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大井商店をあとにして家に戻ると、青褪めた顔の犬塚がすぐに飛んできた。朝起きると僕の姿が消えていたので、家中を探し回り、これから近所を探しにいこうとしていたところだったという。
「こんなときにひとりで出かけるなんてなに考えてるんだ」
「……ごめん」
今の状況がわかってるのかと声を荒げる犬塚に、僕は身を縮めて謝るのがやっとだった。
犬塚はさらに何事か言おうとしたけど、結局ため息をつくだけに留めた。そのままひとりで家の中へと戻ろうとするので、僕は急いで靴を脱いで背中を追いかけた。
ひとりで出かけて心配をかけたことは悪いと思っているし、軽率な行動だったとも思う。けど、大事な用事があったのだ。犬塚を村から連れ出す方法を見つけるという、僕にとってはものすごく大事な用事が。
そして、大井さんと会って話したことで、その方法をひとつ見つけた。
「──やっぱりお前が村に戻るんじゃだめだ。戻ったとしても護家の人間として認められるかわからないし。だろ?」
廊下を歩く犬塚を追い超して、行く手を塞ぐように立つ。すると犬塚は驚いた顔をして立ち止まった。
「それは、まぁ……」
「だから別の案でいく」
「別の案がないからそうするって言ってるんだろ」
別の案がない。僕も少し前まではそう思っていた。
──お前にもできることはあるやろ。
──かわりにお前が厄介事しょい込むことになるけどな。
大井さんはそう言っていた。その言葉でもうひとつ方法があると気がついたのだ。
「僕が助かるための方法はふたつあるんだ」
僕が言うと、犬塚は一瞬意表を突かれたように瞬きをした。
犬塚ももうひとつの方法には気づいていなかったんだろう。僕の言葉を疑うみたいに眉間に皺を寄せている。そんな犬塚に僕は指を一本立ててみせた。猿千村のルールについて犬塚が説明したときみたいに。
「ひとつめは、特別措置を適用させるやり方」
これが犬塚発案のやり方だ。犬塚が護家の人間としてまた認められるために、村に戻るやり方。護家の人間が揃っていれば、よそ者の僕でも殺されないから。
一週間前の時点では、犬塚は自分が今もまだ護家の人間として認められていると思っていた。そう考えたからこそ村に留まることを決めたのだ。
自分が護家の人間で、ほかの護家も揃っているから、下手に村を出ようとして妨害に遭うリスクを取るよりも七日間滞在するほうが安全だと考えた。
だが実情は違った。安全などではなかった。
昨日、村の【なにか】が僕の前に現れ、よそ者として排除しようとしたのだ。
村を出た犬塚はまだ村人とは認識されているものの、もう護家の人間とは認識されてはいなかった。となると、護家が揃っていないことになる。村に立ち入ってしまったよそ者が、春彼岸の間村に留まることで村人として扱われるという特例が、今年の春彼岸には適用されないということだ。
「このやり方だと、犬塚はまたこの村に戻ってこないといけない。でも僕は犬塚と東京に帰りたい」
「それは……それは俺だってそうだけど、でも仕方ないだろ?」
「仕方なくない。助かるにはもうひとつやり方がある」
そこで僕は一呼吸置いた。犬塚の目を見ながら言う。
「僕がこの村の人間になればいいんだ」
そう。これこそがもうひとつの方法。
わざわざ特別措置を適用させる必要なんかない。もっとずっと単純なやり方で回避することができるのだ。
当たり前だけど、村の人間なら村の中にいてもまったく問題ない。
だったら村人になればいい。ただそれだけ。
犬塚は呆気に取られたようにぽかんと丸く口を開けた。予想外の方法だったんだろう。
「いや……そりゃそうだけど、保科は村の人間じゃないだろ。なるって言ってなれるものじゃない」
犬塚の言う通り、僕は村の人間じゃない。間違いなく、東京生まれ、東京育ちの東京都民だ。現在進行形で。猿千村とは縁もゆかりもない。
──だけど、猿千村の村人になるのだ。ならないといけない。
「そもそもなんだけど、なにをもって村人だって言えるんだ? 村人の基準って実は結構あいまいなんじゃないかと思うんだよ」
「あいまいもなにも、村人は村人だろ? 基準なんか……」
「犬塚は一年前に村を出た。住民票だって移したはずだ。でも、今もまだ【なにか】は村の人間だと思ってる。認識してる。──ってことは、猿千村に今現在住んでるかどうかだけじゃ決まらないんだよ」
そう言うと犬塚は難しい顔で首を捻り始め、やがて言った。
「……去年結婚して、隣の県に引っ越した人がいる。その人は今春彼岸で猿千村に里帰りしてきてる。でも、殺されたり行方不明になったりはしてない。護家が揃ってるからだと思って気にしてなかったが……ただ村の人間だから村にいても許されてるのか」
「そう。現住所は重要じゃないんだ。どこに住んでいても村の人間のままって、犬塚にとったら最悪なことかもしれないけど、裏を返せば東京に住んでる僕でも村の人間として認められる余地があるってことじゃないか?」
村の人間は村の人間のまま。それは大井さんも言っていたことだ。
犬塚のように進学で引っ越したり、結婚に伴って転居することは往々にしてある。それでも村の人間であることにかわりはない。
「……それは違うだろ。元々ここに住んでた俺と、一週間前に初めて来た保科とじゃ条件が違い過ぎる」
「じゃあ犬塚はなにが基準だと思うんだ?」
「住所じゃないなら──……そうだな、村に住んでた年数じゃないか? いや、でも、三月のあたまに村に引っ越してきて、二週間かそこらで春彼岸が来た人もいるしな。三月生まれの赤ちゃんとか……そういう人たちの身には、なにも起こらなかったな」
「引っ越してきたばかりの人でも、殺されたりはしてないって大井さんも言ってたんだ。だからどれだけ住んでたかはたぶん関係ないと思う」
住んでいた年数じゃない。現住所でもない。じゃあなにが基準なんだ?
大井さんと僕でそのことについて話し合い、やがてひとつの結論に辿り着いた。
「これを満たせば村人として合格──みたいなはっきりした基準は、ひょっとしたらないのかもしれないっていうのが僕の考え。僕っていうか、僕と大井さんのだけど」
「基準がないってことはないんじゃないか? いくらなんでも」
「ないとは言い切れないだろ。とにかく【なにか】が僕のことを村の人間だって認めさえすればいいんだよ」
「……要は【なにか】の一存で決まるってことか?」
「そういうこと」
半信半疑の顔で唸る犬塚に僕は負けじと畳みかけた。
「住んでた年数でもなく、今の住所でもなく、ほかの理由で僕が村の人間だって【なにか】に認めさせるんだよ。明確な基準がないならつけ入るチャンスがある」
引っ越してきたばかりの人でも、生まれたばかりの赤ちゃんでも、村を出て住民票を移しても、【なにか】が認めさえすればもう村の住民なのだ。客観的な基準なんてものがないとすれば僕にもまだチャンスがある。
そもそもこの考え方が合っているかどうかはわからない。でも、なにもしないでいてもどうせ殺されるだけなんだ。だったら思いついたことはなんでもやってみないともったいない。だめで元々、うまくいったらラッキー。それだけだ。
「……なにかほかのって言われてもな」
「村の人らしいことをして過ごしてれば、村の一員だって思うかもしれない。たとえば猿千村の郷土料理を食べるとか!」
「そんな料理はない」
「じゃあ、えっと、村の畑を村の人と一緒に耕すとか……」
「畑仕事は、お前何日か前に大井のじいさんのを手伝ってたろ。それでも村の人間とは認められなかったんだからだめだ」
「じゃあ──なにか村の人だけがやることってないのか? これができたら村の一員として認められるみたいなさ」
なんだっていいんだ。色々なことを手当たり次第に試してやってみよう。そう言って説得すると、犬塚はふと呟いた。

