歌舞伎町残影ポリ

 昼過ぎだった。
 カイが床に座ったまま、スマホを見ていた。

「やば」

 独り言みたいに言って、画面をユウキに向ける。

「これ今日までじゃん」

 キッチンで煙草をくわえていたユウキが、ちらっとだけそっちを見る。

「なに」
「ドンキの割引券」
「……どこでもらった」
「この前レシートについてたやつ。五百円以上で百円引き」
「しょぼ」
「いや、使わないと損でしょ」

 カイはそこで少しだけ身を乗り出した。

「行こ」

 ユウキはコーヒーを一口飲んで、少しだけ考える。
 本当は、行かなくても困らない。
 部屋に必要なものなんて、だいたいもう揃っている。

 でも休みの日の午後に、このまま何もせず部屋にいると、時間だけが濃くなる日がある。
 そういうのを、二人ともなんとなく知っていた。

「……何買うんだよ」
「それを今から探しに行くんだよ」

 カイが笑う。

 ユウキは小さく息を吐いて、灰皿に煙草を押しつけた。

「着替えろ」
「やった」

 歌舞伎町のドン・キホーテは、昼でもちゃんと変だった。
 外にいるのに、店に近づくだけで夜みたいな色がする。

 一階へ入った瞬間、カイが「うわ」と笑う。

「やっぱここヤベー」

 海外向けの土産コーナーが、入口からもう全力だった。

 でかい「日本」ロゴのTシャツ、謎に金色の扇子、寿司柄の靴下、赤富士のマグネット、なぜか侍と忍者が混ざったキーホルダー。
「誰が買うんだよこれ」ユウキが言うと、カイは棚の前でしゃがみ込んで、片手に“JAPAN”と書かれた団扇を持ち上げた。

「逆に欲しいかも」
「部屋にあってもよくない?」
「絶対いらねえ」

 そう言いながら、ユウキも少しだけ口元が緩んでいた。

 カイはそのまま、何歩か先へ進む。

 ふと、その動きが少しだけ自然すぎて、ユウキの視線が止まった。
 少し前に、金髪の男が歩いていた。
 黒いパーカーに、細い脚。
 背丈もなんとなく似ている。

 カイはそれを見ていたわけじゃないはずなのに、
 無意識みたいに、その後ろを追いかけかけていた。

「おい」

 低く呼ぶと、カイが足を止める。

「どこ行くんだよ」
「あれ?」

 そこで初めて我に返ったみたいに、カイが少しだけ目を瞬かせた。

「あ、いや」

 金髪の背中は、そのまま別の通路へ消えていく。
 カイは何でもないみたいに笑おうとして、少しだけ失敗した。

「……なんか、つられた」
「犬かよ」
「ひど」

 そう言って戻ってくる。

 ユウキはそれ以上何も言わなかった。
 でも、戻ってきたカイの肩を、すれ違いざまに軽く指で押した。
 そこにいるのを確かめるみたいに。

 上の階へ行くと、一気に生活用品のフロアになる。

 ネオンと雑貨の浮かれた感じが少し減って、急に「暮らし」の顔になるのが、ドンキの変なところだった。
 カイは棚の間をふらふら歩きながら、急に「あ」と声を出す。

「掃除機のパック」

 そのまま迷いなく棚から替えパックを取る。
 ユウキは隣で、それを見た。
 カイも一度は普通に手に取って、裏面を見たりしている。

 でも数秒してから、ふっと動きが止まった。

「……あ」
「いらねえだろ」
「……うん」

 カイが少しだけ笑う。
 自分で自分に呆れたみたいな顔だった。

「前の部屋の癖だわ」

 その一言が、思ったより静かに落ちる。

 前の部屋は、床に髪がすぐ溜まった。
 ロングヘアが一人、ブリーチ毛が二人、抜け毛が多そうなやつがもう一人いて、
 掃除機をかけるたび、ちゃんと四人分の生活が吸われていった。

 今の部屋はフローリングで、そこまで広くもない。
 クイックルワイパーとコロコロで足りる。
 わかっているのに、身体の方がまだ古い部屋を覚えている。

 カイは替えパックを棚へ戻して、代わりにクイックルワイパーのシートを二袋取った。

「こっちだった」
「最初からそう言ってんだろ」
「結果オーライ」

 でもその言い方は、少しだけ元気がなかった。

 ヘアケア用品の棚に来た時、カイの足がぴたりと止まった。

「うわ」
「なに」
「新作出てる」

 ほとんど職業病みたいな声だった。

 ピンク、ラベンダー、くすんだベージュ。
 やたら“うるつや”とか“水光”とか書いてあるボトルが並んでいる。
 カイは一本手に取って、成分表示を眺めた。

「へえ、これシルク系なんだ」
「わかんねえ」
「香り強そうだけど、ブリーチ毛には悪くないかも」

 言いながら、もう一本手に取る。
 仕事で見る目にも、誰かのために選ぶ目にも見えた。
 カイがキャップを軽く持ち上げて、香り見本を嗅ぐ。

「……あ」

 その声が、ほんの少しだけ変わる。

「何」
「いや」

 一瞬だけ黙って、それから小さく言う。

「これ、MIUちゃん好きそう」

 言ってから、自分で気づいたみたいに口を閉じる。
 ボトルを持つ手が少しだけ止まる。

 ユウキはすぐには返さなかった。

 棚の光が、やけに白く見えた。

「……美容師として?」

 低く言うと、カイが顔を上げる。

「それとも、あいつ用で見てた?」

 数秒だけ黙って、それから困ったみたいに笑った。

「……どっちもかも」

 その返事は、冗談にも逃げきれていなかった。
 ユウキは少しだけ視線を落として、棚の下段を見る。

「じゃあ買う」
「え」
「おまえが使え」

 カイが吹き出す。

「俺、こんな“天使の艶髪”みたいなやつ使わないんだけど」
「似合うだろ」
「どこが?」

 でもそのまま、カイは結局それをカゴに入れた。
 美容師としてなのか、思い出としてなのか、二人とももう、はっきり分けなかった。

 少し進んだ先で、ユウキが無言で棚からひとつ箱を取って、カイの胸元に放った。
 反射で受け取ったカイが、手元を見て固まる。

「……え、何これ」
「見りゃわかるだろ」

 コンドームだった。
 カイは数秒黙ってから、耐えきれないみたいに吹き出した。

「いや、使うときねぇよ!」
「うるせえな、もしもの時だろ」
「何のもしも?」
「知らん。エチケット」

 ユウキはそう言って、棚の方を見たまま顔を逸らす。
 カイはまだ笑っていたが、そのまま箱をひっくり返して、ふと目を細めた。

「あ、これ前のやつじゃん」
「それでよかったろ」
「覚えてんのキモい~」
「サイズ合わないって言ってたの、お前だろ」
「おれ?」
「ドヤんな」

 カイは箱を見たまま、少しだけ口元を上げる。

「……じゃあ、ちゃんと俺の身体のこと考えてくれてるんだ」
「言い方キモいな」
「自分で買えって言わないんだ」
「うるせえ」
「やさし」

 そう言いながら、カイはそれを戻さず、カゴの端に入れた。
 ユウキが一瞬だけそっちを見る。

「買うのかよ」
「だってエチケットらしいし」
「人のせいにすんな」
「じゃあユウキくんの優しさってことで」
「雑すぎ」

 その箱は、他の生活用品に紛れて、やけに普通の顔でカゴの中に入っていた。

 酒のコーナーでは、ユウキの方が少し機嫌がよかった。

「お」

 棚の前で立ち止まる。
 カイが覗き込む。

「何」
「これ」
「うわ、出た」

 期間限定の缶チューハイだった。
 柑橘系の、やたら派手なパッケージ。

「絶対まずいだろ」
「まずそうだから買う」
「その買い方、レンくんじゃん」
「そうかもな」

 その返しがあまりに自然で、カイが少しだけ黙る。
 ユウキは何でもない顔のまま、二本カゴに入れた。

 その隣のつまみコーナーを見て、少しだけ目を細める。

「あ、やっぱない」
「もう終わってる?」
「だろうな」

 二人とも、それ以上は何も言わなかった。
 でも棚の前で立ち止まった時間だけ、少し長かった。

 レジへ向かう前に、カイが小さな雑貨のワゴンで足を止めた。

 透明のケースの中に、変な顔の招き猫が入ったアクリルキーホルダーだった。
 シャカシャカ降るとスノードームの如くキラキラとラメが揺らめいている。

「……これなら?」
「もっといらねえ」
「かわいいって」

 カイは笑って、それを手の中でひっくり返す。

 レジ前で、ユウキが何気なく聞く。

「それ、どこにつけんの」
「部屋」
「雑」
「いいじゃん、みやげっぽくて」

 みやげ。
 その言い方に、ユウキの視線が少しだけ動く。

 誰に、とは言わない。

 でも二人とも、たぶん少しだけ同じことを考えていた。

 帰り道、ドンキの袋がシャカシャカ鳴る。
 歌舞伎町の昼は、夜ほど派手じゃないのに、やっぱりどこか眠っていない。

 二人で並んで歩く。

 来た時より、少しだけ静かだった。
 カイが袋を持ち直しながら言う。

「……なんか普通に楽しかったな」
「ああ」
「こういうの、たまにいいかも」
「そうだな」

 少しだけ間が空く。
 それからカイが、何でもないみたいに続けた。

「でもさ」

 ユウキが横目で見る。

「やっぱ、早く帰りたい」
「……部屋に?」
「うん」

 カイは笑う。

「なんだかんだ、あそこがいちばん落ち着く」

 ユウキはすぐには返さなかった。
 でも、その答えを聞いて少しだけ安心した自分に、気づいていた。

「だな」

 それだけ返す。

 二人はそのまま、袋を提げて部屋へ戻った。

 買ったものの中には、
 本当に必要だったものと、
 別にいらなかったものと、
 なんとなく持ち帰ってしまったものが混ざっていた。

 それは少しだけ、
 この部屋に残っているものと似ていた。


(第8話「みやげ」おわり)