因習と春一番


 ショーマが用意してくれたもののなかには、犬塚が依頼したもの以外もたくさん含まれていた。

 たとえばマンガ。人気の少年マンガと青年マンガの単行本が何冊か。七日間を過ごすのに退屈しないようにという気遣いかもしれない。これは正直すごくありがたい。

 それから、ボールペンやノートといった文房具。必要な場面があるかもしれない。割り箸に紙皿、紙コップなんかもある。ほかにも、雑巾、ゴミ袋、モバイルバッテリー、箱ティッシュ、使い捨てカイロなどなど、かゆいところに手が届く気の利いた品々をおまけでつけてくれていた。

 誤解を恐れずに言うと、風貌はザ・ヤンキーなショーマだが、細かいところにまで目が届く優秀な後輩のようだ。まだ中学三年生とは思えないくらいしっかりしている。

「保科は今日から外を出歩くのはなるべく控えろよ」

 家に帰ったあと、さっそくショーマから分けてもらったものを畳の上に広げて確認していると、犬塚がやって来て言った。

 僕はマンガの一冊を手にしたまま、仁王立ちをした犬塚のほうを見た。

「控えろって……」
「さっきの話にもあっただろ? 春彼岸の間は、基本的には皆集会所で一緒に過ごすんだ。下手に森に出かけて境界線を越えたりしないように」

 村の端に規制線がぐるっと張り巡らされているわけではないし、カラーコーンが置かれているわけでもない。境界線は目に見えないのだ。いつのまにか村から出てしてしまっていたということがないように、不要な外出は控えて、家の中で暮らすようにすること。犬塚はそのことを口酸っぱく言って聞かせた。

「俺はどこまでが村の範囲かわかってるからいいとして、外から来た保科はうろつかないほうがいい。かといって集会所に行くのも気まずいだろうから、家で大人しくしててくれ」
「でも、せっかく七日もここにいるのに……滝の写真撮りに行くくらいだったらいいだろ?」
「滝があるのは村のかなり東の端の方だ。境界線に近すぎる」

 だから却下、と犬塚。

「ってことは、俺は今日からずっとこの家でマンガ読んでごろごろして過ごせってこと?」
「そうだ」
「……犬塚のケチ。頑固。真面目。心配性すぎ」
「保科には窮屈な思いをさせて悪いとは思ってる。でも心配なんだ」

 七日間もあるのに、すぐそばにあの滝があるのに、綺麗な桃の木もあるのに、滞在している間に桜が開花するかもしれないのに、見に行くことができないなんて。
 残念ではあるけど、出歩くのは危険だという犬塚の言い分もわかる。

「──……わかった」

 肩を落として答えると、少し間をあけてから犬塚は理解できないとでも言いたげに口を開いた。

「……なんでがっかりするんだ。家の中にいたほうが安全だろ? 得体の知れない【なにか】がいる気味の悪い村なんだぞ。俺は毎年のことだし慣れてるけど……引き籠ってようとは思わないのか?」

 その場に立ったまま犬塚はしきりに首を捻った。家を出るなと言ってほっとされることはあっても、落ち込まれるとは夢にも思っていなかったのかもしれない。

「犬塚の考えだと、七日間ここに滞在すれば安全だし、何事もなく僕らは東京に帰れる。だろ?」
「それはそうだが……」
「そりゃまあ不気味は不気味だし、怖いとは思うよ。けど……せっかく念願の猿千村に来れたんだから、じっとしてるのももったいないだろ」

 僕は単行本の表紙をぱたんと閉じ、ありのままの自分の気持ちを話した。

「犬塚たちの話を信じてないわけじゃない。不思議な話だとは思うけど、嘘じゃないと思う」

 村のルールや【なにか】の話が眉唾な迷信だと思って侮っているわけじゃない。うっかりして村を出たってなにも起こらないと高をくくっているわけじゃない。きっと──とてもおそろしいことになるんだろうとわかる。
 でも、と力を込めて言う。

「怖い気持ちより、この村のもっと色んなところを見に行きたいっていう気持ちのほうが大きいんだよ」

 無事に帰れないと言われていたら、さすがにパニックになっていただろうけど、帰れると犬塚は言っている。ショーマも犬塚と同じ考えのようだった。それならむやみやたらと怖がることはない。村から出ないように気をつけて、ルールの範疇でこの七日間を満喫することができるはずだ。

 そこまで言っても犬塚はまだなにかが引っかかっている様子で、言うべきか迷うような素振りをみせてから、ぽつりと低い声で言った。

「──……俺のことも、気味が悪いやつだって思わないのか?」
「……へ? 犬塚のことを?」

 質問の意図をはかりかねながら僕が尋ね返すと、犬塚は頷いた。

「いや、べつに……」
「あんな気味の悪い話をしたら、保科が態度を変えたり距離を置いたりしても仕方ないと思ってたんだけどな」

 襟足のあたりを掻きつつ、自虐するように言って苦笑する。

「気味の悪い村の出身で、気味の悪い因習の話なんかしてくるやつなのに。本当は俺がちゃんと最初から事情を話して保科を止めればよかったんだ。けど……村だの因習だのなんだの言って、変な奴だと思われるのが怖くて言い出せなかった」

 犬塚が猿千村の出身だと聞いたときは驚いたし、村の因習のことを聞いたときはもっと驚いたけど、だからといって犬塚と距離を置こうとは思わない。ここはちゃんと否定しておかないと。

「犬塚はいいやつだと思う。ケチだし頑固だけどさ」

 若干の照れ臭さを覚えながら犬塚の顔を見ずに言う。照れ隠しで悪態をついてしまったけど、本音だ。

 犬塚とこの何日かを一緒に過ごしてわかったことは、このイケメンのクラスメイトは、やっぱり僕が思っていた通りのいいやつだってことだ。
 僕を村の因習から守ろうとしてくれた。
 他人事だからと放っておいてもよかったのに、猿千村に行くのをなんとか止めようとした。
 それでも僕が行くと言い張ると、案内役として同行して早く帰そうとした。
 トラブルがあって帰れなくなってしまっても、なんとか僕が無事に帰れるように方法を考えてくれた。

 犬塚はしばらく黙ったままでいたけど、やがて僕の隣に腰を下ろして言った。

「……近くの小川とか、桜とか、そういうのなら撮りに行ってもいいことにするか」

 単行本に手を伸ばす犬塚の横顔を盗み見るけど、なにを考えているかはよくわからない。ただ少し嬉しそうにも見える。

 ぱらぱらとページを捲ったあと、頑固なところもあるけど優しいクラスメイトは「ただし、俺もついていくからな」と言った。