生真面目妖狐と孤独な祓い屋の嫁入り婚

 水の中を漂うような、意識と体が剥離しているような感覚。香澄はその感覚で、自分が夢の中にいることに気づいた。
 現実とは違い、体が動かしにくい。そして思考すら上手くまとまらない。それでも分かることはある。

(あぁ、まだ私は生きてるんですね……)

 もし、桂が香澄を殺したのだとしたら、ここには足りないものがある。香澄が求めてやまないもの。またいつか、と願い続けているもの。

(私は、一体いつになったら――)

 香澄の意識が浮き上がっていく。この夢から覚めるようだ。そしてその時になって、遥か先、光の中にそれが現れる。
 香澄が求めてやまないもの。それさえ手に入れば他には何も望まない光景。

(……っ! まって、待ってください。それは、あれは、私の――)

 その光に香澄は手を伸ばす。それは人間の腕の長さでは届かないほど遠くにある。届かないと分かっていながらも、香澄は諦めずに掴もうとするが、無情にも意識が少しずつ現実に浮上していく。彼女の手が、光の中に届くことはなかった。
 そうして香澄の意識が現実に戻る。意識の覚醒が早い香澄は、すぐに自分の置かれた状況を整理する。

(頭の下に柔らかい感触、枕と考えるのが自然でしょうか。つまり、私は布団に寝かされている……?)

 意識を失う前の最後の記憶は、桂へ刃を振るったもの。ならば、ここはあの和風作りの屋敷の中だと考えるのが自然だ。
 本来ならば目を開け、謝罪をしなければいけないのだが、また夢を見れば今度こそあの光の中に手が届くのでは、という希望から目を閉じたまま寝返りを打つ。

「……ふふ、くすぐったいのですよ」

 声がした。香澄のすぐ上から。可愛らしい女の子の声だった。
 香澄は咄嗟に目を開き、くるりと回転しながら距離をとる。それは敵から逃げようとする本能的な動きだった。例え、自分よりも小さく弱い生き物であろうが、思わず体が動いてしまう。それくらい彼女の体に刻まれた習性だ。

「起きたのですね!」

 改めて声の主を見れば、雪のように真っ白な髪色のおかっぱの少女だった。頭の上には猫耳がある。髪の色合いと顔と年頃、そして猫耳も含めて先程会った蘭と同じだが髪型だけが違っていた。

「蘭さんの姉妹……いいえ、猫又なら双子か三つ子でしょうか」

 妖怪猫又は、普通の猫と同じように一度の出産で数人の子供を産むことが多い。さすがに猫よりは少なく、多くとも三人までだが。
 一人っ子よりは双子が多く、三つ子は双子より少ない。そのため、確率としては双子の可能性が一番高い。だが、三つ子だったら失礼にあたるかもしれないと思い、香澄はその可能性を最後に付け足した。
 それよりも失礼なことを、屋敷の主にやっていることは完全に棚の上にあげている。

「うん! 鈴は蘭と双子なのです」

 えっへんと嬉しそうに笑う少女は、一人称から鈴という名前であることが分かる。鈴はパタパタと香澄に小走りで近づいてきて「はい!」と何かを手渡す。

「……これは、お菓子?」

 個包装されたお饅頭だ。しかも甘いものに頓着しない香澄でも知っている老舗の名店の名前が、パッケージに書かれている。

「貰っていいの?」
「甘いもの食べると元気が出るです!」

 どうやら、元気がなくて倒れたと思われているらしい。わざわざ否定をして、純粋な好意を押し退けるほど香澄は無粋ではない。

「ありがとうございます」

 お礼を言ってから、お饅頭を食べる。上品でしつこくない甘さのお饅頭は香澄の口にあっていた。
 古くから続く名店のお饅頭。それだけでなく、香澄を心配してお菓子をくれた彼女の優しさ。それもお饅頭を美味しくさせたスパイスだったことを、香澄はしっかり理解していた。

「あっ! 忘れてたです! いま、蘭と桂様呼んでくるのです!」

 鈴はそう叫んで部屋の外へと走っていってしまう。
 一人取り残された香澄は、どうしようかと視線を彷徨わせる。人様の家を勝手に出歩くのは、香澄が加害者かつ、妖怪を祓う人である以上、絶対にやってはいけない。
 かといってこの部屋は客間のようで机に座布団ぐらいのものしかなく、できることはなかった。机の上にお菓子の入った盆があるが、食べていいのか分からない。お腹も減っていないし、手をつけない方が良いだろう。
 部屋を一通り見回して、香澄が気づいたことがひとつ。

(……布団がない。もしかしてさっきの柔らかい感触は、鈴さんの膝枕だったのでしょうか)

 見ず知らずの人間に膝枕をし、自分のおやつだったであろうお菓子をあげる。とんでもない優しさを持つのが鈴のようだ。短い時間ではあるが、それだけの時間でも香澄は優しさを実感した。
 一応、客間らしき部屋に寝かせられていたということは、まだ客扱いをするつもりなのか。もしそうなら座布団に座っておくべきなのか。悩むこと数分、廊下の方からパタパタと足音が聞こえてくる。それだけで鈴が戻ってきたことが分かった。それ以外の足音もふたつ。恐らくは桂と蘭なのだろう。

「…………何をしているのだ」

 開いていた襖から室内を見た桂がそう言ったのも無理はない。室内にいた香澄は中腰のまま、座布団を見つめていたのだから。

「座っても良いものか、悩んでいました」
「なぜ悩む必要がある」
「私は貴方を害しました。その私が座布団に座る資格は無いと思ったので。なので一思いに、ザクッと――」
「する訳がないだろう!!」

 首を切る仕草をする香澄に、思わず大声で突っ込んだ桂は頭を抱えた。
 自分が非常識な事をやった自覚はある。だから客としては扱われないと考えている。しかしそれを反省する素振りもなく、殺せと迫ってくる。これらを総合して、桂への攻撃が家の命令ではないことはわかった。

(しかし、そうだとするなら……この人間はイカレ女ではないか!)

 桂はため息をつき香澄を見た。香澄は不服そうで、服に仕込んである短刀を出そうとしていた。
 しかし短刀がある場所には何も無い。香澄は驚きで目を見開いた。

(……一応、没収しておいて正解だったな)

 短刀が無いのは当然だった。香澄が寝ている間に最初の攻撃に使われた短刀も、それ以外に仕込まれていた暗器も、香澄が持っていた刀も全て没収してある。
 万が一に備えた対策だったが正解だった。不敵に笑う桂――その顔面に迫る香澄の拳は、桂の手に受け止められた。

「なぜ殴る!」

 その拳は霊力によって強化されたものだ。もしそのまま食らっていたのなら、防御をしていない桂の体は吹っ飛んでいた。それを躊躇なく振るう人間に怒るのは当然だ。

「不敬ですよね。これで三度目。仏ももう許しません。早く私を処断してください」
「答えになってない!」

 懇願するように、期待の籠った瞳を桂に向ける香澄。そんな瞳を向けられ、疑問にも答えてもらえずに困惑する桂。鈴の袖を掴む蘭は顔面蒼白。袖を掴まれている鈴は二人が仲良さそうで良かった、と言わんばかりの笑顔。
 この場には混沌が満ち満ちていた。