命取り

「自らの死とはつまり、逃げの一択であると私は信じて疑わないのです。だってそうでしょう。生きて、最後の一歩に辛さや苦しさから解放される瞬間こそ誰にもで等しく与えられた生きる意味なのですから。平等に、苦楽を乗り切るべきという神様からのタスクを与えられているのです。抱えたまま、未達成のまま首を吊ったり練炭自殺したりなど、本来恥ずべき行為なのです」
 僕は心に一陣の風が吹くのを感じ、もう驚いたり立ちすくんだりするような気持ちも起こらないほど淡々と彼女の顔を見た。彼女の言説は、僕の意見を真っ向から否定するもののように感じられたからだ。彼女はそれを決して見逃さなかった。
「何か言いたげな顔をしていますね。反論があるなら受け付けますが、いかがですか」
「い、いえ、何もありません」
 強気な態度に出鼻を挫かれる思いだった。
「わかっています」と、その女性は言った。
「世の中には金持ちがいて、差別される人がいて、一向に生活の良くならない困窮者や棄民がいるのだと言いたいのでしょう。それは、それについても私は意見を曲げません。等しく与えられたタスクの内容は千差万別というだけの話なのです。ある人は一〇年頑張れば報われます。ある人は三〇年頑張れば報われるという、たったこれだけの話なのです。当人にしてみれば自分があと何年頑張ったら良いか可視化されていないために、苦しいと嘆いてしまう。ゴールを華々しく飾るのは皆一緒なのに」
 その女性はそこまでを話し終えると、途端に黙り込んだ。僕と彼女とは短い時間、視線を交わして何事かを沈黙のうちに語り合った。必要な情報を、形を持たない情報をやり取りをした。女性はすぐに了解と顔に書いた。目を細めてバックパックをおろし、どすんと音のしたその中から椅子を一脚取り出した。折りたたみ式で、かなりコンパクトな椅子だ。子供用ですと言われても納得しそうな椅子だった。
「これに座って」
 彼女は展開した椅子を指して言った。僕は断ろうとしたが、彼女の瞳にはっとするものを感じたために了承した。彼女の目には、今度は太陽にも似た性質の光が灯されていたのである。夜明けだ、と僕は胸裏でつぶやいた。一体いつの間に、この女性は身に宿す光の種類を切り替えたのだろうか。表情がとても目まぐるしく変わる。
「これ、飲んで」と銀のカップに注がれたアイスコーヒーを手渡される。
「話の、続きを聞かせてくれませんか」
 そう言いつつ地面の上に躊躇もなく座った。椅子は一脚しかなかったのである。慌てて立ち上がって譲ろうとしたが、女性は少しきつい口調で僕に座り続けるよう厳命した。
「自殺の話」
 大きな水筒の中身はコーヒーだ。二つ目のコップに自分用のコーヒーを注ぎながら彼女はこともなげに言った。所作を眺めながら、コップは二つあるのだ、ぼんやりと思っていた。