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大井商店からの帰り道、犬塚は一言も口をきかなかった。ただずっと考え込んでいるような険しい顔をして、黙り込んでいた。
家に着いてからも同様で、やっぱり口を閉ざしたままだった。……あんな話を聞いたあとでは、話す気になれないのも仕方がないことだろう。だから僕も無理に話しかけようとはしなかった。
──かくいう僕も、楽しくおしゃべりしたい気分ではなくなっていたから、ちょうどよかったかもしれない。
このままでは、長くても僕の余命はあと二日。春彼岸の間に殺される運命からは逃れられそうにない。そんな絶体絶命の状況で話したいことなんて、ない。
犬塚は生き続けられるけど、この先も一生村の人間のまま。
よそ者の僕は、もうじき【なにか】に殺されて死ぬ。
寝る時間が迫ってくると、黙っていた犬塚が突然「提案がある」と言い出した。
眠っている間に【なにか】が現れるかもしれないから、今夜はふたり同じ部屋で、時間を決めて交代で寝ることにしようというものだ。どうしたって【なにか】に殺される運命は変えられないのにと思いつつも、僕は頷いてそうすることにした。
お互いに無言のまま布団を敷いて寝支度を始めると、犬塚がふいに言った。
「村に戻ろうと思う」
驚いて布団から手を離してしまい、綺麗に敷くことができなかった。足元でぐちゃっと皺の寄った掛け布団を直す気にもなれず、そのまま犬塚の顔を見る。
「戻る、って……」
「それですぐに俺がまた護家の人間として認められるようになるかはもちろんわからない。そうするって決めただけじゃまだ……それでもやるしかない。引っ越しの準備とか、村の役場で手続きなんかを進めて、俺がここに本気で戻ってくる気があるってことを証明するしかない。誠意を見せるんだ」
犬塚はてきぱきと手際よく自分の布団を敷きながら言った。
一時的に村に戻ると言っているのではない。東京の住まいを引き払い、再び猿千村で暮らすと言っているのだ。ずっと。
毅然とした態度で言う犬塚の顔を見て、犬塚は本気なんだとわかった。
「このままじゃどうしたってあと数日で保科が死ぬ」
「け、けど、犬塚はずっとこの村から出たかったんだろ? なのにまた戻るって、そんなの……僕のせいで……」
「俺は保科に恩返しがしたいだけだ」
僕のほうに近づいてきたかと思うと、足元でぐちゃぐちゃになっている布団を犬塚はきちんと敷き直した。そうしてから顔を上げて言う。
「保科と一緒に来ることにならなかったら、俺は絶対村には帰らなかった。じいちゃんには言われてたけど帰るつもりはなかった。もう自分は村の人間じゃないと思ってたし、関係ないと思ってたんだ。護家が揃ってないことで特別措置が利かなくなる分、村の人たちにしわ寄せが行くことはわかってたけど、そんなの関係ないって」
「……」
「もし今回帰ってなかったら、俺は死んでたはずだ。村の人間なのに村に帰らかったんだから、きまりを破ったことになる。──保科のおかげで俺の命は助かったんだ」
だからこれはその恩返しなんだと犬塚は話した。
「俺は保科に救われたんだよ」
仰々しい表現を使う犬塚に、僕は狼狽えながら犬塚を見た。
「救われたって、それはたまたまで……」
「命を救われたってだけじゃない。この村のことが好きだって保科が言ってくれて、俺の中にずっとあったわだかまりみたいなものが消えていったんだ」
犬塚はその場でおもむろに膝を折ったかと思うと、僕の足元にゆっくりと跪いた。遠い昔の、遠い国の騎士みたいに。まるで忠誠を誓うみたいに。服従するみたいに。
そうしたまま恭しく頭を垂れると犬塚の顔が僕の位置からは見えなくなってしまう。綺麗に揃った黒い襟足と逞しい肩、筋肉質な首筋だけが見える。
「──こんなこと言われても重いだろうけど。保科にとってはそんな大したことじゃないだろうし、救った自覚も全然ないだろうけどな」
真剣で忠実な声だった。もし僕が今この場で足を舐めろと言ったら本当に舐めかねないくらいに。
下を向いたままの相手に、僕はただおろおろとして犬塚を見下ろすことしかできなかった。こんな真似、同じクラスの同級生にすることじゃない。絶対。
「……っお、大袈裟だって……」
恥ずかしいやらおこがましいやらくすぐったいやら、どうしていいかわからないやらで、僕は屈みながら犬塚の肩を押しやった。すると犬塚は抵抗することなく顔を上げた。
膝に手をついて立ち上がりながら「それに」と犬塚は笑った。吹っ切れたみたいに爽やかな顔で。そのくせ寂しそうな顔で。
「どうせ一生村からは逃げられんのや、そのことがこれではっきりしたけんな。ほなけん、もう別に……どこ行っても変わらんやろ」
初めて聞く犬塚の方言が、苦しかった。聞きたくなかった。だって、それじゃもう猿千村に戻ってまた暮らすことがもう決まったことみたいだから。
鼻の奥がつんと痛くなるのを感じながら、気づけば僕は犬塚の胸ぐらを力まかせに鷲掴みにしていた。両手にぐっと力を込めて引っ張り寄せる。掌の中でシャツの襟が皺くちゃになって、手汗が染み込んでいく。今すぐなにか言わないといけないのに、考え直せと説得したいのに、ふざけるなよと叱り飛ばしたいのに、言葉が出てこない。なんでこうなるんだよ。なんなんだよ、もう。
犬塚はなにも言わずに、ただ僕を見て微笑んでいるだけだった。

