見回した。

澄乃(心の声)【嫁いだのだから、何かをしなければ】

「無能の自分には価値がない、働かなければ捨てられる」という強迫観念に突き動かされるように、澄乃は急ぎ足で部屋を飛び出した。

〇瑞原家・廊下~台所付近・早朝
広い屋敷の廊下は、驚くほど静まり返っている。
使用人たちが慌ただしく立ち働く気配も、誰かを罵倒する声も一切ない。
澄乃は戸惑いながらも、記憶を頼りに長い廊下を歩いていく。
やがて、台所のある一角へたどり着き、そっと中を覗き込んだ。

美しく整えられた、清潔な調理場。
しかし、竈(かまど)に火の気はまだなく、人の姿も見当たらない。

澄乃「……誰も、いらっしゃらない……?」

澄乃(心の声)【守宮家の朝なら、もうとっくに全員が働き始めていなければ、お父様や佳代様から激しい叱責を受ける時刻なのに……】

澄乃は所在なさげに、その場に立ち尽くす。
何かできることはないかと視線を巡らせ、隅に丁寧に置かれた茶器や布巾に目を留めた。

澄乃(心の声)【とりあえず、自分にできることから始めなきゃ。お湯を沸かして、朝餉の準備だけでも……】

そう思って台所へ一歩踏み出した、その瞬間。
不意に背後から、優しくも驚いたような声がかかった。

雅子「まあ! 奥様!? 一体どうなさったのですか、そんなところで!」

澄乃はビクッと肩を跳ね上がらせて振り返る。
昨日は極限の緊張で気づかなかったが、目の前に立つ年配の使用人・雅子は、澄乃の亡き実母と同じくらいの、温かい年齢層の女性だった。

澄乃「か、勝手な真似をして大変申し訳ありません……!」
雅子「いえ、謝る必要なんて何もございませんよ。それより、どうしてこんなに朝早くから起きていらっしゃるのですか?」
澄乃「あ、あの……皆様の朝餉の支度を、少しでもお手伝いしなければと思いまして……」

雅子は一瞬、驚きに目を丸くする。

雅子「そんなこと、奥様がなさる必要なんてどこにもありませんよ! 旦那様の分と一緒に、私がすぐにお部屋へお持ちいたしますから、どうぞお部屋でお休みになっていてくださいな」

その言葉に、澄乃は大きな衝撃を受ける。
だが同時に、それでは自分は何もせず、この温かい屋敷にタダで居座るだけの「お荷物」になってしまうという強い不安が押し寄せてきた。

澄乃「でも、私のような者でも、何かできることを……少しでもお役に立ちたいのです……」
真紘「朝から、何を騒いでいる」

低く、けれどよく通る冷徹な声。
澄乃はびくりと肩を大きく揺らし、恐る恐る振り返る。

そこには、廊下に佇む瑞原真紘(25)の姿があった。
すでに隙なく身支度を整えているが、昨日の軍務のときのような冷酷な威圧感はなく、どこか少しだけ柔らかな雰囲気をまとっている。

澄乃「ま、真紘様……! 申し訳ありません。主の許可なく、勝手に台所へ立ち入るなどという不敬を……」
雅子「旦那様、聞いてくださいな。奥様、私どもの朝餉の支度をされるつもりで、こんなに早くから起きてくださったんですよ」

真紘は、澄乃がこれでもかと怯えながら頭を下げる姿を、無言でじっと見つめている。

雅子「もう、私びっくりしてしまって。奥様のような御方に、そのような雑事をさせるわけにはいかないと申し上げたのですが……」

雅子の言葉を一瞥し、真紘は再び、澄乃の透き通るような瞳に視線を戻した。

真紘「……やりたければ、やればいい」
澄乃「……え……?」

澄乃は真紘の言葉の意味が瞬時に理解できず、パチパチと何度も目を瞬かせる。

真紘「この瑞原の屋敷で、君が何をするか、何をしたいかは――すべて君自身が決めればいいことだ」
澄乃「私が……決める……?」
真紘「ああ。誰かに無理に命じられて動く必要は、この家にはない」

澄乃は完全に言葉を失う。
誰からも命じられない。
失敗しても、叱られない。
何をするかを、自分の意志で決めていい。
それは、生まれてからずっと奴隷のように扱われていた澄乃にとって、純粋な優しさというよりも、むしろどう扱っていいか分からない「戸惑い」の種だった。

雅子「ちょっと、旦那様! いくら何でも、お輿入れされたばかりの奥様に、朝から台所仕事をさせて良いわけがないでしょう!」

使用人の立場である雅子が、主人である真紘に対して、本気で澄乃を気遣うように声を荒げた。その対等で温かい主従関係の光景に、澄乃は二重の驚きを覚える。

真紘「本人がやりたいと言っているのだから、別に構わないだろう」
雅子「もう、本当に旦那様は不器用なんだから……。申し訳ないじゃないですか、こんなに可愛らしい奥様なのに……」

納得がいかないようにブツブツと文句を言う雅子を見て、澄乃は慌ててペコペコと頭を下げる。

澄乃「あの、雅子さん! 決してご迷惑にはならないよう、細心の注意を払いますので……! どうか、お手伝いをさせていただけないでしょうか」

必死で懇願する澄乃の健気な様子に、雅子は毒気を抜かれたように、ふうと優しいため息を吐き出した。

雅子「……分かりました。そこまで仰るなら喜んで。では、私のお手伝いをして頂けますか? 奥様」
澄乃「はい! ありがとうございます!」

雅子の優しい微笑みに包まれ、澄乃の顔に、この屋敷に来て初めての、パッと花が咲いたような心からの美しい笑みが浮かぶ。
真紘は、その澄乃の眩しい笑顔を、何か複雑な感情が入り混じった瞳で見つめていたが――やがて何も言わずに、静かに台所を後にした。

〇瑞原家・台所・朝
白く温かい湯気が立ち上る、活気のある台所。
雅子に優しく手順を教わりながら、澄乃が慣れた手つきで味噌汁をお椀によそっていく。

雅子「奥様。本当に手際が良いですねぇ」
澄乃「い、いえ……! そんな、滅相もありません……」
雅子「包丁の使い方も非常に洗練されていらっしゃる。……守宮家では、ずっと厨房に立たれていたのですか?」

その何気ない問いに、澄乃の丁寧な手が、ピタリと僅かに止まる。

澄乃「……はい。母が亡くなって、小さな頃からは、ずっと私が……」

澄乃の寂しげな横顔を見て、雅子は一瞬だけ表情を曇らせ、守宮家での歪んだ待遇のすべてを察した。
だが雅子はすぐに、澄乃を悲しませまいと、努めて明るく快活に笑ってみせた。

雅子「それは心強い相棒が出来ましたわ! うちはご覧の通り、人手が極端に少ないですから、奥様が手伝ってくださると本当に助かっちゃいます!」

澄乃は驚いたようにパッと顔を上げる。
生まれてから一度だって、誰かから「助かる」「必要とされている」などと言われたことなどなかったからだ。胸の奥が、じんわりと温かい涙で満たされていく。

そのとき。

??(声)「おー、なんか朝からめちゃくちゃ良い匂いがすると思ったら、もう朝飯の支度か?」

軽薄で、どこか楽しげな若い男の声とともに、一人の男がひょっこりと台所へ入ってきた。
長身。少し無造作に遊ばせた漆黒の髪。
引き締まった軍人らしい見事な体格をしているが、その佇まいにはどこか掴みどころのない、飄々とした雰囲気をまとっている。

男は気安く右手を上げて澄乃に振ってみせた。

黒瀬朔弥「おはようございます、奥様」
澄乃「お、おはようございます……っ」

見知らぬ男の登場に、澄乃は慌てて深く頭を下げる。

雅子「ああ、やっぱり来たんですね、朔弥さん」
朔弥「真紘の奴、もう仕事始めてるか?」
雅子「ええ。朝早くから書斎に籠もって書類仕事ですよ。本当に、真面目なんだから」

黒瀬朔弥(23)は、やれやれと肩をすくめて苦笑する。

朔弥「まあ、あいつは昔から不器用で、仕事のことばかり考えている男だからな」

澄乃は困ったように細い視線を泳がせる。
あの冷徹で圧倒的な存在感を放つ真紘に対して、ここまで気軽に、対等に話す相手がいることが、澄乃にとっては少し意外で新鮮だった。
朔弥は、そんな澄乃の様子をじっと観察し、にこりと人当たりの良い笑みを浮かべる。

朔弥「申し遅れました。俺、黒瀬朔弥(くろせ さくや)っていいます。一応、真紘とは昔からの腐れ縁でして」
雅子「真紘様の側近か、部下か……まあ、そんな感じの男ですよ」
朔弥「おいおい雅子さん、そこは『親友』って言ってくれよ。傷つくなぁ」
雅子「はいはい、分かっておりますよ」

その二人の軽妙で明るいやり取りに、澄乃は少しだけ目を丸くする。
陰湿で常に殺伐としていた守宮家では、絶対に考えられない、温かく穏やかな人間関係の空気だった。

朔弥「しかし……本当に、瑞原へ嫁いできてくれたんだなぁ」
澄乃「……え?」
朔弥「いや、世間じゃ瑞原っていうと、もっと暗くて陰気で、死人が出るような呪われた場所だと思われてるからさ」

朔弥は悪びれもなく爽やかに笑う。

朔弥「実際、穢れを恐れて、この土地から逃げ出した奴らも山ほどいるしね」

その言葉に、雅子が小さく悲しげなため息をつく。

雅子「仕方ありませんよ……十八年前のあの大火事があって、穢れが急激に増えてからは、どんどん土地が痩せてしまって……」
澄乃「……やはり、外の土地は、そんなに酷い状況なのですか?」

澄乃の真っ直ぐな問いに、雅子と朔弥が一瞬、顔を見合わせて視線を交わす。

朔弥「うーん。ぶっちゃけ、かなり深刻だよ」

朔弥は台所の壁に背をもたれ掛けさせながら、トーンを少し落として続ける。

朔弥「普通の作物はほとんど育たないし、真紘が張っている結界の外は、まともな人間なら三分と正気を保てないほど穢れが濃い。昔はもっと、活気があって人も大勢いたんだけどな……」
雅子「それでも、旦那様は、諦めずに、この瑞原を立て直そうと必死に戦ってくださっていますよ」

その雅子の言葉に、澄乃は胸を締め付けられるような切なさを覚え、静かに俯いた。
昨日の真紘の姿が、鮮烈に脳裏をよぎる。
不毛で穢れた土地を、孤独に、じっと見つめていたあの寂しげな横顔。夜遅くまで、一人で静かに書類に目を通していた大きな背中。

澄乃「……真紘様は、本当に……強くて、素晴らしい方なのですね」

澄乃の呟きを聞いた瞬間、朔弥は一瞬だけ、その細い目を鋭く細めた。

朔弥「まあ……責任感が強すぎる、バカ正直な男なのは確かかな」

口調こそ軽いが、朔弥の射抜くような視線は、澄乃の一挙手一投足、その表情の裏側を静かに「観察」していた。
朔弥心の声【――この女は、本当に、我が家を滅ぼそうとしている守宮家のスパイではないのか?)
――それとも、本当に何も知らずに、ここに連れてこられたのか?】

朔弥「……ところで、奥様」
澄乃「……え?」
朔弥「瑞原に来ること、怖くはなかったですか?」

突然の、核心を突くような問い。
澄乃は少し困ったように、けれど自嘲を交えて静かに微笑んだ。

澄乃「怖くないと言えば、嘘になります。私には霊力もありませんし……。ですが――」

小さく、けれど確かな言葉を探すように、澄乃は胸元に手を当てて真紘様たちのいる空間を見渡した。

澄乃「真紘様も、雅子さんも……瑞原の皆様は、驚くほどお優しいので。私、ここに来られて良かったです」

澄乃の言葉の裏をさらに問い詰めようと口を開きかけた、そのとき。
先に雅子が、嬉しそうに顔をほころばせて笑った。

雅子「まあ、嬉しいこと! 私も、こんなに優しくて可愛らしい奥様が瑞原にいらっしゃってくれて、本当に幸せですよ」

朔弥は、澄乃のどこまでも濁りのない真っ直ぐな瞳をしばらくじっと見つめたあと、ふっと敗北したように視線を外した。

朔弥「……そっか。なら、良かった」

だが、その人当たりの良い笑みの奥底で、朔弥はなおも、守宮の血を引く澄乃への強烈な警戒を消してはいなかった。

真紘「やっぱり朔弥か。朝から随分と騒がしいと思った」

そこへ、再度真紘が台所へと姿を見せた。

朔弥「よう、真紘。新しく来られた可愛らしい奥様に、まずはご挨拶をと思ってな」
真紘「余計なことをするな。お前は早く自分の任務に戻れ」

真紘のその冷淡な言葉を聞いた瞬間、澄乃の胸に(ああ、やっぱり私は真紘様に嫌われているのだわ。私のような無能な人間を、ご友人に紹介したくなかったのだ)という強い誤解と自虐が沸き起こる。

澄乃「つ、真紘様! 大変申し訳ありません!」

澄乃はこれでもかと腰を折り、壊れた人形のように激しく頭を下げた。
真紘は、その澄乃の極端な怯え方に、怪訝そのものの表情を浮かべる。

真紘「……なぜ、君がそこで謝るんだ?」
澄乃「私のような無能で至らない者が、真紘様の大切なご友人である黒瀬様と、対等にご挨拶などという出過ぎた真似を……」

その卑屈すぎる言葉を聞き、真紘は言葉を失い、心底不快そうに、かつ痛ましそうに深く大きなため息をついた。
その溜息の音に、澄乃は(怒らせてしまった!)とビクッと肩を大きく揺らす。
だが、真紘の口から出たのは、澄乃の予想とは全く異なる言葉だった。

真紘「……大きな溜息をついたのは、君に怒っているからではない。こいつ(朔弥)が朝から勝手に立ち入って、君を困らせたのだろう? 君は何一つ、これっぽっちも悪くない」
澄乃「え……?」

驚いて、潤んだ瞳で真紘を見上げる澄乃。
真紘はその澄乃の真っ直ぐな視線と、あまりの距離の近さにドギマギしたように、なんとなく不自然に視線をフイと逸らした。

真紘「……それから、悪いが。こいつの分も、朝餉の用意を追加で頼めるか」

その「頼めるか」という、自分を必要としてくれる真紘の優しい言葉に、澄乃の表情がパッと太陽のように輝く。

澄乃「はい! かしこまりました!」
真紘「朔弥、行くぞ。仕事の話がある」
朔弥「はいはい、了解」

二人が軽く言葉を交わしながら台所を出ていく後ろ姿を、澄乃は胸を高鳴らせながら、じっと見つめていた。
やがて我に返ると、嬉しさを噛み締めるように朝餉の支度を再開した。

〇瑞原家・廊下
朝餉の支度を進める澄乃たちを残し、真紘と朔弥は、静かな長い廊下を並んで歩いていた。
障子の向こうから、朝の柔らかな光が差し込んでいる。
だが、窓の外に広がっているのは、かつての名門の美しい庭園などでは決してなかった。

かつて美しい池があったであろう、ひび割れた窪地。
無惨に崩れ落ちた石灯籠。
黒く、炭のように枯れ果てた不気味な木々。
瑞原がかつて栄華を極めていた頃の、寂しい名残だけが、残酷に広がっている。

朔弥「……奥様。思っていたよりも、随分と普通で……良い方でしたね」
真紘「……お前は、一体何を想像していたんだ」
朔弥「もっとこう……あの傲慢な守宮家の人間らしく、ツンとすまして、こちらを平民と見下すような鼻持ちならない女かと。……でも、違いましたね」

真紘は何も答えないが、その目は真剣に朔弥の言葉を聞いている。
朔弥は苦笑しながら、やれやれと肩をすくめた。

朔弥「少なくとも、俺の目を欺くような『演技』には、到底見えませんでした」
真紘「……ああ」

短い返事。
だが、真紘自身も、全く同じことを考えていた。
あの健気で怯えきった姿が演技だとしたら、あまりにも酷すぎる。

朔弥「それから真紘様。……例の件で、至急のご報告があります」

朔弥のトーンがガラリと変わり、真紘は足を止めて振り返る。

朔弥「我が領地内で、最も穢れが濃く、封印が解けかけていた『あの祠』の周辺ですが……。今朝方確認したところ、急速に『浄化』が進んでいます」
真紘「……何だと? あの場所が、か?」

真紘の端正な表情が一瞬にして険しくなる。

真紘「あそこは十八年間、悪化する一方だったはずだ。つい数日前も、穢れが現れて、俺が斬ったばかりだぞ」
朔弥「はい。ですので、俺も最初は我が目を疑いました。……ですが、結界全体の穢れの濃度も、明らかに数日前より下がっています」

朔弥は窓の外の荒れ果てた黒い土地へ目を向ける。

朔弥「瑞原の土地全体が、今、微かに息を吹き返し始めている」
真紘「……原因は、一体何だ」
朔弥「まだ確証はありません。断定はできませんが――」

そう言いながらも、朔弥の視線は、わずかに澄乃のいる台所の方へと向けられた。
真紘も、その視線の意味に、とっくに気づいていた。

朔弥「奥様が、この瑞原の屋敷に来られてから……始まった変化です」

重苦しい沈黙が、二人の間に落ちる。

真紘「……ただの偶然かもしれない」
朔弥「本気で、そう思っていらっしゃいますか?」

真紘が鋭く朔弥を睨みつける。
朔弥は降参するように苦笑してみせた。

朔弥「失礼しました。ですが……守宮家はあの娘を『異能なしの無能』として幽閉していました。もし、あの娘が本当に『無自覚な最高位の浄化の異能』を持っていたのだとしたら……守宮があの娘を隠していたことになります」

真紘の切れ長の目が、危険なほどに細まる。

朔弥「瑞原を完全に潰すための罠か、それとも……。偶然にしては、あまりにも出来すぎている」

しばらくの間、二人の間に重い静寂が降りる。
真紘は窓の外の、荒れ果てた黒ずんだ土地をじっと見つめた。

真紘「……まだ、そうと決めつけるな」
朔弥「ですが――」
真紘「もしも……もしも澄乃に、その瑞原を凌駕するほどの浄化の力があったとしても――あの娘自身は、自分の力を全く理解していないように見える。あの怯え方は、本物だ」

その真紘の言葉を聞き、朔弥は少し驚いたようにパチパチと目を瞬かせた。

朔弥「おや……。随分と、奥様を強く庇われるのですね、真紘様」
真紘「っ……! 庇ってなどいない!!」

些か食い気味に、声を荒げて否定した真紘を見て、朔弥はそれ以上何も言わずにただニヤニヤと笑った。

だが――真紘の胸の内は、激しい嵐のように混乱していた。
真紘自身、元々「守宮家」の人間をこれっぽっちも信用していない。武力がすべてだと考え、国への不敬をも厭わない、あの傲慢極まりない守宮の当主・恒一。
そして、あの家に迎えに行った日に目撃した、澄乃への非道な扱い。

真紘(心の声)【陛下からは『守宮の娘を娶れ』と命じられ、当初、守宮家からは妹の彩華との婚姻を打診されていたはずだ。あの傲慢な父親も、それを了承していた。……それなのに、なぜ最後の最後で、無能とされる『澄乃』にすり替えた……? 怪しいところだらけだ。だからこその、この政略結婚。守宮の企みを探るための任務】

理解できない謎ばかりであり、澄乃が父親の命を受けて、瑞原を内側から崩壊させるために何かを企てていないという保証は、どこにもないはずだった。
しかし――あの真っ直ぐで、傷だらけの少女の涙が、どうしても罠とは思えない。

朔弥「……真紘様」

朔弥の声が、今度は冗談を一切排除した、極限の低さへと変わる。

朔弥「お忘れではありませんか。……どれほど健気に見えようとも、あの御方は『守宮』の娘です」

ヒュウ、と廊下に冷たい風が吹き抜け、空気が完全に凍りつく。
真紘の脳裏に、十八年前のあの悪夢――激しく燃え盛る炎と、血を流して倒れた一族の姿が鮮烈によぎる。

真紘「……分かっている」

何かドス黒い感情を心の奥底へ力任せに押し殺すように、真紘は拳を握りしめてそう答えた。

真紘「だからこそ……その腹の内を探るためにも、俺は澄乃と、さらに『距離を縮める』必要がある」

真紘は、台所のある方向へと冷徹な視線を向け、己の心に鋼の鍵をかけるように呟いた。

真紘(心の声)【仲睦まじい夫婦を演じる演技も、澄乃と親しく話すことも、すべては陛下から下された『任務』だ。俺はただ、瑞原の再興のために、冷徹にその任務を遂行するだけだ――】

己に言い聞かせる真紘の横顔を、朝の光が空しく照らしていた。

(第四話・了)