命取り

 登山道を外れるのだから、当たり前のこととして遭難を恐れなくてはいけない。僕はとっくに、自殺目当てに山を目指してはいなかったのだから、スマートフォンのアプリケーションを用いて対策をした。山に入ればインターネットなど当てにできないのだから、事前にダウンロードしてどこでも地図を見れるように準備をしたのだ。職業柄、地図を見るのには慣れている。細かく線だの記号だのの入った、暗号みたいな地図を商売道具にしている身からすれば一般向けの地図など子供の書いた宝の地図くらいにしか思えなかった。ただし、恐ろしく精密に描かれた宝の地図だ。これは大いに、僕の役に立った。
 地図を頼りにし、何か変わったものや知らない生き物を発見したらそこに印をつけるという作業を繰り返した。地図には気がつけば大量の印が付けられ、僕は山の主にでもなった気分がした。そのように過ごして、やがて夏が終わった。夏が終われば秋が来る。秋も終わったら、今度は冬だ。冬も終われば、季節は春に巡ってくる。
 僕は一箇所の山にとどまるような愚かなことはしなかった。道具を潤沢に揃え、車を使って県内外のあちこちの山に入るようになった。いまだに図鑑は読まないが、たくさんの生き物の姿や行動を脳裏に焼き付けるようになった。ただ自然が、自然のままにあること。これが僕の求める唯一のことだった。どこか遠くに聞こえる断末魔、見えない場所で羽ばたいていく鳥。姿を見せぬまま茂みを通過していく獣。これらと直に対面しているだけで満足できるようになっていった。けれど、アサギマダラを諦めたわけでもなかった。夏の到来した頃には、もう北海道に行ってしまったかと絶望したくもなったが、幸運にも春はしっかりと訪れてくれた。寒さに根負けして、一〇〇〇キロだか二〇〇〇キロだかを飛ぶ蝶々たちがまた、僕の住むこの九州に戻ってきてくれるかもしれないと可能性を抱くことができるようになったのだ。最近知ったのだが、二〇〇〇キロという距離はちょうど九州から北海道の距離らしい。僕はやはり、蝶を求める。
 日曜日の晴れた夜のことだ。久しぶりに近所の山に入ろうと心づもりをした。仕事が休みの日で、荷物を後部座席に詰め込んでハンドルを握った。初心忘るべからず、などわけのわからないような、わかるような独り言を漏らしながらあの場所まで移動した。道中ではCDを使って音楽を流し、声高らかに歌った。ザ・フーの『My generation』が特に好きだ。どもった調子で歌うのがクセになる。