夏の夜にキミと2人で

あっという間に季節は巡り、優斗たちは3年生になった。

「あっちー……」

強い日差しがジリジリと照りつけ、たまらず優斗は額の汗を拭う。

「おはよう優斗、今日も暑いな」

「おはよーもう朝から暑すぎだよ……オレ溶けてアイスになりそう……」

「はは、それは大変だ」

げんなりと訴える優斗の姿に、結生は楽しそうに笑う。白い入道雲が浮かぶ青い空の下、2人は学校へ向かい歩き出す。

「今日の1限目って何だっけ……」

「数学じゃなかったか?」

「うわ、朝からテンション下がる……」

理数系、特に数学が苦手な優斗は露骨に嫌そうな顔をする。

「もう少しで夏休みだし、苦手な部分はまたオレが教えるよ」

「助かります、結生大先生!」

優斗は大袈裟に手を合わせ、2人は楽しげに笑い合う。


「あ、おはよう葉山……大丈夫か?」

「だいじょばない……今すぐプールに飛び込みたい……」

下駄箱で靴を履き替えている向井に声を掛けられ、優斗は力なく答える。

「意外と暑さに弱いよなーお前」

向井と一緒にいた椎名が、持っていたうちわで優斗を扇ぐ。

「はぁ〜〜天国……」

幸せそうに扇がれる優斗の姿に、椎名は大袈裟だなと笑う。

「……オレも買おうかな、うちわ」

「今年は例年より暑いらしいからな、コイツには必要なんじゃないか?」

ぼそっと呟いた結生の言葉に、椎名は扇ぎながら口角を上げる。

「相変わらず過保護だねぇ」

横で見ていた向井は、言葉とは裏腹に可笑しそうに笑う。靴を履き替えた4人は、そのまま一緒に教室へ向かう。何の因果か、4人は揃って今年も同じクラスとなった。

「そういや結局、向井ってずっといるよな」

「え、なに急に」

「いや、階段を上ってたら1年前のこと思い出して」

結局あの後、向井は2-Aのクラスメイトとして過ごすこととなった。茂木が戻ってくることはなく、彼のことを知っているのはこの場にいる4人だけだった。

「そのうち茂木にも会えると思ってたんだけどなー……」

優斗が小さく呟き俯く。

「まぁ、また急に俺と茂木くんが入れ替わる可能性もあるんだし」

「えっそれはそれで嫌なんだけど。向井も茂木も一緒にいれば良いだろ」

不服そうな優斗の顔に、向井は思わず目を丸くする。

「何だよその顔、俺だってお前がいなくなったら困るぞ」

椎名が口を尖らせ、持っていたうちわで向井をつつく。

「え、ちょっと待って。何その急なデレ。2人揃って人たらしすぎるだろ」

向井は柄にもなく顔を赤くし、視線を泳がせる。

「本当だよなー向井がいなくなったら困るよなー」

「いや、お前は1ミリも思ってないだろ」

棒読みで混ざってきた結生に、向井はすかさずツッコミを入れる。4人は楽しそうに笑い合いながら、教室のドアを開ける。

「それじゃーまた後でな」

向井は偏差値の高い大学を目指しているらしく、朝のホームルームまでのわずかな時間までも勉強に充てている。量子力学などについて研究したいらしいが、説明を聞いても優斗にはよく分からなかった。

「はぁ、オレも頑張って勉強しないとな……」

優斗は机の上にリュックを下ろし溜め息をつく。

「だからオレがランク下げるって言ってるのに」

「それはダメだって言ってるだろ!結生の足を引っ張るなんてオレが許せない!」

優斗と同じ大学に通えれば何でも良いんだけどなぁ……と、結生は心の中だけで呟いて眉を下げる。

「葉山って本当に頑固だよなー」

「まぁ、そこも優斗の良いところだからな」

隣の席で2人のやり取りを見ていた椎名は、はいはいご馳走様と手をひらひらと振る。ホームルームの時間を告げるチャイムが鳴り、皆ガタガタと席に着く。


いつも通り授業を受け、帰りのホームルームが終わる。最後の大会に向けて部活に向かう者、バタバタと塾へ向かう者、それぞれ慌ただしく教室を後にする。

「今日も勉強してから帰るだろ?」

「はいっよろしくお願いします!」

荷物をまとめながら振り返る結生に、優斗は仰々しく頭を下げる。同じ大学を目指す2人は、図書室で受験勉強をしてから帰るのが日課となっている。

「ふふ、それじゃ行こうか」

優斗の様子に笑いながら、結生が立ち上がる。優斗も同じように立ち上がり図書室へと向かう。

「あれ、今日は随分と人が少ないな」

図書室のドアを開け、思わず結生が呟く。普段は同じように勉強をしている者や本を読んでいる者で席が埋まっているが、今日は数えるほどしか生徒がいなかった。

「みんな、どこ行ったんだろうな」

優斗がひょこっと中を覗く。2人はそのまま図書室に入り、机の上に荷物を置く。

「はー涼しい……やば、眠くなってきた」

「忙しいな、優斗は」

席に着くなり眠気を訴え始める優斗に、結生は苦笑しながらミントタブレットを手渡す。

「む、何回食べてもピリピリするな」

顔をしかめる優斗に、多少は眠気が飛んだだろ?と笑いかけながら結生は教科書を開く。

「さて、今日の数学の授業で分からなかったところは?」

「いやもう、基本的に何も分かりません」

数字アレルギーを自称するくらい数学が苦手な優斗は、真面目に授業を聞いていても何一つ理解することができなかった。こうして結生に毎日の復習をしてもらうことにより、何とか授業についていくことができている。

「オレ結生がいなかったら生きていけない自信がある……」

ぽそっと呟く優斗の言葉に、ピクリと結生の肩が揺れる。

「それは……オレとしては願ったり叶ったりだな」

甘さを含んだ声で囁かれ、優斗はガバッと顔を上げる。

「気づいてた?今この図書室にはオレたちしかいないよ」

結生の言葉に優斗は辺りを見回す。窓からはオレンジ色の夕陽が差し込み、数人いたはずの生徒はいつの間にか帰ってしまっていた。

「図書館デートならぬ、図書室デート……だな」

左手をするりと絡め取られ、優斗の肩が大きく揺れる。

「ちょ、こっちに誰もいなくても図書委員がいるだろ」

優斗は頬を染めながら、声をひそめて訴える。

「いや、さっき先生に呼ばれて出て行ったから誰もいないよ」

「え、そうなのか?」

「優斗が数式と格闘してた時だからね、集中してて気づかなかったんじゃないか?」

確かに、授業で全く理解できなかった数式の説明を受けて必死に解いていた記憶がある。

「いや、だとしても!いつ戻ってくるか分からないし!」

優斗は左手を引き抜こうとしたが、結生の右手はびくともしなかった。

「力!つよ!」

「ふふ、右手と左手だからね」

結生は楽しそうにニコニコと笑う。

「まぁ仮に戻ってきたとしても、ここ死角になってるから近づいてこない限り見えないよ」

「え……まさか、それでこの席に……」

優斗がチラリと結生の顔を見上げると、その口元が緩く弧を描く。その表情に優斗の心臓がバクバクと騒ぎ出す。

(ヤバイ、この表情の結生はヤバイ──)

優斗は何とかこの危機的状況から抜け出す方法を考えたが、全く思い浮かばず己のIQに絶望する。

「……折角の図書室デートなんだからさ」

優斗の心境を知ってか知らずか、結生が顔を近づけ耳元で囁く。

「優斗からキス、して欲しいな」

「んなっ……」

優斗はガタッと椅子を揺らし距離を取ろうとする。が、手を繋がれてしまっているため離れることができない。

「優斗はオレのこと好き……?」

「え?なっ何だよ急に……」

じっと結生に見つめられ、優斗はソワソワと居心地が悪くなる。

「……好きじゃない?」

「す、好きに決まってるだろ!!」

ムードも何もない乱暴な告白に、結生は安心したように眉を下げて笑う。

「ふふ、男らしい告白ありがとう」

「何なんだよ……」

優斗は恥ずかしさから、ふいっと視線を逸らす。

「オレたち付き合い始めて1年くらい経つだろ?」

「え?あぁ、うん……そう、だな」

結生の言葉の意図が分からず、優斗は困惑しながら答える。

「キス、優斗からしてもらったことないんだけど」

「え?」

そうだっけ?と優斗は首を傾げて考える。言われてみたら確かに、自分からしたことはなかったかもしれない。

「そろそろ優斗の方からしてくれても良いと思うんだけどなー」

そう言って、結生はわざとらしく口を尖らせる。

「う……」

結生の言うとおり、ずっと受け身というのもおかしいのかもしれない。まして、結生は自分自身の受験勉強の時間を割いてまで勉強を教えてくれている。

(もしかして、オレって結生に甘えすぎ……?)

優斗は自らを省みて、無意識に眉間にしわを寄せる。

「あっごめん、嫌なら無理しなくて大丈夫!」

「え?」

優斗が難しい顔をしているのを見て、結生は慌てて手を離す。

「え、あ、ちがっ……」

何か結生に勘違いをさせてしまったと気づいた優斗は、アワアワと訂正しようとする。しかし何と言ったら伝わるのか、上手い言葉が思いつかない。

(ど、どうしよう……)

数秒考えた優斗だが、言葉で伝えられないのならと結生の顔を見上げる。

「ゆ、優斗……?」

どうしたのかと戸惑う結生の頬に手を添え、ぎゅっと目を瞑り唇を押し付ける。突然の出来事に結生が目を見開いていると、ゆっくりと優斗の顔が離れていく。

「ご、ゴメン……初めてだから、ちゃんとできてたか分からないけど……」

優斗は顔を真っ赤にして、ごにょごにょと語尾を小さくしながら俯く。

「え、ぁ……」

優斗にキスされたのだと理解した結生は、釣られるように顔を赤くして自身の唇に触れる。

「な、何で結生が照れてるんだよ……」

「ごめ……本当にしてくれると思わなかったから」

「ふはっ何だよそれ」

優斗は思わず吹き出し、可笑しそうに笑う。耳まで赤く染めている結生の姿を可愛いと思ったが、口に出すと反撃されると学習済みの優斗は喉まで出かかった言葉をそのまま飲み込む。

“ガチャッ──“

図書室のドアが開く音が聞こえ、優斗の肩がビクッと跳ねる。用事が済んだのか、先生と一緒に戻ってきた図書委員がカウンターへ入る。

「……もう遅いし、そろそろ帰ろうか」

「そ、そうだな」

2人はゴソゴソと机の上の教科書やノートを片付け、帰る準備を始める。

「忘れ物はないか?」

「んー……大丈夫!」

優斗は机周りをぐるっと確認し、笑顔で答える。2人はカウンターに座っている図書委員の生徒に会釈をして、図書室を後にする。


「わーっ綺麗な夕日だな!」

図書室の窓からも見えていたが、一面に広がる夕陽に優斗が目をキラキラと輝かせる。

「気温も少し下がったし良かったな」

「本当だよーずっとこのくらいの気温であれ……」

優斗は今朝の暑さを思い出し、げんなりとしながら歩く。

「そういえば、もう少しで夏祭りだな」

「そっか!そうだった!」

うなだれていた優斗だったが、夏祭りという単語にバッと顔を上げる。

「受験生にも息抜きは必要だよな……?」

優斗はチラリと結生に視線を送る。

「はは、もし優斗のお母さんにダメって言われてもオレが説得するよ」

「いや〜また結生くんの写真お願い♡としか言わないと思う」

優斗の言葉に楽しげに笑い、結生はふと感慨に耽る。

「……結生?どうした?」

「あぁ、いや。もう1年経つんだなーって思って」

1年前の夏祭りでの出来事を思い出し、結生はふわりと笑みを浮かべる。

「今年は優斗そっくりなぬいぐるみが置いてあるかもな」

「えぇっそれは何か嫌かも」

優斗の言葉に、結生は理不尽だなぁと笑う。

「さて、明日の小テストは大丈夫そうか?」

家の前まで辿り着いた結生が、優斗に尋ねる。

「多分……授業では全然分からなかったけど、結生に説明してもらって少しは分かったし!」

『少しは』の部分を強調する優斗の口調に笑い、明日また勉強しようと結生が手を振る。

「おう!また明日な!」

優斗は夕陽を見上げながら、結生と同じ大学に行くためだからな!と気合を入れ直した。


***

翌朝、結生は優斗が眠そうに目をこすりながら歩いてくる姿を出迎える。

「おはよう、眠そうだな……大丈夫か?」

「んー……昨日ちょっと気合い入れて勉強しすぎた……」

むにゃむにゃと喋る優斗の髪を優しく整え、あんまり根を詰めるなよと目の下のクマに触れる。

(だからランク下げるって言ってるのにな……)

自分に合わせて無理をする優斗の姿に、結生の心がチクチクと痛む。しかし優斗の努力を否定したくはないため、勉強を教えるという形で全力で応援すると決めた。

「でもなーおかげで小テストは良い点数とれそうだぞ」

「そっか、それは楽しみだな」

へへっと笑う優斗に、結生は優しく微笑む。

「今日はそこまで暑くなくて良かったな」

「本当だよー不幸中の幸い」

「それは何か違うんじゃないか?」

昨日に比べて少しだけ日差しが和らいだ青空の下、2人は楽しそうに笑いながら学校への道のりを歩く。


4限目で数学の小テストを受け、授業の終了を告げるチャイムが鳴る。

「っあー!今日のテストはマジで100点かもしれない」

机の上で突っ伏する形で大きく腕を伸ばしながら、優斗は小テストの手応えを語る。

「すごいな、今回は優斗に負けるかも」

「いやそれはない」

笑顔で振り返る結生に、何を言っているんだと優斗は真顔で返す。

「お2人さん、ランチご一緒してもよろしいですか♪」

教科書をしまい昼休みの準備をしていると、弁当箱を掲げた向井がおどけた様子でやってくる。隣の席の椎名も同じように弁当箱を出し、スタンバイしている。

「おう、一緒に食おうぜ!良いよな、結生?」

「あぁ、もちろん」

4人は机を近づけて、それぞれ弁当を広げる。

「葉山、小テストに自信ありそうだったよな」

「え、そうなの?数学は苦手って言ってなかったっけ」

「昨日、結生に教えてもらったからな!」

椎名と向井に尋ねられた優斗が、自信満々に答える。

「向井は受験勉強は順調か?」

「んーまぁ、ぼちぼち……かな」

結生に尋ねられ、向井は苦笑しながら答える。

「でもすごいよなー。違う世界に飛ばされたのに、真面目に受験勉強するなんてさ」

「確かにな」

「えっなになに佐倉まで褒めてくれるの?」

向井は両手で顔を包むように、キャッ♡とポーズをとる。結生は無視してウインナーを口に放り込む。

「……まぁでも真面目な話、君たちがいるからっていうのは大きいよ」

「オレら?」

優斗が首を傾げる。

「多分、どれだけ仲良くなったとしても違う世界から来ましたーなんて言えないだろ。それって、すごくストレスだと思うんだよね」

「それは、まぁ……確かに……」

椎名が何とも言えない顔でうなずく。

「だから、君たちには感謝してるんだよ」

「向井…………ゴメン、ちょっとトイレ行ってくる!」

「この流れで?!」

ふわりと笑みを浮かべていた向井が盛大に突っ込み、優斗はガタガタと立ち上がる。

「すぐ戻ってくるから!」

3人に見送られながら、優斗は慌ただしく教室のドアを開ける。昼休みということもあり、廊下に出るとガヤガヤと賑やかだった。

(購買のパンやっぱ人気だよなー)

“戦利品“を片手に嬉しそうに歩いている生徒たちが目に入り、たまには食べたいかも……と優斗は購買のパンに思いを馳せる。

『なぁなぁ、俺さっき聞いちゃったんだけどさ!』

ふいに聞き馴染みのある声が耳に届き、優斗はバッと後ろを振り返る。

(え、今の声……)

優斗は辺りを見回し声の主を探す。隣の教室かもしれない……そう思いこっそり中を覗いてみたが、その姿を見つけることはできなかった。

「あ、おかえりー葉山」

すっかり弁当を食べ終えた向井に声をかけられた優斗は、ただいまとぎこちない笑顔で答える。

「……優斗、何かあった?」

結生の言葉に優斗は口を開きかけたが、少し考えた後に何でもないよと返す。先ほど廊下で聞こえた声は、絶対に茂木のものだった。しかし、その話を椎名の前でするべきか優斗には判断ができなかった。


午後の授業が終わり、帰りのホームルームの時間になる。設備点検のため、今日の放課後は図書室が使えないと伝えられる。チャイムが鳴り、皆ガタガタと帰り支度を始めた。

「今日どうする?オレん家で勉強するか?」

結生が振り返り優斗に尋ねる。

「え、良いのか?」

「教室じゃ掃除が終わるまで待たないといけないし……時間がもったいないだろ」

「じゃあ、お邪魔しようかな」

放課後の予定を決めた2人は、荷物をまとめて教室を後にする。

「っはー今日は過ごしやすいな!」

外に出た優斗は大きく伸びをする。

「昨日が暑すぎたからね、優斗が溶けなくて良かったよ」

優しく笑う結生の髪を、ふわりと風がなびかせる。

「優斗?どうかした?」

「いや……」

優斗は昼休みの出来事を思い出し、結生になら言っても良いかな……と口を開く。

「実はさ、昼休みにトイレに行った時……茂木の声が聞こえたんだ」

「えっ」

結生が驚いて目を見開く。

「すぐ探したんだけど、茂木はいなくてさ……」

以前、向井は優斗と結生のことを特異点かもしれないと言っていた。あの肝試しの夜がなければ、きっと今でも2人はただの幼馴染のままだっただろう。

「結生と付き合うきっかけを作ってくれた茂木に、ありがとうって伝えたいんだよ」

「優斗……」

「まぁ、メチャメチャ怖い思いしたけどな!」

「あはは、それは確かに否定できないな」

結生は眉を下げて可笑しそうに笑う。

「まぁでも……こうして恋人として優斗の隣に立ててるんだから、安いものだよ」

愛おしそうに見つめる結生と目が合い、優斗の心臓が跳ねる。ドキドキと胸が高鳴り、幸福感に包まれる。優斗はそっと結生の手に触れ、そのまま指を絡める。
幼馴染よりも近い距離で寄り添った2つの影が、アスファルトに並んでいた。