五日目。
一日に一度は犬塚と一緒に散歩に行くのが日課になっていた。ランニングは勘弁してほしいけど、スローペースなウォーキングなら大歓迎だ。……ちょっとずつ僕を運動に慣れさせていって、最終的にはバレー部に入部させることが犬塚の真の目的なのかもしれないけど。いや、いくらなんでもそれは考え過ぎか? バレー部には入部しないって何回も言ってあるし、さすがにもう諦めただろう。
写真は充分過ぎるくらいに撮ったし、カメラは荷物になるので散歩には持っていかない。カメラを持たなくても、写真に撮らなくても、春の訪れを待つ美しい集落のなかを歩くのは楽しい。
「──教室で保科が猿千村の話してんの聞いたときはぎょっとしたな。この村にある滝なんてよく見つけたと思う、俺でさえ忘れかけてたのに」
のんびりと土手を歩きながら犬塚が言う。
──昨日のちょっと気まずい感じの出来事には、お互い触れないままだ。あのあとランニングから戻った犬塚は普段通りだったし、もはや習慣になりつつある散歩にもいつも通りに行くことになった。
川沿いのこの道は見晴らしもいいし、道も平坦で、犬の散歩やウォーキングには持ってこいだと思うけど、僕ら以外に歩いている人はいない。
あたりを見渡してみても、今日もやっぱり集落にはまったくと言っていいほど人の姿はない。村のはずれにあるという集会所に皆集まっているんだろう。
五日もここにいれば、大井さんとショーマ以外の村の人も少しは見かけるようになった。日中はほとんどの人が集会所に集まっているとはいえ、夜になればそれぞれの家に帰る。集会所からの帰り道と思しき人が歩いているのが、日暮れが近い夕方頃になると見られる。
「それも、よりによって彼岸入りの直前に行こうとしてるんだからな。タイミングが悪過ぎる。話に無理やり割り込んででも止めたくなるだろ」
「お前が僕を止めようとしてたのはそういう理由だったんだな。ぎょっとしたのはこっちも同じだっつの、いきなりやって来て行くのはやめたほうがいいって、なんだそりゃってふつうなるだろ」
「俺もテンパってて、とにかく止めないとって必死だったんだよ」
今となっては犬塚の焦りや必死さがよく理解できるけど、当時は本当に意味不明だったのだ。三河も首を捻りまくってたし。
「なんとかお前が自分から帰るって言い出すように仕向けられないかと思って、それでわざときつい道を紹介したんだ。こんなに大変ならやっぱり帰るって言い出すようにな」
「それであんなルートだったのかよ……」
「この道のほうが早く着くって言えば、保科はそっちを選ぶだろうって」
どおりで過酷だったわけだ。自分で選んだつもりだったのに、その実犬塚に誘導されていたとは。
恐ろしく大変だった往路の山道を思い出し、うんざりとした心地になりながらため息を吐き出す。
「東京戻ったらなんか奢れよな」
「奢る奢る。悪かったって」
犬塚は苦笑しながらそう謝罪した。口約束で済ませてなるものか。絶対に約束を守らせてやる。無事に戻ったら、必ず学校の近くのファミレスで一番高いものを奢らせてやる。ステーキとか。絶対にだ。
犬塚は前を向いて歩きながら、でも、と言った。
「でも結局、お前は最後まで登りきった。ぜぇぜぇ言いながら、それでもやり遂げたんだ。毎日部活で走ってる俺でもめちゃくちゃきつかったのに」
「……全然きつそうには見えなかったけどな」
意外な気分で犬塚の話を聞く。あの獣道のような傾斜のきつい山道を登っているとき、犬塚は飄々とした顔をしているように見えたし、僕とは違って辛くも苦しくもないように見えた。けれど、犬塚は犬塚で疲労を顔に出さないようにぐっと耐えていたのかもしれない。
「昨日も言ったが、保科は根性あると思う。真面目に」
お世辞で言われているのかもしれないけど、お世辞でも褒められれば嬉しい。それも毎日ハードな練習をこなしているバレー部の犬塚に根性があると言われたら、認められたら、めちゃくちゃ嬉しいに決まってる。
内心僕がガッツポーズをしたいくらい喜んでいることがばれないように、平静を装って「そうかぁ?」と素知らぬ顔でとぼけておく。
「結構歩いたけど、そろそろ帰るか?」
「そうするか──あ、犬塚。向こうにはなにがあるんんだ?」
土手を端まで歩いたところで折り返そうとしたとき、僕は集落の一角を指差して言った。犬塚の家から見て西の方角、そのあたりには民家やそのほかの建物もなく、こんもりと盛り上がった小さな森のようなものが見えるだけだ。
「あっちのほうってはあんまり行ったことなかったからさ」
「向こうにあるのは……」
猿千村の、少なくとも集落があるあたりはもう端から端まで歩いていると思っていたが、まだ行ったことのない場所があることに気がついた。猿千村に滞在する期間も残りあと二日となったし、村の範囲内なら行ってみたい。
犬塚はちょっと言い淀むように言葉を濁したが、やがて「行ってみるか」と呟いた。
一日に一度は犬塚と一緒に散歩に行くのが日課になっていた。ランニングは勘弁してほしいけど、スローペースなウォーキングなら大歓迎だ。……ちょっとずつ僕を運動に慣れさせていって、最終的にはバレー部に入部させることが犬塚の真の目的なのかもしれないけど。いや、いくらなんでもそれは考え過ぎか? バレー部には入部しないって何回も言ってあるし、さすがにもう諦めただろう。
写真は充分過ぎるくらいに撮ったし、カメラは荷物になるので散歩には持っていかない。カメラを持たなくても、写真に撮らなくても、春の訪れを待つ美しい集落のなかを歩くのは楽しい。
「──教室で保科が猿千村の話してんの聞いたときはぎょっとしたな。この村にある滝なんてよく見つけたと思う、俺でさえ忘れかけてたのに」
のんびりと土手を歩きながら犬塚が言う。
──昨日のちょっと気まずい感じの出来事には、お互い触れないままだ。あのあとランニングから戻った犬塚は普段通りだったし、もはや習慣になりつつある散歩にもいつも通りに行くことになった。
川沿いのこの道は見晴らしもいいし、道も平坦で、犬の散歩やウォーキングには持ってこいだと思うけど、僕ら以外に歩いている人はいない。
あたりを見渡してみても、今日もやっぱり集落にはまったくと言っていいほど人の姿はない。村のはずれにあるという集会所に皆集まっているんだろう。
五日もここにいれば、大井さんとショーマ以外の村の人も少しは見かけるようになった。日中はほとんどの人が集会所に集まっているとはいえ、夜になればそれぞれの家に帰る。集会所からの帰り道と思しき人が歩いているのが、日暮れが近い夕方頃になると見られる。
「それも、よりによって彼岸入りの直前に行こうとしてるんだからな。タイミングが悪過ぎる。話に無理やり割り込んででも止めたくなるだろ」
「お前が僕を止めようとしてたのはそういう理由だったんだな。ぎょっとしたのはこっちも同じだっつの、いきなりやって来て行くのはやめたほうがいいって、なんだそりゃってふつうなるだろ」
「俺もテンパってて、とにかく止めないとって必死だったんだよ」
今となっては犬塚の焦りや必死さがよく理解できるけど、当時は本当に意味不明だったのだ。三河も首を捻りまくってたし。
「なんとかお前が自分から帰るって言い出すように仕向けられないかと思って、それでわざときつい道を紹介したんだ。こんなに大変ならやっぱり帰るって言い出すようにな」
「それであんなルートだったのかよ……」
「この道のほうが早く着くって言えば、保科はそっちを選ぶだろうって」
どおりで過酷だったわけだ。自分で選んだつもりだったのに、その実犬塚に誘導されていたとは。
恐ろしく大変だった往路の山道を思い出し、うんざりとした心地になりながらため息を吐き出す。
「東京戻ったらなんか奢れよな」
「奢る奢る。悪かったって」
犬塚は苦笑しながらそう謝罪した。口約束で済ませてなるものか。絶対に約束を守らせてやる。無事に戻ったら、必ず学校の近くのファミレスで一番高いものを奢らせてやる。ステーキとか。絶対にだ。
犬塚は前を向いて歩きながら、でも、と言った。
「でも結局、お前は最後まで登りきった。ぜぇぜぇ言いながら、それでもやり遂げたんだ。毎日部活で走ってる俺でもめちゃくちゃきつかったのに」
「……全然きつそうには見えなかったけどな」
意外な気分で犬塚の話を聞く。あの獣道のような傾斜のきつい山道を登っているとき、犬塚は飄々とした顔をしているように見えたし、僕とは違って辛くも苦しくもないように見えた。けれど、犬塚は犬塚で疲労を顔に出さないようにぐっと耐えていたのかもしれない。
「昨日も言ったが、保科は根性あると思う。真面目に」
お世辞で言われているのかもしれないけど、お世辞でも褒められれば嬉しい。それも毎日ハードな練習をこなしているバレー部の犬塚に根性があると言われたら、認められたら、めちゃくちゃ嬉しいに決まってる。
内心僕がガッツポーズをしたいくらい喜んでいることがばれないように、平静を装って「そうかぁ?」と素知らぬ顔でとぼけておく。
「結構歩いたけど、そろそろ帰るか?」
「そうするか──あ、犬塚。向こうにはなにがあるんんだ?」
土手を端まで歩いたところで折り返そうとしたとき、僕は集落の一角を指差して言った。犬塚の家から見て西の方角、そのあたりには民家やそのほかの建物もなく、こんもりと盛り上がった小さな森のようなものが見えるだけだ。
「あっちのほうってはあんまり行ったことなかったからさ」
「向こうにあるのは……」
猿千村の、少なくとも集落があるあたりはもう端から端まで歩いていると思っていたが、まだ行ったことのない場所があることに気がついた。猿千村に滞在する期間も残りあと二日となったし、村の範囲内なら行ってみたい。
犬塚はちょっと言い淀むように言葉を濁したが、やがて「行ってみるか」と呟いた。

