因習と春一番


 ◇◇◇


 十五分ほど待ったあと、ショーマは大きな紙袋をふたつ両手に提げて戻ってきた。そのなかに着替えや食料品、日用品をまとめてくれたらしい。

 お礼を言って受け取ったあと、犬塚は決まり悪そうな表情で僕のほうを振り返って、

「悪い、ちょっと外してくれるか? 内々の話があるから」

 と、遠慮がちに言った。
 ショーマと犬塚のふたりで話したいことがある、ということらしい。内々の話と言われてしまえば従わざるを得ない。同じ村で育った者同士、ひさしぶりの再会となれば色々と話すこともあるだろう。

 僕は西井家の客間で待っていることになり、犬塚たちは裏庭のほうへと移動した。
 西井家の人たちは村の集会所に集まっているそうで、今家にいるのはショーマだけだという。静かな部屋で、床の間の掛け軸を見ながらおとなしく待つ。

 ──いや、ここでおとなしく待っていられる人間なんかいないだろ。

 見るなと言われたら襖の向こうが気になってくる。だからこっそり覗き見て、鶴が機織りをしているところに出くわしたのだ。
 僕はふたりが裏庭に向かって三十秒ほど待ってから、こっそりと部屋を抜け出した。

 昨日から何かが起こっているのは間違いない。そして、犬塚とショーマが何かを隠していることも、やっぱり間違いない。

 先ほどのショーマの奇妙な態度や、犬塚の不可解な言動。犬塚に至っては村の出身だったことをずっと黙って隠していたという前科もある。

 明日話すと言っていたくせに、犬塚はまだ話す素振りも見せない。それならこちらから積極的に情報を収集する努力をしないと。

 庭は家の三方を取り囲むような形のコの字型。建物に沿って歩いていけば裏庭につく。縁側から出て慎重に家屋の外周を歩いて目的地を目指す。それにしても広い庭だ、と感心しながら。

 裏庭に近づいていくと、ふたりの話す声が徐々に聞こえてきた。気づかれないように木の物陰にそっと身を隠し、耳をそばだてる。

「──急に押しかけてきて、手間かけて悪いな。大井のじいさんのせいでこんなことになって俺たちも困ってたんだ」
「えっ、大井のじいちゃんが?」

 ここからでは話は聞こえてもふたりの姿は見えない。けど、ショーマのきょとんとした顔が目に浮かぶようだった。

 そこで犬塚は、なぜ急遽村に滞在することになったのかを説明した。
 僕の付き添いで滝の写真を撮るために昨日ここに来たこと。日帰りのつもりだったが、叔父さんが迎えにくる途中で事故に遭い、そのせいで帰れなくなってしまったこと。

 犬塚がこれまでの経緯を掻い摘んで話し、ショーマはそれを黙って聞いていた。

「俺を足止めするために、大井のじいさんが嫌がらせで事故を起こさせたんだと思ってる。一年前、俺が無理やり村を出て行ったから、その腹いせで」

 とんでもないことを言い出す犬塚に、ぎょっとして思わず声を上げそうになる。なんとか声を堪えながら僕は今しがた聞いたばかりの話を頭の中で整理した。

 思ってる、と不機嫌そうに言いながらも、犬塚はそうに違いないと確信しているようだった。
 昨日、犬塚が「たぬきジジイ」と悪態をついていたのはそのためだったのか。叔母さんから事故の連絡があったあと、犬塚は怒りを露わにしていた。あれは事故が大井さんの企てによるものだと思っていたからだったのだ。

 今朝、散歩の途中で会った大井さんの顔を思い浮かべる。そりゃあ愛想はないし、怖そうな雰囲気だったけど……そんな恐ろしいことをするような人には見えない。

 ショーマもまた僕と同じ考えだったようで、犬塚の持論に対し「大井のじいちゃんは何もしてないっすよ、たぶん」と異議を唱えた。

「基本厄介事には首突っ込まん主義っちゅーか、昔から一匹狼って感じやけん」
「じゃあたまたまか? たまたま昨日叔父さんの車が追突されて迎えに来れなくなるってどんな確率だよ。誰かが俺らを村から出られないようにするために嫌がらせでやったとしか思えない」

 犬塚は納得していない様子でさらに言い募る。

「絶対村の誰かがやったんだ。で、昨日俺らが村に来て会って話したのは、あのじいさんだけだ。ってことは犯人はほかに考えられないだろ」
「それは証拠にならんすよ。宗将さんが帰ってきたことやったら、昨日の昼過ぎには村中に広まっとったけんなぁ……。宗将さんから電話かかってくる前から俺も知っとったし。母さんが電話で話してんの聞いたけん」

 小さな村なんで、というショーマの笑い混じりの声が聞こえた。

「だいたいふたりとも背ぇ高いけん、並んで歩いとったら目立ちまくりっすよ。そりゃ」

 聞き耳を立てながら、そんなに目立つか? と首を傾げる。人でごった返した渋谷やら新宿やらをふたりで歩いても、すぐに人混みに紛れてしまうだろう。けど、こののどかな村なら──たしかに少し目立つかもしれない。

「宗将さんの叔父さんが麓に住んどるんも皆知ってます。バスの本数はめちゃめちゃ少ないし、車で迎えに来るんもすぐに想像つくっす。正味、犯人探しは難しいっすよ。残念すけど……」
「……そうか」

 犬塚の声はまだ不服そうだったけど、それでも引き下がることにしたようだった。

「──それより、やばないすか? 保科さん、ここにおって大丈夫なんすか」
「俺がいるから大丈夫だろ。昨日電話でも確認したけど、ほかのゴケは皆揃ってるんだよな」
「うちもフナキさんのとこも揃っとるんで──」

 ──ゴケ、ってなんだ? 突然自分の話題になったかと思えば、聞き慣れない単語に加えて知らない人名が耳に飛び込んできた。電話で確認したってことは、そのなにかを確かめるために掛けたってことか?

 身を乗り出し過ぎないように気をつけながらも、できるだけふたりの声を拾えるように首を伸ばす。

「そうか。ゴケ以外の家はどうなってる?」
「ハシバさんとこのおじさんが戻ってきてないって役場の人が言っとったかな。親戚の結婚式に出とって、帰りの飛行機が欠航になったかなんかで」
「彼岸明けには間に合うんだよな?」
「明日には戻れるって聞いてます。ゴケが揃っとるけん大丈夫っすよ」

 ふたりがなにを話しているのかさっぱり意味がわからない。わからないなりにも聞き耳を立て、ひとつずつ話を覚えておく。

 やがて話が一段落ついたのか、ふたりが歩き出すのが足音でわかった。あわてて頭を引っ込める。僕は来た道を急いで取って返し、ふたりが戻ってくる前に再び縁側から客間へ逃げ込んだ。

 座布団の上に腰を下ろして息を整える。ふたりはなかなか戻ってこなかった。裏庭から戻ってくる途中も話の続きをしていたのかもしれない。聞き逃してしまった情報があったかもと思う一方で、後半の話はなにがなんだかわからなかったから、聞いたとしても理解できなかっただろうなとも思う。

 僕が戻って少し経ってから、犬塚とショーマは部屋へと入ってきた。
 犬塚たちは待たせたことを詫び、大きく立派な座卓の前に腰を下ろした。立ち聞きしていたことはなんとかばれずに済んだみたいだ、とこっそり胸を撫で下ろす。

「これからこの村のことについていちから説明する。明日全部話すって言っただろ」

 てっきりこのままうやむやにするつもりなのかと思っていたが、犬塚は昨日の約束をちゃんと覚えていたのだ。

 どうして七日間村から出られないのか。決まりとはなんなのか。それがようやく明らかになる。

 犬塚の真剣な表情に思わずぐっと背筋が伸びる。犬塚は隣に座ったショーマのほうを横目に見た。

「ショーマにも同席してもらうことにした」
「どもっす」
「俺は説明するのがうまくないし、ショーマもいれた三人で話したほうが保科もわかりやすいと思うんだ。いいか?」
「それは全然構わないけど……」

 春のうららかな木漏れ日が差し込む庭とは裏腹に、僕たちのいる客間は薄暗い。犬塚はあぐらをかいた体勢で言葉を選ぶように少し間を空けて、それから話し始めた。

「猿千村にはルールがあるんだ。──ルールというか、俺は因習だと思ってる」