夏の夜にキミと2人で

 「さーて、音楽室を覗いてみますか」

 優斗が先陣を切って、噂の音楽室を確かめるために中に入る。防音のために他の教室のものと比べて分厚く作られた扉が、重たくガチャリと閉まる。
 学校の怪談なんて、所詮は噂話──そう思うのに、なぜだか結生の心はザワザワと落ち着かなかった。
 それから何分経っただろうか、扉の前で優斗が戻ってくるのを待っていたが一向に開く気配がない。さほど広くない音楽室を確認するだけなら、それほど時間はかからないはずだ。
 妙な胸騒ぎがして、結生は勢いよくドアノブを捻る。

 「優斗!」

 名前を呼びながら教室に入ると、先ほどまで点いていたはずの電気が全て消えていて音楽室は暗闇に包まれていた。

 「何で……」

 結生は急いでスイッチを探し、カチッと電気を点ける。問題なく全ての電気が点き、ほっと胸を撫で下ろすが優斗の姿が見当たらない。

 「優斗?おい、優斗!」

 焦りから自然と語気が強くなってしまう。

 「どこ行ったんだ……優斗!!」

 広くなはい教室中を探し回ったが、どこにも優斗の姿はなかった。

 「くそ……1人で行かせるんじゃなかった……!」

 結生は後悔に顔を歪ませながら、くしゃりと自身の前髪を握りしめる。自分が一緒に行っていれば、こんな事にはならなかったかもしれない──結生は壁にもたれかかり、そのままズルズルとしゃがみ込んでしまう。

 どのくらいの時間が経っただろうか、このまま落ち込んでいても事態は変わらないと、結生は己を奮い立たせ顔を上げる。

 (もしかしたら、他の教室にいるかもしれない……)

 結生は優斗を探しに行くことに決め、音楽室の扉を開く。静まり返った廊下を歩きながら1階の教室を全て回り、2階への階段を上って行く。すると、ふと教室の中から人の気配を感じた。

 「オレたちのクラス……?」

 結生は2-Aと書かれた教室に近付き、慎重に中の様子を伺う。

 『…………でさ……だからさ〜…………』

 ザワザワとした教室の中から優斗の声が聞こえ、結生はガラッと勢い良くドアを開ける。

 「あれ、結生じゃん〜どこ行ってたんだよ」

 ヒラヒラと手を振りながら笑顔で迎え入れられ、結生は胸がいっぱいになり視界がにじんでしまう。

 「えっ結生?!どうしたんだよ?!」

 すぐさま優斗が駆け寄り、結生の背中を優しくさする。

 「なん、でも……ない……」

 高校生にもなって、まして優斗の前で泣くわけにはいかない。結生は温かな優斗の体温を感じながら、必死に涙を堪える。

 「何か嫌なことでもあったのか……?」

 優斗が心配そうに結生の顔を見上げる。

 (嫌なこと──嫌なこと……?)

 そもそも自分はなぜこんな気持ちになっているのだろうか。結生は先ほどまでの出来事を思い出そうとしたが、頭に白いモヤがかかっているようで上手く思い出せない。

 「何だ、具合悪いのか佐倉。大丈夫か?」

 近くにいた茂木が心配そうに声を掛けてくれる。大丈夫──そう返そうとしたところで、優斗に手を引かれる。

 「え、優斗……?」

 「保健室に行くぞ。そんな真っ白い顔して、授業なんて受けられないだろ」

 ぐいぐいと手を引かれ、そのまま廊下に連れ出されてしまう。窓からこぼれる暖かな光が、優斗の茶色みがかった髪を優しく照らす。

 「天使がいたら、こんな感じなのかな……」

 「──保健室より病院の方が良いか……?」

 ポツリと呟いた結生の言葉に、優斗がいよいよ本格的に心配し始める。

 「ふふ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

 優斗と話しているうちに、随分と体調が良くなった気がする。が、優斗に伝えても信じてくれない事は分かっていたため、結生は黙っている事にした。

 (心配性なんだよなぁ、優斗は……)

 保健室のドアを開ける優斗の後ろ姿を、結生は愛おしそうに見つめる。

 「あれー先生いないのかな……」

 優斗がキョロキョロと養護教諭を探すが、席を外しているのか見つからなかった。

 「まぁ良いや。はい、どーぞ」

 優斗がベッドの方に歩いて行ったかと思うと、タオルケットと毛布を持ち上げポンポンとベッドを叩く。

 「え、勝手に使って良いのか……」

 「具合が悪いんだから良いだろ。説教ならオレが後で受ける!心配ならオレも一緒にベッドに入ろうか?」

 「え」

 「それなら、先生が戻って来た時にオレが説明できるし!」

 突拍子もない提案に思わず結生はポカンと口を開けてしまったが、次第に様々な感情が結生の中でグルグルと渦巻き始める。

 「いや……大丈夫……先生が来たらオレがちゃんと説明するし、優斗は授業に戻って大丈夫だよ。ありがとう」

 何とか言葉を絞り出し、結生は笑顔で答える。

 「そうか?じゃあ何かあったら、すぐ連絡しろよ!」

 優斗が静かにドアを閉めるのを見送り、結生は長い溜め息を吐く。

 「一緒にベッドに入るって……」

 結生は頭を抱える。こんな狭いベッドに優斗と一緒に寝るなんて……うっかり想像してしまい、結生の身体がピクリと反応しかける。

 (あ〜〜〜も〜〜〜っ)

 結生はベッドに潜り込み、枕に顔を埋める。

 (優斗はオレのこと、ただの幼馴染としか思ってないだろうけど──)

 幼い頃から、結生にとって優斗はヒーローだった。そして憧れの気持ちは、いつしか恋慕へと変わっていった。
 そんな結生にとって、優斗の隣にいることが全てであり何よりも大切なことだった。この気持ちがバレたら、きっともう優斗の隣にはいられない……結生は自身の気持ちに蓋をして、幼馴染として側にいることを選んだ。

 「人の気も知らないで……」

 隠しているのだから知る由もないのだが、あまりにも無邪気な優斗の姿を見ていると恨み言の1つでも溢したくなってしまう。
 可愛くて格好良くて、誰よりも強くて優しい、愛しくて大切な──少しだけ憎らしい幼馴染。

 「はぁ、優斗……」

 熱に浮かされるように、甘くとろけた声で欲しくて欲しくて堪らない愛しい人の名を呼ぶ。しばらく戻れそうにないな……結生は高鳴る鼓動を抑えるように、ぎゅっと枕を抱きしめた。


 “キーンコーンカーンコーン”

 いつの間にか眠っていた結生は、授業の終了を知らせるチャイムの音で目を覚ます。

 「あれ、結局先生は戻って来てないのか……?」

 ベッドから起き上がり、ぐるりと辺りを見回す。しかし、自分以外には誰もいなかったため結生はそのまま教室に戻ることにした。少しだけぼんやりした頭で、明るい廊下を歩く。教室の前まで来ると、相変わらずガヤガヤと賑やかだった。結生はいつものように扉を開けて教室に入る。

 「…………優斗?」

 教室のドアを開けると、優斗と見慣れないクラスメイトが楽しそうに話している光景が目に入る。

 (楽しそう……というか──)

 ほんのり頬を染めた優斗が結生の姿に気付き、触れ合っていた手をパッと離し駆け寄る。

 「結生!もう大丈夫なのか?」

 「あ、あぁ…………」

 「え、本当に大丈夫か?無理しないで早退した方が……」

 今にも倒れてしまいそうな顔色に、優斗は心配そうに眉を下げる。

 「えっ……と、優斗……いま一緒にいたのって……」

 「え?──あぁ、向井?」

 「むかい…………」

 その名前に、結生は全く覚えがなかった。

 「えっと、他のクラスの奴……?」

 「えぇ?先週、転校して来たばっかだろ」

 優斗は何を言っているんだと笑い飛ばす。

 「転校……そう、だっけ…………」

 「え、本当に大丈夫か……?」

 先週……転校……グラグラとする頭で、結生は必死に記憶を辿る。あぁ、確かにそんな事もあったかもしれない……そうだ、どうして自分は忘れていたのだろうか──

 「それで……会ったばかりなのに、随分と仲良さそうだったけど……」

 「えっ?!えっと……」

 そわそわと照れたような仕草に、結生の胸がざわつく。

 「実は、向井に告白されてさ」

 「…………は?」

 こそこそと可愛らしく報告する優斗の言葉を、結生の頭は瞬時に理解することができなかった。

 「こく、はく……って…………は…………?」

 状況がまったく飲み込めない結生は、ただただ混乱する。優斗が告白された?転校してきたばかりの奴に?いや、それよりも──
 それで優斗は何と答えたのか、そう訊ねる前に……結生には分かってしまった。

 「それで……付き合うことになったんだ」

 恥ずかしそうに告げられ、結生はヒュッと息をのむ。
 いつか優斗も恋をして、可愛らしい彼女ができるのだろう──幼馴染として側にいることを選んだ時から、いつか来るであろう未来は覚悟していた。彼女と喧嘩をして、相談される事もあるかもしれない……その時には全力で優斗の力になろうと決めていた。

 (いや…………これは無いだろ…………)

 目の前が暗くなり、結生は浅い呼吸を繰り返す。胃の辺りが鉛のように重たく、全身にのしかかる重力に負けてしまいそうだった。

 「オレ、今まで好きな子とかいなくてさ……」

 優斗がはにかみながら言葉を紡ぐ。
 ──聞きたくない
 嫌だ、やめてくれと切に願ったが優斗に届くことはなかった。

 「でも向井に告白されて……自分の恋愛対象が男だってことに気付いたんだ」

 頭を鈍器で殴られたかのような衝撃に、結生はついに立っていられなくなった。近くの机に手をつき、何とか自身の身体を支える。肩で息をしながら、必死に肺に酸素を送り込む。

 「優斗ー今日の帰りだけどさ」

 こちらに歩きてきた向井が、親しげに目の前の優斗に話しかける。当たり前のように隣に立ち、その名を呼ぶ『優斗の恋人』の姿に吐き気が込み上げてくる。結生はゴメンと小さく残し、口元をおさえながらトイレに駆け込んだ。

 「大丈夫かな、結生……」

 「優斗の大切な幼馴染だもんな、後で様子を見に行くか」

 結生が出て行った教室のドアを心配そうに見つめる優斗の肩を、向井が優しく抱き寄せる。その温もりに優斗はほっと息を吐き、ふわりと笑みを浮かべながら向井を見上げた。




 「う……っ」

 トイレの個室に篭り、うずくまりながら結生は苦しそうにえずく。先ほどの優斗の言葉と表情が頭から離れない。

 (恋愛対象が男…………?)

 それなら、自分にもチャンスはあったのだろうか。

 (オレは今まで…………今まで何のために──)

 優斗の隣にいるため、そう自分に言い聞かせ溢れそうな恋心を隠し続けてきた。自分の恋は実らない、そう決めつけ線を引いているうちに突然現れた知らない男に優斗を奪われてしまった。

 「何だよ……じゃあオレが好きだって言ったら受け入れてくれたのか……?」

 結生の瞳に涙が溢れ、やがてポタポタと零れ落ちる。

 「何であんな……オレの方がよっぽど優斗のこと……」

 しかし、自分はその気持ちを決して口には出さなかった。優斗の隣にいるために、幼馴染という立場を利用した。

 (アイツは……ちゃんと告白したんだな……)

 もう2度と笑いかけてもらえないかもしれない、そんな恐怖に打ち勝ち想いを口にした。

 「オレは……勝負の土俵にすら上がらなかった」

 ポツリとこぼし、結生は自身のズボンをギュッと握り締める。

 「…………逆恨みも良いところだな」

 結生はシャツの袖でゴシゴシと涙を拭き、静かに立ち上がる。同性である向井との恋を応援できるほど、結生の心に余裕はなかった。かといって、2人を心の底から憎む事もできない。

 (せめて、優斗の邪魔だけはしないようにしないと……)

 結生はフラフラと個室から出て、手洗い場の鏡に目をやる。すっかり生気を失い、擦ってしまったため目元が赤くなっている。

 「こんな顔で戻ったら心配されるな」

 結生は静かに自嘲して、顔を洗おうと水道の蛇口を捻る。
 心配──こんな惨めな自分を誰が心配するのだろうか……結生は虚な瞳で、排水溝に吸い込まれていく蛇口の水を眺める。いっそ、この水のようにどこかへ消えてしまえたら……そう思った時、ふと遠くから声が聞こえた。
 結生は蛇口を閉め、辺りを確認する。が、その場には自分の姿しかなかった。空耳だろうか……そう思った次の瞬間、今度は結生の耳にはっきりと声が届いた。

 『オレを独りにするなよ……』

 聞き間違えるはずがない、それは今にも消え入りそうな優斗の声だった。

 (何で優斗の声が…………)

 瞬間、ズキッと頭が痛み始め結生は顔をしかめる。ドクドクと心臓が脈打ち、不意に焦燥感に駆られる。

 (何だ……何か大事なことを忘れているような……)

 『なぁ、そろそろ起きてくれよ……』

 (起きる……?何を言って…………)

 ズキズキと痛む頭を押さえながら、結生は必死に優斗の言葉について考える。いや、それよりも──

 「優斗の側に……行かなきゃ……」

 今にも泣き出しそうな優斗の声に、結生は居ても立っても居られなかった。早く行かないと……そう強く思った瞬間、結生の頭の中で何かが弾け目の前の鏡にピシリと亀裂が走った──