命取り

 そのボーダーラインの向こう側は陥没穴みたいな地形になっていて、直径はおよそ六メートルといったところだ。四方を岩たちに囲まれている。降り注いだ地面の落ち葉が茶色くなっている中心点に、写真で目にした、あの濃い緑の葉を持つ植物が茂っていた。
「本当にあった」
 僕が指で示すより前に、彼女は岩の壁を飛んで降りた。足をよく屈曲させ、なるべく低い姿勢で、衝撃を和らげるよう注意を払って身を投げ出した。足元の落ち葉が幸いしたのか、勢いを持たせた着地であったにもかかわず菓彩は元気そうである。
「キバナノツキヌキホトトギス」
 呪文かと疑った。それが名前であるらしかった。菓彩は駆け出し、何と言ったか黄色い花のもとまで素早く移動した。地に膝をついて、綺麗な可愛らしい花に優しく触れた。花弁を手で包み込むようにして、そうして上へ下へ、右へ横へと忙しなく動かして何事かを見極めようとしている。それは動物病院の獣医のような手つきであった。
「これが、菓彩さんの探していた花ですか。合っていたのですか」
 彼女の場所まで駆け寄り、どことなく心配になって僕は尋ねた。だが正解かどうかは、彼女の表情を見ればすぐにでもわかっていた。
「ええ、これが、これがそうなんです。キバナノツキヌキホトトギス。ホトトギスという名前がついていますが、立派に花の一つです。どうですか、美しいと思いませんか」
 振り返りこちらを見上げる菓彩に向けて、僕は「はい」と努めて穏やかな声で返した。肯定したのは花の美しさではなかった。
「とても良い収穫でした。ありがとう、本当に、あなたには感謝しています。どこへ行っても、なかなか見つかりませんでしたから」
 ありがとうございます、と言おうとして、言えなかった。彼女の向こう側で一匹の蝶々が飛んでいたからだ。月は樹木に隠され光が届く見込みはないのだが、暗がりに慣れた目によってそれの正体は知れた。アサギマダラだった。アサギマダラが、一匹でない。三匹、五匹、みるみる数を増やしていく。どこから現れたのかと周囲をぐるり見回すと、視界の中に蝶の入らなかった瞬間はなかった。大群の、蝶。一〇や二〇では足りないかも知れない、圧倒的な大軍だ。もし僕がそこらの野花だったら、自分自身を魂まで吸われるかもと恐れおののくかも知れない。それほどの圧倒的な光景だった。
 蝶の群れの一部はやがて、ホトトギスと名のついた黄色い花に舞い降りた。黄色の『純真』を体現するかのような花弁に取りついて、いつかの時のように羽を何度もゆっくり上下させていく。菓彩の求めた花と、僕の目的だった蝶。見事なコラボレーション、と言っては言葉が安すぎる。どのように表現すべきか、形容すべきか、残念ながら語彙が追いつかないでいた。
「綺麗だね」そう、菓彩愛菜は呟いた。
「もしかして、これは、蝶を含めてあなたが用意したの?」