命取り

 帰る間際、あの場所に何を建てるのですかと質問を受けた。喋ってしまってはモラルがないと言われかない場面であったが、「まだ決定はしていないのですが」と前置きをしてから喋った。あそこには小さなアパートができる。アパートとは言っても、最新の防犯設備を有し、現代的な外観をした、割に綺麗なアパートになる予定だ。場所からして家賃もそんなに高くはないだろうから、引っ越してみる価値はあるかもしれないと教えた。詳しい数字は示さない。職員は半分冗談、もう半分は本気と言った口調で話がまとまれば連絡をくださいませんかと言った。僕はそうしますよ、と努めて明るい口調を作った。口だけの大嘘だ。何せこの男とは面識がまるでない。今日ここでようやく会ったというだけの男なのだ。そんな人物にわざわざおすすめの物件を紹介するはずがない。手間だからだ。それに、あくまで土地開発に関係しているというだけで不動産事業に関わっているのではない。話なら不動産の人間に持っていけば良い。第一、僕と彼とは名刺の交換もしていない。連絡のしようがないじゃないか。僕は職員を後ろにして役場を出た。自動ドアを抜けた途端に熱気が全身を包んで不快感が生じた。もう夏は近いと思えば、唾の一つも吐きたくなってくる。面白みもない社交辞令と、夏の熱気。これに吐き気を催さなくて、人はどんな事物に吐き気を覚えるのだ。
 事務所へ戻る道中、発掘中の例の縄文遺跡に足を運んでみた。そこでは空き地の表面が大きく剥ぎ取られ、緑の空間は幾らか消失していた。毛皮を剥ぎ取られた獣のようだと僕は思った。痛々しい、皮膚の皮下組織でも露出したような惨状に心を痛めた。あたりはかなり広い範囲で調査をしているらしく、立ち入りが固く禁止されていた。人々が眺めることができるのはせいぜい、現場を囲ったフェンスのそばで首を伸ばすことくらいのものだろう。ぐるりと周辺を閉鎖しているフェンスが、僕たちの進入を阻止しようと立ち塞がっていた。僕は特段理由もなくスマートフォンで写真を一枚撮影し、車に戻った。そして事務所に帰り着いて、車のキーを返却した。
 自分のデスクに戻ると、部屋の奥の社長席にいた社長とあの井上が何事かを囁き合っているのが目に入った。デスクから社長席まではそれなりに離れているが、元々小さい事務所なのだ、どれだけ頑張ってもこの部屋で盗み聞きを防ぐのは無理である。思わず社長と井上の二人が寄越した視線に応じてしまった。二人からの目を、正面から受けてしまった。二人がどんな話をしていたか、簡単にではあるが聞き取れる。井上が社長に対し直談判をしている最中なのだ。談判、というのは他でもない僕について。業務態度を改善するよう言い含めてくれと訴えていた。変な笑いが起こりそうだったが、下を向いて踏ん張った。
「こっちに来てくれないか」