夏の夜にキミと2人で

 午後の授業が始まり、教室には教師の声と黒板にチョークを滑らせる音だけが響いている。昼食後ということもあり普段なら眠気が襲ってくる頃だが、先ほどの出来事が頭から離れず優斗の心臓はバクバクと騒がしかった。授業に集中しようとしても、顔を上げると必然的に結生の後ろ姿が目に入る。

 (何なんだよ、も〜〜〜っ)

 優斗は恨みがましく、その背中にじとっとした視線を送りつける。

 (付き合い始めた頃は、あんな……あれ?)

 結生と付き合い始めた頃の記憶を呼び起こそうとしたが、どういう経緯でそうなったのか全く思い出せず優斗は首を傾げる。結生が告白してくれて……いや、オレが告白して……?先ほどまでのドキドキとは一変し、優斗の心臓が早鐘を打ち始める。

 (そもそも、オレと結生は付き合ってたか……?)

 胸の辺りがザワザワと落ち着かず、段々と手足が冷たくなってくる。

 「……と、……優斗」

 自分の名前を呼ぶ声にハッと顔を上げる。

 「授業もう終わったよ?」

 「あ、あぁ……」

 不思議そうな顔をした結生に、何とか返事をする。
 何かがおかしい──……
 しかし、それが具体的に何なのか優斗には分からなかった。

 「なぁなぁ、葉山と佐倉も一緒に行かないか?!」

 優斗が難しい顔をしていると、唐突に茂木が興奮した様子で話しかけてくる。

 「え、何の話」

 あまりにも普段通りの茂木の姿に、思わず普通に返事をしてしまう。

 「椎名と話してたんだけどさ、この学校には七不思議ならぬ4つの噂があってさ!」

 「ななふしぎ……」

 奇妙な響きを感じ、優斗が小さく繰り返す。

 「4人で、夜の学校で肝試ししようぜ!」

 茂木がワクワクした様子で提案する。

 (肝試し……何だ、何かが引っ掛かるような……)

 「オレは優斗次第かな」

 「お前ら本当ベッタリだよなー」

 「だって肝試しだろ?優斗に守ってもらわないと」

 「え?」

 思考を巡らせていた優斗だが、結生の言葉に思わず聞き返してしまう。

 「オレに守って、もらう……?」

 「うん?だって優斗はオレのヒーローだろ?」

 にこりと笑う結生の言葉に、頭の中をチリッとした何かが走る。それが怒りだと理解した瞬間、優斗は勢いよく椅子から立ち上がり目の前の『結生』を睨み付け、大きく口を開く。

 「誰だ、お前!!!!」

 自分でも驚くほど、怒りに満ちた声がビリビリと全身を震わせる。確かに結生を守るのは優斗の役目だ。そして、そんな優斗のことを結生はいつもヒーローだと言ってくれた。しかし、結生の口から「守って欲しい」という言葉が出てくることは1度たりともなかった。

 (小さい頃、どんなに嫌な思いをしても……どんなに泣いても……)

 「結生はそんなこと言わない!!!!」

 大切な幼馴染を侮辱され、怒りで頭が焼き切れそうだった。はらわたが煮えくり返るとはよく言うが、沸々と腹の底から湧き上がってくるそれに、こういうことかと優斗は生まれて初めて理解した。

 「ゆ、優斗……?」

 目の前の人物が、困惑の色を浮かべながら優斗に触れようと手を伸ばす。

 「触るな!!」

 伸びてきた手を思いきり払い退け、優斗は目の前の人物をキツく睨みつける。

 「………………ふふ」

 優斗に拒絶され俯いたかと思うと、結生に扮したそれは小さく笑い声を漏らす。

 「えっと……葉山……?佐倉……?」

 間近で2人のやり取りを見ていた茂木が、不安そうな顔で交互に視線を送る。

 「あはっ……あははははははははは!」

 俯いていた目の前の人物が、椅子に座ったまま天井を見上げる姿勢で狂ったように笑い始め、突然の出来事に優斗の肩がビクッと跳ねる。

 「君は本当に強いねぇ」

 どろりとした目で見つめられ、甘さを含んだ声音に背筋がゾワリと冷たくなる。優斗は無意識に後退り、目の前のそれから距離を取ろうとする。

 「でも…‥.向こうの彼はどうかな」

 「え」

 ふわりと妖艶な笑みを浮かべたかと思うと、突然バチンと全ての電気が消える。
 先ほどまで暖かな光が降り注いでいた窓も、結生と2人で見た時と同じように真っ黒に塗り潰されている。暗闇に包まれ優斗が身構えると、チカチカと天井の蛍光灯が点滅し始め、数秒後にはフッと全ての明かりが点く。周りにいたはずのクラスメイトは全て消え、しんと静まり返った教室には優斗だけが残されていた。

 「なん、だったんだ……」

 全身から力が抜けるのを感じながら、優斗はゆっくりと辺りを見回す。すると、夜8時を指す掛け時計が目に留まる。

 『向こうの彼はどうかな』

 ふと先ほどの言葉を思い出し、優斗は教室のドアを勢いよく開け廊下に飛び出す。左右を確認すると、誰かが隣の教室の前でうつ伏せの状態で倒れていた。本能的にそれが結生だと理解した優斗は、その姿を目にしたと同時に駆け出す。

 「結生!!!!」

 叫びながら駆け寄るも、倒れている人物はピクリともしない。

 「結生!おい結生!!」

 背中を揺さぶりながら名前を呼ぶが、反応はない。優斗は急いで結生の身体を仰向けの状態にして、呼吸と脈拍を確認する。
 しばらく様子を見ていたが、特に問題はなさそうで優斗はひとまず安心して息をつく。

 「……結生、ゆーき」

 何度か声を掛けながら肩や頬を軽く叩いてみたが、結生が目を覚ます様子はない。

 「困ったな……」

 冷たい床の上にそのまま寝かせておくわけにはいかないが、自分の体格では結生を抱えて移動することはできない。

 「オレが身長2mのイケメンだったら……!」

 優斗は自身の身長を恨んだが、そんなことを言っていても事態は変わらない。
 しばらく悩んだ末、優斗は1階の保健室から毛布を持ってくることに決めた。この状況下で結生の側から離れるのは不安だったが、それ以上に結生の身体が心配だった。

 「ちょっとだけ待っててな!」

 優斗はひと声かけると廊下を駆け出し、そのまま跳ねるように階段を下りる。保健室に着くとベッドからタオルケットと毛布を剥ぎ取り、もと来た道を急いで戻る。
 階段を駆け上がり、呼吸を荒げながら廊下に目をやると先ほどと変わらない場景が目に入る。

 「はぁ、良かった……」

 ほっとした優斗は肩で息をしながら結生の側にしゃがみ込み、その背中に腕を回して抱きかかえる形で横向きに90度ほど傾ける。そのまま器用に床に毛布を敷き、結生の身体を元に戻す。
 位置的にギリギリではあるが、何とか結生の身体を毛布の上に寝かせることができた。続けて、一緒に持ってきたタオルケットを胸元から丁寧に掛ける。

 「とりあえず、何もないよりマシだろ」

 優斗は乱れてしまった結生の前髪を直しながら一息つく。

 (相変わらず綺麗な‪顔してるよなー……)

 ぼんやりと結生の顔を眺めていると、ふと屋上でキスしたことを思い出し優斗の顔がカッと熱を帯びる。

 (なっ……なに思い出してんだ、こんな時に!)

 優斗は屋上での記憶を消し去ろうと頭をブンブンと振ったが、忘れようとするほどに結生の唇の感触や息遣いが鮮明に思い出され、次第に鼓動が激しくなっていく。
 結局あれは何だったのか──優斗は心を落ち着けるため、先ほどまでの奇妙な体験に思考を巡らせる。

 (ていうかオレ……)

 「嫌じゃなかったんだよな……」

 指先で自身の唇に触れながら、優斗はポツリと呟く。キス自体、優斗にとって初めての経験だった。それどころか、恋人はおろか誰かを好きになったこともなかった。

 (隣に結生がいれば、それだけで良かったんだよな……)

 結生はどう思っているのだろうか。今まで結生の恋愛事情について聞いたことはなかったが、好きな子がいたことはあったのか。
 そんなことを考えていると、ふとモヤモヤした感覚が優斗の胸に生まれる。何とも言い難い感情にうっすらとした不快感を覚えていると、結生が小さく身じろぎをする。

 「っ結生?!」

 結生が目を覚ましたと思った優斗は、すぐさま顔を覗き込む。

 「う、ん…………」

 しかし結生の瞳は閉じられたままで、魘されているのか眉間には皺が寄せられていた。

 「結生、ゆき!」

 優斗は苦しそうな結生を何とか起こそうと声を掛ける。すると呻き声は段々と小さくなり、やがて規則正しい呼吸音に変わる。

 「結生……」

 穏やかな表情に安堵した一方、目の前で眠り続ける結生の姿にじわじわと不安な気持ちが押し寄せる。

 「なぁ、そろそろ起きてくれよ……」

 優斗は結生に掛けたタオルケットを、ギュッと握り締めた──……