因習と春一番


 ◇◇◇


 大井商店の売り場を通り抜けて、その奥の畳敷きの部屋へと通された僕たちは、なにがあったのか事の顛末を洗いざらい話した。

 こうして話をしている間にも、また【なにか】が現れるんじゃないかと思うと気が気じゃない。小さな物音にもびくびくとして何度も後ろを振り返って確認してしまう。けれど、すべて話し終えてからも、【なにか】が再び僕の前に現れることはなかった。

「──……ハシバさんのところのおじさんがまだ帰ってきてないって、ショーマから聞いたけど。連絡も取れないって」

 大井さんから距離を取るように離れたところに座った犬塚は、硬い表情でさきほど聞いたばかりの話を口にした。

「あんたは知ってたのか」
「知っとった」
「なんで俺たちに黙ってたんだよ」
「ただの事故か事件かなんかに巻き込まれて、連絡取れんだけかもしれんしな。確証のない話してもしゃあないけん、村でも一部の人間しか知らんわ」

 大井さんはたまたま大井商店に買い物に来ていたハシバ家の住人から話を聞いたんだという。

「ただの事故なわけないだろ。今は春彼岸なんだぞ」

 淡々とした様子で答える大井さんに犬塚は苛々と声を荒げて噛みついた。
 顔も見たことのない、どんな漢字で名前を書くのかもわからない、ハシバさんという人。ハシバさんは不運なことに事故や事件に巻き込まれたのか、あるいは──。

 実際になにがあったのかはわからない。けど、時期が時期だ。猿千村の因習とまったくの無関係だとはさすがに考えにくい。

「騒いで下手に刺激して【なにか】を怒らせることになるんも怖かった。ほなけん、なんもないみたいに、いつも通りにしとったけど……そのせいで怖い目に遭わせてしもたな」

 座卓の前に座った大井さんは横目にこちらを見ると、仏頂面に罪悪感と申し訳なさそうな表情を滲ませた。

「……どう転ぶか、わしらにもわからなんだ。護家の人間が村を出たことは今までいっぺんもなかったけんな。わしの知る限りお前が初めてや。けど──これではっきりしたな」
「どういうことだよ」

 話が見えない。僕と犬塚は顔を見合わせた。

「ハシバのところは行方知れずで、春一、お前の前には【なにか】が現れた」

 大井さんは僕を見て、それから犬塚のほうを見た。

「お前は村を出た。ほなけんもう護家の人間とは認められんようになった。ただそれだけの話や」

 ──護家の人間とは認められなくなった。
 唖然とする僕らを前に、大井さんは順を追ってこれまでのことを話した。

 事の発端は一年以上前までさかのぼる。護家の人間である犬塚が、村を出たいと言い出したのがすべての始まりだ。
 護家の人間は皆猿千村で生涯を全うするのが習わしだった。いくら時代が変わったとはいえ、護家の者が村を出ていくという異例の事態に村の人たちは頭を悩ませた。

 護家の人間が村を離れたらどうなるのか、どういう扱いになるのか、なにが起こるのか、村の誰にもわからなかった。村を離れただけで【なにか】の逆鱗に触れるのではと危惧する人もいた。犬塚の祖父は本人の意志を尊重したいと言って送り出したが、ほかの村人のなかには行かせるべきではないと断固主張する者も少なくなかったという。

 彼らの心配をよそに、一年は無事に過ぎていった。

 そしてまた春がやってくる。忌まわしい春が。

 春彼岸の前日に、犬塚は村に戻ってきた。よそ者を連れて。

 一度村を出た護家の犬塚が再び村に戻ってきたことで、なにが起こるのか誰にもわからなかった。【なにか】がどう動くのか。

 結果、どうなったか。

 春彼岸に間に合わなかったハシバさんは行方不明になり、春彼岸に村に入ったよそ者の僕の前には【なにか】が現れた。

 これらの事実から導き出される結論は──つまり、犬塚は護家の人間とはみなされず、特別措置は適用されなかったということだ。 

「なんも驚くことなんかないやろ。お前、東京の学校行って自分はもう村の人間ちゃうつもりやったんやろ? ほなけん春彼岸にも帰ってこんつもりやった。帰らんでもええと思とったからやろ」
「だ……だけど、護家は護家だろ。村を出ようが俺は犬塚の名前のままだし、護家の人間であることにかわりはないんじゃ……」
「なんでかわりないって言いきれるんな。お前が出てってからどんぐらい経った? 一年か? 一年経ったらなんもかんもかわるやろ。護家の人間は村出たら終わりなんや」

 大井さんは間をあけずに話し続けた。

「村には帰ってこんつもりやったくせに、東京に戻れんようになったらなったでまた村に受け入れてもらえる思とったんか、お前は。それは甘いやろ。どっちつかずや」
「俺には俺の好きな場所で自由に生きる権利が──」
「なんもかんも都合よぉに行くかいな。おとぎ話ちゃうんやから」

 大井さんの辛辣な言葉に、犬塚は納得いかない様子だったが、それ以上反論することはなく唇を強く噛んだ。

 大井さんの話はそれだけでは終わらなかった。駄目押しに「気づいとらんのけ」と言い、犬塚は怪訝な顔をした。

「気づいてないって、なにが……」
「お前はもう護家の人間とは認められんようになったけど、()()()()()()()()()()()()()()。皮肉なもんやな、ほなけんお前の前に【なにか】は現れんのや」

 その瞬間、時間が止まったように感じた。
 そうだ──特別措置が適用されないなら、よそ者は皆例外なく殺されるはず。なのに【なにか】は僕の前にだけ現れて、犬塚が来ると姿を消してしまった。
 ということは──。

「猿千村で生まれ育った人間が、村を出た例が過去にないわけやない。護家の人間以外やけどな。ほなけど、春彼岸には毎年帰ってきよったで。村の人間は春彼岸は村におらなあかん。猿千村で生まれたもんは一生そうせなあかんのや。こればっかりはどうにもならん」
「は──……はぁ!? そんなわけないだろ!」

 犬塚は理解できないとばかりに首を振り、大井さんに詰め寄った。

「タキノさんのところの一番上の兄ちゃんだって、何年か前に東京に行った。親には反対されてるって言ってたけど、でも家出するみたいにして出て行った。それから村には一度も帰ってきてないだろ!」
()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 大声を出す犬塚に対し、大井さんの声は静かだった。

「ニイヤマの末の娘も、ミシマの倅も、カヤマの次男坊も。春には帰ってこいって言うたのに。出て行くなとは言うとらん。帰ってこいって」

 村を出た以上、犬塚はもう自分は村の人間ではなくなったと思っていた。
 と同時に、犬塚家に生まれた以上は護家の人間であることに変わりはないとも思っていた。

 ──()()()()()()。護家の役割はその村に永く住み続け、村を守ること。その役割を放棄した以上はもう護家の人間ではない。【なにか】はそんな人間を尊重しない。
 だが一方で、村で生まれ育った人間はどこへ行こうとなにをしようと村の人間なのだ。それは変わらない。揺るがない。

 犬塚の叔父さんが事故に遭ったのも、村の人たちが護家である犬塚を村に留めようとしてそうしたのだと思っていた。護家が揃っていれば、特別措置が適用されて、ルールが緩和されるから。そう思っていた。

 けど、本当はそうじゃなかったのかもしれない。
 村の人たちは犬塚を守ろうとしていたのかもしれない。村から帰してしまったら、未だ村の人間である犬塚が春彼岸に村を離れたら、殺されてしまうから。

 大井さんと同じように、ほかの村の人たちもどう転ぶか正確には予測できなかっただろう。護家の人間が村を出たのは犬塚が初めてだったとしたら、結果は誰にもわからない。けど、少なくとも村に住んでいた普通の家の人たちは、村を出てもなお村の人間として扱われていた。それはたしかだから、犬塚にも当てはまると考えたとしても不思議はない。

「春彼岸には戻ってこいって、じいさんになんべんもなんべんも言われたやろ」

 ──あぁ、そうか。あのときの違和感の正体はこれだったんだ。今になって気がつく。
 犬塚が初めて両親のことを話してくれた日。座敷でなぜだか犬塚に膝枕をすることになったあの日。犬塚は、村を出るときに今は亡き祖父からあることを言われたと話していた。

 ──じいちゃんからは春彼岸には必ず村に戻るように言われてた。しつこいくらいにな。

 あのときは違和感を覚えるだけで、その理由にまでは辿りつけなかった。
 違和感を覚えたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。村の人間でなくなるなら、むしろ春彼岸の期間は村に近づいてはいけないのに。
 犬塚の祖父はこうなることを知っていた。村を出たところで村の人間のままであることを。犬塚が【なにか】の魔の手から逃れるには、春彼岸を猿千村で過ごさなければならないことを──。

 じゃあ、知っていたなら、どうしてそんなに大切なことをおじいさんは犬塚にちゃんと教えておかなかったんだろう。ただ春に戻ってこいと言うだけで、なぜはっきりと説明しておかなかったんだろう。
 それはたぶん──言いたくても言えなかったんじゃないだろうか。

「村から出たってな、お前は一生村の人間のまんまじゃ。一生な」

 それが犬塚にとってどれだけ残酷な言葉なのか、大井さんはきっとわかっていた。わかったうえであえてはっきり言ったんだと思う。
 犬塚のおじいさんが言いたくても言えなかったことを、我が子のように育ててきた孫を傷つけたくなくて悲しませたくなくて言えなかったことを、かわりに。

「……べつにそんな難しい話ちゃうやろ。一年に一回、春に戻ってくるだけなんやけんな」

 それで死なんで済むんやったらやすいもんやろ、と大井さんは顔を俯けたまま言った。