因習と春一番


 ◇◇◇


 バッタ騒動が一段落したあと、僕らは午後まで各々で過ごした。

 うららかな春の陽射しの下、僕は窓を開けて読書をすることにした。読書といってもショーマが貸してくれたマンガの単行本を読むだけだけど。

 今読んでいるのは冒険ファンタジーで、全六巻。全部一気に読んでしまうと暇を持て余してしまうから、一日一冊だけと決めている。今日は折り返しの三巻目だ。

 三巻を読み終わって、四巻目に手を伸ばしたくなる気持ちをぐっと堪えて立ち上がる。そろそろ犬塚と昼食の相談をしなければ。
 僕は自分の部屋を後にして、犬塚を探しにいくことにした。

「犬塚ー?」

 返事はない。
 走りに行くのは朝夕の二回。朝のランニングは終えているし、夕方のランニングにはまだ早すぎる。どこかにひとりで出掛けたんだろうかと思いながら玄関に行ってみると、犬塚の靴はそこに並んであった。

 首を捻りながら洗面所のほうに行ってみるも、不在。廊下を移動して座敷を覗くと、そこに犬塚の姿があった。畳に横になっている。眠っているわけではないようで、瞼が開いているのを確認してから近づいていく。

「寝てたのか? 昼寝にはまだ早いだろ」
「ちょっと横になってぼんやりしてただけだ。ここに住んでたときのこと思い出したりな、ショーマとも庭でよく遊んだなとか……友達と友達の親戚が遊びにきて、ここでトランプしたこともあったなとか。保科は何してたんだ?」
「ショーマのマンガ読んでた。面白かったから犬塚も読めよ」

 寝転がった犬塚の大きな身体の隣に腰を下ろす。

「──今日で三日目だな」

 犬塚は仰向けで横になったまま、数えるように三本指を折ったあとでそう言った。

 僕らが猿千村を出られなくなってから早三日。少しずつだけどここでの暮らしにも慣れてきた。人間の適応能力を侮るなかれ、不便なことは色々とあるものの、思っていたよりも順調に日々は過ぎていた。

 僕たちの快適な暮らしは、ショーマと大井さんの協力によって成り立っていると言っても過言じゃない。
 大井さんは今日も顔を出してくれて、差し入れとともに必要なものはないかと尋ねてくれた。さすがに申し訳なくなって今度こそ代金を支払うと言ったけど、やっぱり受け取ってはもらえなかった。
 犬塚への態度は相変わらずだけど、大井さんなりに僕らのことを心配してくれているのだ。

「三河も心配してるかなー……」

 急に一週間も学校を休むことになったんだから、何事かと思っているかもしれない。

 ショーマがモバイルバッテリーを貸してくれたとはいえ、スマホのバッテリーを無駄遣いしないようにメッセージのやり取りはほどほどにしている。月曜日にやり取りをして、来週から学校に出ることを伝えてからは一度も連絡を取っていない。

「部活にも顔出せてないしさ。今日が今年度最後の活動だったのになぁ」
「学校戻ったら、部活の練習休みまくってたこと顧問から怒られそうだ」
「毎日ランニングはやってましたって言えば許してくれるんじゃないか? もし疑われたら僕も証言するからさ」

 朝と夕の二回、休まず犬塚が真面目に走っていることは知っている。必要とあらば証人としてサボっていたわけではないと説明するつもりだと力説すると、犬塚は面白そうに笑った。

「犬塚はさ、バレーは高校から始めたのか?」
「いや、中学からだ。って言っても村の学校なんか全然人もいないし、まともにバレーの試合なんてできなかったけど」

 それが今や強豪バレー部の次期エースとは大したものだ。中学生の頃からひとりでも自主練していたんだろう。それこそ毎朝毎晩走り込みをしていたのかもしれない。

「東京の高校に行くことにしたのは、もっとバレーがしたかったからとか?」
「それもある。でも一番は気味が悪かったからだ、この村のしきたりが」

 このぽかぽかとした陽気にも、庭の木を揺らす優しい春風にも似合わない、忌々しげで不穏な声だった。

「えーっと……」

 僕がなんと返していいかわからずにいると、犬塚は横目にちらりとこっちを見た。

「……保科になら話してもいいか」

 おもむろに、独り言のようにそうぽつりと呟いたかと思うと、のそりと犬塚は上半身を起こした。そのまま起き上がるのかと思いきや、そうではなく畳に座った僕の膝へと頭をのせた。

 ──あれだ、いわゆる膝枕の体勢だ。そこに枕があったので、と言わんばかりの自然さだったので、とっさに避けることもせずに受け入れてしまった。

 不思議と嫌だとか退いてほしいとかそういう気持ちはなく、頭の重みと体温を感じながら、犬塚が話し出すのを待っていた。

「両親は俺が物心つく前に死んでた。死んだ理由は事故でも病気でもなくて、春彼岸に間に合わなかったせいなんだ」

 膝の上で目を閉じて話し始める犬塚に、僕はその整った顔を上から見下ろしつつ耳を傾けた。

「じいちゃんから聞いた話だから詳しいことはわからないけど、外せない用事があって山を下りた両親が、出先でトラブルがあって彼岸入りまでに村に戻ってこられなかったらしい。ちょうどハシバさんのところのおじさんみたいに」

 犬塚の両親は護家の人間だ。彼岸入りに護家が揃っていないということは、すなわち特別措置のルールが適用されないことを指す。彼岸入りに間に合わなければ、もう──。

 犬塚曰く、行方知れずになっていた両親の変死体が彼岸明けに村の近くで見つかったという。司法解剖を行ったものの死因は不明のままだったそうだ。

 本当に【なにか】の祟りで死んだのかなんて誰にもわからない。運悪くなにかの事件や事故に巻き込まれたのかもしれない。でも、少なくとも犬塚と犬塚の祖父は、ルールを破ったことで【なにか】の逆鱗に触れたのだと思っている。

「……両親の件もあって、俺は村の因習と【なにか】がずっと憎くて嫌だった」

 両親はおらず、犬塚は祖父のもとで育った。この家で。
 古いが居心地のいい家だと思う。寝泊まりするうちに僕はこの家がすっかり気に入っていた。
 太い梁を見上げながら犬塚の子どもの頃を想像する。どんな子ども時代だったんだろう。顔も知らない両親を思って寂しさを感じたこともあるだろう。それでも祖父に大切にされ、愛情を感じることができていたらいいのになと思う。

 けど、親代わりとして犬塚を育てた祖父の姿も、この家にはもうない。

「高校進学のタイミングで上京して、今は東京にいるじいちゃんの恩師のところで世話になってる」
「……そうだったんだな」
「じいちゃんからは春彼岸には必ず村に戻るように言われてた。しつこいくらいにな。そのじいちゃんも半年前に病気で倒れて……それでも村には帰りたくなかったから、見舞いにも葬儀にも行かなかった」

 ──そのとき、なにかがひっかかるような違和感を覚えたが、その違和感の正体まではわからなかった。なんだろう。

 ひとりで考え込んでいると、答えに辿りつく前に犬塚が僕の膝の上で大あくびをした。伸ばしていた右脚を曲げ片膝を立て、手は胸の上で組み合わせる。

「──で、なんでお前は僕の膝枕で寝てるんだ」
「……なんでだろ。なんとなく……そうしたかったから?」

 あくび混じりの気の抜けるような返答を最後に、犬塚は静かに寝息を立て始めてしまった。寝るのかよと大声でツッコミをいれたいのは山々だったが、あまりにも気持ちよさそうに寝ているところを見ていると、起こすのも躊躇してしまう。

 なんとなく、まぁこのままでもいいかと思い、起きるまで庭を眺めて過ごすことにした。庭と、ときどきは犬塚の寝顔も。