「ただし、条件つきでルールが緩和されるんだ」
逃げ場のない絶望的な状況に唖然としながら記憶を辿っていると、犬塚の言葉が耳に届いた。
我に帰って顔を上げると、犬塚もショーマも安心させるように頷いている。ふたりも僕が置かれた絶体絶命の状況をわかっている。一縷の望みに賭け、助けを求めるように前のめりで続きを促す。
「──か、緩和って? その条件ってなんなんだ?」
「猿千村に古くからゆかりのあるいくつかの家がある。何代も前から住み続けてるような古い家だ。その家を護家と言って、護家の住人が春彼岸の初日に村に全員揃っていることが条件だ」
守護の「護」に「家」と書いて護家なのだと犬塚は付け加えた。
──裏庭でショーマと犬塚が話していたときに出てきた「ゴケ」という聞き慣れない言葉。あれはこの「護家」のことだったんだ。
立ち聞きしていたことがばれないように、初めて聞いたような顔をして頷く。
「その条件を満たしてるとどうなる?」
「まず、村の人間は春彼岸の期間のうちに村に戻れば、殺されない。たとえば彼岸入りに大事な用事があって村を留守にしていたとしても、即アウトじゃない。彼岸明けまでに戻ってきたらいいんだ」
「七日間の猶予が与えられるイメージっすね」
「一度戻ったらもう村からは出られないけどな」
「なるほど。遅刻しても許されるってことか……」
犬塚から話を引き継ぐ格好で、ショーマが口を開く。
「次に、外から村に立ち入った人間は、春彼岸の期間村から出んかったら、殺されないっす。その期間だけ特別に村の一員として扱われるってことっすね」
……段々と話が複雑になってきた。
ひとまず、ここまでの話を整理してみよう。
──猿千村にはルールがある。
ひとつ、春彼岸の期間に村人は村を出てはいけない。
ふたつ、春彼岸の期間に村人以外は村に入ってはいけない。
このふたつのルールに違反すると、【なにか】に殺される。
ルールに当てはめると、僕は──そう、殺される。
ただし、護家といわれる家の人たちが村に揃っている場合、ルールが緩和される。
村を出ていた村人は、春彼岸中に戻ればセーフ。
村に入ってしまったよそ者は、春彼岸中滞在すればセーフ。つまり僕も、殺されずに済む……かもしれないのか?
「特別措置はありがたいけど……なんでなんだろ。なんで護家の人たちがいたら緩和されるんだろう」
素朴な疑問を口にすると、ショーマは考えるように顎に手を当てた。
「んあー……昔からいる村人に敬意を払って、大目に見てくれとるってことっすかね? 昔ばあちゃんに聞いたら、そんなようなこと言っとった気が」
とにかくだ、と犬塚は場を仕切り直すように言った。
「どういう理屈なのかは俺たちにもわからないけど、その特別措置が機能してることは確かなんだ。実際、それで過去にも助かった人がいる」
それでか、と思う。村に外から人が迷い込んでしまったときの対応に犬塚が慣れていたのは。電話口での両親へ説明をするときも落ち着いていたことを思い出す。祖父や周りの村の人たちが対応しているのを子どもの頃から見てきたんだろう。
「──……ん? 待てよ。犬塚はどうなるんだ?」
犬塚は一年前に村を出た。今は東京で暮らし、東京の高校に通っている。そう、よそ者の僕と同じように。
──となると、犬塚はこの村の出身とはいえ、村人ではなくよそ者じゃないのか?
嫌な予感は的中し、犬塚はあっさりと認めた。
「俺は村を出た。もう保科と同じよそ者だ」
「えっ、じゃあ──!」
「ただ、俺は護家の人間なんだ」
僕たちふたりとも殺されるんじゃないか、という恐ろしい未来を口にする前に、犬塚は言った。
「犬塚家と西井家、それから船木家、轟家の四つの家が護家だ」
「西井家って……」
聞き覚えのある苗字だ。犬塚の隣に視線を移すと、ショーマは自らの顔を指して頷いた。
「そうっす。うちも護家っす、一応」
「そうだったのか」
同じ護家同士ということもあって、ふたりはこの村で仲よくなったのかもしれない。犬塚たちの顔を交互に見ながら納得する。
「昨日の時点で俺含め護家の人間は全員揃ってた。そのことはさっきショーマに確認したから間違いない」
「はい、間違いないっす」
「ってことは──……護家が揃ってるってことだから……例の特別措置が適用になる条件を満たしてるから……」
春彼岸の一日目に護家が揃っている場合、よそ者であっても春彼岸の期間村に留まれば、殺されない。
「そうだ。よそ者の俺も保科も、無事に帰ることができる」
だから犬塚は七日間滞在しろと言っていたのか。それがよそ者の僕らが生きて帰るための唯一の方法だから。
帰ることができる、という言葉にほっとして肩の力が抜ける。
犬塚もほっとした顔をしているかと思いきや、そのクラスメイトは複雑そうな表情を浮かべていた。
「……そんな顔してどうしたんだよ、犬塚。嬉しいニュースだろ」
「そもそも昨日のうちに帰ってたらこんなことにも巻き込まれないで済んだんだ。叔父さんの車が事故に遭わなかったら……」
「それは今言っても仕方ないだろ。事故は事故だ」
「俺は事故じゃないと思ってる。……身内の恥みたいなものだから保科には話したくなかったけど、村の誰かがやったんだと思う」
そういえば、裏庭で話していたときに犬塚はそのことをショーマに問い質していた。
犬塚は浮かない顔で机に右肘をついて、視線を落としながら打ち明けた。
「叔父さんの車が事故に遭ったのは、きっと俺を村から帰さないためだ。俺が護家の人間だから。護家は特別で、護家の人間が欠けることを村の人はみんな嫌がるんだ」
村の人が直接手を下したのか、もしくは協力者に頼んだのか、とにかくなんらかの手段によって叔父さんの車を事故に遭わせる。殺すつもりはなかっただろう。あくまで僕らの移動手段を封じ、足止めすることが目的──そう犬塚は考えているようだった。
嫌がるという村の人たちの気持ちはなんとなくわかる。「護る」「家」と書いて護家なのだ。なにを護っているかといえば、当然村だろう。いったい何から? 【なにか】から。
とはいえ、いくらなんでもそこまでするだろうかという疑問と怖さも感じる。わざわざ事故を装ってまで──。
「言ってることはわかるけど……でも、そこまでするかぁ? 本当にただの事故だったのかもしれないだろ」
「もちろん、不運な事故だった可能性もある。たまたま昨日後続車に追突されたのかもしれない。でもそうじゃなくて故意だった可能性が少しでもある限り、保科を連れて村を出ることはできなかった」
机の木目を見下ろしていた犬塚の視線が、ふいに僕のほうを向く。
「歩いて山を下りるとか、強行突破で帰ることも考えた。でも誰かが叔父さんの車を事故に遭わせたんだとしたら、そこまでするなら、力づくで俺たちを行かせないように妨害してきてもおかしくないだろ? もっと直接的な、乱暴なやり方で村に留まらせようとしても。俺のせいで保科を危険な目に遭わせるのは嫌だったんだ」
昨日、迎えが来ず帰れないとなったとき、犬塚がやけにあっさりと引き下がったのが不思議だった。その理由が明らかになり、犬塚なりに責任を感じていたのだということを知る。より安全な道を選ぼうとしてくれたのだ。
犬塚が責任を感じる必要なんてないのに。真面目なクラスメイトの申し訳なさそうな顔を見ながらそう思う。
事故の真相は今はわからない。もしかしたらずっとわからないままかもしれない。
それでも、なんにせよ僕たちは昨日村に留まる決断をして、彼岸入りを迎えてしまった。迎えてしまった以上は、今日から七日間ここで過ごさなければならない。
この短時間で得たたくさんの情報を一気に処理しようとしたせいか、酸欠になったみたいに頭がくらくらする。
そんな僕を見かねたようにショーマがお茶を持ってくるというので、ありがたく厚意に甘えることにした。
ショーマが部屋を出ていったあと、犬塚は言った。
「──な、これでわかっただろ。虫なんかより数段やばい【なにか】がいるんだよ、この村には」
春の奇跡みたいに、綺麗で、のどかなだけの場所ではないのだ。この自然豊かな村の中には今もおぞましい【なにか】がいる。

