歌舞伎町残影ポリ

 夜中、マットレスの上でユウキが煙草を探している音で、カイはうっすら目を開けた。
 暗い部屋の中で、マットレスがわずかに沈む。

「……何してんの」

 眠ったままみたいな声で言うと、ユウキが「起きてたのかよ」と小さく返した。

「起きた」
「悪い」
「何」
「煙草」

 そう言いながら、ユウキがマットレス脇のローテーブルを探る気配がする。
 カイは枕に顔を半分埋めたまま、ぼんやりその背中を見た。

「ここで?」
「一本だけ」
「だめ」

 間髪入れずに言うと、ユウキが少しだけ振り返る。

「なんで」
「危ないから」
「まだ火ぃつけてないし」
「つける気だったじゃん」
「……まあ」

 認めるんだ、と思って、カイは少しだけ笑った。
 ユウキはライターを指先で弄びながら、マットレスの端に座っている。

 煙草を吸いたいだけなのか、なんとなく眠れないだけなのか、その両方なのか、見ていればなんとなくわかった。

 今のユウキは、昔みたいに煙草を吸いにひとりでふらっと外へ出たりしない。
 でも、その代わりにこうして、寝床の上で雑に済ませようとする。
 そういうところが、ちょっとだけ腹立たしくて、少しだけ安心する。

「それも禁止な」

 カイが言うと、ユウキが露骨に嫌そうな顔をした。

「それもって何だよ」
「ルール」
「また?」
「また」

 ユウキは呆れたみたいに息を吐いて、手の中の煙草を見下ろした。

「増えてくな」
「増やしてんのユウキくんでしょ」

 そう言うと、ユウキが鼻で笑う。

「厳し」
「生きてほしいから」

 言ってから、カイは少しだけ目を伏せた。
 思ったより、そのままの言葉だった。

 部屋が、ひと呼吸ぶんだけ静かになる。

 ユウキも何も言わなかった。
 ただ、ライターをテーブルに置く音だけがした。
 しばらくしてから、低い声が落ちる。

「……じゃあ、二個目か」

 カイは枕から顔だけ出した。

「何が」
「俺らのルール」
「そう」
「ベッドで煙草禁止」
「うん」
「だる」
「守って」

 ユウキはしばらく黙っていたが、やがて煙草を箱に戻した。

「はいはい」

 その返事が少しだけ素直で、カイは目を細める。
 ユウキがマットレスに戻ってきて、マットレスがまた少し沈んだ。
 暗い部屋の中、互いの寝返りの気配だけが近い。
 少しして、ユウキがぼそっと言う。

「……おまえもな」
「何が」
「しんどい時、黙るなよ」

 カイは一瞬だけ黙った。
 天井の見えない暗さを見たまま、小さく息を吐く。

「それ三個目?」
「まだ二個目の途中」
「なにそれ」
「知らね」

 ユウキの声が、少しだけ眠そうに緩んでいた。
 カイは、その音を聞きながら目を閉じる。

 ルールなんて、たぶん昔の自分たちなら笑っていた。

 そういうのを決めないまま、
 好きなように崩れていけることの方が
 ずっと綺麗だと思っていた気がする。

 でも今は、
 綺麗かどうかより、
 朝までちゃんとここにいる方が大事だった。

 勝手にいなくならないこと。
 マットレスの上で煙草を吸わないこと。
 しんどい時は、ちゃんと言うこと。

 そういう小さい約束を、二人分の生活の中に増やしていく。
 四人でいた頃には、たぶんいらなかった約束だった。

 ユウキは仰向けになったまま、薄く開いた窓から入ってくる夜気を感じていた。
 歌舞伎町の深夜の喧騒に混じって、冬の硬い空気がようやくゆるみ始め、どこか湿った春の近い匂いがする。

「……なぁ、カイ」

 ユウキが天井を見つめたまま、低く声を出す。

「ん?」

 隣でシーツに顔を埋めていたカイが、寝返りを打ってユウキの方を向いた。暗がりの中で、カイの瞳がわずかに光を反射している。

「今年、花見行こうか」

 その言葉に、カイの呼吸が一瞬だけ止まった。
 ユウキの脳裏には、かつての部屋の狭いベランダが浮かんでいた。桜の木なんて一本も見えないのに、室外機の熱に吹かれながら四人で飲んだ、あの夜 。来年行けばいい。あの時はそう思っていた。

「……どこに?」

 カイの声が、少しだけ震えていた。

「花園神社。あそこなら、近いだろ」
「……いいよ。人多いかな」
「夜なら、少しはマシだろ」
「そっか。……じゃあ、今度は桜の下で飲もうね」

 カイはそれ以上何も言わず、また枕に顔を沈めた。
 ユウキは、一度起き上がり窓を閉め、再び横になった。
 隣にいるカイの体温を、シーツ越しに確かめるように目を閉じる。

 しばらくして、隣の呼吸がゆっくり深くなる。

 目を閉じたまま、その音に合わせるみたいに息を吐いた。

 今はただ、隣にいるひとりがちゃんと眠っていて、
 自分もその隣で眠れる。

 それだけで、今夜はたぶん、もう朝までいける気がした。


 (第18話「これから」おわり)