歌舞伎町残影ポリ

 BARの看板明かりは、既に落ちていた。

 店の中には、カウンターの手元灯だけが残っている。
 いったん封筒に戻したはずの写真は、
 結局またカウンターの上に広げられていた。

 グラスの中の氷が、静まり返った冬の店内に、ひび割れるような音を立てて鳴る。

 カイが三枚目の写真を指で軽く叩いた。

「これ、やっぱ好きだわ」

 歌舞伎町の路地で、四人がネオンに染まって笑っているやつ。
 MIUが真ん中で、レンとカイに挟まれて、ユウキが後ろからその輪ごと包んでいる。

「この日、めっちゃ楽しかったよな」

 ユウキはグラスを回しながら、短く頷いた。

「ああ」
「俺ら、あのあとも普通に遊んでたしな」

 その言葉に、ユウキの指が少しだけ止まる。
 カイは気づかないふりみたいに、写真から目を離さない。

「クラブも行ったっけ?」
「……行ってない
「え?」
「その日は行ってねえ。店閉めて、そのまま飲み直して、帰った」

 カイが「あー……」と小さく息を漏らす。

「そっか。クラブ行ったの、その何日かあとか」

 ユウキは何も言わない。
 その“何日かあと”という言い方だけで、二人の間に少し重いものが落ちた。
 カイが写真の端を親指でなぞる。

「てか最近さ」
「ん?」
「この写真撮った日の前後、ちょいちょい順番わかんなくなるんだよな」

 ユウキは少しだけ目を上げる。

「……わかる」
「全部近い時期だったからかな」
「それもある」
「なんか、楽しかった日だけはすぐ出てくるのに、
 そのあとになると急に曖昧になる」

 カイの言い方は軽いのに、そこに触れてしまった指先だけが少し震えていた。
 ユウキはグラスの水滴を指で拭う。

「曖昧にしてたんだろ」
「……うん」

 それ以上、二人ともそこを広げなかった。
 カイがもう一度、写真を見下ろす。

「写真撮った次の日さ」

 また、言いかけてやめそうな声だった。

「……MIUちゃん、ちょっと変だったよな」

 ユウキはグラスを置いた。

「変っていうか」
「うん」

 カイは笑えないまま、でも言葉を軽くしようとするみたいに続ける。

「なんか、ずっと夢の続きみたいな顔してた」

 その表現に、ユウキの目が少しだけ伏せられる。

「あの子、たまにあっただろ。楽しそうなのに、もう半分どっか行ってるみたいな時」
「……あったな」
「でもあの日のあと、ちょっと長かった気がする」

 カイがそこまで言って、口を閉じる。
 BARの中は静かだった。
 店の奥の製氷機の音だけが、遠くで小さく鳴っている。
 ユウキが低く言う。

「次の日、レンが病院連れてった」

 カイが頷く。

「点滴な」
「ああ」
「俺、あの時けっこうビビってた」
「おまえだけじゃねえよ」

 ユウキの声は平坦だった。
 だがその平坦さは、あの数日の記憶を何度も飲み込んできた時間の厚みを感じさせた。
 カイは写真を見たまま言う。

「俺さ、あのあとユウキくんに言ったじゃん」

 ユウキは黙っている。

「このままだと、ほんとにやばいかもって」

 言葉が落ちる。
 それは告白というより、確認みたいだった。

 ユウキは少しだけ時間を置いてから、
「ああ」と返す。
 カイの肩がわずかに下がる。

「レンくんに相談したのも、そのあとだよな」
「そうだな」
「俺らなりに、ちゃんと考えてたよな」

 その“ちゃんと”に、カイ自身がすがっているのがわかった。
 ユウキはグラスの水滴を指で拭う。

「……考えてた」

「共有にしようって決めてさ」

「隠れて何してるかわかんないより、まだ……こっちで見えてた方がマシだろって」

「夜も、なるべく一人にしないようにして。酒も、ちょっと見て。……なんか、いろいろ」

 言いながら、
 カイは少しずつ自分の声が苦しくなっていくのを隠せなくなる。

「ちゃんと、やろうとしてたよな」

 ユウキは返事をしなかった。
 それが正しかったのかどうか、今さら誰にもわからない。
 でもその時は、少なくとも見捨てるつもりじゃなかった。
 助けるつもりだった。そこが一番、今も二人を苦しめている。

 カイがぽつりと呟く。

「俺、ずっと思ってた」

 ユウキが顔を上げる。

「何を」

 カイは写真の中のMIUを見たまま、小さく言った。

「俺があの時、“なんか変だな”で済ませなければよかったって」

 ユウキは何も言わない。

「もっとちゃんと怖がればよかった」

 カイの喉が詰まる。

「もっと大ごとにすればよかった。もっと騒げばよかった。もっと――」

「無理だろ」

 ユウキが低く遮った。
 カイが目を瞬かせる。
 ユウキは写真から目を離さずに言う。

「俺ら、あの時点で“二人で死ぬかもしれない”なんてとこまで、考えられてなかった」

 その言葉で、空気が少しだけ止まる。
 カイの呼吸が浅くなる。
 ユウキは続けた。

「やばいとは思ってた。でも、せいぜい倒れるとか、ODするとか、そういう方だったろ」

 カイは何も言えない。
 図星だった。

 死ぬ。

 その言葉は、当時も今も、どこか現実感がなかった。

 というより、あの二人に関してだけは、
 どこかで“明日も普通に生きてる”前提を捨てられなかった。

 どれだけ危なっかしくても、
 どれだけ変でも、
 次の夜もまた部屋に戻ってきて、
 同じ場所に座って、
 同じように笑う気がしていた。

 カイがようやく口を開く。

「……俺、まださ」

 声が小さい。

「“いなくなった”って言い方してる時ある」

 ユウキは黙って聞いている。

「死んだって言うと、全部そこに繋がってたみたいになるから」
「……うん」
「急に、最初から終わり決まってたみたいになるじゃん」

 その言い方は、誰かに説明しているというより、
 自分で自分に言い聞かせてきた理屈みたいだった。

 ユウキは少しだけ息を吐いた。

「……繋がってたんだろ」

 その言い方は責めるんじゃなくて、やっと自分にも向けて言えたみたいな声だった。

「写真の日も、病院の日も、相談した日も、クラブの日も」

 カイの目に、じわっと涙が滲む。
 ユウキの声は低いまま続く。

「全部、ちゃんと続いてた」

 逃げ場のない言い方だった。
 でも同時に、今までずっとバラバラにしてきた記憶を
 初めて一本に繋いでしまう言い方でもあった。

 カイが唇を噛む。

「……じゃあさ」

 ユウキが目を向ける。

「俺ら、その途中にいたんだな」

 ユウキはすぐには答えなかった。
 グラスの氷が、最後に小さく音を立てる。

 写真の中の四人は、何も知らないみたいに笑っている。
 でも本当は、そのあとにもちゃんと時間が続いていて、その途中に、自分たちもいた。

 見ていた。
 一緒にいた。
 止められなかった。

 それを、
 “いなくなった”の一言で曖昧にしていたのかもしれない。

 ユウキが、
 ほんの少しだけ頷く。

「ああ」

 その短い返事だけで、二人とももう、
 “あの日のあと”を曖昧なままにはできなかった。

 写真の中では、
 四人がまだ笑っている。

 でもその笑顔のあとにも、ちゃんと続きがあったことを、
 それが笑顔だけじゃないことも、
 二人はもう、思い出の外に置いておけなかった。


(第12話「あの日のあと」おわり)