【シナリオ】封じられ虐げられ続けた異能姫は、仇の家へ嫁ぐ

〇瑞原へ向かう道中・自動車内(午後)
車窓の外を、凪代の景色がゆっくりと流れていく。
伝統的な瓦屋根の並ぶ街並みの向こうに、洋風の巨大な時計塔が見え、そのさらに遠くには、どんよりと黒ずんだ不気味な山の稜線が横たわっている。

後部座席で、澄乃は静かに座っている。
向かいに座る真紘は、時折外の景色へ目を向けながらも、必要以上に澄乃へ話しかけてはこない。
車内を包む、長くて重い沈黙。
やがて、真紘がふと澄乃の強張った肩に気づき、静かに口を開く。

真紘「……疲れているなら、着くまで眠ればいい」
澄乃「……お気遣い、ありがとうございます、瑞原様」
真紘「真紘だ」
そう言われ、小さく頷く澄乃。
真紘「それより、到着する前に、一つ伝えておくべきことがある」

澄乃はハッとして姿勢を正し、真紘をじっと見つめる。

真紘「瑞原の土地は、十八年前の事件以来、今も穢れの影響が非常に強い。本邸と、一族の者が暮らす限られた区画には、私が常時、強力な結界を張っているが……」
澄乃「結界……があるのですか?」

澄乃の顔に、あからさまな「安堵の表情」が浮かぶ。
守宮家では誰も自分を守ってくれなかったため、守られているという事実にホッとしたのだ。
だが真紘は、その妙に安心したような澄乃のリアクションを見て、不審そうに眉をひそめる。

真紘「……どういうことだ?」

真紘の声音が少しだけ厳しく、低くなる。
澄乃は、自分が守宮家で「異能も霊力もない無能」として扱われていた事実を伝えるべきか一瞬、激しく葛藤する。
(言えば、今すぐ車から降ろされて見捨てられるかもしれない)
(けれど、騙したまま瑞原に入れば、もっと大きな迷惑をかけてしまう。……言うべきだ)

澄乃「申し訳ありません。……実は、私には守宮の異能も、それを扱う霊力も一切ありません。ですので、穢れの蔓延る瑞原の地で、自分が異形に耐えきれずに死んでしまうのではないかと……足手まといになることを、ずっと案じておりました」

澄乃は、真紘の顔を見られずに申し訳なさそうに深くうつむく。

澄乃「本来でしたら、異能を持つ妹の彩華が嫁ぐ方が、国のためにも、瑞原家のためにもなったはずです。それなのに、私のような者が来てしまって……」

そこで、ぎゅっと着物の裾を握りしめて言葉を詰まらせる澄乃。
見捨てられる覚悟で目を閉じた澄乃だったが、真紘から返ってきたのは、怒声ではなく静かで低い声だった。

真紘「……わかった。事情は理解した。それであれば、なおのこと私の許可なく屋敷の外には絶対に一人で出るな」

澄乃は驚いて顔を上げ、真紘の横顔をちらりと盗み見る。
冷徹に見えるその言葉の奥に、自分を突き放すためではなく、本気で自分の身の安全を「案ずるような響き」を感じ取ったからだ。

澄乃心の声【冷たい人だと思っていたけれど……。守宮家で見たときよりも、ずっと深い『疲れ』がこの人の瞳の奥にはある。この人は、一度滅びた瑞原を必死に立て直そうとしている、本当はとても立派で、孤独な人なのだわ】

澄乃の胸に、真紘への微かな尊敬の念が芽生え始める。

〇瑞原の街・走行中の車内
しばらく走ると、窓の外の空気が一変する。
澄乃は、何かが身体をふっと通り抜けたような不思議な感覚を覚え、小さく声を上げる。

澄乃「あ……。み……真紘様、もしかして、ここからが瑞原の土地でしょうか」
真紘「ああ、そうだが……。なぜそれが分かった?」

真紘の切れ長の瞳が、鋭く澄乃を射抜く。澄乃は首を傾げつつ、自分の感覚を確かめるように言葉を選ぶ。

澄乃「言葉にするのは難しいのですが……。今までは、この自動車自体が何かに温かく守られている感じがしましたが、今この瞬間からは、土地そのものが大きな力で守られているように感じたので……」
真紘心の声【霊力が『ない』と言いながら……俺が車内にずっと張り巡らせていた隠蔽の結界と、瑞原の土地の境界に張った最高位の防護結界の『歪み』を、肌で正確に感じたというのか……?】

真紘は澄乃の底知れない「感知能力」に、内心で強烈な衝撃を受ける。だが、それを表には出さず、淡々と告げる。

真紘「……その境界が感覚で分かるならば、話が早い。結界の外には絶対に出ないようにできるな」
澄乃「はい。細心の注意を払います」

〇瑞原家・外観~敷地内
自動車が大きな門をくぐり、停車する。
車外に出た澄乃が目にした瑞原の屋敷は、かつての火事で一度完全に焼失したためか、本邸自体はそこまで大きくはないものの、新しく清潔な木造の建物が建てられていた。
しかし、広大な敷地の奥には、かつての荒廃の傷跡を留める古い社の石段や、手入れの行き届いていない寂しい区画も点在している。名門としての再興の途上であることが窺える。

〇同・屋敷の廊下
真紘の後ろを歩いて屋敷に入る澄乃。
廊下ですれ違う瑞原の使用人や護衛の武人たちは、守宮家よりも随分と人数が少ない。
だが、彼らは澄乃の姿を見ると、誰もが温かく優しい笑顔を向けて深く一礼していく。
使用人「お帰りなさいませ」
その言葉が澄乃に優しく響く。

澄乃心の声【守宮家の使用人たちは、いつも佳代様たちの顔色を窺って、びくびくと怯えた雰囲気が漂っていたのに……。ここは人が少なくて簡素だけれど、とても温かい空気が流れている】

そこへ、上品で穏やかな年配の女性使用人・雅子が歩み寄り、深く頭を下げる。

雅子「お帰りなさいませ、真紘様。……そして、ようこそおいでくださいました、奥方様」

“奥方様”という、人生で初めて自分を尊重してくれる呼び名に、澄乃は驚いてわずかに目を見開く。真紘は澄乃の動労に気づかないふりをして、そのまま廊下を歩み進める。

真紘「雅子、出迎え苦労。……澄乃殿、まずは君の部屋へ案内する」
澄乃「……ありがとうございます」

静かな廊下を進みながら、真紘が前を向いたまま語りかける。

真紘「寝室は当然、別々で構わない。無理に本物の夫婦らしく振る舞う必要は、この屋敷の中においては一切ない。君は君の好きに過ごしてくれ」
澄乃「……承知いたしました」
澄乃心の声【迷惑を掛けたらいけない。真紘様が煩わしいと思わないように過ごさなければ……】
そう思っていた澄乃。
真紘「それから、生活に必要なものや足りないものがあれば、何でも遠慮なく私や雅子に言ってくれ。可能な限りすぐに用意する。……守宮家ほどの贅沢は、させてやれないかもしれないが」
澄乃「え?」
その言葉に、澄乃は一瞬どう答えていいか分からず戸惑ってしまう。
人生において「遠慮なく言ってくれ」などと優しく選択肢を与えられたことが、これまで一度もなかったからだ。

(それに、守宮家で贅沢三昧をしていたのは、佳代様と彩華だけで、私はいつもお下がりばかりだったのに……)
そんな自虐的な思いが胸をよぎるが、澄乃はそれを静かに飲み込む。

〇瑞原家・澄乃の部屋(夕方)
雅子が静かに障子を開け放つ。
そこに広がっていたのは、夕方のやわらかな斜陽が差し込む、美しく整えられた居心地の良さそうな和室だった。
心地よい新鮮な木の香りが漂う畳。清潔でふかふかそうな寝台。控えめながらも職人の技術が光る品のある調度品。そして窓辺の小さな花瓶には、季節の美しい生け花まで飾られている。

澄乃はその場に一歩も動けず、ただ圧倒されて立ち尽くす。

澄乃「……これが、私の、お部屋……ですか?」
雅子「はい。急ぎ整えましたため、まだ足りぬものも多いかと存じますが、お気に召すと良いのですが」

澄乃にとって、足りないものなど何一つなかった。むしろ、今までの薄暗い物置小屋のような離れに比べたら、自分にはあまりにも贅沢で過ぎた部屋に思えた。

澄乃「こんな、立派な……」
真紘「何か問題でもあったか? 先ほども言ったが、今の瑞原は守宮ほど裕福ではない。それだけは我慢してもらうしか――」

真紘の言葉を遮るように、澄乃は慌ててぶんぶんと首を振る。

澄乃「いえ! とんでもありません! ただ、私には勿体ないほどに立派すぎて……恐れ多いのです」
真紘「立派……?」

真紘は、この程度の至極真っ当な部屋を「勿体ない」「恐れ多い」と本気で恐縮している澄乃の様子に、彼女が守宮家で受けていた「異常な待遇」の闇を改めて察し、一瞬だけ言葉を失って黙り込む。

真紘「……そうか。ならばいい」

真紘はそれだけを口にすると、フイと視線を逸らした。
澄乃は次の言葉が見つからず、ただ感謝を伝えるために深く頭を下げた。

澄乃「……本当に、ありがとうございます」
真紘「今日は長旅で疲れただろう。もう休め。これからの話は、また明日以降でいい」

そう言い残し、真紘は静かな足音を立てて部屋を出ていく。
雅子も一礼して退室し、障子が静かに閉まった。

(地の文)
途端に、部屋の中に深い、深い静けさが降りてくる。

誰にも次の仕事を急かされない、静けさ。
誰にも理不尽に怒鳴られない、静けさ。

それは、澄乃にとっては、大好きな実の母親が生きていた幼い頃以来の、あまりにも久方ぶりの優しい時間だった。

澄乃「本当に……静かだわ……」

心の中も、頭の中も、これまで張り詰めていた痛みが嘘のように消え去っていく。初めて感じるほどの絶対的な安らぎが、信じられないほど心地よかった。
澄乃はそっと部屋の中央へ進み、真っ白な寝台のシーツに触れる。
やわらかい。そして、あたたかい。

澄乃心の声【本当に、私なんか。こんなに素敵な部屋で、今日から眠ってしまってもいいのだろうか……】

そのまま、吸い込まれるように寝台の端に腰を下ろす。
その瞬間、一日中極限まで張り詰めていた心の糸がぷつりと切れたように、全身から一気に泥のような疲労感と脱力感が抜けていく。

澄乃「朝から、ずっと気を張っていたから……急に、眠気が……」

澄乃は白無垢の婚礼衣装を綺麗に脱ぎ捨てる間もなく、寝台のふかふかな枕にもたれかかるようにして、静かに、深い眠りへと落ちていった。

〇瑞原家・真紘の自室(夜)
屋敷の最奥にある、極端に明かりの少ない重厚な書斎。
真紘は漆黒の軍服の上着を脱ぎ捨てて白いシャツ姿になり、ひとり静かに窓辺に立っている。
その手には、琥珀色の洋酒が注がれたロックグラス。
窓の外には、どんよりとした黒々とした凪代の夜空と、それを冷たく見下ろす冴え渡った三日月。
部屋の中は静寂に包まれている。だが、その静けさは休息のためではなく、己の思考をどこまでも深く沈めるための孤独な時間だった。

真紘はグラスを傾ける。カランと氷が鳴り、琥珀色の液体が揺れる。

真紘心の声【花嫁の迎えは果たした。婚姻の儀も、書類上はすべて成立した。……それなのに、この胸の奥にある妙な重苦しさは、少しも軽くはならないのはなぜだ――】

真紘は窓ガラスに映る己の冷徹な顔を見つめ、自分に言い聞かせるように低く呟く。

真紘「あの娘は……俺たちの敵である『守宮』の血を引く娘だ。どのような扱いを受けていようが、俺が罪悪感など抱く必要は一切ないはずだ」

だが、どうしても脳裏に、昼間の澄乃の姿が鮮烈に焼き付いて離れない。
赤く荒れ果て、血の滲んでいた小さな手。守宮の娘でありながら、何の関係もない自分に「申し訳ありません」と深く頭を下げて謝った姿。
そして、役目のために最高の妻を演じきると、真っ直ぐな瞳で静かに言い切ったあの凛とした顔。

真紘はきつく目を伏せ、グラスを強く握りしめる。

真紘「……陸(りく)」

ぽつりと、夜の闇に消えそうなほど掠れた声で、真紘はある男の名前を呼んだ。その声だけが、いつもの冷徹さとは裏腹に、痛切に揺れていた。

真紘「俺は……正しいことをしているのだろうか。これで本当に、お前の……」

月は何も答えない。
黒い夜の向こうで、冷たい風だけが、瑞原の荒地を遠くでヒューヒューと鳴らしている。
真紘は窓の外の闇を睨みつけたまま、グラスを握る手にさらに力を込めた。
冷たい月光が、彼の孤独で圧倒的な強者の横顔を、白く、寂しく照らし出していた。

(第3話・了)