夏の夜にキミと2人で

 翌朝、いつものように待ち合わせをした優斗と結生が学校へ向かう。湿度の高い風が2人の間を吹き抜け、じわりと額に汗がにじむ。

 「あっちー……そういや、昨日の学校って涼しかったよな」

 「そうだな、夜ってことを考えても空気がひんやりしてた気がする」

 「やっぱ違う世界だったのかなぁ……」

 優斗がワイシャツの襟元を掴んで、パタパタと扇ぐ。青い空には白い入道雲が浮かび、朝だというのに強い日差しがアスファルトに2つ並んだ影を作り出す。

 「そういえば、お母さんには何も言われなかった?」

 「あぁ平気!今度はウチに結生くんを連れて来なさいって催促されたよ」

 「ふふ、じゃあ何か美味しい手土産を用意して行かないとな」

 苦笑する優斗に、結生は楽しそうに笑って答える。校門が近づき、段々と歩いている生徒の数も増えてくる。普段と変わらない光景に、ようやく優斗は肩の力を抜くことができた。

 「1限目って現国だっけ……あっ!宿題あったの忘れてた!!」

 ガヤガヤと賑やかな昇降口で靴を履き替えながら、優斗は天を仰ぐ。

 「まぁ、あんな事に巻き込まれた後じゃね……ホームルームまで時間もあるし、オレのノート写して良いよ」

 「…………普通に宿題やってる結生は何なんだよ」

 感謝と畏怖がないまぜになったような複雑な顔で優斗が呟く。その表情と声音に、結生は思わず可笑しそうに笑う。そのまま階段を上り、教室のドアを開けると同時に椎名が弾かれたようにこちらに向かってくる。

 「──っ葉山!!佐倉!!」

 「おわ、どっどうしたんだよ椎名」

 切羽詰まった表情に、思わず後退ってしまう。

 「あ…………いや、えっと…………」

 先ほどまでの勢いはどこへ行ったのか、急に椎名の語気が弱まり視線を彷徨わせ始める。その様子を見た結生が1歩前へ出て、椎名に優しく声を掛ける。

 「先に鞄を置いてくるから、ちょっと待ってて。ここで話しづらいなら廊下に出るか?」

 「あ…………いや、ここで大丈夫だ。ありがとう」

 椎名の表情が少しだけ緩み、小さく息を吐く。自分の席に鞄を置く優斗と結生の姿を見ながら、椎名はわずかに震える指先をぎゅっと握り締める。

 「お待たせ!……で、どうしたんだ?」

 優斗が声をひそめて椎名に尋ねる。言うか言うまいか、そんな表情を浮かべていた椎名がポツリと問いかける。

 「茂木……って、分かるか…………」

 「茂木?茂木がどうしたんだよ」

 優斗が首を傾げる。その反応に椎名が大きく目を見開き、泣きそうな顔になる。

 「え、本当にどうしたんだよ……」

 ただ事ではないと感じた結生が、不安そうに尋ねる。

 「ちょっと、こっち……来てくれ……」

 椎名に促され2人は教卓に向かう。椎名は座席表を取り出し、これを見て欲しいと2人に渡す。

 「座席表……?これがどうしたんだ?」

 椎名の意図が分からず左上から順番に名前を見ていた優斗の隣で、結生が小さく息を飲む。

 「結生……?」

 顔を上げると、結生の表情が完全に固まっていた。

 「え、どっどうしたんだよ」

 「…………茂木の席、どこだったか覚えてるか」

 「茂木の席?確か隣の列の──え……?」

 結生に聞かれて指差そうとした座席には、茂木ではなく向井と書かれていた。

 「向井……?え、そんな奴このクラスにいたっけ」

 優斗は自分がクラスメイトの名前を忘れてしまったのかと首を捻る。

 「俺も向井なんて知らないし、クラスの……隣のクラスの奴にも聞いたけど、誰も茂木のこと知らないって言うんだよ……!」

 椎名が切実な表情で2人に訴える。優斗が目を丸くして隣の結生を見上げると、結生の表情は凍りついたままだった。

 「結生……?大丈夫か……?」

 「あ、うん…………いや、あまり大丈夫じゃないかもしれない……」

 “キーンコーンカーンコーン“

 話の途中で、朝のホームルームの時間になってしまう。釈然としないまま3人はそれぞれ席に着く他なく、一旦解散となった。ガラリと教室のドアが開き担任の先生が入ってくる。いつもと変わらない景色なのに、心がザワザワと落ち着かない。特に結生は、自分の席より後ろに座っているであろう『向井』の存在が気がかりで仕方がなかった。

 「それじゃあ、今日も熱中症には十分に気を付けるように」

 チャイムが鳴り、ガタガタとクラスメイトたちが席を立つ。後ろを振り向けない結生の心臓がドクドクと早鐘を打つ。すると真後ろからガタッと椅子を引く音が聞こえ、結生は思わず振り返る。

 「ゆう、と……?」

 「…………やっぱ見たことないよ、向井なんて」

 隣の列に座っているであろう向井の姿を確認し、優斗が小さく呟く。釣られて結生が同じように視線を向けると、そこには忘れようとしても忘れられない見知った顔があった。

 「結生は見たこと……結生?おい、大丈夫か?!」

 明らかに顔色の悪い結生の姿に、優斗は慌てて声を掛ける。すると背後から知らない声が聞こえてくる。

 「大丈夫?保健室に連れて行こうか?」

 振り返ると、そこには向井が立っていた。

 「え、あ…………」

 「かなり顔色が悪いな……保健委員として見過ごすわけにはいかない」

 急に話しかけられ優斗が動揺していると、向井は結生の顔を覗き込む。そして手首を優しく掴み脈拍の確認をする。

 「だいぶ脈が早いな……熱中症かもしれない。早く保健室に行こう」

 「え、あ、じゃあオレも一緒に──」

 知らない奴を結生と2人にするわけにはいかない。結生を立ち上がらせようとする向井に着いていこうとすると、左手で制されてしまう。

 「大丈夫だよ、葉山はしっかりノートをとって後で佐倉に見せてやってくれ。ついでに俺にも見せてくれると助かる」

 おどけるようにウインクをした向井が、優しく結生の身体を支えて教室のドアに向かう。かなり具合が悪いのか、結生は黙って俯いたまま向井に連れて行かれてしまった。

 「向井に任せておけば大丈夫だって!あいつ医者の息子だし!」

 一部始終を見ていたクラスメイトが、優斗の肩をポンと叩く。あぁ、本当に向井を知らないのはオレたちだけなんだ──優斗は力なく席に着き、ただ呆然とするしかなかった。



 「大丈夫か?気持ち悪くない?」

 廊下に出た向井が結生に問いかける。結生は何も言わず、ただ連れられるがまま足を動かす。

 「……俺にそんな弱ったところを見せて良いのかな」

 向井の言葉にハッとした結生が、自身を支えていた腕を振り払う。はぁはぁと荒い呼吸を繰り返しながら距離をとり、向井を睨みつける。

 「ゴメン、冗談だよ冗談。具合が悪い人間にして良いことじゃなかった……おい!佐倉!」

 結生の視界がグラリと揺れ、慌てて腕を伸ばす向井の姿が映ったかと思うとプツリと意識が途切れた────


***

 「う…………」

 ふと目を覚ますと、白い天井が結生の視界に入り込む。何度か瞬きを繰り返し、辺りを確認する。

 (保健室……)

 白いカーテンとベッドに、自分は保健室にいるのだと理解する。何で保健室なんかに……ぼんやりとする頭で考えていると、ふと先ほどの出来事を思い出す。結生はガバッと起き上がり、教室に戻ろうとした──が、急に起き上がったせいで目の前が暗くなってしまう。

 「あらあら佐倉くん、ダメじゃない急に起き上がったら」

 物音で気づいた養護教諭が、カーテンを開けて結生に注意をする。そして再びベッドに寝かせ、足の下にクッションを入れてくれる。

 「すみません……ありがとうございます」

 「落ち着いたら、ゆっくり起き上がってね」

 結生はしばらく横になり、言われた通りゆっくりと身体を起こす。体調は万全とは言えないが、かなり楽になっていた。

 「体調はどう?熱中症ではなさそうだけど、もし違和感があるなら早退して病院で診てもらった方が良いと思うけど……」

 「いえ、大丈夫です。かなり楽になったので、このまま教室に戻ります」

 「そう?一応お家の方には連絡してあるから、無理はしないようにね」

 結生は再度お礼を言って、保健室を後にする。今はとにかく、早く優斗の元へ向かいたかった。1時間ほど寝ていたようで、今はちょうど昼休みの時間だった。結生は足早に教室へ向かい、ガラリと勢いよくドアを開ける。

 「──っ結生!もう大丈夫なのか?!」

 いち早く気づいた優斗が、結生の元へ駆け寄る。

 「あぁ、心配かけてゴメン……ベッドで休んだら、かなり楽になったよ」

 結生の言葉と顔色に、優斗がほっと息をつく。

 「とりあえず水分補給だな!ほら、さっき自販機で買っておいたから」

 席に戻り、優斗が笑顔でペットボトルを差し出す。その優しさに、結生の心がポカポカと温かくなる。今すぐ抱き締めたい衝動に駆られるが、流石に教室でそんな事をするわけにはいかないためグッと我慢して席に着く。

 「食欲は?弁当は食べられそうか?」

 「うん、優斗の笑顔を見たら元気になったよ」

 「な、何だよそれ……」

 甘い笑みを向けられ、優斗はドギマギしてしまう。ゴソゴソと弁当箱を取り出し、誤魔化すようにウインナーを口に放り込む。

 「……優斗、あいつに何もされてないよな」

 結生が声をひそめ、優斗に尋ねる。

 「あいつ?」

 結生がチラリと向井の座席の方へ視線を送る。

 「あぁ、向井?結生を保健室に連れて行った後すぐ戻ってきて、普通に授業を受けてたよ」

 「そっ、か」

 結生はホッと肩の力を抜き、優斗が渡してくれたペットボトルの蓋を開ける。2人はいつも通り他愛のない話をしながら、昼休みを過ごす。結生が何度か向井の方を気にしていたが、いつの間にか席から姿を消していた。



 「あ〜〜〜やっっと終わったぁ……」

 午後の授業が終わり、優斗は大きく伸びをする。

 「お疲れ、優斗」

 「んー結生もな」

 結生が振り向き労うと、優斗も同じように笑顔で労う。程なくしてチャイムが鳴り、帰りのホームルームが始まる。連絡事項を聞き、皆ガタガタと部活の準備や帰り支度を始める。優斗と結生も立ち上がり、鞄を持って教室を出ようとしたところで不意に声をかけられる。

 「佐倉、ちょっと良いか」

 「…………向井」

 声の主を見て、結生が眉をひそめる。

 「えっと……結生に何か用?」

 2人の間に割って入るように優斗が尋ねる。

 「うん、ちょっとね。そんなに時間はかからないから、これ食べながら待っててよ」

 そう言って向井は、とても美味しいとSNSで話題になり入手困難となっているお菓子を手渡す。

 「えっ!!これ、どこにも売ってないやつじゃん!!」

 キラキラと目を輝かせお菓子に夢中になっている優斗の姿に、可愛いなと思う反面その反応を引き出したのが向井だという事実に結生の心に苛立ちが生まれる。

 「そんな睨まないでよ。とりあえず廊下で話そうか」

 無意識に目つきが鋭くなっていた結生の様子を気にも留めずに、向井は結生を廊下に連れ出す。

 「で、何だよ話って」

 結生がぶっきらぼうに問いかける。

 「はは、さっきよりすごい顔になってるよ。“優斗“には見せられないな」

 「──っお前……!」

 「あー待って待って、落ち着いて」

 今にも殴りかかりそうな勢いの結生に、向井は両手をかざして制止する。

 「その様子だと、やっぱ肝試しの時のこと覚えてるんだな」

 「お前……は、何なんだよ……」

 茂木の代わりに突然現れた目の前の人物を警戒するように、結生が疑問をぶつける。

 「んー……何、と聞かれてもなぁ」

 向井の煮え切らない態度にさらに詰め寄ろうと口を開いたところで、グイッと腕を後ろに引っ張られる。

 「え、椎名……?どうしたんだ?」

 「お前、何が目的だ。茂木をどこにやった」

 向井から結生を遠ざけるように間に入った椎名が、ピリピリとした空気をまとって問いかける。

 「あぁ、君は確か……その質問が出てくるってことは、そこまで血は強くないのかな?」

 「…………」

 2人のやり取りを見ていた結生は、急にその場の温度が下がった気がして腕をさする。

 「まぁ良いや、別に君たちと喧嘩したいわけじゃないし。今度ゆっくり話そうよ」

 そう言って向井は、廊下を歩いてどこかへ行ってしまった。

 「えっと……」

 「悪い、急に割って入って」

 「あ、いや……」

 「もう帰るところだよな、明日……ちょっと時間作れるか?できれば、葉山も一緒に」

 「明日で良いのか……?」

 「あぁ……俺が見た感じ、そこまで悪い気配はしないから……大丈夫だと思う」

 「──分かった」

 結生は椎名と約束をして、優斗が待っている教室に戻る。

 「ゴメン、遅くなって。帰ろうか……優斗?」

 てっきりお菓子を食べてご機嫌になっていると思っていた優斗が、何やら険しい顔でお菓子の箱を眺め……否、睨んでいた。

 「それ食べなかったの?」

 「…………結生、さ」

 「うん?」

 もうほとんど誰も残っていない教室で、優斗がポツリと呟く。

 「……いや、帰りに話す。早く行こうぜ」

 優斗はもらったお菓子をリュックにしまい、立ち上がる。結生も釣られるように帰り支度を始め、2人は静かな教室を後にした。

 もう夕方だというのに日差しは強く、ぬるく湿気を帯びた風が髪を揺らす。結生はすっかり黙り込んでしまった優斗の方をチラリと見る。何となく気まずい雰囲気に何を話そうかと考えていると、優斗が先に口を開く。

 「結生って、さ……向井と知り合いなのか?」

 優斗は前を向いたまま淡々と問いかける。その声音と突然出てきた名前に驚いて、結生はバッと優斗の方を見る。

 「知り、合い……と言うか……いや、知り合い……なのか?」

 「……何だよ、それ」

 先ほどの会話を思い出し結生が首を捻りながら答えると、優斗が不満そうに呟く。

 「オレには言いたくないってことかよ」

 「え?」

 「……いや、ゴメン何でもない。結生にもプライベートくらいあるもんな」

 「え、待って。何の話?オレ優斗に隠し事なんてしないよ!いや……ずっと好きだったことは黙ってたけど……」

 小さくなっていく語尾に、優斗の顔もジワジワと赤くなっていく。

 「そ、それは別に良いんだけど……オレも自分の気持ちに気づいてなかったし……」

 俯きながら歩く2人の間に沈黙が流れる。

 「……肝試しの時にさ」

 重い沈黙に耐えかねた結生が、ゆっくりと口を開く。まさか肝試しという単語が出てくると思っていなかった優斗は、興味深げに結生の方に顔を向ける。

 「多分、オレが廊下で魘されてた時だと思うんだけど……クラスメイトとして出てきたんだよ、あいつが」

 「えっ」

 思いもかけない言葉に、優斗は目を丸くする。

 「それで…………」

 結生は教室での出来事を話そうとしたが、言葉にすると現実になってしまいそうな気がして言い淀む。優斗の気持ちを疑っているわけではないが、選ばれ続ける自信が結生にはなかった。

 「ゴメン、言いたくないことだってあるよな!無理に聞き出そうとして本当にゴメン!」

 「え……」

 泣きそうな、悲しそうな結生の表情を見て優斗は慌てて謝罪する。自分の下らない嫉妬心で結生を傷つけてしまうのは本意ではない。何か面白い話をして空気を変えようと考えたが、こういう時に限って何も話題が思い浮かばない。優斗は己の引き出しの少なさに歯がみする。

 「…………優斗とアイツが付き合ってたんだよ」

 自分の弱さのせいで優斗に気を遣わせてしまったことに申し訳なくなり、結生は意を決して重い口を開く。

 「────は?」

 そして、寝耳に水の話を聞かされた優斗は目も口も開いたまま閉じなくなってしまう。

 「オレと……向井が……付き合ってた……?」

 優斗は、まるでロボットのように結生の言葉を繰り返す。そして何度か瞬きをした後、何で?!と大声で叫んだ。あまりにも大きい声量に、結生の肩がビクッと跳ねる。

 「あ、ゴメン急に大きい声出して……いやでも……何で?ありえないだろ。オレが好きなのは結生だし、あの教室でだって──」

 言いかけて、しまったと優斗は慌てて口を押さえるが、その様子を見ていた結生の眉がピクリと動く。

 「あの教室で……何?そういえば、ちゃんと教えてもらってなかったよな」

 突如として立場が逆転し、結生の尋問が始まる。

 「あ、いや〜えっとぉ……」

 目を泳がせながら優斗は何とか切り抜けられないかと考えたが、上手い誤魔化しが全く思いつかず観念して正直に話すことに決めた。

 「オレと……結生が、付き合ってて……」

 「えっ?」

 予想だにしない言葉に、今度は結生の目が大きく見開かれる。

 「え、それを言いたくなかったのか……?」

 「いや、言いたくなかったというか……」

 優斗の顔が見る見るうちに真っ赤になり、そのまま俯いてしまう。その様子に、結生の心がザワザワと騒ぎ始める。

 「ねぇ、もしかして“オレ“に何かされた?」

 「……っ」

 ビクリと跳ねる肩に確信を持った結生は、苦い顔をしながら更に追求する。

 「何されたの?」

 「えっと……」

 いつもより低く冷たい声に結生の顔をチラリと盗み見た優斗は、その表情に正直に話す他ないと観念し口を開く。

 「キス……した…………」

 「────は?」

 地を這うような声に、本当に結生の口から出たものなのかと優斗は耳を疑う。目を瞬かせていると、不意に腕を掴まれグイグイと引っ張られる。

 「えっちょ、結生?!ど、どこ行くんだよ」

 「オレの部屋」

 足早に引っ張られ、結生より身長の低い優斗は半ば駆け足になる。流れる汗を拭っていると、いつの間にか結生の家の前に辿り着いていた。玄関の鍵を開けた結生は、そのまま優斗を自室へ連れて行く。

 「あ……お、おばさんに挨拶……」

 「今日は誰もいないから気にしなくて良いよ」

 淡々と答えながら床に鞄を置いた結生は、優斗をベッドに座らせる。

 「オレより先に“オレ“にキスされたってことだよな?」

 「え……?あ、あー……いやでも!あれは現実じゃ…んむっ」

 完全に怒っている、そう理解した優斗は何とか結生を宥めようとしたが喋っている途中で唇を塞がれてしまう。次第に呼吸が苦しくなり、優斗は結生の背中を叩く。

 「……っぷは」

 ようやく解放された優斗は、肩で息をしながら何とか酸素を取り込む。

 「他は?」

 「え……へ?」

 「キスされただけなら、あんな顔しないだろ。他に何されたんだ」

 見たことのない結生の表情に、優斗はヒッと小さく悲鳴を上げる。嘘をついたら何をされるか分からない、本能的にそう察した優斗は絞り出すような声で答える。

 「く、首に…………ちゅーされた……あと、ちょっと……舐められ、た」

 顔から火が出そうな優斗は結生の方を見ることができず、そのまま俯く。すると、結生の方からチッと小さく舌打ちが聞こえてくる。え、幻聴?そう思い顔を上げると、そのままベッドに押し倒されてしまう。

 「え……?結生……?」

 天井を背にした結生の姿を見ながら、何が起きたのかと優斗の頭は混乱する。すると、そのまま結生の顔が近づいてきて首筋にキスを落とされる。

 「ちょっ結生?!」

 驚いて逃げ出そうとした優斗を、結生の身体ががっちりとホールドする。そのまま舌を這わせ、耳にもちゅっと軽くキスをする。

 「んっ」

 ビクリと身体を震わせる優斗の反応に、心の中に渦巻いていた感情が少しだけ晴れた気がした。

 「他は?他には何もされてない?」

 「されてな……耳にもされてない……」

 「……そっか」

 満足した結生は、優斗の身体を優しく起き上がらせる。すると、優斗はふるふると震えながらボロボロと大粒の涙をこぼす。結生はギョッとして、そこでようやく優斗に怖い思いをさせてしまったのだと理解する。

 「ご、ごめ……ごめん優斗、オレ酷いことした!ごめん、泣かないで」

 「うー……」

 オロオロと優斗の身体をさすり頭を撫で、ぎゅっと抱きしめるが優斗の涙は止まらない。

 「何なんだよぉ……何でそんな怒って……うー……」

 優斗の流した涙が結生のワイシャツに染み込み、その冷たさがジワジワと罪悪感となり結生の心に広がっていく。

 「ごめん、ただの嫉妬なんだ……本当にごめん」

 結生の言葉に、優斗の身体がピクリと反応する。

 「嫉妬……?」

 「オレより先に優斗にキスした奴がいると思ったら……それが自分でも許せなかったんだ……本当に下らない理由で優斗を傷つけてごめん」

 己の未熟さと身勝手さに嫌気がさし、結生は意気消沈して俯く。

 「オレに対して怒ってたんじゃないのか……?」

 「え?」

 優斗はそっと結生の顔を見上げる。視線の先の表情はさっきまでとは打って変わり、まるで捨てられた子犬のようだった。そんな結生の様子に、優斗は困惑の色を浮かべる。

 「結生をすごく怒らせたんだなって……でも何で怒ってるのか分からなくて……」

 「っ違うよ!優斗に怒ってたわけじゃない!え、もしかしてそれで泣いてたのか……?」

 「だって、見たことない顔してたから……オレ結生に嫌われたんだと思って……」

 その言葉に、結生が再びぎゅっと強く優斗の身体を抱きしめる。

 「オレが優斗のこと嫌いになるなんて、ありえないよ!ずっと……ずっと好きだったんだから!」

 「そっ……か」

 結生の言葉にほっとした優斗は、控えめに結生の背中に腕を回す。

 「優斗、は……オレのこと嫌いになってない……か?」

 「なるわけないよ!」

 「そっか……良かった……本当にごめん」

 結生は安堵の息をもらし、優斗の首元に顔を埋める。トクトクと温かい鼓動が重なり、優斗は幸せそうに目を閉じながら結生の背中を優しくトントンと叩く。

 「そういえば……向井について話があるって椎名が言っててさ」

 しばらく抱き合っていた2人だが、ふと思い出した結生が腕を緩めて口を開く。

 「椎名が?そういや茂木の話も途中だったよな……」

 「それも合わせて明日また話そうか」

 そう言って立ち上がった結生は優斗のリュックを持ち上げ、送って行くよと手渡す。

 「いや良いよ!1回帰ってきたのに面倒くさいだろ」

 「優斗のこと勝手に連れてきたんだから、このくらいさせてくれ」

 眉を下げてそう告げられてしまうと、無碍にすることもできない。優斗は大人しく家まで送ってもらうことにする。外に出ると日が少し傾き、日差しも幾分か和らいでいた。さほど長くはない道のりを、他愛のない話をしながら歩く。

 「それじゃ、また明日」

 「おう!送ってくれて、ありがとな!」

 優斗はニッと笑って結生を見送る。

 (椎名の話って何だろうな……)

 疑問を抱えたまま、優斗は玄関の鍵を開けて家の中へ入った。