ユウキの仕事先のBARのカウンターに、厚みのある茶封筒がそっと置かれた。
「やっと見つかったよ」
コートの襟を立て、外の冷気を纏ったまま店に入ってきたカメラマンのおじさんが、少し申し訳なさそうに笑う。
「君たち四人で撮ったやつ。雑誌には載せられなかったけど……なんか、捨てられなくてさ」
目尻に深い皺が寄る。
ユウキは、外気でひやりと冷え切った封筒を受け取りながら、短く頭を下げた。
「ありがとうございます。ずっと気になってました」
カイが隣から身を乗り出す。
「マジ? やっと見れんの?」
声が少しだけ弾んでいた。
4人で暮らしていた頃、このカメラマンのおじさんに1度だけ写真を撮ってもらって、歌舞伎町で暮らす、ちょっと変わった四人組として、簡単な取材までしてくれた。
おじさんは煙草に火をつけると、カウンターの端に肘をついて、ゆっくりと煙を吐いた。
「四人とも、いい顔してたよ」
それから少し考えるみたいに間を置いて、
「……MIUちゃん、あの時言ってたなぁ。
『なんか全部、夢みたい』って」
カイが「あー、言いそう」と笑う。「酔うとすぐそういうこと言うし」
「しかもその時だけ、ちょっと詩人みたいになるよな」
「わかる」
ユウキも小さく口元を緩めた。
でも、おじさんの声には、思い出話だけでは済まない何かが少しだけ混じっていた。
おじさんだけが、その夜を“昔のこと”として話している気がした。
ユウキは封筒を開けた。
中に入っていた写真は、五枚。
光沢紙の縁を指でつまんで、一枚目をカウンターに置く。
その瞬間、カイが小さく息を飲んだ。
「……うわ」
BARの中だった。
MIUがカウンターに腰かけて笑っている。
黒レースのミニワンピースの裾をつまんで、足を小さくぶらぶらさせている。
レンが後ろから肩を抱いていて、カイはそのすぐ横で、MIUの膝に手を置いたまま笑っている。
ユウキはカウンターの向こう側で、グラスに氷を入れていた。
四人の視線が、バラバラみたいでいて、結局みんなMIUの方へ集まっていた。
「これ、めっちゃいいな……」
カイの声が、少しだけ掠れる。
「MIUちゃん、かわい」
「ああ」
ユウキは短く答えた。
短い返事だったのに、それ以上足す言葉がないみたいだった。
カイが写真を指でつつく。
「このリップさ、やっぱ正解だったよな」
「また始まった」
「だってかわいくない? 黒レースに赤リップ、優勝じゃん」
「おまえ、あの日も同じこと言ってたぞ」
「え、ほんと?」
「三回くらい言ってた」
「じゃあ本当に優勝だったんだろ」
カイが得意げに言って、
少しだけ笑う。
その横で、おじさんが写真を覗き込んだ。
「この時、MIUちゃんずっと喋ってたよねぇ」
「何話してましたっけ」
カイが訊く。
「んー……“今日の自分、ちょっとかわいすぎるかも”とか」
「あはは、言いそう」
「あと、“このままポスターにして”とも言ってた」
「それも言いそう」
カイは笑っているのに、笑いながら少しだけ目を伏せた。
ユウキはその変化に気づいたけど、何も言わずに二枚目を取り出した。
二枚目。
MIUがグラスを両手で持って、カウンターの向こうのユウキを見上げている。
少し酔っていたのか、頬がやわらかく赤い。
レンの手が肩にかかっていて、その指先だけ、妙に強く見えた。
カイが写真を覗き込みながら笑う。
「レンくん、これ完全に“離す気ないです”の手じゃん」
「いつもだろ」
ユウキもそう返したけど、視線は写真から外れなかった。
「てかさ」
カイが笑いながら続ける。
「これ絶対、レンくん内心イラついてるよな。“なんでユウキの方見てんの”みたいな」
「考えすぎだろ」
「いや、あるって。レンくん、そういう独占欲わりと顔に出るし」
「出てたか?」
「出てたよ。口では“好きにしろ”みたいな顔してんのに、手だけめっちゃ正直だったじゃん」
その言い方に、ユウキは少しだけ黙った。
たしかに、そういうところはあった。
雑に見えて、いちばん離す気がなかったのはレンだった。
でも、引っかかったのはそこじゃない。
MIUだけが、カメラを見ていなかった。
笑っているのに、視線だけが少し遠い。
店の奥でも、ユウキたちでもなく。
もうその場にはない何かを、先に見ているみたいだった。
その違和感に気づいたのは一瞬だった。
でもユウキは何も言わず、親指で写真の端をなぞって、次の一枚を取り出した。
三枚目は外だった。
歌舞伎町の路地。
ネオンに照らされて、四人の輪郭が同じ色に染まっている。
MIUが真ん中で、少しだけ顎を上げて立っている。
レンが片側から肩を抱き、カイが腰に腕を回している。
ユウキは後ろからその二人ごと囲うみたいに、静かに寄り添っていた。
「うわ、これ好き」
カイが笑う。
「なんか、めっちゃ“俺ら”じゃん」
「そうだな」
「てかさ、俺とレンくん、これだけ見たら普通に治安悪いな」
「普通にじゃなくて、普通以上にな」
ユウキが珍しく少しだけ笑う。
カイもつられて笑った。
「てかユウキくんも、今見るとわりと怖いよ」
「なんでだよ」
「後ろから全部囲ってる感じ。“逃がしません”の男すぎる」
「そんなつもりねえよ」
「えー、でもちょっとあるじゃん」
「ない」
「あるって。一番まともそうな顔して、一番逃がさないタイプ」
「おまえ、人のこと何だと思ってんだよ」
「めんどくさい優しさの人」
カイが即答して、自分でちょっと笑う。
その笑いは長く続かなかった。
写真の中のMIUは、たしかに笑っていた。
なのに、その表情だけが、何度見ても少しだけ引っかかった。
楽しそうなはずなのに、どこか、もう全部知ってるみたいな顔をしていた。
カイの指が、その写真の上で止まる。
「……この時ってさ」
声が落ちる。
ユウキが目だけを向ける。
「ん?」
カイは一瞬だけ何かを言いかけて、
でもすぐに肩をすくめた。
「いや、なんでもない」
そのまま四枚目を取る。
四枚目は、四人で並んでピースしているやつだった。
MIUのピースだけ、指先が少し内側に折れている。
「これ、酔ってるな」
ユウキが言う。
「完全に酔ってる」
「このあと絶対ヒール脱いでる」
「で、レンくんに“歩けよ”って言われてる」
「言われてたな」
「で、結局ユウキくんがコンビニ寄って水買う」
「……まあな」
「で、俺がなぜかいちばん元気」
「それはいつもだろ」
「たしかに」
その会話だけで、写真の外側にあった時間まで少しずつ戻ってくる。
誰が何を言って、
誰が何を持って、
誰が最後に鍵を開けて、
誰が酔ったやつの靴を脱がせるか。
写真に写っていない部分まで、
四人分の生活が勝手に立ち上がってくる。
五枚目は、MIUがレンとカイに抱き上げられて、
ユウキがその横で呆れたみたいに笑っている写真だった。
「これ、完全に事故る五秒前じゃん」
カイが吹き出す。
「いや、実際このあと危なかっただろ」
「MIUちゃん、“もっと高く〜!”とか言ってた気がする」
「言ってた」
「やばすぎ」
どれもネオンに染まっていて、どれもちゃんと楽しそうだった。
でも、楽しそうな写真ばかり並ぶほど、逆に何かが見えなくなっていく感じがした。
カイが最後の一枚を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「これ、ずっと欲しかったやつだ」
その言い方が、まるで今さら取り戻したものに触れてるみたいで、ユウキは返事をしなかった。代わりに、一枚ずつ丁寧に重ねていく。
写真の縁が擦れる、乾いた音。
カイがカウンターに頬杖をつく。
「これ、部屋に貼ろうぜ」
「……どこに」
「ネオンの下。あの棚の近くとか」
「ごちゃごちゃになるだろ」
「今さらだろ」
「それはそう」
ユウキは少しだけ考えて、それから小さく頷いた。
「……まあ、いいか」
写真を封筒に戻す。
その時、おじさんが灰皿に煙草を押しつけた。
「また来るよ」
柔らかい声だった。
「君たちの話、まだちゃんと聞いてない気がするから」
カイが「いつでもどうぞ」と笑って、ユウキも軽く頭を下げる。
おじさんは軽く手を振って、帰っていった。
ドアが閉まる音が、BARの中に小さく響く。
静かになったカウンターで、カイが封筒の上から写真を軽く押さえた。
「……なんかさ」
ユウキがグラスを拭く手を止める。
「何」
カイは少しだけ迷ってから、でも結局いつもの調子に戻るみたいに笑った。
「やっぱ俺ら、めっちゃ楽しそうだったな」
ユウキは少しだけ黙って、それから低く答えた。
「ああ」
その返事だけで終わった。
でも、
封筒の中に戻したはずの写真が、
まだそこに置かれたまま、
四人の形で笑い続けている気がした。
(第11話「写真」おわり)
「やっと見つかったよ」
コートの襟を立て、外の冷気を纏ったまま店に入ってきたカメラマンのおじさんが、少し申し訳なさそうに笑う。
「君たち四人で撮ったやつ。雑誌には載せられなかったけど……なんか、捨てられなくてさ」
目尻に深い皺が寄る。
ユウキは、外気でひやりと冷え切った封筒を受け取りながら、短く頭を下げた。
「ありがとうございます。ずっと気になってました」
カイが隣から身を乗り出す。
「マジ? やっと見れんの?」
声が少しだけ弾んでいた。
4人で暮らしていた頃、このカメラマンのおじさんに1度だけ写真を撮ってもらって、歌舞伎町で暮らす、ちょっと変わった四人組として、簡単な取材までしてくれた。
おじさんは煙草に火をつけると、カウンターの端に肘をついて、ゆっくりと煙を吐いた。
「四人とも、いい顔してたよ」
それから少し考えるみたいに間を置いて、
「……MIUちゃん、あの時言ってたなぁ。
『なんか全部、夢みたい』って」
カイが「あー、言いそう」と笑う。「酔うとすぐそういうこと言うし」
「しかもその時だけ、ちょっと詩人みたいになるよな」
「わかる」
ユウキも小さく口元を緩めた。
でも、おじさんの声には、思い出話だけでは済まない何かが少しだけ混じっていた。
おじさんだけが、その夜を“昔のこと”として話している気がした。
ユウキは封筒を開けた。
中に入っていた写真は、五枚。
光沢紙の縁を指でつまんで、一枚目をカウンターに置く。
その瞬間、カイが小さく息を飲んだ。
「……うわ」
BARの中だった。
MIUがカウンターに腰かけて笑っている。
黒レースのミニワンピースの裾をつまんで、足を小さくぶらぶらさせている。
レンが後ろから肩を抱いていて、カイはそのすぐ横で、MIUの膝に手を置いたまま笑っている。
ユウキはカウンターの向こう側で、グラスに氷を入れていた。
四人の視線が、バラバラみたいでいて、結局みんなMIUの方へ集まっていた。
「これ、めっちゃいいな……」
カイの声が、少しだけ掠れる。
「MIUちゃん、かわい」
「ああ」
ユウキは短く答えた。
短い返事だったのに、それ以上足す言葉がないみたいだった。
カイが写真を指でつつく。
「このリップさ、やっぱ正解だったよな」
「また始まった」
「だってかわいくない? 黒レースに赤リップ、優勝じゃん」
「おまえ、あの日も同じこと言ってたぞ」
「え、ほんと?」
「三回くらい言ってた」
「じゃあ本当に優勝だったんだろ」
カイが得意げに言って、
少しだけ笑う。
その横で、おじさんが写真を覗き込んだ。
「この時、MIUちゃんずっと喋ってたよねぇ」
「何話してましたっけ」
カイが訊く。
「んー……“今日の自分、ちょっとかわいすぎるかも”とか」
「あはは、言いそう」
「あと、“このままポスターにして”とも言ってた」
「それも言いそう」
カイは笑っているのに、笑いながら少しだけ目を伏せた。
ユウキはその変化に気づいたけど、何も言わずに二枚目を取り出した。
二枚目。
MIUがグラスを両手で持って、カウンターの向こうのユウキを見上げている。
少し酔っていたのか、頬がやわらかく赤い。
レンの手が肩にかかっていて、その指先だけ、妙に強く見えた。
カイが写真を覗き込みながら笑う。
「レンくん、これ完全に“離す気ないです”の手じゃん」
「いつもだろ」
ユウキもそう返したけど、視線は写真から外れなかった。
「てかさ」
カイが笑いながら続ける。
「これ絶対、レンくん内心イラついてるよな。“なんでユウキの方見てんの”みたいな」
「考えすぎだろ」
「いや、あるって。レンくん、そういう独占欲わりと顔に出るし」
「出てたか?」
「出てたよ。口では“好きにしろ”みたいな顔してんのに、手だけめっちゃ正直だったじゃん」
その言い方に、ユウキは少しだけ黙った。
たしかに、そういうところはあった。
雑に見えて、いちばん離す気がなかったのはレンだった。
でも、引っかかったのはそこじゃない。
MIUだけが、カメラを見ていなかった。
笑っているのに、視線だけが少し遠い。
店の奥でも、ユウキたちでもなく。
もうその場にはない何かを、先に見ているみたいだった。
その違和感に気づいたのは一瞬だった。
でもユウキは何も言わず、親指で写真の端をなぞって、次の一枚を取り出した。
三枚目は外だった。
歌舞伎町の路地。
ネオンに照らされて、四人の輪郭が同じ色に染まっている。
MIUが真ん中で、少しだけ顎を上げて立っている。
レンが片側から肩を抱き、カイが腰に腕を回している。
ユウキは後ろからその二人ごと囲うみたいに、静かに寄り添っていた。
「うわ、これ好き」
カイが笑う。
「なんか、めっちゃ“俺ら”じゃん」
「そうだな」
「てかさ、俺とレンくん、これだけ見たら普通に治安悪いな」
「普通にじゃなくて、普通以上にな」
ユウキが珍しく少しだけ笑う。
カイもつられて笑った。
「てかユウキくんも、今見るとわりと怖いよ」
「なんでだよ」
「後ろから全部囲ってる感じ。“逃がしません”の男すぎる」
「そんなつもりねえよ」
「えー、でもちょっとあるじゃん」
「ない」
「あるって。一番まともそうな顔して、一番逃がさないタイプ」
「おまえ、人のこと何だと思ってんだよ」
「めんどくさい優しさの人」
カイが即答して、自分でちょっと笑う。
その笑いは長く続かなかった。
写真の中のMIUは、たしかに笑っていた。
なのに、その表情だけが、何度見ても少しだけ引っかかった。
楽しそうなはずなのに、どこか、もう全部知ってるみたいな顔をしていた。
カイの指が、その写真の上で止まる。
「……この時ってさ」
声が落ちる。
ユウキが目だけを向ける。
「ん?」
カイは一瞬だけ何かを言いかけて、
でもすぐに肩をすくめた。
「いや、なんでもない」
そのまま四枚目を取る。
四枚目は、四人で並んでピースしているやつだった。
MIUのピースだけ、指先が少し内側に折れている。
「これ、酔ってるな」
ユウキが言う。
「完全に酔ってる」
「このあと絶対ヒール脱いでる」
「で、レンくんに“歩けよ”って言われてる」
「言われてたな」
「で、結局ユウキくんがコンビニ寄って水買う」
「……まあな」
「で、俺がなぜかいちばん元気」
「それはいつもだろ」
「たしかに」
その会話だけで、写真の外側にあった時間まで少しずつ戻ってくる。
誰が何を言って、
誰が何を持って、
誰が最後に鍵を開けて、
誰が酔ったやつの靴を脱がせるか。
写真に写っていない部分まで、
四人分の生活が勝手に立ち上がってくる。
五枚目は、MIUがレンとカイに抱き上げられて、
ユウキがその横で呆れたみたいに笑っている写真だった。
「これ、完全に事故る五秒前じゃん」
カイが吹き出す。
「いや、実際このあと危なかっただろ」
「MIUちゃん、“もっと高く〜!”とか言ってた気がする」
「言ってた」
「やばすぎ」
どれもネオンに染まっていて、どれもちゃんと楽しそうだった。
でも、楽しそうな写真ばかり並ぶほど、逆に何かが見えなくなっていく感じがした。
カイが最後の一枚を見つめたまま、ぽつりと呟く。
「これ、ずっと欲しかったやつだ」
その言い方が、まるで今さら取り戻したものに触れてるみたいで、ユウキは返事をしなかった。代わりに、一枚ずつ丁寧に重ねていく。
写真の縁が擦れる、乾いた音。
カイがカウンターに頬杖をつく。
「これ、部屋に貼ろうぜ」
「……どこに」
「ネオンの下。あの棚の近くとか」
「ごちゃごちゃになるだろ」
「今さらだろ」
「それはそう」
ユウキは少しだけ考えて、それから小さく頷いた。
「……まあ、いいか」
写真を封筒に戻す。
その時、おじさんが灰皿に煙草を押しつけた。
「また来るよ」
柔らかい声だった。
「君たちの話、まだちゃんと聞いてない気がするから」
カイが「いつでもどうぞ」と笑って、ユウキも軽く頭を下げる。
おじさんは軽く手を振って、帰っていった。
ドアが閉まる音が、BARの中に小さく響く。
静かになったカウンターで、カイが封筒の上から写真を軽く押さえた。
「……なんかさ」
ユウキがグラスを拭く手を止める。
「何」
カイは少しだけ迷ってから、でも結局いつもの調子に戻るみたいに笑った。
「やっぱ俺ら、めっちゃ楽しそうだったな」
ユウキは少しだけ黙って、それから低く答えた。
「ああ」
その返事だけで終わった。
でも、
封筒の中に戻したはずの写真が、
まだそこに置かれたまま、
四人の形で笑い続けている気がした。
(第11話「写真」おわり)
