どのくらいの時間が経ったのだろうか。ふと目の前の教室から人の気配を感じ、優斗は思わず顔を上げる。
「2-A…………?」
先程まで1階にいたはずだが、視線の先にあったのは自分のクラスを示すプレートだった。ざわざわと声が聞こえる扉の向こうを、小さなガラス越しにこっそりと覗く。
「あっ優斗!」
パチっと目が合った結生が、笑顔でこちらに手を振る。
「えっ……」
不可解な点はいくつもあったが、目の前に結生がいるという事実に優斗は思わず扉を開けて教室の中に足を踏み入れてしまう。目の前には普段通りの光景が広がり、窓からは温かな日差しが降り注いでいた。
「どこ行ってたんだよ」
「あ、えっと……」
結生に問いかけられ、先程までの出来事は全て夢だったのではないかと錯覚する。
──錯覚?
(あれ、オレさっきまで何してたんだっけ……)
目の前の結生の顔をじっと見つめる。
「優斗?大丈夫か?」
いつもと様子の違う優斗の顔を、結生が心配そうに覗き込む。
「あー……うん、大丈夫。何でもないよ!」
モヤモヤとした何かを振り払うように、大丈夫だと自分に言い聞かせながら笑顔で答える。普段と何も変わらないのに、なぜだか心がザワザワと落ち着かない。
“キーンコーンカーンコーン“
昼休みの終了を告げるチャイムが教室に響く。あぁ、もうそんな時間か……優斗は黒板の横の掛け時計に目をやる。
「それじゃ、また後でな」
結生はふわりと笑みを残し、1つ前の席に座る。優斗も自分の席に着き、机から教科書を取り出し授業の準備を始める。教室の扉がガラリと開き、いつものように英語の教科担任が入って来る。重要な箇所にマーカーで線を引きながら、黒板に書かれた文字をノートに書き写していく。
「それじゃあ、この文を……佐倉さん、お願いします」
「はい」
目の前の結生が当てられ、スラスラと流暢な英語で教科書の文章を読み上げる。英語に限らず、結生は全ての教科において成績優秀だった。その全てには、もちろん体育も含まれている。
小学校の中学年頃から結生の身長はグングン伸び、いつの間にか泣き虫もおさまっていた。テストでは常に90点以上を取り、かけっこでは優斗の次に速かった。
中学校に上がり、同じくらいだった身長はついに結生に抜かされてしまう。相変わらず成績優秀な結生に対し、優斗の成績は徐々に落ちていった。幼馴染ということもあり、周囲に比べられることも多くなってくる。
そのことに対して特に劣等感を抱くことはなかったが、ある日のテストで結生が96点、優斗が45点を取ったことがあった。その時に先生が「いつも一緒にいるのに何でこんなに差が付いてしまうのか」とうっかりこぼしてしまった。先生はすぐにハッとして優斗の運動神経を褒めてフォローしようとしたが、その時の言葉は今でも優斗の中で小さなトゲとなって残っている。
大切な幼馴染が褒められることは、優斗にとってとても誇らしいことで自分のことのように嬉しかった。しかし、その優秀な幼馴染が自分と一緒にいることで悪く言われることは耐えられなかった。なぜ一緒にいるのか、そんなことを言われてしまう日が来るかもしれない…漠然とした恐怖から、優斗は結生に勉強を教えてもらうようになった。
分かりやすい説明のおかげで優斗の成績も徐々に伸び、今では常に平均点以上をキープできている。自信を持って結生の隣に立つための努力を、優斗は惜しまなかった。
「はい、ありがとうございます。とても綺麗な発音ですね。折角なので、次の文章もお願いできますか?」
「分かりました」
優斗の席からは後ろ姿しか見えないが、その声音からはにかんでいる様子が見て取れた。
(照れると可愛いんだよなー……)
無意識に優斗の口元がゆるりと弧を描く。
心地よい声を聞いていると安心感に包まれ、だんだんと瞼が重くなっ て、く る───
「……と、……優斗!」
「んぇっ?!」
ヤバイ寝てた!と優斗はガバッと起き上がる。
起き……上がったはずが、自分の膝の上には弁当箱が置かれていた。
「え、あれ……?」
状況が分からず優斗が辺りを見回す。頭上にはどこまでも広がる青い空、それを区切るように白いフェンスが優斗たちを囲っている。
あぁそうだ、いつも通り結生と一緒に屋上で弁当を食べてたんだった。優斗の頭が段々とクリアになる。
「大丈夫か…?」
隣で同じように弁当を広げている結生が、心配そうに顔を近付ける。艶のある綺麗な黒髪が、さらりと春風に吹かれる。
「うん、ちょっとぼーっとしてただけ!」
「そっか、なら良いけど」
結生が安心したように優しく微笑む。
「あまり時間もないし、早く食べちゃわないと」
「あれ、もうそんな時間だっけ?」
結生の言葉に、優斗がスマホを取り出し時間を確認する。スマホ……?モヤモヤとした何かが、優斗の心を騒つかせる。
「うん、オレは1秒でも長く優斗と長く触れ合っていたいから」
耳元で甘く囁き、するりと優斗の手の甲に指を滑らせる。ピクリと肩が揺れたのも束の間、驚いた優斗は弁当箱を抱えてズザザッと距離を取る。
「えっ……へっ?!」
心臓がバクバクと脈打ち、真夏のように顔が熱くなる。
「優斗……?」
拒絶ともとれる反応に、優斗に触れていた結生の右手が行き場を失う。
「えっと……ゴメン、ね…………」
目を丸くしていた結生だが、次第に顔を曇らせ悲しそうに俯いてしまう。
「え!あ、いや!違くて!」
優斗は焦って身を乗り出し、持っていた弁当箱を地面に置く。
「ご、ゴメン。何でか分からないけどビックリしちゃって……嫌とかじゃなくて、本当に……」
結生の悲しそうな顔が無数の針のように心に刺さり、優斗は言葉を尽くし弁明を試みる。
「ゴメン…………」
自分の語彙力では結生に上手く説明することができず、優斗はしゅんとしながら小さく謝罪の言葉を重ねる。
「優斗……こっちこそゴメン、そんな顔しないで」
結生の手が優しく優斗の頭を撫でる。
「結生……」
顔を上げると、熱っぽい視線に射抜かれる。
(あ、この表情……)
2人の視線が絡み合い、優斗はそっと目を閉じる。優しく頬に手を添えられ、ゆっくりと結生の顔が近付いてくる気配を感じる。柔らかな感触が重なり合い、優斗の心拍数が上昇していく。
「ん……」
触れ合った部分から熱が広がり、次第に全身に広がっていく。
「ち、ちょっと結生……」
結生の唇が首筋をなぞり始め、優斗は慌てて制止する。が、結生は止まることなく舌を這わせ始める。
「や……っ」
「葉山ー佐倉ー次の授業は移動教室らしいぜー!」
バーンッと勢いよくドアが開き、茂木が屋上にやって来る。
「…………お前ら何してんの」
「えっと……立ち上がろうとしたオレの足がもつれて結生が支えてくれようとしたんだけど一緒にバランス崩しちゃって……あはははは!」
口から出まかせとは、正にこのことだろう。スルスルと自身の口から出てきた言葉に驚きつつ、優斗は勢いだけで誤魔化そうと試みる。
「おいおい、気を付けろよ……怪我してねぇか?」
「お、おう!平気!」
茂木は疑うことなく、心配そうに手を貸してくれる。若干の申し訳なさを感じつつ、優斗は素直に手を借りて立ち上がる。
(た、助かった……)
優斗はドキドキと高鳴っていた胸を落ち着けるために、ゆっくりと深呼吸をする。すると、爆発しそうだった顔の熱も次第におさまってくる。
「移動教室らしいし、早く戻ろう……ぜ?」
結生に呼びかけながら振り返ると、ものすごくムスッとした顔で立っている。
「えぇと……結生……?」
「…………何でもない。早く戻ろうか」
小さく溜息をついたかと思うと、次の瞬間にはいつも通りの様子に戻っていた。優斗はほっと胸を撫で下ろし、茂木に続いて屋上の出入り口に向かう。
「続きは放課後に、ね」
ふいに耳元で囁かれ、優斗はバッと左耳を押さえながら勢いよく振り返る。顔を真っ赤にして動揺している優斗の姿に、結生は満足そうに口角を上げた。
「2-A…………?」
先程まで1階にいたはずだが、視線の先にあったのは自分のクラスを示すプレートだった。ざわざわと声が聞こえる扉の向こうを、小さなガラス越しにこっそりと覗く。
「あっ優斗!」
パチっと目が合った結生が、笑顔でこちらに手を振る。
「えっ……」
不可解な点はいくつもあったが、目の前に結生がいるという事実に優斗は思わず扉を開けて教室の中に足を踏み入れてしまう。目の前には普段通りの光景が広がり、窓からは温かな日差しが降り注いでいた。
「どこ行ってたんだよ」
「あ、えっと……」
結生に問いかけられ、先程までの出来事は全て夢だったのではないかと錯覚する。
──錯覚?
(あれ、オレさっきまで何してたんだっけ……)
目の前の結生の顔をじっと見つめる。
「優斗?大丈夫か?」
いつもと様子の違う優斗の顔を、結生が心配そうに覗き込む。
「あー……うん、大丈夫。何でもないよ!」
モヤモヤとした何かを振り払うように、大丈夫だと自分に言い聞かせながら笑顔で答える。普段と何も変わらないのに、なぜだか心がザワザワと落ち着かない。
“キーンコーンカーンコーン“
昼休みの終了を告げるチャイムが教室に響く。あぁ、もうそんな時間か……優斗は黒板の横の掛け時計に目をやる。
「それじゃ、また後でな」
結生はふわりと笑みを残し、1つ前の席に座る。優斗も自分の席に着き、机から教科書を取り出し授業の準備を始める。教室の扉がガラリと開き、いつものように英語の教科担任が入って来る。重要な箇所にマーカーで線を引きながら、黒板に書かれた文字をノートに書き写していく。
「それじゃあ、この文を……佐倉さん、お願いします」
「はい」
目の前の結生が当てられ、スラスラと流暢な英語で教科書の文章を読み上げる。英語に限らず、結生は全ての教科において成績優秀だった。その全てには、もちろん体育も含まれている。
小学校の中学年頃から結生の身長はグングン伸び、いつの間にか泣き虫もおさまっていた。テストでは常に90点以上を取り、かけっこでは優斗の次に速かった。
中学校に上がり、同じくらいだった身長はついに結生に抜かされてしまう。相変わらず成績優秀な結生に対し、優斗の成績は徐々に落ちていった。幼馴染ということもあり、周囲に比べられることも多くなってくる。
そのことに対して特に劣等感を抱くことはなかったが、ある日のテストで結生が96点、優斗が45点を取ったことがあった。その時に先生が「いつも一緒にいるのに何でこんなに差が付いてしまうのか」とうっかりこぼしてしまった。先生はすぐにハッとして優斗の運動神経を褒めてフォローしようとしたが、その時の言葉は今でも優斗の中で小さなトゲとなって残っている。
大切な幼馴染が褒められることは、優斗にとってとても誇らしいことで自分のことのように嬉しかった。しかし、その優秀な幼馴染が自分と一緒にいることで悪く言われることは耐えられなかった。なぜ一緒にいるのか、そんなことを言われてしまう日が来るかもしれない…漠然とした恐怖から、優斗は結生に勉強を教えてもらうようになった。
分かりやすい説明のおかげで優斗の成績も徐々に伸び、今では常に平均点以上をキープできている。自信を持って結生の隣に立つための努力を、優斗は惜しまなかった。
「はい、ありがとうございます。とても綺麗な発音ですね。折角なので、次の文章もお願いできますか?」
「分かりました」
優斗の席からは後ろ姿しか見えないが、その声音からはにかんでいる様子が見て取れた。
(照れると可愛いんだよなー……)
無意識に優斗の口元がゆるりと弧を描く。
心地よい声を聞いていると安心感に包まれ、だんだんと瞼が重くなっ て、く る───
「……と、……優斗!」
「んぇっ?!」
ヤバイ寝てた!と優斗はガバッと起き上がる。
起き……上がったはずが、自分の膝の上には弁当箱が置かれていた。
「え、あれ……?」
状況が分からず優斗が辺りを見回す。頭上にはどこまでも広がる青い空、それを区切るように白いフェンスが優斗たちを囲っている。
あぁそうだ、いつも通り結生と一緒に屋上で弁当を食べてたんだった。優斗の頭が段々とクリアになる。
「大丈夫か…?」
隣で同じように弁当を広げている結生が、心配そうに顔を近付ける。艶のある綺麗な黒髪が、さらりと春風に吹かれる。
「うん、ちょっとぼーっとしてただけ!」
「そっか、なら良いけど」
結生が安心したように優しく微笑む。
「あまり時間もないし、早く食べちゃわないと」
「あれ、もうそんな時間だっけ?」
結生の言葉に、優斗がスマホを取り出し時間を確認する。スマホ……?モヤモヤとした何かが、優斗の心を騒つかせる。
「うん、オレは1秒でも長く優斗と長く触れ合っていたいから」
耳元で甘く囁き、するりと優斗の手の甲に指を滑らせる。ピクリと肩が揺れたのも束の間、驚いた優斗は弁当箱を抱えてズザザッと距離を取る。
「えっ……へっ?!」
心臓がバクバクと脈打ち、真夏のように顔が熱くなる。
「優斗……?」
拒絶ともとれる反応に、優斗に触れていた結生の右手が行き場を失う。
「えっと……ゴメン、ね…………」
目を丸くしていた結生だが、次第に顔を曇らせ悲しそうに俯いてしまう。
「え!あ、いや!違くて!」
優斗は焦って身を乗り出し、持っていた弁当箱を地面に置く。
「ご、ゴメン。何でか分からないけどビックリしちゃって……嫌とかじゃなくて、本当に……」
結生の悲しそうな顔が無数の針のように心に刺さり、優斗は言葉を尽くし弁明を試みる。
「ゴメン…………」
自分の語彙力では結生に上手く説明することができず、優斗はしゅんとしながら小さく謝罪の言葉を重ねる。
「優斗……こっちこそゴメン、そんな顔しないで」
結生の手が優しく優斗の頭を撫でる。
「結生……」
顔を上げると、熱っぽい視線に射抜かれる。
(あ、この表情……)
2人の視線が絡み合い、優斗はそっと目を閉じる。優しく頬に手を添えられ、ゆっくりと結生の顔が近付いてくる気配を感じる。柔らかな感触が重なり合い、優斗の心拍数が上昇していく。
「ん……」
触れ合った部分から熱が広がり、次第に全身に広がっていく。
「ち、ちょっと結生……」
結生の唇が首筋をなぞり始め、優斗は慌てて制止する。が、結生は止まることなく舌を這わせ始める。
「や……っ」
「葉山ー佐倉ー次の授業は移動教室らしいぜー!」
バーンッと勢いよくドアが開き、茂木が屋上にやって来る。
「…………お前ら何してんの」
「えっと……立ち上がろうとしたオレの足がもつれて結生が支えてくれようとしたんだけど一緒にバランス崩しちゃって……あはははは!」
口から出まかせとは、正にこのことだろう。スルスルと自身の口から出てきた言葉に驚きつつ、優斗は勢いだけで誤魔化そうと試みる。
「おいおい、気を付けろよ……怪我してねぇか?」
「お、おう!平気!」
茂木は疑うことなく、心配そうに手を貸してくれる。若干の申し訳なさを感じつつ、優斗は素直に手を借りて立ち上がる。
(た、助かった……)
優斗はドキドキと高鳴っていた胸を落ち着けるために、ゆっくりと深呼吸をする。すると、爆発しそうだった顔の熱も次第におさまってくる。
「移動教室らしいし、早く戻ろう……ぜ?」
結生に呼びかけながら振り返ると、ものすごくムスッとした顔で立っている。
「えぇと……結生……?」
「…………何でもない。早く戻ろうか」
小さく溜息をついたかと思うと、次の瞬間にはいつも通りの様子に戻っていた。優斗はほっと胸を撫で下ろし、茂木に続いて屋上の出入り口に向かう。
「続きは放課後に、ね」
ふいに耳元で囁かれ、優斗はバッと左耳を押さえながら勢いよく振り返る。顔を真っ赤にして動揺している優斗の姿に、結生は満足そうに口角を上げた。
