2人は階段を下り、1階にある音楽室に向かう。全ての教室の電気が点けられ、校内はまるで昼間のようだったが外は相変わらず真っ暗なままだった。音楽室の前まで歩き、優斗と結生は足を止める。
「えーと、夜中に誰もいない音楽室からピアノの音が聞こえる……だっけ?」
「夜中ではないから、何とも言えないけどな」
校内に忍び込んでからだいぶ時間が経っている気がするが、今は何時なのだろうか?ふと気になり、結生は左手の腕時計の文字盤を覗く。
「結生?どうかしたか?」
「いや、何でもないよ」
夜8時を指す腕時計を背中に隠し、結生は笑顔で答える。
「ピアノ……の音はしないよな」
「うーん、とりあえず入ってみる?」
「そうだな……よし、オレがドアを開けるから結生は後ろにいてくれ」
「ふふ、分かった」
「ん?オレ何か面白いこと言ったか?」
結生の柔らかな笑い声に、優斗は不思議そうな顔で振り返る。
「いや、優斗の背中にいつも守られてきたなーと思って」
「そりゃー結生を守るのはオレの役目だからな!」
優斗は誇らしげに胸を叩きながら、自信満々に答える。物心がついた頃から、結生を守ることは自分の役割りであり使命でもあった。そして、それは今でも変わっていない。
「けど……」
「優斗?どうかした?」
「昔は身長もオレの方が高かったけどさ、いつの間にか抜かされてるし……」
大人びた結生に反し、子供っぽく見られる自分。泣き虫だったはずの結生は、誰もが見惚れる立派な少年に成長していた。
「身長なんて関係ないよ」
結生が短い沈黙を破る。
「優斗は今も昔も、オレにとってはヒーローだよ」
『ヒーロー』
幼い頃、結生はいつも自分のことをそう呼んでくれた。久し振りに聞く懐かしい響きに、遠い記憶が呼びおこされる──…….
***
「こらぁーー!!!」
麗らかな午後、怒気を含んだ大きな声が園内に響き渡る。保護者の間でもガキ大将として有名な葉山優斗のそれに、クラス担任の白鳥は「またか…」と頭を抱えつつ足早に向かう。
「今度はどうしたの」
園庭にいた子供たちの側にしゃがみ込み、目線の高さを合わせた白鳥が問いかける。
「こいつらが、またユキのこと女の子あつかいしたんだよ!」
ユキ──佐倉結生は優斗と幼馴染の、可愛らしい男の子である。やや長めの艶やかな黒髪に丸く大きな瞳、お人形さんみたい!と、お母さんたちの間でも密かな人気になっている。大人しく控えめな性格も相まって、女の子たちとも仲良く遊んでいる。名前も平仮名にすると『さくら ゆき』となるため、一部の男の子たちが結生を揶揄うことが度々あった。
「ユキは男だって、なんども言ってるだろ!」
そして、その度に幼馴染の優斗が結生の前に立ち男の子たちと言い合いをしていた。
「せんせい、ゆーとはわるくないよ」
瞳に涙を溜めた結生が、自身のズボンをきゅっと握りながら訴えかける。ガキ大将と言われてはいるが、ただ周りの子たちより少しだけ元気な優しい子であることを、クラス担任の白鳥はよく理解している。
「大丈夫、先生ちゃんと分かってるよ」
白鳥は安心させるように、結生の頭を優しく撫でながら微笑む。
「優斗くんは、結生くんにとってヒーローだもんね」
「…っうん!」
ヒーローという言葉に、結生は向日葵のような笑顔を向ける。いつも自分のことを守ってくれる優斗は、結生にとって強くて優しくて格好良いヒーローだった。そして、そのヒーローの隣に並べるような強さが欲しいと結生はひっそりと願っていた。
***
「………と、優斗!」
優斗は、自身を呼ぶ声にハッとする。
「あ……わ、悪い。ちょっと考え事してた」
「本当に大丈夫か……?」
はははっと笑う優斗に、結生が心配そうに尋ねる。
「大丈夫だって!さーて、音楽室の中を覗いてみますか」
優斗は目の前のドアノブを握り、ガチャリと開ける。ピアノどころか何の音もせず、普段と何も変わらなかった。
「やっぱガセかぁ……」
ひと通り音楽室の中を確認し、優斗が廊下に戻って来る。
「次は誰もいない教室だっけ?教室ってどこの……」
静かにドアを閉めてから振り返ると、そこにいるはずの結生がいなかった。
「え、結生……?トイレか……?」
優斗は近くの男子トイレに向かい「結生ー」と声を掛けるが、返事はない。入口のドアを開け中を覗くが、結生の姿はなかった。
「マジ……どこ行ったんだ……」
そもそも、この状況下で結生が自分に黙ってトイレに行くなど考えられなかった。じわじわと焦りが募り、優斗はポケットに手を突っ込む。連絡をしようと取り出したスマホは、自分のものではなく結生のものだった。
「あ、返すの忘れてた……」
送られてきた奇妙な文章を隠すように、結生の手からスマホを抜き取ったことを思い出す。
「あーー……何やってんだよオレ……」
結生のスマホを握り締め、優斗はガシガシと頭を掻く。ふと窓の方に目をやると、真っ暗なそこに優斗の姿が映し出される。この広い校舎に1人きりという事実が、ぞわりと優斗の背筋を撫でる。途端に心臓がバクバクと騒ぎ出し、指先が冷たくなってくる。
「どこ行ったんだよ、結生……」
弱々しく呟き、優斗はその場にしゃがみ込む。オレは強くも格好良くもない。結生がいつもキラキラした目で頼りにしてくれるから、ずっと結生だけのヒーローでいられた。夜の学校に閉じ込められるという信じられない状況でも、結生と2人なら大丈夫だと安心感に包まれていた。
「オレを独りにするなよ……」
ぽつりと溢し、優斗は自身の膝をぎゅうっと抱え込む。ピアノの音が聞こえると噂されるその場所は、しんと静まり返っていた。
「えーと、夜中に誰もいない音楽室からピアノの音が聞こえる……だっけ?」
「夜中ではないから、何とも言えないけどな」
校内に忍び込んでからだいぶ時間が経っている気がするが、今は何時なのだろうか?ふと気になり、結生は左手の腕時計の文字盤を覗く。
「結生?どうかしたか?」
「いや、何でもないよ」
夜8時を指す腕時計を背中に隠し、結生は笑顔で答える。
「ピアノ……の音はしないよな」
「うーん、とりあえず入ってみる?」
「そうだな……よし、オレがドアを開けるから結生は後ろにいてくれ」
「ふふ、分かった」
「ん?オレ何か面白いこと言ったか?」
結生の柔らかな笑い声に、優斗は不思議そうな顔で振り返る。
「いや、優斗の背中にいつも守られてきたなーと思って」
「そりゃー結生を守るのはオレの役目だからな!」
優斗は誇らしげに胸を叩きながら、自信満々に答える。物心がついた頃から、結生を守ることは自分の役割りであり使命でもあった。そして、それは今でも変わっていない。
「けど……」
「優斗?どうかした?」
「昔は身長もオレの方が高かったけどさ、いつの間にか抜かされてるし……」
大人びた結生に反し、子供っぽく見られる自分。泣き虫だったはずの結生は、誰もが見惚れる立派な少年に成長していた。
「身長なんて関係ないよ」
結生が短い沈黙を破る。
「優斗は今も昔も、オレにとってはヒーローだよ」
『ヒーロー』
幼い頃、結生はいつも自分のことをそう呼んでくれた。久し振りに聞く懐かしい響きに、遠い記憶が呼びおこされる──…….
***
「こらぁーー!!!」
麗らかな午後、怒気を含んだ大きな声が園内に響き渡る。保護者の間でもガキ大将として有名な葉山優斗のそれに、クラス担任の白鳥は「またか…」と頭を抱えつつ足早に向かう。
「今度はどうしたの」
園庭にいた子供たちの側にしゃがみ込み、目線の高さを合わせた白鳥が問いかける。
「こいつらが、またユキのこと女の子あつかいしたんだよ!」
ユキ──佐倉結生は優斗と幼馴染の、可愛らしい男の子である。やや長めの艶やかな黒髪に丸く大きな瞳、お人形さんみたい!と、お母さんたちの間でも密かな人気になっている。大人しく控えめな性格も相まって、女の子たちとも仲良く遊んでいる。名前も平仮名にすると『さくら ゆき』となるため、一部の男の子たちが結生を揶揄うことが度々あった。
「ユキは男だって、なんども言ってるだろ!」
そして、その度に幼馴染の優斗が結生の前に立ち男の子たちと言い合いをしていた。
「せんせい、ゆーとはわるくないよ」
瞳に涙を溜めた結生が、自身のズボンをきゅっと握りながら訴えかける。ガキ大将と言われてはいるが、ただ周りの子たちより少しだけ元気な優しい子であることを、クラス担任の白鳥はよく理解している。
「大丈夫、先生ちゃんと分かってるよ」
白鳥は安心させるように、結生の頭を優しく撫でながら微笑む。
「優斗くんは、結生くんにとってヒーローだもんね」
「…っうん!」
ヒーローという言葉に、結生は向日葵のような笑顔を向ける。いつも自分のことを守ってくれる優斗は、結生にとって強くて優しくて格好良いヒーローだった。そして、そのヒーローの隣に並べるような強さが欲しいと結生はひっそりと願っていた。
***
「………と、優斗!」
優斗は、自身を呼ぶ声にハッとする。
「あ……わ、悪い。ちょっと考え事してた」
「本当に大丈夫か……?」
はははっと笑う優斗に、結生が心配そうに尋ねる。
「大丈夫だって!さーて、音楽室の中を覗いてみますか」
優斗は目の前のドアノブを握り、ガチャリと開ける。ピアノどころか何の音もせず、普段と何も変わらなかった。
「やっぱガセかぁ……」
ひと通り音楽室の中を確認し、優斗が廊下に戻って来る。
「次は誰もいない教室だっけ?教室ってどこの……」
静かにドアを閉めてから振り返ると、そこにいるはずの結生がいなかった。
「え、結生……?トイレか……?」
優斗は近くの男子トイレに向かい「結生ー」と声を掛けるが、返事はない。入口のドアを開け中を覗くが、結生の姿はなかった。
「マジ……どこ行ったんだ……」
そもそも、この状況下で結生が自分に黙ってトイレに行くなど考えられなかった。じわじわと焦りが募り、優斗はポケットに手を突っ込む。連絡をしようと取り出したスマホは、自分のものではなく結生のものだった。
「あ、返すの忘れてた……」
送られてきた奇妙な文章を隠すように、結生の手からスマホを抜き取ったことを思い出す。
「あーー……何やってんだよオレ……」
結生のスマホを握り締め、優斗はガシガシと頭を掻く。ふと窓の方に目をやると、真っ暗なそこに優斗の姿が映し出される。この広い校舎に1人きりという事実が、ぞわりと優斗の背筋を撫でる。途端に心臓がバクバクと騒ぎ出し、指先が冷たくなってくる。
「どこ行ったんだよ、結生……」
弱々しく呟き、優斗はその場にしゃがみ込む。オレは強くも格好良くもない。結生がいつもキラキラした目で頼りにしてくれるから、ずっと結生だけのヒーローでいられた。夜の学校に閉じ込められるという信じられない状況でも、結生と2人なら大丈夫だと安心感に包まれていた。
「オレを独りにするなよ……」
ぽつりと溢し、優斗は自身の膝をぎゅうっと抱え込む。ピアノの音が聞こえると噂されるその場所は、しんと静まり返っていた。
