部屋を飾り立てる装飾品などが置かれていないシンプルな部屋。服をしまう為のタンスに書き物をするための机と椅子に文房具。書庫から持ってきた数冊の本に押し入れ。それが桂の自室だった。
自室の中で眠る桂。本来いるのは彼だけのはずだが、ゆらりと黒い影が部屋に現れる。
少女の形をした影は静かに眠る桂に近づき、無防備な首へ目掛けて短刀を振り下ろす。
しかしその刃は肉を断つ前に、動きを止めた。より正確に言うのなら、短刀を持つ香澄の手の上に重ねられた手によって止められた。
「……っ、起きてましたか」
「夜這いにでも来ると思っていたが、朝だったか」
「よばい……? それは知りませんが、言い方的に夜に来ると思ってたってことですよね。私個人の考えとしては、眠る前よりも起きぬけの方が気が緩むと思ったので今を選びました。まぁ、失敗しましたけど」
「夜這いを知らないのか……」
香澄はこてんと首を傾げる。本当に思い当たる言葉がない様子の香澄に「知らなくても困らないから気にするな」とフォローを入れた。
「そうなんですか」
「あぁ、大したことでは無い」
「分かりました。ならこれを」
そう言って香澄は持っていた短刀を桂に差し出す。鈍い光を放つ刃を見て桂は一言。
「いらん」
「一思いに、こう――」
「やらない」
「寝起きを襲う不届き者を――」
「不届きのレベルに達していない人間を殺す気にはなれん」
「……………………そうですか」
酷く長い間だった。
桂はそれに突っ込むことはせずに、布団から出て香澄を持ち上げると、そのまま部屋の外に追い出して襖を閉めた。
「早く支度をしてこい」
「何のですか?」
「学校に行く支度だ。早くしないと朝餉の時間になる」
香澄は数回瞬きをした後、ぽつりと呟く。
「私の分のご飯、あるんですか?」
「あるに決まっているだろう! 寝ぼけたことを言ってないで早く支度をしてこい!」
香澄はしぶしぶ立ち上がり、自分にあてがわれた部屋に向かう。
部屋の中は誰もいないはず……だが、バタバタと物音が聞こえてきた。香澄はそっと近づき、不審者なら対処できるように桂に受け取ってもらえなかった短刀を握りしめる。
「香澄様はどこですか!」
「落ち着くのです、蘭。きっと桂様の所にいるんですよ」
「朝からなんの用があるって言うんですか!」
可愛らしい少女の声がふたつ。小さな世話係を困らせてしまったことに胸を痛めた香澄は、短刀をしまう。武器が見えないようにしてから部屋に入った。
「おはようございます。鈴さん、蘭さん」
「あ、おはようございますなのです」
「おはようございます。……どこに行ってらしたんですか?」
声は平常を装えているが、苛立ちが瞳に滲んでいる。本当のことを言ったら顔が鬼のようになってしまうことは明白だった。
「桂様の所に……えっと、あさばい? をしてました」
とりあえず、桂の言葉を借りてやんわりと伝える。そんな言葉があるか分からず躊躇いつつだったので、すぐに殺しに行ったことがバレそうだ。
そんな香澄の考えは残念ながらハズレだった。
「あ、朝這い……? にににに人間はなんて……」
「あさばい? それってなんなのです?」
顔を真っ赤にして震える蘭。香澄と同じでよく分かっていない鈴。顔はそっくりな二人だが反応が全然違うな、と香澄は頭の片隅で思う。
流石に悪い意味だったことが香澄にもわかったので「嘘です。暗殺しに行きました」と正直に話した。
「……っ! いや、朝から桂様に手を出すよりは……マシ?」
「よく分かってませんが、殺しに行く方がダメだと思いますよ、蘭さん」
困惑しておかしな思考回路になっている蘭に正論を返す香澄。桂がいれば「お前が言えることじゃないだろ」と突っ込んでくれそうだが、ここにいるのはぽやぽやした鈴。
「朝から仲良しで楽しそうなのです」
なので出てくるのは、そんな的はずれな言葉なのだった。
「遅かったな」
鈴と蘭に先導されて食堂へと向かえば、当たり前ではあるが桂がいた。朝食の盛り付けが綺麗なままであることから、まだ手をつけていないことがわかる。かなり遅くなってしまったので、もうとっくに食べているかと思っていた香澄は驚く。
桂が朝食をとっていないことに気づいた蘭は慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません、いろいろありまして……」
「ごめんなさいなのです」
鈴も一緒に頭を下げる。香澄も二人に習って腰を折る。
「すみません。朝の件でお説教されてました」
「……あまり、蘭に迷惑をかけるなよ」
「はい。反省してます」
「ならもう襲うなよ」
「それは無理です」
最初からあまりに期待をしていなかったのだろう。桂はため息混じりに「さっさと座れ、朝食にするぞ」と呆れ顔で言う。
「はい」
香澄は既に食事が置かれている前の座布団に座る。この家が広いせいか、ここは食事専用の部屋らしく、余計なインテリアは置かれていない。
漆塗りの机は大きく、桂と香澄は少し離れた位置になっていた。警戒されているのなら嬉しい、というのが香澄の本音である。
「いただきます」
手を合わせて食事を始める桂を見習い、香澄も同じように手を合わせて「いただきます」と口にしてから箸を手に取った。
(どれから食べましょうか)
香澄の前にある朝食は、白いご飯、お味噌汁、鮭の塩焼き、お漬物、とかなりシンプルなものだった。量としては一般的だが、香澄は食べ切れる自信が無い。
(朝からしっかりとしたご飯を食べるのは、数年ぶりです。食べ切れるといいのですが……)
そう思いながら、とりあえずご飯の盛られた茶碗を持ち食べ始める。白いご飯をそのまま咀嚼し、鮭を少し切り分けご飯と一緒に食べる。合間にお味噌汁を飲み、お漬物の食感を楽しむ。
「……綺麗な食べ方だな」
「そうでしょうか?」
「あぁ、所作がしっかりとしている」
「桂様の方が綺麗ですよ、食べ方」
香澄の向かいにいる桂はピンと背をのばし、箸の持ち方もしっかりとしている。間違った箸の持ち方をしている人も多いというが、香澄の記憶違いでなければ桂の持ち方はお手本そのものだった。
「長年使っているからな。これくらい出来て当然だ」
長年、と聞いて香澄の中に疑問が湧いた。
(桂様は、一体いくつなのでしょうか)
人間と妖怪は寿命に大きな差がある。人間の何倍もの年月を妖怪は生きるのだ。桂の言う長年は、人基準のものとは長さが違うだろう。
人間に年齢を聞くのは、人によっては不快な気持ちになる。主には年齢を重ねた女性だ。もちろんそれ以外でも嫌だと思う人はいるが。果たして妖怪にとってはどうなのか、桂は気にするのか。
「桂様はお幾つなんですか?」
香澄はとりあえず聞いてみた。本人としては聞ければ疑問解消。不快に思えば短刀か、刀を差し出し殺してもらう。どっちに転んでも香澄にとっては得だ。
「……何を企んでいる」
出会って一日も経っていないのに、桂は既に香澄の思惑に勘づいていた。あまりにも香澄への適応が早い。
「何も考えていません。世間話の一種としてお考え下さい」
「ならわざわざ答える必要も無い。さっさと食べろ、学校に遅刻するぞ」
残念ながら答えてもらえなかった。香澄は不満を口に出さないように、お味噌汁を飲み干すのだった。
自室の中で眠る桂。本来いるのは彼だけのはずだが、ゆらりと黒い影が部屋に現れる。
少女の形をした影は静かに眠る桂に近づき、無防備な首へ目掛けて短刀を振り下ろす。
しかしその刃は肉を断つ前に、動きを止めた。より正確に言うのなら、短刀を持つ香澄の手の上に重ねられた手によって止められた。
「……っ、起きてましたか」
「夜這いにでも来ると思っていたが、朝だったか」
「よばい……? それは知りませんが、言い方的に夜に来ると思ってたってことですよね。私個人の考えとしては、眠る前よりも起きぬけの方が気が緩むと思ったので今を選びました。まぁ、失敗しましたけど」
「夜這いを知らないのか……」
香澄はこてんと首を傾げる。本当に思い当たる言葉がない様子の香澄に「知らなくても困らないから気にするな」とフォローを入れた。
「そうなんですか」
「あぁ、大したことでは無い」
「分かりました。ならこれを」
そう言って香澄は持っていた短刀を桂に差し出す。鈍い光を放つ刃を見て桂は一言。
「いらん」
「一思いに、こう――」
「やらない」
「寝起きを襲う不届き者を――」
「不届きのレベルに達していない人間を殺す気にはなれん」
「……………………そうですか」
酷く長い間だった。
桂はそれに突っ込むことはせずに、布団から出て香澄を持ち上げると、そのまま部屋の外に追い出して襖を閉めた。
「早く支度をしてこい」
「何のですか?」
「学校に行く支度だ。早くしないと朝餉の時間になる」
香澄は数回瞬きをした後、ぽつりと呟く。
「私の分のご飯、あるんですか?」
「あるに決まっているだろう! 寝ぼけたことを言ってないで早く支度をしてこい!」
香澄はしぶしぶ立ち上がり、自分にあてがわれた部屋に向かう。
部屋の中は誰もいないはず……だが、バタバタと物音が聞こえてきた。香澄はそっと近づき、不審者なら対処できるように桂に受け取ってもらえなかった短刀を握りしめる。
「香澄様はどこですか!」
「落ち着くのです、蘭。きっと桂様の所にいるんですよ」
「朝からなんの用があるって言うんですか!」
可愛らしい少女の声がふたつ。小さな世話係を困らせてしまったことに胸を痛めた香澄は、短刀をしまう。武器が見えないようにしてから部屋に入った。
「おはようございます。鈴さん、蘭さん」
「あ、おはようございますなのです」
「おはようございます。……どこに行ってらしたんですか?」
声は平常を装えているが、苛立ちが瞳に滲んでいる。本当のことを言ったら顔が鬼のようになってしまうことは明白だった。
「桂様の所に……えっと、あさばい? をしてました」
とりあえず、桂の言葉を借りてやんわりと伝える。そんな言葉があるか分からず躊躇いつつだったので、すぐに殺しに行ったことがバレそうだ。
そんな香澄の考えは残念ながらハズレだった。
「あ、朝這い……? にににに人間はなんて……」
「あさばい? それってなんなのです?」
顔を真っ赤にして震える蘭。香澄と同じでよく分かっていない鈴。顔はそっくりな二人だが反応が全然違うな、と香澄は頭の片隅で思う。
流石に悪い意味だったことが香澄にもわかったので「嘘です。暗殺しに行きました」と正直に話した。
「……っ! いや、朝から桂様に手を出すよりは……マシ?」
「よく分かってませんが、殺しに行く方がダメだと思いますよ、蘭さん」
困惑しておかしな思考回路になっている蘭に正論を返す香澄。桂がいれば「お前が言えることじゃないだろ」と突っ込んでくれそうだが、ここにいるのはぽやぽやした鈴。
「朝から仲良しで楽しそうなのです」
なので出てくるのは、そんな的はずれな言葉なのだった。
「遅かったな」
鈴と蘭に先導されて食堂へと向かえば、当たり前ではあるが桂がいた。朝食の盛り付けが綺麗なままであることから、まだ手をつけていないことがわかる。かなり遅くなってしまったので、もうとっくに食べているかと思っていた香澄は驚く。
桂が朝食をとっていないことに気づいた蘭は慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません、いろいろありまして……」
「ごめんなさいなのです」
鈴も一緒に頭を下げる。香澄も二人に習って腰を折る。
「すみません。朝の件でお説教されてました」
「……あまり、蘭に迷惑をかけるなよ」
「はい。反省してます」
「ならもう襲うなよ」
「それは無理です」
最初からあまりに期待をしていなかったのだろう。桂はため息混じりに「さっさと座れ、朝食にするぞ」と呆れ顔で言う。
「はい」
香澄は既に食事が置かれている前の座布団に座る。この家が広いせいか、ここは食事専用の部屋らしく、余計なインテリアは置かれていない。
漆塗りの机は大きく、桂と香澄は少し離れた位置になっていた。警戒されているのなら嬉しい、というのが香澄の本音である。
「いただきます」
手を合わせて食事を始める桂を見習い、香澄も同じように手を合わせて「いただきます」と口にしてから箸を手に取った。
(どれから食べましょうか)
香澄の前にある朝食は、白いご飯、お味噌汁、鮭の塩焼き、お漬物、とかなりシンプルなものだった。量としては一般的だが、香澄は食べ切れる自信が無い。
(朝からしっかりとしたご飯を食べるのは、数年ぶりです。食べ切れるといいのですが……)
そう思いながら、とりあえずご飯の盛られた茶碗を持ち食べ始める。白いご飯をそのまま咀嚼し、鮭を少し切り分けご飯と一緒に食べる。合間にお味噌汁を飲み、お漬物の食感を楽しむ。
「……綺麗な食べ方だな」
「そうでしょうか?」
「あぁ、所作がしっかりとしている」
「桂様の方が綺麗ですよ、食べ方」
香澄の向かいにいる桂はピンと背をのばし、箸の持ち方もしっかりとしている。間違った箸の持ち方をしている人も多いというが、香澄の記憶違いでなければ桂の持ち方はお手本そのものだった。
「長年使っているからな。これくらい出来て当然だ」
長年、と聞いて香澄の中に疑問が湧いた。
(桂様は、一体いくつなのでしょうか)
人間と妖怪は寿命に大きな差がある。人間の何倍もの年月を妖怪は生きるのだ。桂の言う長年は、人基準のものとは長さが違うだろう。
人間に年齢を聞くのは、人によっては不快な気持ちになる。主には年齢を重ねた女性だ。もちろんそれ以外でも嫌だと思う人はいるが。果たして妖怪にとってはどうなのか、桂は気にするのか。
「桂様はお幾つなんですか?」
香澄はとりあえず聞いてみた。本人としては聞ければ疑問解消。不快に思えば短刀か、刀を差し出し殺してもらう。どっちに転んでも香澄にとっては得だ。
「……何を企んでいる」
出会って一日も経っていないのに、桂は既に香澄の思惑に勘づいていた。あまりにも香澄への適応が早い。
「何も考えていません。世間話の一種としてお考え下さい」
「ならわざわざ答える必要も無い。さっさと食べろ、学校に遅刻するぞ」
残念ながら答えてもらえなかった。香澄は不満を口に出さないように、お味噌汁を飲み干すのだった。

