歌舞伎町残影ポリ

 コンビニの棚の前で、二人は並んで立っていた。

 冷蔵ケースの冷気が、指先に薄く張りつく。
 カイがしゃがみこんだまま、つまみの棚を睨む。

「わさびのかきピー、どこだっけ」
「……期間限定じゃなかったか?」

 ユウキが隣で缶ビールを持ち上げながら言う。
 カイが顔を上げる。

「マジかよ。レンくんに怒られる」
「いねぇし、怒られねぇし」
「クセで言った」

 ユウキが鼻で笑った。
 そのまま缶チューハイを二本、カゴに放る。
 カイは棚の前で少し迷ってから、チータラを取る。

 ユウキはその横で、何も聞かずに炭酸水も一本入れた。
 昔から、誰が何を買うかはなんとなく決まっていた。

 酒はユウキ、つまみはカイ、甘いものはMIUが勝手に増やして、レンはその場で食いたいものだけ雑に持つ。

 もう二人しかいないのに、その買い方だけは今も抜けない。
「休み被るの、久しぶりだな」
 カイがカゴを持ちながら言う。
「そうだな。……じゃ、これでいっか」
 会計を済ませて、ビニール袋を提げて帰る。

 歌舞伎町の夜は、雨上がりみたいに少しだけ湿っていた。

 部屋のドアを開けた瞬間、ピンクのネオンがゆらゆらと二人を迎える。

 ユウキが靴を脱ぎながら言う。

「なんか今日、暑いな」
「人いっぱいいたしな」

 カイが先に部屋へ入って、いつものようにソファの前へ袋を置いた。
 その位置も、もう決まっていた。

 ユウキが缶を冷蔵庫へしまって、すぐ飲む分だけを丸テーブルへ持ってくる。
 カイは座る前に、床へ散らばっていたクッションを足で寄せた。

 誰に言われたわけでもないのに、
 そういう細かい動きだけは、まだ四人暮らしのままだった。

 缶を開ける音が、ほとんど同時に二つ鳴る。
 軽くぶつけて、飲む。

 それだけで、休みの夜が始まる。

 カイは床に座り込んだまま、ケータイをいじっていた。

 少ししてから、急に吹き出す。

「この時のユウキくんのダンス、ダサすぎだろ」

 ユウキがビール片手に振り返る。

「また見てんのかよ」
「これ何回見ても無理」

 カイが画面を見せてくる。

 暗いクラブの中で、ネオンに照らされたユウキが妙に真面目な顔で、全然リズムに乗れていない。

「いや、俺より後ろのレン見ろって。あいつ酔いすぎてる」
「ほんとだ、肩で揺れてるだけじゃねえか」
「しかもこの後、わさびのかきピー袋ごと口に突っ込んでたからな」

 ユウキが思い出したみたいに笑う。

「ああ、やってたな」
「一粒ずつ食えよって言ったら、なんて返してたっけ」

 ユウキが缶を口元に当てたまま、少し考える。

「……“うん、そろそろ舌がバカになってきた”」

 カイが一瞬黙って、それから吹き出した。

「言ってた! あいつ絶対それだわ」
「MIUちゃん、見てるだけで舌痛くなるって言ってた」
「あー、言いそう」
「“大丈夫? それ、ちょっとしんどそう”とか言いながら、結局取り上げられてなかったけど」
「レンくん、ああいう時だけ地味に頑固なんだよな」

 二人で少し笑う。
 カイはそのまま画面を指で戻して、また同じ動画を再生した。

「でもユウキくんもだいぶひどいよ。なんであんな真顔なの」
「真面目に踊ってたからだろ」
「真面目にやってあれなのが一番ダメなんだって」
「うるせえな」
「MIUちゃんこのあと腹抱えて笑ってたよな」
「ああ」
「しかも、“ユウキくん、がんばってるのかわいい”とか言ってなかった?」

 ユウキが少しだけ顔をしかめる。

「言ってたかもな」
「やさしい追い打ち」
「一番効くやつじゃん」

 カイがけらけら笑う。

「レンくんは普通に“だっさ”しか言わないのに、MIUちゃんはちょっとフォローしてくるから余計逃げ場ないんだよな」
「わかる」
「ユウキくん、あの頃ほんとずっといじられてたよな」
「今もだろ」
「今は落ち着いた方だよ」
「どこが」
「昔もっと変だったし」

 ユウキが眉を寄せる。

「なんだよそれ」
「酔って、UFOキャッチャーのぬいぐるみ抱えたまま、“こいつ目が死んでる”とか言ってたじゃん」

 ユウキが一拍置いて、缶を持ったまま目を逸らした。

「……覚えてねえ」
「ほらな、MIUちゃんめちゃくちゃ笑ってたし。“かわいそうだからそういうこと言わないで”って言いながら、一番笑ってた」
「そういう時のぬいぐるみ、だいたい部屋にあるだろ」
「そうそう。あれだよ、飾ってある犬みたいなやつ」

 カイが笑いながら、出窓の横に寄せてあるいくつかのぬいぐるみを顎で示した。

「ほんと、いらねえのばっか増えてったな」
「MIUちゃん、変なの好きだったからな」
「センス終わってたよな」
「言い方」

 笑いながら言ったのに、その返事だけ少し静かだった。
 カイはすぐにまた画面へ視線を戻す。

「もっと撮っときゃよかったな」

 ぽつりと落ちる。

「写真も動画も、思ったより少ねえんだよな」

 ユウキは何も言わなかった。

 あんなに毎日一緒にいたのに、
 残ってるのは、酔ってぶれた写真とか、
 途中で切れた動画とか、
 どうでもいい瞬間ばっかりだった。

 大事な夜ほど、
 その時はずっと続く気がして、
 わざわざ残そうなんて思わなかった。

 代わりに、壁の方へ目をやる。

 ネオンの下に飾った一枚の写真が、ぼんやり光っていた。
 酔った手で撮ったのか、端が少しだけぶれている。

 真ん中にMIU。
 その両側にレンとユウキ。
 カイは少ししゃがんで、いつもの場所にいた。

 今にも四人とも喋り出しそうな顔をしていた。

 カイが立ち上がって、冷蔵庫を開ける。

 一番上の段に、透明な仕切りケースがまだ置いてある。
 蓋の端に、油性ペンで「MIU」と書いてあった。

 何も入っていないのに、そこだけずっと空けたままだった。

 カイは缶チューハイを二本取り出して、片方をユウキへ投げる。

「ほい」

 受け取りながら、ユウキが言う。

「それ、もうおまえのヘアピンとか入れりゃいいのに」
「やだよ、なんか怒られそう」
「誰にだよ」
「MIUちゃんに」

 カイはけろっとした顔で言って、写真の前に立つ。
 しばらく見上げてから、急に吹き出した。

「この写真のMIUさ」
「ん?」
「いっつも、あれ? パンツ見えてね? って錯覚する」

 ユウキが一拍遅れて笑う。

「ごめん、それ俺も思うわ」
「やっぱ!?」

 カイが嬉しそうに振り返る。

「でも見えてねーんだよ、それが」
「ギリギリの天才なんだよな」
「ほんと、あの丈で外出ようとするの毎回すごかったよな」
「本人は“かわいいから大丈夫”で押し切るし」
「全然大丈夫じゃねえのに」
「カイだけ毎回、服の最終チェック係みたいになってたもんな」
「俺が見てないと一歩で終わる丈の服着るからだろ」
「いうこときく技もってたよな」
「“それかわいいけど、今日はこっちの方がいいかも”って言うやつ?」
「そうそう。レンと俺が言っても絶対聞かねえのに」
「二人は言い方が雑なんだって」

 カイが笑う。

「MIUちゃんかわいい。かわいくてやばい」

 満足したみたいに、カイはマットレスの前に戻る。
 床に、いつもみたいに座る。
 ソファに座るユウキの正面じゃなく、少しマットレスの足元寄りの位置。
 ユウキが見下ろす。

「その座り方、逆に疲れねえ?」
「もうこれがいいんだって」

 カイが缶を傾けながら言う。

「真ん中にMIUちゃんいて、両側にユウキくんとレンくんいて、俺だけ下にいるのが落ち着くんだよな」
「なんだそれ」
「なんかバランスよくない?」
「知らん」

 でも、少しだけわかった。
 あの頃の部屋では、だいたいそうだった。

 ソファの真ん中にMIUが座る。
 レンは肘をかけるみたいにその隣へ座る。
 ユウキは飲み物を持ってきたり、灰皿を寄せたりしながら、結局いちばん近くへ落ち着く。
 カイは床かビーズクッションに沈んで、足元からずっと喋っている。

 誰も決めていないのに、毎回そうなった。

 ユウキが前触れなく、くしゃみをひとつした。
 カイが振り返って、出窓に置いてあったティッシュ箱をそのまま投げる。

「はい」
「雑」

 受け取りながら鼻をかむ。
 その音を聞いて、カイがふと思い出したみたいに言う。

「前の部屋でさ、春くらいにベランダで飲んだの、寒くなくてよかったよな」
「ああ」
「花見行こうって言ってたのに、MIUちゃんがケムシ嫌だって」
「で、ベランダ花見になった。桜なんか見えないのに」
「夏もやったけど、暑すぎて五分で撤退したんだったわ」
「しかも蚊に刺されてキレてたな」
「レンくんがな」
「“なんで俺だけ”って」
「言ってたな」

 二人とも笑う。
 この部屋にはベランダがない。
 代わりみたいに、出窓がある。

 マットレスに座ったまま缶を置けるくらいの高さで、
 窓の外のネオンがちょうど見える。

 カイが振り返って、出窓の縁をぺしぺし叩いた。

「おまえが俺らのベランダだよ、出窓くん」
「ベランダじゃねえだろ。出窓なんだから」
「気持ちの話」

 カイは気にせず酒を飲む。
 それから、部屋の角に積まれたビーズクッションを見て、また笑った。

「あの時だよな。レンくんがタバコ落として、ピンクのやつ軽く焦がしたの」
「ああ」
「MIUちゃん、あれで普通に半泣きだったもんな」
「お気に入りだったからな」
「そのあとレンくん、ちゃんと灰皿持ち歩くようになったし」
「……おまえ、見てたのか」
「見てるわ。ユウキくんも同じことするようになったじゃん」

 ユウキが小さく笑う。

「ん、バレてたか」

 丸テーブルの真ん中には、レンのガラスの灰皿が置いたままだった。
 でもユウキが今使っているのは、その手前の少し潰した空き缶だった。
 カイがそれを見て、また笑う。

「ほらな」

 ユウキは何も言わず、缶チューハイを一口飲んだ。
 少しぬるくなっていた。

 部屋の中は、変わったようで、ほとんど変わっていない。

 ソファの向きも、
 テーブルの位置も、
 ビーズクッションの焦げ跡も、
 誰がどこに座るかも。

 四人でいた頃の癖だけが、そのまま残っている。

 カイは写真を見上げながら、小さく言った。

「この部屋、最初からこうだったみたいだよな」

 ユウキは少しだけ考えてから、缶を置いた。

「いや」

 静かに言う。

「俺らがこうしたんだろ」

 カイが一瞬だけ黙る。
 それから、少しだけ笑った。

「……そっか」

 ネオンのピンクが、壁にゆっくり揺れていた。
 その光の中で、部屋はまだ四人分の形をしていた。



(第2話「4人だったころ」おわり)