──で、なんでこうなるんだよ。
「保科、早くしないと今日中に着けなくなるぞ。乗り継ぎミスったら終わりだからな」
駅のホームに降り立つと、犬塚は黒のベースボールキャップを被り直し、てきぱきと指示を出した。手には乗り継ぎを確認するためのスマホ。歩きやすそうなスニーカーとアウトドアブランドのリュック。犬塚と学校以外で顔を合わせるのも初めてなら、私服姿を見るのもこれが初めてだ。
──これから部活の合宿か、はたまた他校との練習試合にでも行くかのようだ。休日に友達と遊びに行くという雰囲気ではない。引率者として、無駄なく円滑に目的地へ僕を行くことだけを考えているように見える。
「猿千村行きのバスは一日一本。これに乗れなかったら諦めて東京に帰るしかない。ほら、行こう」
「……だからなんで犬塚が仕切ってるんだよ……」
ついぶつくさと文句を言いたくなるが、遠征慣れしているのか犬塚の堂に入ったリーダーぶりに、自然と身体がつき従ってしまう。犬塚のあとについて僕は渋々歩き始めた。
乗り換えのために降りたその駅は閑散としていて、僕たち以外には地元の住民らしい人影がちらほらと見えるだけだった。線路の向こうは緑が多く、牧歌的な雰囲気が漂っている。
──なぜこうして犬塚とふたりで猿千村へ行くことになったかと言うと、話はあの日の放課後まで遡る。
あのあとすぐに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、結論が出ないままに各々の席へ戻ることになった。犬塚のほうは見ないようにしながら、もやもやとした消化不良の気持ちを抱えたまま残りの授業を受け、さっさと帰ろうとしたときだった。
僕の席まで近づいてきた犬塚は、昼休みの件について謝りたいと言った。
ごめんと真摯な態度で頭を下げる犬塚に溜飲が下がり、こっちこそごめん、と気づけば同じように謝罪していた。
犬塚がどうして突然あんな風に難癖をつけるようなまねをしたのかは今もわからないままだ。でも、たまたま虫の居所が悪かったのかもしれないし、昼飯が少なくて不満だったのかもしれないし、生きていればまぁそういう日もあるだろう。
そうしてわだかまりはなくなり、これにて一件落着──と、なるはずだったのだが。
犬塚は謝罪を終えるや否や、一息つく暇もなく、まったく予想していなかった提案を口にした。
「猿千村に行くなら、俺も一緒に行く。土地勘があるから案内できると思う」
行くのをやめろと言ったかと思えば、今度はついて行くと言う。犬塚の訳のわからない言動に僕の混乱はピークに達した。
ひとりで行けるから大丈夫だと何度言っても犬塚は断固として譲ろうとしなかった。あの辺りは山奥だし、初めて行くなら誰かがついて行ったほうが絶対にいいと言う。
行き方は調べてあるとはいえ、初めて行く土地だということに変わりはない。出典も定かでないネットの情報だけを頼りに行くのはたしかに危険だ。
電波もろくに入らない山の中で道に迷ってしまったらきっと悲惨なことになる。街中で迷子になるのとは訳が違う。道案内をしてもらえるのなら、正直ありがたいけど──。
そうして、結局悩んだ末に、僕は犬塚の提案に頷いたのだった。
「バスに乗り遅れたって、徒歩でもヒッチハイクしてでも絶対に行くからな、僕は」
「あんな山奥じゃろくに車も通らないからヒッチハイクは無理だろうな。諦めろ」
「嫌だ。諦めない。逆になんで犬塚はそんなに諦めさせたいんだよ」
「……べつに」
改札口を目指してふたりで階段をのぼりながら言い合いをする。昼休みの教室でいきなり話に割り込んできたときと変わらず、犬塚はやはり猿千村へ行くことには反対らしい。
まだまだ先は長い。旅のゴールである猿千村は遠く、電車もあとひとつ乗り換える必要があるし、バスにも乗らないといけない。
たいして親しくもないクラスメイトとふたりきりの珍道中。ったくなんでこうなるんだよ、と今日何度目かになる悪態をつく。
三河も来ることができたらよかったのに。犬塚とふたりきりではさすがに気まずいと、友人にも声をかけたものの、「田舎の滝見に行くより渋谷行きたいし」とあっさり断られてしまった。
「次の電車乗ったら降りるまでしばらくかかるから、飲み物とか軽食とか買い足すなら今の内だぞ。売店がそこにある」
犬塚は改札の横にひっそりと佇む売店を指してみせた。
土地勘があるという話はでたらめではなかったようで、たしかに犬塚はここまで見事なガイドぶりを発揮していた。聞いたこともない駅の構内もスイスイ進んでいくし、乗り換えもスムーズ。売店の場所まで把握している。スマホで事前に下調べをしただけではここまで順調には来られないだろう。
実際に何度か来たことがあるのでは、と思わせる足取りだった。
売店でミネラルウォーターとパン、ついでにスナック菓子を買い、再び犬塚のもとへ戻る。
乗り換える路線のホームへ向かいながらふと思い、僕は犬塚に向かって声をかけた。
「そういや、帰りはどうするんだ?」
「帰りはちょうどいい時間のバスがなかったから、叔父に頼んで迎えにきてもらうことにした」
「叔父?」
「あぁ。村がある山の麓辺りに住んでるんだ」
「だからこの辺の土地勘があるのか」
家族で親戚の家を訪ねるときに、この辺りの駅を使ったことがあるのかもしれない。そう思って尋ねると、犬塚は顔を逸らしながら「だいだいそんな感じだな」と曖昧に頷いた。
「村の近くから最寄りの駅まで車で送ってもらえるから、行きよりは楽に帰れるぞ」
どことなくよそよそしい犬塚の態度に、それ以上追及することが躊躇われて口を噤む。
「……」
無言のまま歩き続けてホームに降りる。気まずい沈黙を持て余しながら辺りを見渡すと、ふと線路の向こうに小川が流れているのが見えた。
菜の花が水際に咲き、穏やかな川の流れとあいまってなんともうららかな雰囲気だ。
これは撮らずにはいられない。
「犬塚、犬塚。あそこの小川、いい感じじゃないか? 一回改札出て、ちょっと撮ってくるから──」
「間に合わなくなるって言ってるだろ。大人しくここで待ってろ」
カメラを持って駆け出そうとした瞬間、ぐっと後ろから引っ張られ、立ち止まらざるをえなくなる。犬塚にトレーナーの後ろ襟を掴まれたのだ。
喉が締まって、ぐえ、と踏みつぶされたカエルの悲鳴みたいな声がもれる。
手を離し、涼しい顔をして腕時計で時刻を確認し始める犬塚に、喉をさすりながら涙目になって恨みがましい視線を送る。
クラスの女子たちは口を揃えて「犬塚くんって優しいよねー」なんて言うけど、全然優しくないし、厳しいし、頑固なところもあるようだ。女子たちにそう忠告したってどうせ信じてはもらえないだろうけど。
ただただ真面目なバレー男子だと思っていたけど、どうもその印象は誤りだったようだ。
「保科、早くしないと今日中に着けなくなるぞ。乗り継ぎミスったら終わりだからな」
駅のホームに降り立つと、犬塚は黒のベースボールキャップを被り直し、てきぱきと指示を出した。手には乗り継ぎを確認するためのスマホ。歩きやすそうなスニーカーとアウトドアブランドのリュック。犬塚と学校以外で顔を合わせるのも初めてなら、私服姿を見るのもこれが初めてだ。
──これから部活の合宿か、はたまた他校との練習試合にでも行くかのようだ。休日に友達と遊びに行くという雰囲気ではない。引率者として、無駄なく円滑に目的地へ僕を行くことだけを考えているように見える。
「猿千村行きのバスは一日一本。これに乗れなかったら諦めて東京に帰るしかない。ほら、行こう」
「……だからなんで犬塚が仕切ってるんだよ……」
ついぶつくさと文句を言いたくなるが、遠征慣れしているのか犬塚の堂に入ったリーダーぶりに、自然と身体がつき従ってしまう。犬塚のあとについて僕は渋々歩き始めた。
乗り換えのために降りたその駅は閑散としていて、僕たち以外には地元の住民らしい人影がちらほらと見えるだけだった。線路の向こうは緑が多く、牧歌的な雰囲気が漂っている。
──なぜこうして犬塚とふたりで猿千村へ行くことになったかと言うと、話はあの日の放課後まで遡る。
あのあとすぐに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、結論が出ないままに各々の席へ戻ることになった。犬塚のほうは見ないようにしながら、もやもやとした消化不良の気持ちを抱えたまま残りの授業を受け、さっさと帰ろうとしたときだった。
僕の席まで近づいてきた犬塚は、昼休みの件について謝りたいと言った。
ごめんと真摯な態度で頭を下げる犬塚に溜飲が下がり、こっちこそごめん、と気づけば同じように謝罪していた。
犬塚がどうして突然あんな風に難癖をつけるようなまねをしたのかは今もわからないままだ。でも、たまたま虫の居所が悪かったのかもしれないし、昼飯が少なくて不満だったのかもしれないし、生きていればまぁそういう日もあるだろう。
そうしてわだかまりはなくなり、これにて一件落着──と、なるはずだったのだが。
犬塚は謝罪を終えるや否や、一息つく暇もなく、まったく予想していなかった提案を口にした。
「猿千村に行くなら、俺も一緒に行く。土地勘があるから案内できると思う」
行くのをやめろと言ったかと思えば、今度はついて行くと言う。犬塚の訳のわからない言動に僕の混乱はピークに達した。
ひとりで行けるから大丈夫だと何度言っても犬塚は断固として譲ろうとしなかった。あの辺りは山奥だし、初めて行くなら誰かがついて行ったほうが絶対にいいと言う。
行き方は調べてあるとはいえ、初めて行く土地だということに変わりはない。出典も定かでないネットの情報だけを頼りに行くのはたしかに危険だ。
電波もろくに入らない山の中で道に迷ってしまったらきっと悲惨なことになる。街中で迷子になるのとは訳が違う。道案内をしてもらえるのなら、正直ありがたいけど──。
そうして、結局悩んだ末に、僕は犬塚の提案に頷いたのだった。
「バスに乗り遅れたって、徒歩でもヒッチハイクしてでも絶対に行くからな、僕は」
「あんな山奥じゃろくに車も通らないからヒッチハイクは無理だろうな。諦めろ」
「嫌だ。諦めない。逆になんで犬塚はそんなに諦めさせたいんだよ」
「……べつに」
改札口を目指してふたりで階段をのぼりながら言い合いをする。昼休みの教室でいきなり話に割り込んできたときと変わらず、犬塚はやはり猿千村へ行くことには反対らしい。
まだまだ先は長い。旅のゴールである猿千村は遠く、電車もあとひとつ乗り換える必要があるし、バスにも乗らないといけない。
たいして親しくもないクラスメイトとふたりきりの珍道中。ったくなんでこうなるんだよ、と今日何度目かになる悪態をつく。
三河も来ることができたらよかったのに。犬塚とふたりきりではさすがに気まずいと、友人にも声をかけたものの、「田舎の滝見に行くより渋谷行きたいし」とあっさり断られてしまった。
「次の電車乗ったら降りるまでしばらくかかるから、飲み物とか軽食とか買い足すなら今の内だぞ。売店がそこにある」
犬塚は改札の横にひっそりと佇む売店を指してみせた。
土地勘があるという話はでたらめではなかったようで、たしかに犬塚はここまで見事なガイドぶりを発揮していた。聞いたこともない駅の構内もスイスイ進んでいくし、乗り換えもスムーズ。売店の場所まで把握している。スマホで事前に下調べをしただけではここまで順調には来られないだろう。
実際に何度か来たことがあるのでは、と思わせる足取りだった。
売店でミネラルウォーターとパン、ついでにスナック菓子を買い、再び犬塚のもとへ戻る。
乗り換える路線のホームへ向かいながらふと思い、僕は犬塚に向かって声をかけた。
「そういや、帰りはどうするんだ?」
「帰りはちょうどいい時間のバスがなかったから、叔父に頼んで迎えにきてもらうことにした」
「叔父?」
「あぁ。村がある山の麓辺りに住んでるんだ」
「だからこの辺の土地勘があるのか」
家族で親戚の家を訪ねるときに、この辺りの駅を使ったことがあるのかもしれない。そう思って尋ねると、犬塚は顔を逸らしながら「だいだいそんな感じだな」と曖昧に頷いた。
「村の近くから最寄りの駅まで車で送ってもらえるから、行きよりは楽に帰れるぞ」
どことなくよそよそしい犬塚の態度に、それ以上追及することが躊躇われて口を噤む。
「……」
無言のまま歩き続けてホームに降りる。気まずい沈黙を持て余しながら辺りを見渡すと、ふと線路の向こうに小川が流れているのが見えた。
菜の花が水際に咲き、穏やかな川の流れとあいまってなんともうららかな雰囲気だ。
これは撮らずにはいられない。
「犬塚、犬塚。あそこの小川、いい感じじゃないか? 一回改札出て、ちょっと撮ってくるから──」
「間に合わなくなるって言ってるだろ。大人しくここで待ってろ」
カメラを持って駆け出そうとした瞬間、ぐっと後ろから引っ張られ、立ち止まらざるをえなくなる。犬塚にトレーナーの後ろ襟を掴まれたのだ。
喉が締まって、ぐえ、と踏みつぶされたカエルの悲鳴みたいな声がもれる。
手を離し、涼しい顔をして腕時計で時刻を確認し始める犬塚に、喉をさすりながら涙目になって恨みがましい視線を送る。
クラスの女子たちは口を揃えて「犬塚くんって優しいよねー」なんて言うけど、全然優しくないし、厳しいし、頑固なところもあるようだ。女子たちにそう忠告したってどうせ信じてはもらえないだろうけど。
ただただ真面目なバレー男子だと思っていたけど、どうもその印象は誤りだったようだ。

